tsuzuketainekosanの日記

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祝!新作発売記念~『百鬼夜行シリーズ』を個人的感想で振り返ろう 後編

京極夏彦さんによる『百鬼夜行シリーズ』(『京極堂シリーズ』とも言う)、その最新作である『鵼の碑』が約1か月後に発売される予定です。

それを祝してこれまでのシリーズ作を、私の感想のみで振り返っている記事の後編です。前編の機能は『鉄鼠の檻』までを振り返りました。

なので本日は、こちらの作品の振り返りからです。

ではでは早速、どうぞ!

 

・『絡新婦の理』

・・・前作『鉄鼠の檻』から10か月後に刊行されています。『鉄鼠の檻』から1年経たず『絡新婦の理』が読めた時代があったなんて!どんな世界線よ!

いやぁ~、この作品も好き。『鉄鼠の檻』同様、私の中でシリーズ1位、2位を争うくらいに好きな作品です。そしてページ数で言っても、シリーズ1位、2位を争うくらいの分厚さじゃなかったでしたっけ?

 

鉄鼠の檻』同様、榎さんがド派手に、縦横無尽に活躍しているから(ま、大体、どの作品においても榎さんの活躍っぷりはこんな感じなんですけど)と言うのもあるんですけど。当たり前ですがそれだけではなくて。

なんだろ。もう、構成がお見事なんですわ。いや、これも別にこの作品に限ったことではなく毎度のことなんですけれど。

ただ本作品に関して言うと『『聖ベルナール女学院』を舞台にした事件』と『伊佐間さんと今川さんが遭遇した事件』と『木場修が追う『目潰し魔』による事件』、それらが絡み合っているその様。

京極堂曰く『その偶然はすでに、誰かの張った蜘蛛の巣の上に乗っていないか?』と言う言葉通りであるその様。

そこに翻弄されるのが、もうたまらなくたまらないんですよ(語彙力どこ行った)

こー、的確に表現するのは難しいのですが。離れなければ自分が蜘蛛の巣のどのあたりにいるのかはわからないんです。でも離れてしまうと事件の詳細は掴めない。だから近づくしかないわけなんだけれど、近づくと今度は蜘蛛の巣に見事に捕らわれてしまい、自由に身動きを取ることができなくなってしまう。

そこに京極堂は翻弄されるわけであり、それは同時、物語を読んでいる読者自身にも言えることなんですよね。その翻弄されっぷり、『何かが見えてきそうなのに、その瞬間に何も見えなくなってしまう』と言う状況の連続が、もう『あぁ、幸せ』の一言。

 

とんだドMだね!

 

いや、しかし勿論、当たり前ですが最終的には京極堂が長きにわたる憑物落としを完了させるのですが・・・。

ねー。なんだかいろいろと考えさせられましたよね。前作『鉄檻の檻』が『男性』の物語であったなら、本作『絡新婦の理』は『女性』の物語であると思います。これは読まれた方すべてが思われたことでしょう。

しかし『男性』であろうと『女性』であろうと、人は1人の人である。体の造りで区分された性別はさておき、心の性別と言うのは、その本当のところと言うのは誰にも区分できるものではないし、誰も本当のところと言うのはわからないのではないか。

そもそも『性』と言う漢字、その部首である『りっしんべん』は『心』の字形から転じたものであり『感情や思考と言った心の動き』に関する意味を持っているのです。だから『性』と言う漢字は『心+生』と言う意味を持っている、と理解することもできるわけで、それを考えると『男性』も『女性』も、どっちの『性』も全ての人間が持ち合わせている性なのではないか。そんなことも思わされたような気が。

昨今『性の多様性』と言う言葉を耳目にする機会も多いように感じるのですが、今から27年も前の作品でそうしたことが描かれていたのか、と改めて驚いている次第です。

 

そして『絡新婦の理』と言うタイトル通り。すべての物を、事を、人を、自らが張り巡らせた蜘蛛の巣の上で翻弄していた人物は誰なのか。そしてその人物、蜘蛛が説く『理』とは何なのか。

それが明かされる京極堂と真犯人との会話。事件の残忍さ、シリーズ最多の人が亡くなったと言う事実があるのに、その会話のシーンがどうしようも穏やかで、またどうしようもなく美しく感じられたのは、真犯人が説いた『理』。それが身勝手である一方、虐げられることを、奪われることを強いられてきた者の痛切な祈り、絶望に近いような怒りに彩られていたからなんだろうなぁ、とも思ったり。

 

幾重にも幾重にも張り巡らされた蜘蛛の糸。それに絡め、取られ、自由を奪われた末に目の前に広がる光景。その圧倒的な悲しみに彩られた美しさが、事件の残酷さ、それをも奪いつくすかのような。それすら、もしや蜘蛛の策略だったのでは、と思わされる巨編。そして何より、再三にはなりますがこんな作品を作り上げ、書きあげる京極夏彦さんの才に、ただただ驚愕するしかない作品なのです。

 

