tsuzuketainekosanの日記

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『アンデッドガール・マーダーファルス』の監督~畠山守監督の作品を振り返ろう!

声優さん、アニメオタクになって約10年ちょい。その間、年間約50本くらいのアニメを見続けてきたわけですが、こうなってくると制作サイドの方の中にも、個人的に気になる方と言うのがいらっしゃいます。

 

で、今回、とりあげさせていただく監督さんも、個人的にはこれからお名前を見かけた際には是非とも、是非とも大いなる期待をさせて頂こう。

そんなことを心の底から思った監督さんでございます。

夏アニメ『アンデッドガール・マーダーファルス(以下『アンファル』)』で監督を務められた畠山守監督です。

今週、いよいよ最終回ですね。寂!

 

後出しじゃんけんじゃんか!卑怯だぞ!』と責められるかもしれませんが。

『アンファル』の監督が畠山さんだと知った時。畠山さんが監督として手掛けられた作品を調べた時。『おおっ!とても素敵な監督さんに手掛けてもらえるのでは?』と期待した記憶があります。

原作小説を読んでいた身としては、原作小説の面白さ。小説でありながら、しかしアニメ映え、映像映えも十二分すぎるくらいにある作品であることは承知していました。

だからこそ『そんな作品が、この監督さんが率いるチームによってアニメ化されたら、そりゃ、もっと面白いものになるんじゃない?』と思ったのです。

 

では、過去、畠山さんがどのような作品を手掛けてこられたのか。

早速、見ていきたいのですが・・・畠山守と言うお名前自体が、別名義と言うのをこの記事を書くにあたって初めて知りました。

もともとは小俣真一と言うお名前で、主に一般・18禁OVAを企画、制作する会社で作品のプロデューサーを務めていらっしゃった。転機は2009年。『物語シリーズ』や『魔法少女まどか☆マギカ』などの作品でおなじみのシャフトに在籍され、新房昭之監督や宮本幸宏監督のもと数々の作品で頭角を現された。

そしてシャフト退社後、スタジオディーン入社。そこで『畠山守』と言う名義にて『さんかれあ』で初監督を務められ、以降、数々の作品で監督を務められることになったと言うわけです。

 

素人のくせに、非常に偉そうな言い方になってしまって大変申し訳ないのですが。

初監督作品である『さんかれあ』以前の作品。小俣真一名義で参加されていた作品、あるいは『さんかれあ』以降。畠山守名義で参加されていた作品で担っていらっしゃった役割を見ると、絵コンテと演出がめちゃくちゃ多い。

『アンファル』などの作品をはじめとする、畠山監督作品における絵コンテ、その細かさみたいなもの。そうした演出によって登場人物の心情を言葉ではなく絵で示して見せると言う見せ方は、この辺りの経験で培われたものなのかなぁ、と思った次第です。いや、偉そうで本当に申し訳ない。

 

あと18禁OVAの制作もされていたわけで。『アンファル』の魅力のひとつである、ある種のいかがわしさ、猥雑さ、混沌みたいなものの表現。その辺りにも、その時の制作のご経験が生かされているのかなぁ、とも思ったのですが。

 

ではでは、早速。畠山監督が『畠山守』名義で監督された作品を少しずつではありますが振り返っていきましょう。

 

・『さんかれあ』『ローゼンメイデン

・・・内田真礼さんの出世作として名前を挙げる方も多い『さんかれあ』ですが、残念ながら私は見ていないのだよ。すまぬ。

ローゼンメイデン』に関しては視聴していました。畠山さんが監督を務められたのは新アニメ版の方ですね。今から10年前(!)の作品なので記憶も朧げだったので、アマゾンプライムで1話だけ、見返してみました。

 

あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!もうこのOPが、このOPの絵コンテが既に畠山監督!EDも畠山さんが絵コンテ、更には演出を担当。『畠山監督の作品』と言う先入観があるからこそ、と言う部分もあるのかもしれませんが。

この『動く時は徹底的に動く。動かない時は徹底的に動かない』と言う感じの絵とか動きは『アンファル』のOP、EDを彷彿とさせるぞ。

 

