tsuzuketainekosanの日記

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読書感想文の日~『泳ぐ者』

いろいろ言いたいことはある。

あるけれど、本当に反省されていると思うけれど、本当に反省して!

八代拓さんのお名前を、こんなお知らせで見たく、聞きたくなかったよ!

もっと良いお知らせで見たかったよ!聞きたかったよ!

以上!

それでも私は、声優・八代拓さんが好きなんだよ、こんちくしょう!

その演技が好きなんだよ!すまんな!

でも二度目はないからな!バカっ!

以上!

 

本題です。

 

前回はお送りできませんでしたが。

今回は無事、お送りすることができます。

読書感想文です。

 

今回、感想をお送りするのは青山文平さんの『泳ぐ者』です。

こちらは若き従目付の片岡直人、そしてその上役である内藤雅之。この2人を主軸にした短編集『半席』の続編でもあります。

なので勿論『半席』を読んでいた方が、より『泳ぐ者』が楽しめるのは事実です。が、個人的には『半席』を未読の方でも楽しめる作品だと思います。

 

この説明からもお分かり頂けるかと思いますが、こちらはジャンルとしては時代小説でございます。

ですが『半席』にしても、そして本作『泳ぐ者』にしても、描かれているのは『時代を問わない人間の普遍性』ではないでしょうか。

物語の時間軸は江戸後期ですが、その時代にあっても、そして今の時代にあっても。恐らくはそれ以前も、そしてこれから先も。

『人間』と言う生きものの、その普遍性。あるいは不可解さと言ってもいいかもしれない。良い面も、そうでない面もひっくるめた普遍性、不可解さと言うものが描かれていて、そこにとても胸を揺さぶられるのです。そしてまた、そこからどうしようもなく愛おしさのようなもの、愛おしさを伴った憐れさのようなものを感じるのも、私としてはこの作品の魅力だよなぁ、と。

 

人間は、いつの時代も不器用だ。

 

てなことで『泳ぐ者』の簡単なあらすじ・・・の前に。主人公の片岡が就いている従目付と言う役職ですが、これは『かちめつけ』と読みます。

ja.wikipedia.org

私が説明するより、こちらを読んで頂いた方が確実にわかりやすい。

まぁ、ざーっくり、実にざーっくりとした理解で許されるならば『江戸城登城の際の大名への監察。また幕府役人や江戸市中における内偵をする役職』って感じかな。

 

『半席』では、御家人から旗本に出世すべく、従目付として奮闘していた片岡が、上役、つまり上司である内藤から、腑に落ちぬ事件に潜む『真の動機』、それを探り当てることを振られた、と言う物語です。

なのでミステリーのジャンルで言うと『ホワイダニット』に焦点を置いた作品ですね。

片岡の調査を通して浮かび上がってくる、罪を犯した者たちの様々な思い。決して口にできない、言葉にできないそれらの思いが、若き片岡の目を通して語られるからこその『人生』と言うものの残酷さ。どうしようもない哀切さ。

それでも『自分のそれをどう生きるか。生き抜くか』と言うメッセージのようなものが鮮やかに浮かび上がってきて、それはそれは心を鷲掴みにされたのですが。

 

この『半席』を通して事件の裏側に潜む『なぜ』。それを探求することにやりがいを見出した片岡が、新たに挑むことになった事件が『泳ぐ者』では描かれています。

その事件と言うのがある男の殺害です。病床に伏していたその男を刺し、命を奪ったのは、男の元妻でした。しかし元妻が離縁を言い渡されていたのは、三年半も前のこと。

何故、元妻は三年半の時を経て、しかも重病で余命いくばくもない元夫を刺殺したのか。

 

そこに潜む『なぜ』に片岡は挑むことになるのですが、あろうことか片岡はとりかえしのつかない、最悪の失敗を犯してしまうことに。

それにより心身に不調を抱えることになってしまった片岡は、ある奇妙な噂を耳にします。それは毎日、決まった時刻に冷たい大川を、それはそれは実に不格好に泳ぐ男がいる、と言う内容です。

そこで片岡は、男が泳いでいると噂されている時刻に、大川に足を向けてみるのですが、と言うお話です。

 

なので本作品で描かれている事件はふたつ。

ひとつは『三年半も前に離縁を言い渡された女が、重病の元夫を刺殺した』事件。

ひとつは『冷たい大川を毎日、決まった時刻、泳ぐ男が関係する』事件です。

そしてそのふたつの事件の『なぜ』を追い続けた片岡が、最後にひとつの覚悟をする、そんな物語です。

 

てなことで感想ですが・・・いやぁ~、本作品も面白かったです。面白かったと言うか、めちゃくちゃ染みた。胸に染みた。ふたつの事件に関係する人の思い。そして何より、その中心にある罪を犯した人の思いが、もう読み進めていくにつれ、どんどん、どんどんと私の胸に降り積もっていくようで。

その重み、切なさ、言葉にできないからこその声にならない悲鳴のようなもの。そう言ったものが、ただただ胸にずぶずぶと、しずしずと染みていくようで。

それこそ、そこで胸にわきあがってくる感情もまた、私はうまく言葉にできないのです。この感情を的確に伝える言葉を、私は知らないと言うか。

 

『なぜ』を追い続けた片岡の目を通して描かれているのは、端的に言ってしまうならば人の多面性です。一人の人が持つ、見せる、様々な顔です。

片岡はそれを、そのことを、罪を犯した張本人から。あるいはその家族であったり知り合いであったり。そう言う関係者から話を聞くことで目の当たりにしていくのですが。

その流れ、そしてそこから片岡が犯してしまった失敗。その失敗を犯してしまったが故に、最後に片岡が己に課した覚悟のような思い。あまりに苦々しすぎるその覚悟を通して私が感じたのは『ある人が、ある人を語ること。そのことの危うさ』でした。