・『塗仏の宴 宴の支度』『塗仏の宴 宴の始末』

・・・『支度』の方が1998年の3月、そして『始末』の方が同年9月に刊行されています。なので『絡新婦の理』から約1年半の間が空いていますね。

1年半くらいどうした!そんなもん17年と言う月日に比べたらあってないようなもんじゃないか!(笑)

ほんとにね。

 

『支度』が上巻、『始末』が下巻と言う感じでしょうか。各作品約600ページちょいなので2冊合わせると1300ページくらいになる感じです。素敵。

 

何だろ。この作品も当たり前だけど無我夢中になって読んだ。読んだんですけど結果として今なお残っている印象としては『京極堂たちが関口を助けるために苦労する話』と言う印象しかないです。ごめんなさい(土下座)

いや、勿論、それだけじゃないんですよ。当たり前ですけど。『支度』の方でいくつかの事件が、様々な人物の視点で語られる、綴られる。その結果、関口は殺人容疑で逮捕、榎さんと木場修は行方不明。京極堂の妹である敦子も何者かにさらわれてしまい、京極堂も苦戦を強いられる。

『関口が闇堕ちしてる!とうとう完全に堕ちちゃった!どうすんだよ!しかも榎さんも木場修もいないし!どうするの、京極堂!?』とそれはもう、読んでいてドキドキが止まらなかったのは、今でもはっきりと覚えています。

『かつてないほどの危機、ピンチに見舞われているのではないか!京極堂!』と。

 

ただそれでも当たり前ですが、ひとつずつの点と点が結ばれて行って一本の線になる。そしてその線が何本も生まれることで、やがてひとつの大きな絵が浮かび上がってくる、と言う結末に向けての流れは健在で、そこにももう相も変わらず『あぁ、凄いわ』とただただ感嘆するしかなかったのも、はっきりと覚えているのですが。

が。

 

やはり個人的にはそう言うの全部ひっくるめたうえで『京極堂たちが関口を助けるために苦労する話』と言う印象が強い。

そして結果的には『関口が関口なのは、京極堂たちがなんやかんや言いつつも、彼を甘やかすからではないだろうか・・・』と言う思いに駆られたのも事実。

『かっはー!関口が羨ましいよ、オイ!』と妙なところで妙な怒りを抱きつつ『こう言う、大の男の腐れ縁、大好物なんじゃよ』とにまにました記憶があります。

 

いや、決して、それだけの作品でないことは再度、申し上げておきます。ほんと。『塗仏の宴』その『宴の支度』『宴の始末』と言うタイトルにふさわしく、まさに終盤に近付いていくにつれ熱量が高まっていき、そしてそれが大爆発を起こし、最後には『宴』を終えた、その疲労感と静寂さが広がっている光景を目の当たりにできる、やはり読み応えしかない作品なのです。

・・・でもやっぱり関口、羨ましいぞ。

 

・『陰摩羅鬼の瑕

・・・2003年8月に刊行されています。今から20年前ですね。そして前作からは約5年の月日が流れています。ただしこの間にはシリーズのサイドストーリーである作品が何作か刊行されていますから、それを思うと5年と言う月日も大したことはなかったのではなかろうかな、と。

17年に比べたら大したことないやい!(もういい)

 

『鳥の城』、その主は5度目の婚礼を控えていた。過去、花嫁として迎え入れられた女性は皆、初夜に何者かによって殺害されていた。花嫁となる女性を守るよう依頼を受けた榎木津礼次郎は、関口巽と『鳥の城』を訪れるのだが・・・。

 

『榎さんと関口がコンビを組むだと!?』と当時、このあらすじだけで興奮した記憶があります。ふふ。

前回の物語で闇堕ちして、しかし本格的に人として何かがどうなる前に、皆に救われた関口。彼が語り部として本格復帰した作品とも言えるでしょう。

なんかこれまでの語り口だと私、関口のこと嫌いみたいに思われるかもしれませんが、そんなことはありません。むしろ彼だからこその、あの陰鬱で、陰鬱だからこその本音丸出しで、だからこそある種の『真実』が含まれているような彼の物の見方は、読んでいて面白いなぁ、と思うこともあるし、共感することもあります。

そしてただただ彼が羨ましい・・・こ、こんな食べていくのがやっとの小説家なのに・・・奥様にも、友人にも恵まれている彼が羨ましいっ(ただの嫉妬(笑))

 

なんだろ。シリーズ史上、最も静寂で、そして悲しい、哀しい、こっちの漢字の方がしっくりくる気がする、なんともやるせない、それ故にどこか美しさすら感じさせる、そんな作品ではないかなぁ。

身も蓋もない言い方をすれば、シリーズ史上、最も地味な作品だと思います。犯人も、そしてその犯行動機みたいなものも、こんな私ですら途中で『あ、もしかして』と察しがついたくらいなので。過去の作品のような、複雑に絡み合った糸が解されていく様、あるいはその絡み合った糸によって描かれている全貌を目の当たりにする衝撃のようなものは薄めです。