あと本編もそう。カットの切り替わりと言うか。13分から14分くらいの絵の動き。カットの切り替え方とかは、めちゃくちゃなんか『あぁ、成程。成程』とにんまりさせられました。先入観を持っているからこそ、なんですけど。

基本的に動く時はめちゃくちゃ動く。動くからこそ、それがぴたっ、と静止した時のインパクトがでかい。そして『ここで止めるの!?』と言う意外性もあるからこそ、その場面がより如実に、意味を持っているように感じられると言うか。

『アンファル』で感じた、その緩急の付け方。大きさ。その片鱗をこの作品で、実に10年の時を経て(笑)見せつけられたような思いです。

 

・『昭和元禄落語心中

・・・全2シーズンにわたってアニメ化された作品です。畠山監督の名を世に知らしめた作品。原作は勿論のこと、アニメ単体でも素晴らしい作品として知られている、そんな印象がある作品です。私も視聴した。1期だけ(土下座)

落語をめぐる様々な人の人生。そして人生を懸けて高座に上がる人間たちの姿を、巧みな高座描写も交えて描いた作品ですね。原作は雲田はるこさんの漫画です。

 

入ってて良かったアマゾンプライム(どーん)。てなことでこちらも、いくつかの話数、振り返って視聴してみました。

1期の1話、石田彰さん演じる有楽亭八雲が落語を披露するシーン。ここの動きでの見せ方とかは、なんかもう『お見事だよなぁ』の一言でした。主人公の目線、主人公から見た八雲の落語、高座。それが表現されているからこその、この動きなんだろうなぁ。『ぐいぐいと、八雲の落語の世界に引き込まれていく。吸い込まれていく』と言うそれが、もう絵として完璧に表現されている。

20分くらいのところで関智一さん演じる主人公、与太郎が落語を披露するシーン。画面全体としての動きは少ないんですよね。でも、落語を披露する主人公の動き、体の動き、目の動き、口元の動き。そう言う動作、細かい動作がものすごく丁寧に拾われていて、描かれていて、でもそれらが一切、邪魔になっていない。落語のリズムに、かちっ、かちっ、とはまりこんでいて気持ちいいくらい。

 

なんだろ。この辺りの、この『話すと言うこと』『音』と『話している人物を含めた、画面上の動き』の組み合わせ方。融合。またテンポの取り方。音と音。それが止む瞬間から、次の音が発せられるまでの間の在り方。その長さ。そうしたものの巧みさみたいなのは、これまた『アンファル』でも十二分過ぎるくらいに堪能することができる、と思うのですが。

 

で、この後。1話の終盤で再び、八雲が落語を披露するのですが。ここでの全体的な画面の明度、また八雲、画面全体の動きの少なさみたいなのが、これ、与太郎の高座のシーンととても対照的になっているのもお見事なんですよね。

石田さんの演技も相まって、もはや鬼気迫るものすら感じさせる。そんな中にあって与太郎は途中で眠ってしまう。だからこそ、冒頭のシーンとは異なり、与太郎目線であるにもかかわらず動きが少ない。

与太郎目線、観客目線。どちらの目線としてもとらえられる、あるいはどちらの目線でもない。ただただ八雲の落語が生み出す世界としてのそれが、与太郎のいびきをも落語の世界に取り込んで、ひとつの世界を生み出した八雲の落語、高座。

その凄まじさみたいなものを、凄まじいからこそ必要最低限の動きと石田さんの演技に任せて描いている。その結果、恐ろしいまでに静粛な迫力に満ちた表現になっていると言うか。

 

この辺りは勿論、演出を手掛けられている方によるところも大きいとは思います。が、やはりこの作品でも畠山監督自ら、結構な話数で絵コンテを切られている。そう言うことを考えると、絵コンテを切っている時点で、畠山監督の頭の中には『こう言うリズムで』『こう言う切り替えで』『こう言う動きで』と言うのが、ある程度は頭の中にあったりするのではないかなぁ、とか素人は推測するのですが。

