tsuzuketainekosanの日記

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冬アニメの最終回も終わったことだし~印象的な最終回と個人的な意見

以前、ブログで『機動戦士ガンダム 水星の魔女』でグエルくんが再登場した回に関して、『グエルくんが何をしたって言うんだ!』って書いたと思うんですけど。

なんかよくよく考えてみたら今の今まで『何もしてこなかった』から、今、こうなっているのかもしれないな、と思いました。

1話でのあの登場の仕方(もはや懐かしさすら感じるわ)を考えると、多分、彼は、『自分の力で自分で行動している』と思い込んでいた、慢心していた感じすらあったけど。そうじゃないんだよなぁ。

彼の行動、その裏には常に父親の存在、会社の存在があったわけで、いわば『虎の威を借る狐』だったんですよね。

だから彼自身は『何もしてこなかった』に等しい。

そしてその彼が『自分の思いに従って何かをした』から、今の状況が生まれた。

その最中で『何もしてこなかった』そのいちばんの要因でもあった父親を殺してしまったと言うのが、何とも皮肉的であり運命的でもあり。

でも真の意味で『自分で行動すること』の意味。そこに生まれる責任。そうしたものを、この段階で彼が気づけたのは幸運なことなのではないかなぁ。

 

母親を盲目的に信頼しきって依存して、その庇護を絶対的に信頼しているからこそ、それでも学園編入後、自分の『したい』を叶えるために、不器用なりに行動していたスレッタ。

そして父親を強く憎みながら、しかし自分の立場がその恩恵の下にあることも理解していて、だけどやっぱり『私はこう生きるの!放っておいて!』の思いのまま、自分で行動を起こしてきていたのであろうミオリネ。

この2人の少女と、グエルと言う少年の立ち位置、改めて対照的だなぁ、と感じました。はい。母と娘、父と娘。そして父と息子。それぞれの描き方が、本当にうまい。

 

ただ私、昨日の最新話、まだ見れてないんですけど。

見てもない人間が偉そうなこと語って、すいません(土下座)

とりあえずラウダくんが無事だったと言うのは、皆さんの呟きで知りました。

良かった良かった(涙)

 

本題です。

『1話って難しいんだろうなぁ』と言う話をしたのが昨日の記事です。

今日はその続きです。

タイトルにも書いた通り、冬アニメの最終回も一部作品を除いては無事、放送されたのでそれについて好き勝手、語っていきます。

 

てなことでまずは昨日、印象的な1話を挙げたのと同様、個人的に印象深い最終回の作品を挙げていきたいと思います。

アニメ、声優さんのオタクになって約10年。1クールに最低でも10作品は見ているとして、年に40本のアニメを見ている。で、それが10年だから今まで見てきたアニメ作品は400作品ですか。実際は多分、もう少し多いわけで。

あれまぁ。おったまげ。

その中から最終回が印象的だった作品は、と自問しても、そもそもとしてどんな作品を見てきたのかすら思い出すのが大変、と言うのが正直なところなのですが(苦笑)

それでも昨日の記事同様、何を考えることもなくぱっ、と思い浮かんできたのが、こちらの2作品でした。

 

まずは2020年秋アニメとして放送されたこちらの作品です。

・『アクダマドライブ』

・・・いきなり話はずれますが。昨今、アニメの独占配信、そのメリット、デメリットみたいなのが話題にあがることが多いように感じるのですが。

この作品もFODの独占配信だったんです。『惜しいなぁ』とめちゃくちゃ思います。独占配信じゃなかったら、絶対に絶対にもう少し盛り上がり話題になっていた作品だと、私は今でも確信しています。はい。

 

作品自体めちゃくちゃ好きなんですけど。最終回に関しては今も録画機から消せないでいます。そして数か月に一度は視聴しています。それくらいに好きな、好きと言うよりもう印象的すぎて定期的に摂取しないと寂しくなるくらいに印象的な最終回です。

なんだろ。語弊ある言い方かもしれないんですけど、最終回だけ視聴しても作品として成立している。そんなことを感じさせるんです。『アクダマドライブ』と言う作品を見ていない人がいきなり最終回を見ても『あー。なんかよくわかんないけど、でも話の流れはなんとなくわからないことはない』と言う作りになっている。

その独立した短編映画みたいな存在感が、まず最高。

 

そしてその上で当たり前のことですがそれまでの物語。そのすべてを『さぁ、これから広げた大風呂敷、たたみにかかりますぜ!』と言うわかりやすさでもってして収束しにかかっているのも最高。