 

これも時代を問わないことですよね。

ある人が、ある人を語る。そのことでしか得られない情報と言うのもあることだろうし、特に家族であったり、その語られている人と近しい立場、関係にあった人の語りであれば、それを無条件に信用してしまう、飲み込んでしまうと言うのも、決して珍しいことではないと思います。

 

だけど当たり前のことですが、それが、それだけがすべてではない。また語っている人の思いと言うのも、決して無視できるものではない。

語る者と語られる者。語られる者と語る者。そこにあったすべてなど、当事者たちですら把握できていない部分もあるわけで。

そう言ったことをめちゃくちゃ考えさせられました。

 

『なぜ』を解き明かす。そこに魅入られた片岡は、だからこそ、極力『思い込み』と言うものを排除しながら、罪を犯した者のことを知ろうとしていきます。

それでも、そんな片岡ですら、あまりに重大な失敗を犯してしまった。

 

その傷口にしっかりと触れてくる、内藤と言う人間の厳しさ。それでも相手が片岡だからこそ見せるのであろう、その温かな厳しさ。

そして打ちのめされてなお、それに触れられたからこそ『(他にやりようは)あったのでしょう』と答えることができ、最後の最後には『自らの失態』、その苦みを改めて噛み締めたのであろう片岡の、従目付云々と言う以前に、人としての愚直さ、真っ当さ、若さと言うのも胸に染みたなぁ。

 

ってか、内藤と片岡が相変わらずで、私はにこにこしっぱなしでした。

腐った頭でごめんなさい。

もはやこの2人、私の中では『うっかりBLじゃん!』状態です。

本当にすいません(土下座)

 

いや、でもね。

ほんと、この片岡と言う人だからこその『半席』であり『泳ぐ者』だと思うんです。

この人の愚直さ、真っ当さ、そしてそれでも人としてまだまだ未熟で若いからこその、この物語の、深い、深い味わいだと私は思うんですよ。

そしてそれをちゃーんと見抜いていて、危なっかしいと思いつつも、そこに惹かれている。だから必要な時に、少しだけ、その背中を叩くような言葉を口にする、態度をとる内藤も、マジ上司の鑑・・・!

 

『なぜ』を追い、それを解き明かしていくこと。その魅力に片岡は職業人としても、1人の人間としても魅了されてしまっている。

そこに浮ついたところなどひとつもなく、未熟でこそあれ、真摯であることに間違いはないのに、それでも起こしてしまった失態。取り返しのつかないそれ。

 

それでも、だからこそ『『なぜ』を追う者としての罪を犯した己』と向き合い、その上で『それでも『なぜ』を追い続けていくのであろう、己が背負っていくべき覚悟』、いや、もしかしたらそれは『覚悟』と言うより『枷』と言った方が正確なのかもしれませんが。

とにもかくにも、そう言うものへと最終的に至った片岡の姿には、本当に胸を熱くさせられたし、何と言うか、適切な言葉ではないかもしれないけれど、とても清々しいものを見せられたような思いすらしたのです。

そしてまたそこに、片岡の人としての、従目付としての確かな成長も見たと言うか。

 

人が人が殺し、その裏側にある声にならない、言葉にならない思いがかき消されようとしている。

そこに踏み込んでいく片岡の愚直さは、もしかしたら、救いなのかもしれないなぁ、とも思ったり。

誰にとっての救いなのかはわかりません。それにその救いがあったところで、取り返しのつかないことは、永遠に取り返しのつかないことなのですが。

それでも従目付が片岡だったからこその『救い』が。

圧倒的な暗闇の中で弱弱しく揺れている小さな光くらいのものかもしれないけれど、それでも確かな『救い』が、そこには生まれるのではないかな、と感じました。

 

はい。あと、これは『半席』の時にも思ったのですが。

食事のシーンがとにかく美味しそうなのも、このシリーズの魅力のひとつとして挙げておきたいです!

ってか時代物の食事のシーンって、大概、めちゃくちゃ美味しそうなんですよね。

なんだろ。今みたいに食材が豊富ではない。それに簡単には手に入らない。それ故、その季節の旬の物であったり、地のものがたくさん登場するからかなぁ。

そしてその食材が、本来の味わいなどを活かした調理法で調理されているからかなぁ。

なんか『シンプルイズベスト!』って感じがして、ほんと、読んでいるだけでお腹がすいてくると言うか。『これ、食べたい。私、これ、食べたい』と言う衝動に駆られるのです。

 

作中。内藤から海防が片岡を欲しがっている、と言う話を片岡は聞かされます。御用替えの話ですね。

それに対し迷いを感じたものの、片岡は『『なぜ』を続けさせて欲しい』と言う意向を内藤に伝えます。

その際に『申し訳ありません』と言う言葉を口にした片岡に対して、内藤は『そいつはいけねえな』と返します。

そしてそこから内藤が語った話は、とても考えさせられました。

個人的には『もしかしたらそれは、とても危ういことなのかもしれないなぁ』とも思ったのですが。それでもそう言う意識をもって、強い意識を、思いを持って『どの役職であっても』と言う思いで己の役割を務めている内藤の姿。また片岡の姿は、今の政治家の先生たちにも見習ってほしい限りだよ、と思ったり(笑)

 

はい。てなことで本日は青山文平さんの『泳ぐ者』の感想をお送りいたしました。

 

ではでは。本日の記事はここまでです。

読んで下さりありがとうございました!