ただだからこそ、いろいろと考えさせられるし、京極堂の憑物落としが、それによって明らかにされた真相が、じわり、と胸に染み込んでいく。

『死んでいる』とは、どう言う状態であり、それを人はどう認識するのか。そんな今まで『わかり切っている』と思い込んでいたようなことを考えさせられた。易しい哲学書のような色合いのある、それでいてやはりシリーズ作としての魅力にも溢れていた作品だったなぁ、と。

 

・『邪魅の雫

・・・『陰摩羅鬼の瑕』からほぼ3年後の2006年9月に刊行されています。そうか。『塗仏の宴』から『陰摩羅鬼の瑕』の5年に比べると、間隔としては短かったわけだ。

なんかそれを考えるとほんと、しつこいようですが『17年ぶりの新作っ!』ってこれ、凄いことですよね。ねー。ただただありがたい限りだ。いや、まだ実際に手にしていないわけだから油断はできないけど。

人生、一寸先は闇(ちーん)。怖い怖い。どうか無事、新作を手にして、読了でき、次の新作が発売される時まで生かされていますように。

 

『『榎木津の縁談』・・・榎さんの縁談!あの!榎さんの!縁談!』と言うことで興奮されたのは、きっと私だけではないはずです。

そんなこんなで『一体、どれだけ榎さんが活躍してくれるのだろう』とわくわくしたのですが・・・そーんなに活躍、しなかったね。

そして更に言うと本作品、『百鬼夜行シリーズ』でなくても、もしかしたら成立するのかもしれない。そんな感想を抱いた記憶がある作品でもあります。何と言うか京極堂の憑物落としが、既刊作品の中で描かれていたそれのような威力ある、威力あると言う表現もおかしい気もするのですが、とにもかくにも『憑物落とし』としての存在感を発揮できていない気がしないこともない、そんな作品だったような気が。

こー、憑物落としで複数の謎がひとつずつ、それでいて芋づる式に解かれていく、その爽快感の度合いが、他の作品のそれに比べると抑えめだったかな、と言う気がするのですが、これはこれで『この作品だからこそ』の、あえてのことだったのかもしれない。

 

ただだからと言って面白くないと言うわけではなく、これはこれでやはり、なんだろ。変な言い方にはなりますが『普通のミステリー』(ほんと変な言い方(笑))として十分に読み越えのある、面白さも味わえる作品でした。

何より話は戻りますが『あの榎さんの縁談っ!』と多くの読者の度肝を抜いておきながら、さほど活躍はしない榎さん。その榎さんが最後の最後に、とんでもない一言を放つ。その一言が何よりも、何よりも黒幕であるところの人物の罰になっている。そしてまたその一言を放ったことで、榎さんの人間としての一面、あるいはその黒幕である人物にどんな思いを向けていたのか。そうした部分を十分すぎるくらいに感じさせてくるのが、もう榎さん大好き人間としてはたまらんのですわ・・・ずっこいよ。

そう言う意味では『名探偵・榎木津礼次郎』ではない『人間・榎木津礼次郎』の、それまでにあまり描かれてこなかった一面を垣間見ることができる、そんな作品であるとも思います。

 

そしてこの『邪魅の雫』においてそのタイトルのみが告知されていた『鵼の碑』が、17年の時を経ていよいよ刊行される、と言うわけですね。

はぁ~・・・果たしてどんな作品になっているのかなぁ。どんな内容になっているのかなぁ。楽しみでならんわ。うひひ。

 

さてさて、こうしてシリーズ全作品を振り返っていったわけなのですが。

最後に、個人的に好きな作品ベスト3を挙げておこうかと思います。順位をつけるなんてナンセンスなのですが、まぁ、良いではないか、良いではないかぁ~。

 

まず3位は『狂骨の夢』ですね。あのおどろおどろしくも、どこかふわふわした、揺蕩うような、生々しい生ぬるさを感じさせる作風。そしてそこに伊佐間さんの飄々とした雰囲気が絶妙な具合でマッチしていて、怖いんだけどどこか『ふふっ』とした味わいがある、そんな作品だと思います。

そして2位は・・・・・・・ぐぬぬぐぬぬ。すごく迷った。そして何なら今も迷っている気がするのですが・・・『鉄鼠の檻』を挙げよう。

そして1位は『絡新婦の理』となったのですが。『鉄鼠の檻』との差は、やはり、掌の上で転がされる快感、張り巡らされた蜘蛛の糸に絡められ、全容も見えないままただただ藻掻くしかない恐怖と、その翻弄される快感。そして最後には見事に、その全てが回収されていき、その後に残った、身勝手極まりのない、そして哀切極まりない黒幕の思い。それであるにもかかわらず、ただただ鮮烈なまでの美しさが胸に深く、深く響いてくる。

その辺りの構成が、物語の展開が、深みが、今、こうして思い出していても何か震えが走りそうになるくらいに凄まじかった。

そこが『鉄鼠の檻』と比較して、やはり印象深いなぁ、と言うところで『絡新婦の理』を1位にしたのですが・・・でも『鉄鼠の檻』も好き。

だからもう、同率1位と言うことにしておいて下さい!

 

そんなこんなで『鵼の碑』の発売を楽しみにしつつ。

本日の記事はここまでです。

読んで下さりありがとうございました!