tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

祝!新作発売記念~『百鬼夜行シリーズ』を個人的感想で振り返ろう 前編

今日から大正義2勤です。再三、愚痴ってるけどほんと、2勤だけが良い。2勤しかしたくない。2勤のみ、私にちょうだい!

 

来月14日に発売予定、京極夏彦さんの『百鬼夜行シリーズ』(個人的には『京極堂シリーズ』の方がしっくりくるのですが)の新作『鵼の碑』。

その発売を祝して、これまでの『百鬼夜行シリーズ』作品を、私の感想だけで振り返っていこうと言う記事の前編です。私の、主観に満ち満ちた感想だけでの振り返りです。この前書きで内容は察して下さい。

 

百鬼夜行シリーズ』なのですが、私は長編作品『姑獲鳥の夏』から始まって『邪魅の雫』までの9作品は全作、読んでいます。一方、それ以外の作品に関しては『百鬼夜行-陰』と『百鬼徒然-雨』を読んだ記憶がおぼろげながらある、と言う程度です。ダメファンです(土下座)

なので記事で、感想のみで振り返るのも『姑獲鳥の夏』から『邪魅の雫』まででございますので、その辺りはご了承ください。

『鵼の礎』の前日譚が掲載されている『百鬼夜行-陽』も読まなくちゃ。でも他に読みたい本がたくさんあり過ぎるんじゃよ(嬉しい悲鳴)

 

ではでは早速、振り返ってまいりましょう!

 

・『姑獲鳥の夏

・・・記念すべきシリーズ1作目。1994年9月に発売された本作品は、京極夏彦さんが講談社に持込されたことで出版が決定した作品でもあります。これがきっかけでメフィスト賞が創設されたと言うのも有名な話ですよね。

今から約30年前。と言うことは私は12歳!わぁ~!私にもそんな年齢の時があったのですね!(当たり前)。で、当然ながら読んだのはもっと後になってから。分冊ではない文庫版が発売されていた頃だから1998年以降。多分、高校1、2年生の頃だったと記憶しています。

 

分冊ではない文庫版ですら結構な厚さ。だから『めっちゃ面白いよ!』と言う噂を耳にし勢いのまま購入したはいいものの、初めて手に取った時は『こんなもん本当に読了できるんかいな・・・なんか内容的にも難しそうだしさ』と不安になったものでした。

が、読み始めてみたら『え、なにこれ。めちゃくちゃ面白いんだけど。え、めちゃくちゃ面白いんだけど』とそれこそ頭を殴られたような衝撃を覚えたくらいです。

 

当時、本格ミステリーにハマり始めていた私にとってこの作品で描かれていた『ミステリーだけど伝奇小説でもあり、怪異小説でもある』(まぁ、それぞれのジャンルをどのように認識されるかは人により様々なので、このあたりの認識は個人差があってしかるべきだと思います)と言う内容、味わいは本当に初めて触れるものでした。

それに加えて登場するキャラクター。京極堂こと中善寺秋彦、関口巽木場修太朗、そして何より榎木津礼次郎をはじめとする主要キャラクター。あるいは本作品で登場する久遠寺家の人たち。そのキャラクターの造詣、魅力、個性にも本当に打ちのめされたくらいです。

 

内容としては決して易しくはない。ないんだけれどキャラクターたちの魅力、また物語の展開、その起伏の付け方。あるいは伏線の張り方。次から次へと謎が膨らんでいく構成の巧みさのお陰で、不思議とすらすらと読めてしまう。

物語としての面白さは勿論のこと、知的好奇心が満たされていくような面白さもあって、それはシリーズ全編を通して言えることなんですよね。

 

『ミステリーとしてアリかナシか』で語られることも多い本作品ですが、それでも当時の私は『いや、何が凄いって。作中で散々、散々語られていた京極堂の蘊蓄がこの力業みたいなトリック(と言う言葉も語弊があるように思うのですが)の伏線になっていたと言うことなんだよ!凄くね?だからこそ、このトリックにもめちゃくちゃ現実味を覚えてしまうのだよ!まさに京極堂の言葉通り『この世には不思議なことなど何もないのだよ』』と興奮しまくり。そして偉そうにも『私が認識している、認識できている『世界』なんて、ほんの一端、その表面も表面でしかないんだろうなぁ』と言う、なにか途方もないような思いも抱かされたのです。

『こんな作品を生み出し形にできる作家さんがいらっしゃるのか!凄いな!』と感動しきり、そしてここから既刊を買いあさりシリーズを読み進めていくと言う、実に幸福な、私と『百鬼夜行シリーズ』のお付き合いはスタートしたのでした。

 

・『魍魎の匣

・・・シリーズ2作目。1995年1月に刊行されていますから前作からわずか4か月ほどで刊行されていたのですね。『邪魅の雫』から『鵼の碑』まで17年の月日が流れたことを思うと、信じられないぞ。ふふ。

そしてこの『魍魎の匣』から新書版、ノベルス版で読み進めていくことになった私。ノベルスと言うより、もはやそれこそひとつの匣を思わせる分厚さ、長方形っぷりに(笑)再び私は『いや、1作目は大丈夫だったけど。今回はどうなんだろう。本当に読了できるんだろうか』と不安になったのでした。