そしてそう言うことを演出担当の方などと細かくすり合わせていった結果、このような見せ方が生まれたのではないかなぁ、とも思いました。

 

『話』『音』『動き』その組み合わせの妙、と言うのが畠山監督作品のひとつの魅力だとするのならば、後に挙げるあの大ヒット作品もそれに該当すると思うのですが。

その前にこちらもどうぞ。

 

・『グランクレスト戦記

・・・こちらに関しては、うん。登場人物が膨大な数に上ること。ファンタジーであり、同時に群像劇でもある。それでいてなおかつ、いくつもの国の群雄割拠も描かなければならない、と言うのがやはり、ハードルとしてはなかなか高かった。それを詰め込んだ膨大な原作を、たとえ2クールとは言えどもアニメに落とし込むのは、なかなか難しかったんだろうなぁ、と言う印象が、今でも強い作品です。

結果として様々なエピソードが割愛。おおむね原作通り、ではあるもののやはりそうしたことによる色んな影響は出てきていたんだろうなぁ、と。

 

この作品が多分、初主演じゃなかったのかな?主人公を演じられたのは熊ちゃんこと熊谷健太郎さん。そしてもう1人の主人公は、当時、ブレイク直後ぐらいだった鬼頭明里さん。2018年放送当時だと『おおっ!フレッシュな新人さんコンビだ!』と言う印象が強かった覚えがあります。

ただ物語の後半だったっけか?熊谷さん演じる主人公は割と出番が少なくてですね。結果としていくつかの話数のED。そのクレジットにおいて、主演声優がモブ兵士としてクレジット欄のラストを飾る、と言うこともありまして。これは当時、色んな意味で衝撃でした。

 

この主人公コンビが『ザ・主人公!』を絵に描いたような主人公だった。キャラとしてそれほど強い、人目を惹きつけるような個性を持つと言った感じではなく。アクがないと言うか。いや、そここそが個性と言えばその通りなんですけれど。

私個人としては『悪い人ではないし、好きか嫌いかと聞かれれば好きだけど、ちょっと面白みがないと言えば面白みがない』と言う印象がどうしても拭えなかったと言うか。

だからこの辺りも、もしかしたら、畠山監督の得意とする見せ方、その強さみたいなもの。それと噛み合わなかった、まさしく噛み合わなかった原因なのかなぁ、と言う気も今ならしないこともないのですが。

 

・『かぐや様は告らせたい

・・・劇場版も含むすべてのシリーズ作品にて、畠山さんは監督を務めていらっしゃいます。

先程、書きました『話』『音』『動き』、その組み合わせ方の妙。その見せ方の巧みさ。それが本シリーズでも炸裂していると言うのは、シリーズを視聴されていた方なら同意していただけるのではないか、と思うのですが。

 

小説にしても漫画にしても。要は小説の場合は『文字』、漫画の場合はそこに『絵』が加わるわけですが、それを『音』と『動き』がある、ついでに言えば『時間的制約』があるアニメでどう表現するか、どう見せるか。

ここはほんと、本当に難しいところだと思うんですよ。でもだからこそ、そこをどうクリアしているかによって、制作陣の力量であったり工夫であったり。はたまた作品に対する思い入れ、敬意の払い方みたいなものが如実に透けて見える部分でもあるよなぁ、と私は偉そうに思うんですが。

 

かぐや様は告らせたい』に関しては、もう原作自体が面白いわけです。圧倒的に面白いわけです。でもその面白さと言うのは、原作を読んでいる人が思い思いのテンポで物語を読み進めていけるからこそ生まれる、そう言う部分もあると言うのは、決して否定はできないわけです。

だけどアニメにおいては、それを平等にしなければならない。平等と言うか『最も多くの人が『面白い!』と言うテンポで見せる』ことが求められるわけです。いや、求められてないかもしれないけど。でもやっぱり、ある程度はそう言う部分は必要にはなってくるでしょう。『原作の面白さをより多くの人に知ってもらいたい!』と言う思いが制作陣にあれば、なおのこと。

 

