tsuzuketainekosanの日記

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期待された『役割』とは~『我儘なまま』Day2の『千夜アリア』への考察

水曜日でーす。今年、唯一、休んでいない曜日でーす。

来月シフトは果たしてどうなっていることでしょうか。

多分、全部、出勤だと思うよ。ま、別にいいんだけど。

 

そんなこんなで『我儘なまま』2日目に配信視聴で参加した人間の、あのセトリ内における『千夜アリア』、あるいは白瀬咲耶の役割について、好き勝手に考察を繰り広げていくだけの記事です。

 

『我儘なまま』の感想記事でも書いていましたが、私は。

・『アイドルマスター』全ブランド好き。合同ライブとかもウェルカム!

・SideMに人生を救われた人間。

シャニマスのアイドルには合同ライブで落ちた。白瀬咲耶は私の王子様。

・5th2日目のライブも配信で視聴した。

・ただしゲームはやっていない。

・なので各アイドルの詳しい背景や関係性も、ほとんど知らない。

 

以上のような人間なので、詳しい方からすると『それは間違ってるぞ!』と言うところもあるかと思います。

なのでその辺り、生暖かい目でスルーして下さると幸いです。

はい。

 

そんなこんなで先程も書きましたが。

この記事では『『我儘なまま』2日目。その中、あのセトリの順番で披露された白瀬咲耶の『千夜アリア』』について考察していきます。

 

えー、復習です。

『我儘なまま』の2日目。白瀬咲耶の『千夜アリア』が披露されるまでの流れ、そしてその後の流れを見ていきましょう。

このパートは、三峰結華の悲痛な思い、それが吐露される朗読パートから始まりました。大学のバンドサークルに入ったまでは良かった。しかしそこで直面したのは音楽性の違いであったり、あるいは人間関係の難しさだったのかもしれません。

そう言うものに直面した結果『音楽、やりたいだけなのに』『人の顔色を窺って』『そうまでしたいやりたい音楽ってなに?』と三峰は打ちのめされ、『聞こえないよ、何も』と現実から目を背けます。

 

そして披露されたのが『プラスチック・アンブレラ』でした。

『自分でもどうしてほしいのかわからない』と言わんばかりの、三峰のぐらぐらと揺れる複雑な思い。それでも最後には『誰か見つけて』と本音を吐露し『ビニールの傘を閉じて まぶたを開けて』と歌う三峰ではありましたが、パフォーマンスの最後。彼女は閉じたビニール傘を再び開いて、観客に背を向けた状態。

ここで私が感じたのはやはり『現実の拒絶』であり『助けて欲しい。でも今はその助けもいらない。中途半端な助けならいらない。だからそっとしておいてほしい』と言う三峰の思いなのでした。

 

で、この後に披露されたのが斑鳩ルカの『神様は死んだ、って』です。孤高のアイドル、『アイマス』全体で見てもまさに異色の存在と言っても過言ではないアイドル、ルカが歌う・・・と言うより、もはや叩きつけるようにして吐き出すと言うような歌ったこの歌、そしてパフォーマンス。

そこに私は『あぁ、もはや救いも何にもないよ』と苦笑いするしかなかったのですが、しかし同時、『でもルカがこの歌を、こんな本音丸出しの歌を、綺麗事、ありものの言葉、ありきたりな救い、生半可な救いを心底、憎み拒絶していると言うその本音を『おまえら』の前でこんなふうにパフォーマンスしたこと自体が、ひとつの『救い』なんだよな』とか思ったりしたのです。

 

つまり、です。

三峰のルカ。2人のパフォーマンスは『助けて欲しいよ。でも中途半端で、上辺だけの、綺麗事を並べるだけのそれならいらない。『私』が願う『救い』以外、何もいらない』と言う2人の悲痛な思いの表れだったと、私は解釈したのです。

 

で、この後に登場したのが白瀬咲耶です。

『連れて行くよ』の宣言で始まったのは『千夜アリア』でした。

力強く、そして時にやさしく、それでいて大胆に。勇敢さすら感じさせるような歌声、表情で披露されたこの歌に歌われているのは、傷つき、打ち砕かれそうになる心を守らんとする、明日へと導かんとする強い思い。そして『叶うなら未来へはキミと』と願う、切なる思いです。

 

三峰、ルカの後に白瀬咲耶が『千夜アリア』を披露した。『連れて行くよ』と高らかに宣言したこの流れ。

配信のコメントでは『流れ変わった!』『王子が助けに来た!』『三峰を連れ去りに来た!』と言う内容のそれがたくさん見られて、私も実際に『私の王子様が助けに来て下さったわ!これで勝てる!』と思ったものです。

 

それにしてもほんと、八巻アンナさん、マジ白瀬咲耶。かっこよすぎ。ギルティ。

 

で、この楽曲の後、セトリは風野灯織の『スローモーション』、和泉愛依の『Going my way』、そして田中摩美々の『誰ソ彼アイデンティティー』、三峰とルカを除いた4名での『Ambitious Eve』と続きました。

素直に、素直に解釈するのならば『中途半端な救いならいらない、と現実を拒絶した三峰とルカ。そこに対して白瀬咲耶、灯織、愛依、摩美々が全力で、全身全霊で応えた。『救いにはならないかもしれない。でもこれが、私たちがあなたに示すことができるたったひとつの答えだよ』と言わんばかりのパフォーマンスで応えた』と言う流れなのかな、と思うんです。

はい。

 

なんですけどね。

ね。

 

アーカイブを何度か見ている内に『本当に白瀬咲耶は救いに来た側なのかな』と思うようになりまして。

 