 

が、結局、その不安も杞憂で終わったと言うのは言うまでもないことでしょう。あまりの分厚さに横になって読むことはできないと言う苦悩は味わったものの(笑)やはりこの作品もめちゃくちゃ面白かった。

姑獲鳥の夏』とはまた異なる、それこそミステリーらしい物語。孤独な2人の少女に芽生えた友情。刑事、木場修がファンである女優。謎の研究所。新興宗教。バラバラ殺人事件、とたくさんの要素が詰まった作品なのですが、それが一切、破綻することなく複雑に絡み合って、やがてはひとつの結末へと収束していく、その展開が実に緊張感に満ちていて、もー、読んでいて本当に『あぁ、面白いよ!おもしろいんだよおぉぉぉぉぉぉぉ!』と絶叫したい気持ちを抑えるのが必死でした。ってか絶対、読んでいる最中の私の顔、にやけていたはずだよ。ま、これは今もですけどね!

 

そしてまたミステリーでありながら、なんだろ。ちょっと猟奇的な人間の一面。それが鋭い描写でもってして描かれていたのも、本作品の印象として強いなぁ。『みっしり』と言う言葉に、あれほどの、濃厚に詰め込まれた闇、それが醸し出す圧迫感、それでいて呆けてしまうような陶酔感を覚えたのは、後にも先にもこの作品だけです。

また無骨な刑事、木場修の恋愛、と言うのは違うかもしれませんが、無骨な男の無骨な思い。それが作品のアクセントになっていたのも印象深いなぁ。

あとそうです。個人的にはこの作品で書かれていた『動機と犯罪と言う行為の関係性』みたいなもの。そこに確か京極堂だったと思うんですけど。彼が発した言葉と言うのが、今も私の胸に深く刻まれています。

 

シリーズ通して人気が高い作品のひとつ。そんな印象がある本作品ですが、それも頷ける『姑獲鳥の夏』で世を驚かせた京極夏彦さん。その作家としての才気が更に大爆発している、そんな作品だと思います。

 

・『狂骨の夢

・・・1995年5月に刊行されています。『魍魎の匣』からやはりわずか4か月しか経過していないのか。いや、この頃の私はほんと『待つことなくシリーズを読むことができる』と言う幸福を思う存分、享受していたのだなぁ。羨ましいな、おい!

こちら、ノベルス版のページ数は578ページ。これでも結構なページ数、分厚さだとは思うのですが。当時、本作品を手にした私は『『魍魎の匣』に比べると薄い!』と変なところで感動。そしてそれはそれで今度は『どうなんだろ。ページ数が少ないと言うことは、内容的にも抑え気味なのかな』と失礼なところで不安を感じたのですが。ちなみに文庫化に際しては400ページ以上の加筆訂正がなされているとのこと。成程。

 

この作品も私はめちゃくちゃ好きです。それこそ『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』と違う味わいを感じさせる物語を描いてこられた京極さんの、作家としてのまた新たな一面、凄さを感じさせられた、そんな作品だと思います。

なんだろ。『姑獲鳥の夏』や『魍魎の匣』に比べると、事件の派手さ、展開の派手さと言うのは薄い作品だと思います。いや、人が殺されているわけだからそこに対して『派手』と言う言葉を使うのは不謹慎なのですが。すいません。

 

なんかものすごく不思議な感触、揺蕩うような感触の強い、そんな作品なのです。私の印象としては。それはこの作品の肝が『夢』とか『記憶』とか、そう言うものであることに関係しているのかもしれませんが、とにもかくにもなんだかとてもふわふわしたような、それでいて時折、強烈なものを突き付けられるような。その合間をゆらゆらと漂っているような。

それまでのシリーズ2作品にはなかったような、そんな色合いに満ち満ちていた作品だからこそ、私の中でもとても強く印象に残っている作品なのであります。

ちょうど臨床心理というものに興味を持ち始めていた私にとっては、作中で語られるユングフロイトなどの精神分析も、もう読んでいて面白くて仕方なかったです。

 

そしてこの作品ではシリーズ通して地味に、じみーに(笑)活躍する京極堂たちの知り合いであり、榎さんの海軍時代の部下である伊佐間さん。彼の存在がものすごーくいい味を醸し出しているんですよねぇ。そこも好き。

平安貴族風の美男。でありながら、飄々として物事に動じない、頓着もしない性格から、年齢にそぐわぬ印象を人に与える伊佐間さん。その伊佐間さんの、その性格がそのまま、この物語には滲み出ているような気がします。

だからどこかおどろおどろしく、ふわふわしていて、揺蕩うような印象がありつつ、伊佐間さんの飄々とした、良い意味での身軽さ。それが醸し出す柔らかく、ちょっととぼけた味わいも感じる作品にもなっている。

先程も書きましたが前2作を読んだ読者としては、また新たなシリーズとしての魅力を堪能できた気がして、本当に楽しかったなぁ。

 

