tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

『少年四景』がもし、今、発売されたとしたら~勝手にCVを決めていこう! その2

今日でSideM、8thライブのアーカイブ視聴が終了しちゃいます。

明日から私は何を心の支えにして生きていればいいんでしょうか。

いいんでしょうか(真顔)

 

そして日本シリーズ、どうなった。

怖すぎて試合、見てられへん・・・腰抜けファンでごめん・・・。

 

本題でーす。昨日の続きでーす。

私が恐らく初めて読んだBL作品の作家である小野塚カホリさん。

90年代ラストから2000年代初頭にかけて発売された小野塚さんの作品の中から、個人的に、特に印象深い2作品を紹介。

小野塚さんの作品は『少年四景~小野塚カホリ作品集~』と言うタイトルで2003年にドラマCDが発売されている。出演声優さんは、今もバリバリ活躍されている方々。

 

この記事の流れで『もし、今、『少年四景』が発売されるとしたら、どんな声優さんが出演されるかなぁ』と言う妄想が浮かんだので、その妄想をしゃぶりつくそうではないか、と言うだけの記事です。

1回で終わらせるはずが妄想が楽しすぎ、捗り過ぎた結果、今回もお送りすることになりました。

 

小野塚さんの作品は、全てではありませんがこちらで読むことができます。

www.mangaz.com

違法サイトではないのでご安心を。

ただし無料サイトなので、広告がとても邪魔です(笑)

まぁ、致し方ない。

このサイトにたどり着けなければ、多分、一連の小野塚さん関連の記事は書けていなかったので、めちゃくちゃ感謝です。

 

ではでは。『その1』でも書いた前置きを。

2003年の『少年四景』に出演されていた声優さんや、『少年四景』そのものを否定するような思いや意図は、まったくございません。

ただただ天才的閃き・・・嘘です。勢いとノリで思いついた妄想で楽しもう!と言うだけの記事ですので、その辺りはご了解ください。

また私は声優さん、アニメオタク歴はかれこれ10数年ですが、BLCD歴は1年にも満たず、聞いた作品も数える程度です。

なのでもしかしたらその辺りの無知さ加減が出ているかもしれませんが、まぁ、あの、生暖かい目で見守って頂けると嬉しいです。

 

造詣が深い方も、そうでない方も。是非『私は!この人と!この人の!組み合わせが!素敵だと!思うよ!』と言うご意見で盛り上がって頂けると幸いです。

 

小野塚さんの作品、まだ触れたことが無いと言う方。

『LOGOS』だけでもいいから、読んでね!

そしてCV、決めてみてね!楽しいよ!

 

ではでは。昨日はその『LOGOS』と『セルロイドパラダイス』について語りました。

本日は残り2作品ですね。

まずはこちらの作品から。

 

・『花』

・・・祖父が住み込みで働く屋敷。立派な軍人一家に生まれ、自らも重職に就く傲慢な青年、透。そしてその屋敷に住むドイツ人の父親と日本人の母親を持つ青年、旭。戦時下で繰り広げられる2人の関係、そしてその終焉を描いた作品です。

言い忘れてたけどこの作品もめちゃくちゃ好き。透と旭のキャラクター造形も、戦時下と言う舞台設定、それがしっかりと生かされているのも、悲しくて極まりない結末なのに、何故かそれ以上に胸を締め付けるような温かい切なさが満ちてくるのも、本当に好き。小野塚さんだからこその描き方だと思います。

『思う他なかった』じゃないんだよな。『思い切る他なかった』なんだよな。その言葉のチョイスが、もうすべてを物語っていて『天才か』と改めて思う。

 

透は森川智之さん。旭は櫻井孝宏さんが演じていらっしゃいます。これもほんと、何て素晴らしい配役よ・・・。

傲慢さと、その内に抱え込んでいる様々な鬱屈とした思い、葛藤、煩悶。それを旭にぶつける様に、森川さんのお声、そして演技はめちゃくちゃしっくりきます。

そして異国の血を引きながら、日本と言う国を愛する、愛そうとし続ける旭。その生真面目さに櫻井さんのお声もぴったり。そりゃもう、櫻井さんの演技力が炸裂しているこでしょうよ!

 

本作品に関しては、すごい。ほとんど迷うことなく思いついた。そしてそれが一切、揺らぐことがありませんでした。我ながら完璧だと思うの(自画自賛)

 

まず透が阿座上洋平さんです。CV阿座上さんと言えば圧倒的長男感。対して透は次男なのですが、そんなことは無問題だ!

