tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

休み~『どうしようもない』をどう落とし込むか

8日のおばあちゃんの四十九日法要。

お坊さんのありがたいお話を聞いてきたのですが。

私の受け止め方が悪かったのでしょう。

『その話、正月の地震で家族を亡くされた人の前でできる?』とか思ったんですけど。

お坊さんにまで喧嘩を売るのは止めなさい(反省)

 

ただ、話を聞いていてうっすらと感じたのは『もしかしたら仏教の教えと言うのは『前向きな絶望』『前向きな諦念』なのかもしれないな』と言うことでした。

 

生きていれば、圧倒的に理不尽な苦しみ、悲しみを突き付けられることもある。

因果がはっきりとし過ぎていて、眩暈を起こしそうになるかもしれないそれもある一方で、因果があまりにも不鮮明で、ただただ『何故』と打ちひしがれるしかないそれもある。

それでも起きたことが全て、と言うか現実であり、それ以上でもそれ以下でもないわけです。どうしようもないのです。起きたことは。

仏教はそんな考え方のように、私には思えて。

 

その圧倒的な『どうしようもない』を、自分の中にどう落とし込むか。

落とし込めなくとも、どう、その『どうしようもない』と生きていくか。

 

それをも、ただただあるがままに。

この娑婆の世界で起きたことの結果として、あるがままに受け入れる。

それしか、しようがないのだと。

残酷なまでの現実主義と言うか。

『現実はそれなんだから、それ以上、しようがないのである』と。

仏教は、そんな、語弊はあるかもしれませんが『開き直り』を説いている。そこから現実に対しての『前向きな絶望』『前向きな諦念』を説いているのかもしれないなぁ。

 

そんなことを思ったのですが、頭ではわかっていても、やはり『人間だもの!苦しいのも悲しいのもしんどいのも嫌じゃん!楽しく生きたいじゃん!そんな『どうしようもない』で諦めたら、それこそどうしようもないじゃん!』と思った私は、108では足りないくらいの煩悩に塗れた人間です。

なので到底、仏教の教えは受け入れられそうにないなぁ、とも思ったのですが。

ただまぁ『考え方』のひとつとして『こう言うのもあるよ』と心の片隅に留めておくのはいいかもしれないな、と思いました。

 

ただまぁ、たとえ『どうしようもない』が存在したとしても、そこを何とかしよう、したい。あるいはそれに打ちひしがれている人に対して、心を寄せる、何もできない己に対して、それこそどうしようもないほどの無力感を抱くと言うのも、また人間だと思うのです。

ってか仏教も、その辺は否定していない。

ってかこんなどうでもいい話、いつまで続くの?

 

クソ真面目な話をしてしまいましたが、四十九日法要のお話の続きを。

1.5か月ぶりに再開した甥っ子、姪っ子たちが、相変わらず可愛かったです(笑)

私の父のことを愛してやまない甥っ子3人も、私の父の姿を見るなり破顔一笑

私の父も『人の顔見てすぐに笑うのは失礼やぞ~』と言いつつも、破顔一笑

なんてやさしいせかい・・・!

 

お別れの際には『また会おうな』と言う挨拶を交わしていた甥っ子3人と父ですが。

次に会えるのはいつになるのでしょうかね。ってか、父と母はお正月、毎年、顔合わせしていたのかな?どうなんだろ。

いずれにしても、たとえその時が遠い日になったとしても、願わくばおめでたい席、喜ばしい機会でのそれであることを、私はただただ願うばかりなのでした。

 

お坊さんのお話の中では度々『縁』と言う言葉も登場していたのですが。

おばあちゃんが亡くなったことで、私は、それまで話でしか聞いたことがなかった甥っ子、姪っ子たちと顔を合わせることができました。

吹けばかき消されるようなそれではありますが、それでも確かな『縁』がそこには結ばれたわけで、そのことを考えると『あぁ、この『縁』は、おばあちゃんが結んでくれたものなんだろうなぁ』と思わされた次第です。

エモい・・・!

 

あと会食は懐石料理みたいなのだったんですけど、めちゃくちゃ美味しかったです。

誰とも喋ることなく、1人、黙々と料理を平らげていた私を、どうか許して。

だって美味しかったんだもん!

 

はい。そんなこんなでこんにちわ。休みです。

 

お金です。お金をおろしに行くよ!

今日こそおろしに行かないと、もう何もかもが無くなりかけているよ!

結果として、それらを買う費用だけでも結構な額になっているの笑う。

 

でも年末前におろしに行かなくても、どうにかなったね!

ってかあればあるだけ使っちゃう計画性のない私のことだから、むしろこれくらいギリギリの方がいいのかもしれないよ!

・・・いいのかもしれないけど『何か』あった時のことを思うと、やはり財布の中が千円札1枚と言うのは心もとないと思うんだ・・・うん。

 

はい。そんなこんなです。

冬アニメが続々、放送開始となっているのですが。

宇宙よりも遠い場所(よりもい)』の再放送、1話、視聴しました。

 

1話のラストでED『ここから、ここから』のイントロが流れてきた瞬間。

もう怖いくらいに。本当に怖いくらいに、全身の肌が粟立ちまして。ええ。

『これだ・・・これだ!』と2018年、本放送リアタイ時に感じていた感覚。それをはっきりと思い出して。

それと同時に、何と言うか、足元から凄まじい熱量と言うか、言葉にできないような感情がわきあがってきたのがわかって。

もう感動とも驚愕ともつかないような感情に、私はただただ翻弄されました。

 

私がアニメオタクになって10年、今年で12年目くらいですか。

わお、干支が一周したぜ!

 

アレですね。好きなことと言うのは、勿論、途中でその熱量が冷めちゃったり、嫌いになっちゃったりして離れたりするのは、それはそれで全然、問題のないことだと思います。

ただこうして長きにわたり好きでい続けると、時間の経過と共に、その味わい方であったり、受け止め方であったり。そう言うのも着実に変わってくる。

そしてその変化が、時にはとんでもない、言葉にしようのない気持ちを与えてくれて、確かに体を、心を振るわせてくれるのだなぁ、と。

そんなことをひしひしと、まさしく身をもって感じた次第です。

 

なので今、好きなことがあって、それに夢中になられている方も。

先に書いたように、熱が冷めたり、嫌いになったりしたら、その距離を変化させるのは全然、問題ないことです。

ただ長く好きでい続けたからこそ味わえる感情、あるいは見える世界と言うのは確かにある、と。

私は今回の『よりもい』再放送(だけではないですが)で実感しました。

なのでせっかくなので、あなたの『好き』も、ゆるーくでもいいので、『好き』でい続けていて欲しいなぁ、と思った財布の中、千円札1枚の42歳でした。おっふ。

 

あと今期『スペース☆ダンディ』も再放送やってるじゃないですか!

熱い!何だ、この再放送の激熱ラインナップ!

 

はい。そんなこんなです。

なんだか真面目腐ったかつ説教くさいお話になっちゃったわね、おほほほほ。

ま、こんな記事がたまにはあってもいいでしょう。

 

てなことで冬アニメ1話視聴感想記事ばっかり書いているので、いい加減、違う話題の記事も書きたい。

書こうね。そうしようね。

でも冬アニメの1話も視聴したいね。今日のラインナップも激熱よ!

 

ではでは。

皆さんの、そして私の今日が、今日は、今日も穏やかで良い一日でありますように。

そして。

皆さんの、そして私の明日が、明日は、明日も穏やかで良い一日でありますように。