・『鉄鼠の檻

・・・1996年1月に刊行されています。前作から8か月を経て刊行された本作品は、ノベルス版で830ページオーバーだったかな?その分厚さ、そして舞台が禅寺であることから禅や仏教に関して繰り広げれる京極堂の蘊蓄。そのいつも以上の難解さ故に『この作品は挫折した人が多い』と言う声も、この前、ネットで見かけたのですが。

わかる。私も『もう1回、読んでみて!』と言われても自信はない。読みたい気はあるけど。それに『じゃあ、ここで京極堂がどんな蘊蓄を繰り広げていたか、教えてよ』と言われても、全然、答えられない。

そんな体たらくなんですけど、でも読んでいた当時は、間違いなく私は京極堂が何を言っているのかを理解できていたんです。ええ。そこが凄い。そこがもう、もはや魔法。『この世に不思議なことなど何もないのだよ』と言う京極堂の決め台詞に対して『いや、あるんだわ』と返したいくらいの、今の心境です(笑)

 

好き。もうめちゃくちゃ好き。個人的にはシリーズの中でも1位、2位を争うくらいに好きな作品です。

ほんと『こんな木綿豆腐みたいに分厚い作品なのに、こんな短期間で読み終えちゃうの!?』と自分でもびっくりするくらいの、読書日数の短さだったと記憶しています。

とにかくページをめくる指を止めることができなかった。『あかん、あかん。勉強しなきゃ。寝なきゃ』と言う思いはあれど『読みたいんじゃあぁぁぁあぁぁぁ!』と言う欲求が勝って、ずぶずぶと物語にのめり込んでいくしかなかった。

そんな怖いくらいの引力に満ち満ちた作品だと思います。

 

ある旅館で突如、出現した死体。それを発端にして、先程も書いた禅寺を舞台にして起きる殺人事件。

あぁ~・・・なんかもう、雪深い山。そこに静かに存在していた禅寺。その『檻』の中で日々、黙々と、粛々と修行に励んでいた僧たちの姿。そう言うものがまざまざと思い出されて、あぁ、なんかもう、わくわくしちゃう。興奮しちゃう。はぁ(恍惚)

なんだろ。ほんとにね。もう、その、静けさ。息をするのもためらわれるほどの静寂。世界が終わりを迎えてしまったかのような美しき静寂。その中で、人知れず育まれていた、様々な人間たちの欲求、思惑、願。そうしたものが発露した末の事件。

その両者の対比性みたいなのが、もうたまらんのですわ。たまらん(語彙力)

 

複雑通り越して難解と言っても過言ではないほどに絡み合う複数の事件。謎。それをいつものように京極堂が憑物落としで華麗に解き解いて行くのかと思いきや、ここでこの作品に根幹にある禅と言う存在が、大きな壁として京極堂の前に立ちはだかるのですよね。それ故に苦慮を強いられる京極堂なのですが。

ふふ。仏頂面した良い男の苦慮する姿、最高だぞ。

 

一方でありとあらゆる状況を物ともせず、ただただ我が道を、自分の気持ちが赴くがままに邁進する神が、シリーズにはいますね。

そうです、榎木津礼次郎です!かっはー!

てなことで私かこの作品が大好きなのも、ひとつはやはり、今まで以上に榎さんの天上天下唯我独尊っぷりを堪能できるからなのかもしれません(笑)

榎さんを語るうえで出されることが多い名セリフのひとつも、この作品内に登場していますしね。

ほんとね。榎さんの言動は痛快そのもの。ぶれない。いつでも『自分』が中心。それでいて場をかき乱し、他人を巻き込み、多大なる迷惑をかけまくった挙句に(笑)、しっかり、救うべき人を救い、罰すべき人を罰しているのが凄い。

また本作品では駆け出しの骨董屋で戦時中は榎さんの部下でもあった今川雅澄も初登場します。一度、見たら忘れられない顔をしており、おっとりした性格も相まって愚鈍な印象を抱かれやすいのだが、その実、頭も切れ行動も素早いと言う今川さんも、実に、実に良い味を持ったキャラクターなのです。

当然、伊佐間さんとも親交がある今川さん。この2人が榎さんにけちょんけちょんに言われて、実に愛ある雑さで扱われている様を見るのが、私は大好きです!(鬼か)

 

シリーズ通して屈指の難解さ。そしてページ数。それでもだからこその、そしてそのページ数の多さを良い意味で感じさせないほどの面白さを味わわせてくれる作品。

秋の夜長、あるいはそれこそ雪降る冬の静かな夜に、どっぷりとその世界に身を委ねたくなる物語です!

 

はい。と言うことで本日はここまでにしておきましょうか。

うーん、書いていてそれぞれの作品を思い出したり、ネットで調べたりしていたけど、めちゃくちゃ楽しかったぞ!

ほんと、読んでいた当時の、自分の中の熱狂の渦みたいなもの。それがまざまざと思い出されて興奮しきりでした。はっふ!

 

てなことで後編は『絡新婦の理』からスタートですね。

よろしければ引き続き、お付き合い下さい。

 

ではでは。本日の記事はここまでです。

読んで下さりありがとうございました!