最終回にふさわしい、そして『アクダマドライブ』と言う作品らしさ、派手さと毒々しさ、クールな熱量、愚直なまでの一途さ。それらを余すことなく詰め込んで描き切った挙句、これまたひとつの作品の『終わり』にふさわしい、『終わり』と言う響きから連想される静寂、美しさを登場人物の心情に託して描き切った、表現しきった。そんな最終回だったように思います。

ちょっとネタバレにはなってしまうんですが、わかりやすいハッピーエンドではないんです。はい。だけど私としてはどこをどう取っても、この物語における、あるいは最終回に見事な立ち回りを見せてくれた登場人物たちにとっては、最上の、最高の終わり方だった。そんな満足感を切ない感情と共に味わわせてくれた、本当に忘れがたい最終回です。

 

そしてもう1作品は冬クール作品のこちらです。

・『リベンジャー』

・・・奇しくも梅原裕一郎さんがメインキャラを演じられている作品、2作品になりましたね。

てなことで復讐代行屋たちの姿を描いた『リベンジャー』の最終回も、個人的にはめちゃくちゃ印象深いです。故に録画機から消せないでいます。そしてやっぱりたまに見返して『はぁ・・・』とその余韻にふけっています。

 

ネタバレになっちゃうので詳細は差し控えますが。何と言うか、あの最後、最後の最後に待ち受けていた展開。そこに込められている意味みたいなものが、もう最終回の最後にして、がつん、とこちらの胸をえぐってきたと言うか。

それまでも非常にヘヴィな、様々な立場にある人間たちの、様々な思いが込められた物語が繰り広げられていた本作品。その最後に『まだこんな展開を用意するか!?』と言う衝撃、驚き。

なんだけど、でも、これもやっぱり『あぁ、でも・・・そうだよな』と言う、納得できるような思いもわきあがってきたのがお見事なんですよ。

 

そしてこの展開で命を落としてしまったある人物の胸中。そこに思いを馳せると、私としてはこれまたやっぱり納得の思いしか出てこないんです。なんて皮肉的で、なんて悲しくて、なんて切ない終わり方。彼の、人生の終わり方。でも同時、皮肉的でも悲しくても切なくても、彼にとっては確実に、確実に『この終わり方』で救われた部分もあるんだろうなぁ、と自然に思わせてくる。

そんな作りになっているのがまた物語としてにくいと言うかうまいと言うか。

だけどその後、その彼の亡骸に近づくある人の姿が映し出されると、またこれ、別の切なさ、寂寞がこみあげてくるんですよね。で、そのままEDが流れ出して物語は終わる・・・と言う、この作品だからこその人間の、その感情の機微の描き方が最高だった。そしてその余韻が、今も胸に深く沁み込んでいて離れないと言う点から、この最終回もめちゃくちゃ印象に残っています。

 

うん。実にわかりやすい。

『わかりやすいハッピーエンドではない』と言うのが、私が好きな最終回を語るうえでのひとつのキーワードのようですね。

あー、でも、これは多分、昔からだな。アニメに限らず、たとえば映画にしても、そんなに映画を見ているわけではないのでアレですが、『好きな映画は?』と聞かれたら『レオン』や『ミリオンダラー・ベイビー』を挙げる。それは作風が好きなのもあるけれど、あの終わり方がめちゃくちゃ印象に残っていると言う部分も大きい。

 

いや、ただ『わかりやすいハッピーエンド。誰がどう見ても、私のようなひねくれ者が穿った視点で見ても、どうあがいてもハッピーエンド!』と言う最終回も好きなんですよ!ってか大好きですよ!

みんな幸せになるに越したことはないじゃんか!

 

ですが、ですね。

やっぱりその作品ごとに『これっ!』と言う、ぴたり、とはまり込むような、そんな終わり方があると、そんな物語の終わり方、終わらせ方がある、と。

私は思うんです。はい。

その作品にとって唯一無二の終わり方、と言うか。

 

なのでぶっちゃけると、ハッピーエンドかどうかと言うのは重要な点ではなくて。

要は最終回を見終えた後に『あぁ、この終わり方は成程。この作品にとっては、この終わり方は唯一無二だな』とか『他の終わらせ方もあったと思う。でも、うん。個人的には、この終わり方も、終わらせ方も、この作品にとってはふさわしいと思う』と思えるかどうか。

その作品と最終回の・・・相性?と言うか。言葉が難しいですが、その作品にとってのこの最終回が納得できるものであったかどうか。

そこに尽きているような気がします。ってかまぁ、これはもう、別に私だけに限った話ではないでしょう。

 

全10数話、続けてみてきて『さぁ、いよいよ最終回だ!』って期待に胸を膨らませながら最終回を視聴した結果『どうしてこうなった』と愕然とした時の絶望感ったらないですよね。

あはははは(遠い目)

