公休だけど1が付く日なので、読書感想文をお送りいたします。
完結過ぎるタイトル(笑)
はい。
そう言うことです。
現在は『准教授・高槻彰良の推察』の新刊を読んでいます。
今日の読書感想文までに読めるだろう、とタカをくくっていたのですが、見事に読了することができず、結果、ストックが尽きる、と言う事態になってしまいました。
たはははは。
どうしたものか(ちーん)
考えた末、もうすぐ映画が公開される予定の作品、その原作小説の感想を振り返ろう、そうしよう、と言うことに相成りました。
てなことでその作品は『死刑にいたる病』でございます。
5月6日に公開予定。阿部サダヲさん、岡田健史さん、岩田剛典さんなどが出演されており、監督は『凶悪』や『孤狼の血』など骨太で剥き出しの人間の性を描いたアウトロー作品で高い評価を得ている白石和彌さんです。うーん、これは楽しみだ。
そしてこちらの原作は櫛木理宇さんによる小説です。『死刑にいたる病』は文庫化に際してのタイトルで、単行本では『チェインドッグ』と言うタイトルでした。
なんでしょ。『死刑にいたる病』は、こー、インパクトとしては大きいですが、いまいち意味が分かりにくいと言うか、抽象的な気がします。
個人的には、ぱっと見、英語なので意味は分からないですが、その意味を調べてみると『あー・・・成程。確かに』と首肯したくなるような『チェインドッグ』のタイトルの方が、この作品にはぴったりだと思うのですが。はい。
てなことで『チェインドッグ』、直訳すると『繋がれた犬』と言う意味ですね。
繋がれた犬。
誰が、誰に、何を、どのように繋がれているのか。
犬とは勿論、比喩に他なりませんが、では誰を『犬』に比喩しているのか。
この辺りも、本作の読み解くうえでのひとつのキーワードです。
ではでは、まずはあらすじを。
でもまぁ、これは映画に興味がある方でしたら、既に調べてご存じかもしれませんな。
鬱屈とした日々を送っている大学生の筧井雅也。その彼のもとに、一通の手紙が届く。差出人は榛村大和。実に24件もの殺人容疑で逮捕され、内9件の事件にて死刑判決を受けた人物だった。
手紙は、自分の罪は認めたものの最後の1件に関しては完全な冤罪であると訴えており、そのことを証明して欲しいと雅也に依頼する内容だった。
榛村は、かつてはパン屋を営んでおり、幼かった頃の雅也はそのパン屋に通っていた。つまり2人は、少なからず顔見知りの関係だったのだ。
雅也は榛村の依頼を受け、事件を調べていくのだが・・・と言うのが、簡単なあらすじです。
映画では榛村を阿部さん、雅也を岡田さんが演じていらっしゃいます。岩田さんは金山と言う男を演じていらっしゃいます。この金山と言う男は、榛村が冤罪を主張している事件、その捜査線上に浮かんでくる、実に怪しげな男なのですが・・・。
はい。で、どうしましょう?
あからさまなネタバレを書いた方が、記事を読まれる方にとっては嬉しい言うか、多分、それを知りたくてこの記事にアクセスされる方が圧倒的に多いとは思うのですが・・・。
個人的にそれは好きじゃないんだよね!
だってそれをしちゃったら、小説、映画に携わられた方に対して申し訳ないじゃないですか!