名家に生まれついて、それ故に重たいものを勝手に背負わされていて、そこに感情をかき乱されて、結果として暴君として振舞うしかないと言う透と言う人物を考えたら、私の中では『はい、君は阿座上さん』ともはや一択状態でした。

なんだろ。CV阿座上さんって、めちゃくちゃ苦悩する青年が似合うんだよなぁ。演技力があるからこそなんだろうけど。苦悩させたいCV阿座上さんキャラ。

名誉ある軍人一家の次男と言うステータスにも負けない、そしてそこに説得力を感じさせるような阿座上さんの声、トーンもぴったりだと思う。

 

一方の旭は、鈴木崚汰さんです。透からの無体に対して感情を乱されながら。あるいは圧倒的現実。すなわち日本は負ける、と言う戦況の中、自らのアイデンティティを揺さぶられながら。

それでもまっすぐに、健やかに、柔らかく。それら全部を受け止めて、どうであっても透のことを拒絶しなかった(まぁ、立場的にも拒絶できるはずがないんですけど)、そのやさしさ。透の弱さに絆されてしまった旭のやさしさ。

そうした彼の姿を読み返している内に『あぁ、君はす!だ。す!だね。はい、す!に決定』と自然に私の中で決定していました。

透がす!でもしっくり来るだろうなぁ。そう感じたのですが、逆に旭は、旭のこの健やかさ、人としての真っ当さみたいなのは、す!でないとしっくり来ない。そんなことすら感じたので、す!は旭です。

 

なんだろなぁ。透も旭も、役柄としてはめちゃくちゃ難しい役だと思うんですよ。本人たちが生まれた環境のこともあるし、時代のこともある。『ままならない』と言う状況、その重さに潰されそうになりながら、それでもそれぞれが、それぞれの形でもがいてあがいている。

それは絶望的であり、でも先にも書いたけれど、決して絶望だけではない、と私は思うし、思いたい。

 

そう言う、この作品だからこその、小野塚作品だからこその色。このおふたりの演技力なら、そりゃもう、その辺りを存分に表現して下さることでしょう、と確信を抱いて、私はひとり、悦に浸るのでした(完)

 

ラストはこちら。

・『僕は天使ぢゃないよ。』

・・・関と言う青年に一目惚れしたポチ。それまで関係を持っていた『パパ』とも縁を切って関と近づくことに成功したポチだったが、それ以降、関からは乱暴な扱いを受け続ける日々。悲しみ、虚しさ、苦しみ。それでも関に対する思いを捨てきれないポチだったが、2人の関係は思わぬ展開を見せることになる、と言うお話。

 

関は三木眞一郎さん、ポチは緑川光さんが演じていらっしゃいます。暴力と言う手段で自らの弱さを隠している関。その彼に三木さんのお声はめちゃくちゃしっくり来たし、先の記事でも書きましたが、ポチが緑川さんと言うのが、もう『その通りなんですよ!その通りなんです!』と感じるしかありませんでした。

尖った弱者の暴力VS虐げられた弱者の包容力。その対比、そして交錯が鮮やかである本作品の物語を考えた時にも三木さんと緑川さんの組み合わせと言うのは、もはや『はい!どんぴしゃ!(古)』の一言。

 

てなことで、まずポチです。ポチはもう、斉藤壮馬さんだ。なんだろ。斉藤さんのお声は、小野塚作品のどの役にもぴったりだと思うんですよ。こー、斉藤さんのお声の、あの滲み出る透明感とか儚さとか。それでいて頑なさみたいなのは、ほんと、小野塚作品のどのキャラクターにも共通しているものだよなぁ、と。

それを踏まえたうえで虐げられるポチの葛藤。虚しさ。それでも関のことが好きだからと言う、その一心だけで関からの暴力にも耐え続ける、その健気さみたいなもの。

そして物語の終盤。本心を明かした関を受け止める、その包容力。もはや母性すら感じさせるような彼の在り方には、斉藤さんのお声、演技がしっくりき過ぎだろうよ、と。

 

で、関です。こちらは数名、候補を自分の中で挙げて迷った挙句、江口拓也さんに決まりました。

一見するとカリスマ性に溢れた暴君。イケメンで多くの取り巻きにも囲まれていて、ポチが持たないもの、全てを持っている。

そう言う関が、もう私の中では『あぁ、私がイメージする『BLにおいて江口さんが多く担当していそうなキャラ』じゃないか・・・』と言う気がしたのがひとつ。

でも実はそのカリスマ性も、持っているものの全ても虚像でしかなかった。本当は暴力でしか自らの孤独を、恐怖を隠すことができない関の弱さ。人間性。未熟さ。

そこもまた江口さんのお声であったり、色んなアニメ作品で触れてきた演技で脳内再生してみたら、めちゃくちゃしっくり来たので『よし、江口さんで』と相成りました。

 

なんだろ。江口さんが出演されているBL、ボイコミも含めて聞いたことないはずなのに、この聞いたことがあるような気がするくらいの、この脳内再生の余裕加減よ。

 

うん。ここも迷ったけれど、迷っただけのことはあるな。ぴったりじゃんか(自画自賛)

 