それで言えば本作品。『完☆璧』の一言じゃなかったですか?思わず真ん中に星を入れちゃったけど、入れたくなるくらいに。何ならウィンクしたくなるくらいに『完璧』だった、と私は思っているのですが。

四宮かぐやと白銀御行。この2人を軸とした、実に個性豊かな、それこそもうただただ見ていて面白い登場人物たちが繰り広げる会話劇。ボケとツッコミ、本音と建前、理性と欲望、誠実と嘘、妄想と現実。そうしたものが入り乱れに入り乱れた会話劇。その表現、アニメとしての表現、アニメとしての見せ方。

『話』『音』『動き』の組み合わせ方が、本当に『イッツアパーフェクト!マーベラス!』と両拳を天に突き上げたくなるほどに素晴らしいものだった。

視聴していて本当に、心の底から『面白っ!』って何度も思ったし、何度も声に出して、あるいは吹き出すようにして笑わされた。

 

やっぱりシリーズ作品って1期、2期・・・と進んでいくにつれ、面白さに慣れていく、そう言う部分はあるのですよ。語弊ある言い方かもしれませんが『偉大なるマンネリ』と言う言葉をこう言う時、私は身をもって実感するのですが。

ただそうではない、そうならない作品と言うのも勿論ある。そして私の中でその筆頭とも言える作品のひとつが、この『かぐや様は告らせたい』シリーズなのです。

2期1話見た時『1期、あんだけ面白かったのに、2期でそれを超えてくるか!?凄いな!』と心底、驚かされたし嬉しかったもんなぁ。

 

そしてそれでいてお見事なのは、シリアス、あるいは胸がきゅんきゅんするような部分。そうした部分もしっかり見せてくれる。ここでもしっかりと見せ方に緩急がついている。だからこそ『学園青春ラブコメ』であるこの作品の要素、すべてが原作のままの濃度で、アニメでも感じられた。

10代の少年少女たちの青春劇。それが『人間ドラマ』と言ってもいいくらいの濃度で描かれていた。伝わってきた。石上の過去であったり、その後の会長との出会い云々の物語なんて、それをしみじみと感じさせられたもんなぁ。

 

こうやって振り返ると畠山監督作品の中では『話』もまた『動き』なんですよね。

いや、別に監督の作品に限った話ではないのですけれど。はい。そうなんですけど、畠山監督作品の中では、それがものすごく強調されている感があると言うか。

だから『話』の場面でも途切れた感がない、間延びした感がない。でも緩急がきいているから、時にそこでふっ、とした静けさが訪れたり、逆にとんでもないスピード感を味わうことにもなる。

それでも『話』『音』『動き』の組み合わせがしっかり噛み合っているから、ちゃんと会話の中身も頭に入ってくる。言葉が、絵の動きで目からも入ってくると言うか。

流れが途切れていない。途切れていない上に緩急がある。しっかりとある。だからものすごく惹きつけられる。没入感が半端ない。

 

これ『アンファル』の監督が畠山監督って、もはや運命ってか、宿命ってか、前世からの定めだったんじゃないだろうか・・・。

100点満点、適材適所が現実になったとしか言いようがないでしょう、こんなの。

 

あとほんと『原作の面白さ。キャラクターの個性。それをしっかり把握されている監督であり、そこに敬意を持っていらっしゃる監督だなぁ』と言うのも感じました。

グランクレスト戦記』も、尺的な難しさはあったものの、作品としては決して面白くないことはなかった。薄味にはなってしまっていたもののファンタジー×群像劇としての魅力は描かれていた。

また『アンファル』に関しては、散々語りましたけど。1話での真打津軽と野良猫ちゃんとの物語。あのアニオリは、ほんと、真打津軽と言う人間。その存在、人生の『裏表』みたいな部分。それが掴み切れてないと出てこないと思う。

いや、これに関しては脚本家さんの力量なのかもしれないけれど。

 

はい。そんなことを感じた次第です。

なにはともあれ今から『アンファル』の最終回、そして本作品に続く畠山監督作品が楽しみでなりません!

 

ではでは。本日の記事はここまでです。

読んで下さりありがとうございました!