はい。なのでまぁ、何と言うか、匂わせ的な文章にとどめておこうかと思います。
あくまで原作小説を読んだだけの私の感想である、と言う前置きをしたうえで、まず語りたいのが、私には雅也がとても他人事とは思えなかった、と言う点です。
かつては非常に優等生で、大人からの期待からも高かった雅也。しかし大学生の雅也は、それが逆にコンプレックスとなったがために、ひねくれ者でぼっち。友人もおらず、人とのコミュニケーションもろくに測れないため、就職活動も絶望的。それでも内心では他人を見下している、と言う人物です。
そんな雅也にとって、榛村は『優等生だった頃の自分』しか知らない人間です。そんな人間が、時が流れても自分を覚えていてくれたのが嬉しかった。そしてそんな人から頼られたのが嬉しかった。
だから雅也は、榛村の冤罪を証明するためにめちゃくちゃ頑張るんです。
『こいつ、私じゃん』と、それはもう、雅也に対してはそんな思いしかわいてきませんでしね、ええ。
抱いているコンプレックスも、大学生としてのこじらせ具合も、内心では他人をバカにしているところも、なのにその他人とろくに会話もできないところも。
そのくせ、他人に頼られると嬉しくてたまらないところも。雅也の何もかもが、私にとっては本当に自分の姿を見ているようで、痛々しくて切なくてたまりませんでした。
で、作中。榛村の冤罪を証明するため、雅也は様々な行動を起こします。それは雅也自身にも非常に良い影響をもたらし、いつしか彼は人並みのコミュニケーション能力を身に着け、内に秘めていた卑屈さも少しずつ消えていたのです。
ところがどっこい、それと同時、思わぬ変化も彼の身に訪れます。
それが小さな女の子を目で追いかけるようになってしまっている、と言うことでした。
榛村が起こした惨たらしい事件、その多くは年端もいかない10代前後の少年少女を狙ったものばかり。その榛村のように、雅也も事件の謎を追いかける内に、そうした少女たちに対して、決して正常ではない感情を抱くようになってしまっていたのです。
そうして雅也は、1枚の写真を目にします。そこに映っていた人物、雅也の母親からの言葉で、雅也は自分と榛村の本当の関係を知ることになります。
そのことで、何故、榛村がわざわざ自分に、ただの大学生でしかない自分に冤罪の証明を依頼してきたのか。またどうして自分が、榛村のように、10代の子に対して正常ならざる気持ちを抱くようになったのか。それを理解した雅也は、改めて榛村の冤罪証明に向けて力を入れるのですが・・・ふふ。
雅也と榛村の本当の関係とは何なのか。
そしてそれは果たして『本当に本当のこと』なのかどうか、は是非とも、小説を読むなり、映画を見るなりして、ご自身でご確認くださいね。
そうして本作を語るうえで、圧倒的なおぞましさ、それ故に大きな魅力を放っているのが、稀代の殺人鬼、榛村の存在です。
先にも書きましたが彼が起こした事件、その内容は実に惨たらしいもの。10代前後の少年、少女を何日にもわたり監禁し、惨たらしい拷問を加え、自分が散々、楽しんでから命を奪うと言う事件です。
ちなみに。彼が冤罪を主張している最後の1件。
こちらに関しては、被害者が成人女性、かつ監禁、拷問されていた様子もなく、拘束されてからすぐに殺害されている点が、榛村のこれまでの犯行とは明らかに異なっています。
なので雅也も『これは冤罪なのでは』と言う思いを持つわけなのですが。
まぁ、そのあたりは果たしてどうなのか、と言うのはぜひぜひ、小説、映画でご確認くださいね!
で。榛村に話を戻しますと。
人気のパン屋の店主。人当たりもよく、外見も美男子。
そう、美男子!小説では、榛村はそう言う外見が設定としてされているのよ!
なので最初、私は、岩田さんが榛村を演じられるものとばかり思い込んでいたよ!(笑)
阿部さん、ごめんなさい(土下座)
いや、でも、この榛村に阿部さん、いかにも人当たりがよさそうで、温厚そうで、生真面目そうなイメージの強い阿部さんをキャスティングされたのは、いやうまいわ。
とにもかくにも、そんな榛村が、こんな惨たらしい事件を果たして起こすものなのか、と最初の頃はただただ疑問しかないんですけれどね。
ええ。
洗脳です。
榛村は、何か特別な力があるわけでもなく、口にする言葉も特別なものではない。
そうなんですけれど彼には、相手の心の中にある弱点、精神的な弱点を見抜き、それを掌握して『自分は君の味方である』と相手に信じ込ませ、相手をこちら側に取り込む、引き入れる、魅了させてしまう、自分の思うがままの行動を相手に、自然に選ばせてしまう、そう言う圧倒的な、魔性とも呼べるようなカリスマ性があるのです。
現実離れしてる。リアリティがなさ過ぎる。
最初、私もそう思いました。この榛村のキャラクターと言うか、洗脳術には。
ただ、考えてみると、実はそんなことはないんですよね。うん。
昨今、耳目にするあまりに悲惨な、陰惨な事件の数々。その中には、主となる加害者から、被害者や他の加害者が、強い洗脳を受けていたと言う事例があったことも少なくはありません。