はい。そんな具合で以上4作品、2回にわけて勝手にCVを決めてまいりました。

正直『あの人のお名前も出したかった!』『あの方とこの方でめちゃくちゃ迷った!』と言う思いもありまして『いつかし機会があれば、他の小野塚さんの作品でCV決め、やってみようか!』と言う気持ちも無きにしも非ずなのですが。

まぁ、うん、はい。

語り出せばキリがないので、今回はこの辺りで。

 

てなことで小野塚さんの作品について、まとめになりますが。

小野塚さんの作品に関して言えば2015年に刊行された『恋愛をしてもセックスをしても、すべて虚しい少年のためのポルノグラフィティ』が最新作になるのですね。

 

何だか年寄り自慢みたいで、自分でも『嫌な感じだなぁ』と思うのですが。

私が初めて小野塚さんの作品に触れた頃と言うのは、BLを主とした作品に対しての扱いが、今のように大っぴらなものではありませんでした。

そもそもとして『BL=やおい』と言う認識が一般的だった(ように思う)ことからもお分かり頂けるかと思いますが、『そんなものの何が面白いの?どうせ男同士がエッチなことしてるだけなんでしょ。気持ち悪い』と言うような、意味なく責め立てられているような扱いすら受けていたように感じます。

まぁ、そもそもとして性的嗜好に対しての考え方、受け止め方が、今とは全然、違うこともありましたしね。うん。テレビのお笑い番組とかでも普通に、ゲイの人を嘲笑するようなネタが流されていたし。まぁ、それとこれとは無関係かもしれないし、無関係じゃないのかもしれませんが。

 

ちなみにご存知かとは思いますが。『やおい』は『ヤマ無し、オチ無し、意味無し』の頭文字をとった言葉です。それくらい作品としては粗悪であると言うことを意味する言葉らしいです。

元々は自分の同人作品を自虐的に指す言葉として使用されており、更には同人、商業作品問わず全ジャンルの漫画で使われていた言葉とのこと。それがいつの間にか、BL作品を意味するようになったと言われています。。

当然、私のような田舎の書店にはBL作品の取り扱いなんて数えられる程度しかなかったですし、今みたいに大々的にスペースがとられていることもなかった。

書店の奥の片隅の方に、追いやられるようにして、僅かなスペースが設けられていたのを今でもはっきりと覚えています。そしてそのお隣は成年漫画スペースでした。

愛すべきカオス(笑)

BL漫画とBL小説の区分けもされていなくて、全部が混ぜこぜ。新刊が入ってくることなんて、まずなかった。

 

まぁ、これはもしかしたら『田舎の書店だから』かもしれないのですが。

そう言う状況かつ『レジに持って行くの恥ずかしい』と言う盛大な自意識過剰も手伝って、当時の私はネットで取り寄せて小野塚さんの作品を読みふけっていたのです。

 

そうしてその作品に触れる度『こんな素晴らしい作品の、どこが『やおい』なんだろうかなぁ。なんだかそんなふうにひとくくりにされてしまうのが、本当に悲しいよなぁ』と言う思いに駆られるのと同時。

『こんな素晴らしい作品に出会えた私は、つくづく運が良いなぁ。ふへへ。BLを馬鹿にする馬鹿者たちよ。お前たちが知らないだけで、世の中にはこんな素晴らしい作品があるんだぜ』と言う、謎の見下し意識も抱いていたのであります。

 

20数年前のことだからね。きっと私も、色々、今以上に若かったのでしょう。

だから許して下さい(土下座)

 

時は流れ、BLを取り扱った作品に対する意識、またそれを取り巻く状況、環境は、20数年前の私が見たら『嘘でしょ!?』と目を引ん剝くくらいに様変わりしました。

その様変わりを目の当たりにしてきた私ですら、驚くくらいです。

でもかつて『やおい』と、偏見に近いような扱いを受けてきたBLが、その素晴らしい、素敵な作品の数々がたくさんの人に触れられている今の状況は、本当に、本当に素敵なことだなぁ、素晴らしいことだなぁ、と思います。

たくさんの作家さんが生まれ、実に多彩な作風、ジャンルが誕生しているのも、読者としてはただただ嬉しく楽しい限りです。

 

だからこそ。

BLが『やおい』と一括りにされていた時代の中。

それでも密やかに、強かに、柔らかく、崇高に。

それに抗い続けるかのようにして、BL好きの心を虜にしていた小野塚さんの作品の数々を、その作品を知らない方には是非とも読んで頂きたいなぁ、と改めて私は思うのであります。

なんだろ。今、改めて読み返してみてつくづく『あぁ、『あの時代』だからこそのBLだなぁ』と言うのを感じましたし、それでも『描かれているのはBLの、実に普遍的なことなんだなぁ』と言うのも感じた次第です。

 

ではでは。本日の記事はここまでです。

読んで下さりありがとうございました!