 

そして納得できるものであったかどうか。そこには登場人物の行動が大きく関係しているのは言うまでもないことです。

最終回にある登場人物がとった行動。そこに納得できるかどうか。それが納得できるものであったなら、その結果、導き出された結末がわかりやすいハッピーエンドであれ、そうでないものであれ、私は満足できているんだと思います。

逆にわかりやすいハッピーエンドでも『いや、なんであのキャラクター、最後の最後であんな行動とったん!?意味不明やし!』とか『違うよ!あの場で、あの行動をとるのは、そいつじゃなくてあいつだよ!』とか。

そんな違和感がよりにもよって最終回に出てきてしまうともうダメ。どれだけそこまでの物語が面白かったとしても、もうダメ。もやもやしか残らない(笑)

 

そう言う意味から見ても先に挙げた『アクダマドライブ』と『リベンジャー』の最終回。このふたつに関しては、本当に納得しかないのです。

登場人物たちが最後の最後まで、自分の思いに従って自分らしく行動して、それが繋がっていった結果として、作品が締めくくられた。

なかなか的確に表現するのは難しいですが物語主体ではなく、登場人物主体であり、その登場人物たちが物語を終わらせた。そんな感じがする最終回だからこそ納得が生まれ、そして印象に残っていくんだろうなぁ、とも思うのですが。

物語の集大成、それすなわち登場人物たちの生き様の集大成、って感じで。はい。

 

ただまぁ、これに関しては原作がある作品だとなかなか難しい部分はありますよね。そもそもとして原作が最終回を迎えていない作品でもアニメ化されることも多いわけで。

それでもキリが良い所でアニメとして終わることができればいいですけど、それができない作品も少なくはない。見ている側、あるいは原作ファンとしては『まぁ、でもこれは仕方ないよね』と納得できるのに。

あろうことか、そこから暴走の限りを尽くしてしまう作品も少なくはないのがこれ悲しい・・・。

 

無理すぎる改変!全く理解のできないアニメオリジナル最終回!

大胆過ぎるショートカット!時系列の無視!

キャラクターの関係性、どうなってるのこれ!

酷い場合には、原作では生きてるのにアニメだと死んじゃうこともあるよ!

 

まぁ、それもアニメ制作サイドさんからしたら苦肉の策。少しでも最終回としてまとまりをつけるための苦渋の決断、はたまた『いや!我々はアニメとして、原作のここを描きたかった!だからこう言う方法を選んだんだ!』と言う自信の表れなのかもしれませんが。

 

無理はしなくていい。

ってか頼むから無理はしないでくれ(土下座)

『おれたた』でも良いじゃないか。

そっちの方が、下手に改変したりショートカットしたりキャラクターの生存変更したりした結果、最終回しても作品としてもさんざん、『こりゃ続編の可能性、完膚なきまでに潰れたな』となるより、よほど良いじゃないか。

そう思うのはきっと私だけではないはず。

 

あぁ・・・ってかなんか今、ふと思い出した。

印象に残っている最終回と言えば、2019年(もっと前だと思ってた!)に放送された『星合の空』、これの最終回もなかなか強烈、衝撃的だったなぁ。

その後、この最終回に至った経緯、裏側を監督が呟かれていたけれど。

アニメ制作の現場に限った話ではないんだろうけど『何と言うか。そんなことが起きちゃうのかよ!そんなことが許されて、結果的に作品が『完結』しないままた世に出されてしまう。そんなことが起きちゃうのかよ!』と、その呟きを見た時には驚いた記憶があります。

 

なおこの作品に関してはその後、スペシャルムービー的なものが公開されたのですが・・・いや、私が、そしておそらく多くの作品の視聴者さんが望んでいるのは、あの衝撃の最終回、その後、その直後の物語なんですよね。うん。

いや、ってか懐かしすぎるだろうよ『星合の空』。

2019年か・・・いやほんと、もっと前に放送された作品だと思ってたけど、佐藤元さんが出演されていたことを考えたら、そうか。2019年でちょうどいい感じなのか(意味不明)。

 

はい。そんな具合で話が少しそれましたが。

1話と対になる形で、その作品の顔とも言える最終回。

そこまでの積み重ねがあるからこそ、それが生かされ、見ている側にとって納得できる、そしてそれが満足感を抱かせてくれる、そんなお話であるのが望ましいよなぁ、と私としては思うのでした。

『全体的には『そんなに』って印象だけど、最終回だけはやたら強烈に印象に残ってるんだよね』と言うのも、それはそれで、作品としては素敵なあり方、存在感の放ち方ではないでしょうか?

 

ではでは。本日の記事はここまでです。

読んで下さりありがとうございました!