第三者から見れば『いやいや、もっと早くに、どこかに、せめて相談するくらいのことはできたんじゃないの!?いや、まぁ、相談しても無駄だったかもしれないけどさ!』とか『いや、監禁される前に逃げ出せば良かったのに!』と突っ込みたくなるのですが、そうしなかった、いや、それ以前にそれができなかった、と言うのはやはり、勿論、環境的な理由もあるのでしょうが、加害者からの圧倒的な洗脳。精神的な、肉体的な洗脳、コントロールがあったと言うのも、大きいんだろうな。
そう言うことを考えると、榛村のこの他者への洗脳、他者の行動のコントロールと言うのは、めちゃくちゃむしろリアリティを感じさせられたし、だからこそ恐ろしくてたまりませんでした。
なんだろ。
『事件』として表にでる事例もあるわけですが、もしかしたら『事件』として表には出ない、そうした事例も決して少なくはないんじゃなかろうか。
そこでは『自分が洗脳されている、コントロールされている』と気が付けないままでいる人、あるいは気が付いているけれどどうにもできなくて、どうにもならなくてただただ時間が過ぎていくのを待つしかない人も、たくさんいるんじゃないだろうか。
そう言うことを考えると、またこれ怖い。
で。
ここまで書けば、まぁ、ある程度はお分かりいただけるかと思いますが、結局は雅也も、その榛村の術中にはまっていたと言うわけです。
そして先に名前を挙げた、岩田さん演じる金山と言う男性。
彼もまた、榛村の洗脳に人生を狂わされた人間のひとりです。
この金山の人生と言うか、榛村から受けた、そうして今なお、受け続けている洗脳、コントロールと言うのは、読んでいて本当に辛かった。
ちょっとネタバレになってしまうかもしれませんが。
ある事件が起きて、命を無慈悲に、理不尽に奪われた人がいる。
その一方で助かった人もいる、と言う事例に対して『命が助かっただけ良かったじゃないか』と言う言葉が出てくることがありますが、これ、本当に酷ですよね。
酷。
命が無事だったと言うことはその先、生きていかなくてはならないと言うことです。
そして生きていく限りは、事件のこと、犯人のこと、自分が受けたこと、自分が見たこと、自分が感じたこと、それら一切がずっと、ずっとずっとずーっと、自分と共にあるわけです。それら一切をなかったことにはできないわけです。
・・・しんどいわ。しんどい。
うん。これはもう、想像を絶すると言うか・・・しんどい。
まして金山の場合、ここに榛村と言う、圧倒的な存在がのしかかっています。
その存在、榛村から受けた洗脳、コントロール。
全てから逃れたい、全てを振り切りたい。
そう願う金山は、しかしそれができない。
そしてそれが原因で、彼は更なる罪悪感を背負うことになる、と言う展開が、胸を圧し潰すようなやるせなさに満ちていて、本当に辛かったです。
岩田さんが、この金山をどんなふうに演じられるのかも見どころだなぁ~。
『チェインドッグ』 『繋がれた犬』と言う単行本のタイトルの、その意味が、ここまででよーく、感じて頂けたかと思うのですが、いかがでしょうか。
雅也も、金山も、そしてこの作品に出てくる多くの人間が、榛村からの見えない鎖で繋がれていた犬、見えない鎖で、榛村の意のままに動く従順な犬だった、と言うわけなんですね。はい。
そして物語のラスト。
榛村が冤罪を主張した事件の、真犯人は誰なのか。
雅也と榛村の本当の関係は何なのか。
そして雅也は、榛村の洗脳から逃れることができたのか。
それらすべてが明らかにされた後・・・ここからの展開も、もう櫛木さんらしいと言うか、イヤミスの真骨頂を見せつけるかのような運びで、ただただ笑うしかないんですけど(苦笑)
あっはー・・・これ、ほんと・・・いや・・・榛村の刑を、死刑を早よ執行して!とも思うんですけど、恐ろしいのは、死刑を執行したところで実は何も変わらないんじゃないか、と言う思いが拭えないところなんですよねぇ・・・。
ねー・・・そう考えると本当に怖いし、しんどいわ。
ラストの一言、弁護士に向けた榛村の一言も、もう『ぞわり』の一言。
はい。
てなことで本日は5月6日に映画公開予定の『死刑にいたる病』、その原作小説の感想を振り返ってまいりました。
あ、ちなみに。
あくまで私の感想は、原作小説を読んだ際の感想です。
映画化に際してはもしかしたら、原作小説からの改変などもあるかもしれないので、そのあたりはご了承いただけると幸いです。はい。
この作品は勿論のこと、櫛木さんの作品ってほんと、こー、人間の本性、その暗い部分、負の部分を炙り出して徹底的に描いているような作品が多いので、ほんと、もっと映像化されていも良いように思います。
個人的には実際に起きた事件を彷彿とさせるような『寄居虫女』や、あまりに痛々しく切なく、しかしこれもまた、とてもリアリティがある事件だと感じさせられた『FEED』あたり、映像化しやすいと思うし、映像化したら絶対、面白いと思うのです。
はい。そんなこんなで『死刑にいたる病』、映画、ちょっと見てみたくなったなぁ~。
ではでは。本日の記事はここまでです。
読んで下さりありがとうございました!