と言うのも、ひとつは『千夜アリア』のパフォーマンス中に流れてきたコメント。

咲耶も他人のことばっかり思って本心、見えにくいタイプやもんな』と言う内容のそれがあったから。

そしてもうひとつは、白瀬咲耶はその容姿、そして言動から『完璧な王子様』と思われがちなアイドル、少女ではある。しかしその一方で、めちゃくちゃ寂しがり屋で孤独を嫌っている。そして『相手が喜んでくれること』『相手がいること』が第一である、と言うアイドルでもあると言う点です。おまけに特技が『自分を最大限にかっこよく見せる立ち振る舞い』と来ている。

 

更に言うとこのブロックに登場したアイドル、三峰、ルカ、白瀬咲耶、灯織、愛依、摩美々は、あくまでゲームをやっていない私のイメージですが『他人から誤解されやすい』『他人に自分の気持ちを、言葉で伝えるのが苦手そう』と言う共通点があるのではないか、と言う気がしたのです。

アイドルとしてのパフォーマンスでなら、自分の気持ちを伝えることはできる。でもそれ以外の、特に言葉でのそれとなると苦手。それ故に、他人から『クール』だの『怖い』だの『気分屋』と言ったイメージを抱かれやすいのではないかな、と。

 

そう言うことを踏まえると、このブロック。

三峰とルカの後に登場した白瀬咲耶は、実は救いに来た側なのではなく、『『救いに来た王子』と言う役割を与えられたことで救われた側』だったのではないかなぁ。

そんなことも感じたのです。

『王子のようにふるまうこと』そのことで相手が何よりも喜んでくれる。その相手が喜んでくれることで、自分が孤独でないことを実感できる。

 

そう解釈するとですね。

この後に灯織、愛依と続くのもものすごく納得できるんです。

『スローモーション』も『Going my way』も、私としては2人の『私も知らなかった『私』を見つけてくれてありがとう。だから『私』は、これからも『私』として歩んでいくよ』と言う気持ちの表明、決意表明のような歌のように感じられたから。

 

役割を与えられ、期待されたことで救われた白瀬咲耶

そして見つけられたことで救われた灯織、愛依。

『救われた』と言う言葉は大げさかもしれませんが。

 

そうなんです。だから私、このブロック、真の意味で『救いに来た』のは摩美々だと思っていまして。

『救うとかー、救われるとかー、難しいこと考えるの、メンドクないですかー?まみみはー、そう言う難しいこと考えないでー、やることやるだけですよー』ってな言葉を口にしていそうな。

摩美々の『誰ソ彼アイデンティティー』のパフォーマンスに、そしてセトリでのあの位置で披露されたことに、そんな幻聴すら、私は聞いた思いがしたんです。

ただその中にあって『でもー、もしー、まみみのパフォーマンス見て何かを思ってくれたらー、それは勿論、嬉しいですけどねー』と言う、彼女なりの熱さが見え隠れするのも、また実に彼女らしいんですよ。かっはー!

 

ってか菅沼さんも、マジ摩美々。悪い子だぞ。セクシーだぞ。見ててドキドキしちゃったぞ!

 

ってか『千夜アリア』なんです。『千夜アリア』。

この歌、『王子様が助けに来た』と解釈するには、あまりにも何と言うかなぁ。気弱な部分が顔を覗かせている、気弱な部分を見出そうと思えば見出せる歌だと思うんです。

 

たとえば冒頭『連れて行くよ』にしても『私は君を、有無を言わさず連れて行くよ』と解釈することもできる。『だから君は、私に黙ってついてきて欲しい』と。

できるんですけど同時、『連れて行くよ』と言い切っていること。相手の答えを確認しない言葉であるからこそ『相手の答え、気持ちを確認すること、知ることを恐れているのでは?』と言う解釈ができないこともない。

 

あるいは『叶うなら未来へはキミと』や『その胸を温めていますように』と言う歌詞には、なんだろ。やっぱり『私は全力を尽くすよ。それでも、それでもダメだったとしても、どうか叶うなら』とか『どうか、その胸を温めていますように』と言う、『自分の力が及ばなかったとしても』と言う、やっぱり『助けに来た王子様』らしからぬ気弱な部分を感じ取れないこともないな、とも思ったり。

 

更にこの曲。すごい拡大解釈しようと思えば『この世では結ばれることが叶わなかった悲恋の歌』みたいに解釈できないこともないですか?

ただその解釈は、白瀬咲耶と言う『『王子様』である役割に、何よりも、誰よりも救われている』アイドルがパフォーマンスしていることで拒まれていると言うか。

そんな気が私としてはしないこともないんですが。

 

何より『与えられた役割』と書くと、何かしら悲壮さすら感じさせるような気もするかもしれないんですが、白瀬咲耶に関してはそれでいいんですよね。それがいいんです。

彼女の『望み』と周囲が彼女に対して『望んでいること』が見事に一致している。

だから悲壮感なんてそこには一切ない。あるのかもしれないけれど、でも多分、彼女自身、それを『悲壮感』などとは思ってもいないことだと思います。いや、もしかしたらそんなことはないのかもしれないけど、悲壮感もあったりするのかもしれないけど、その辺りはほら、私、ゲームやってないから(言い訳)

 

だからこそこの『千夜アリア』もまた、悲恋と解釈できないこともないけれど、そうではなくなっている。か弱き者の存在を全力で肯定して、自分もまたか弱きものであることを知りながら、それでも力強く、守りたい者を守らんとする、そして明日への希望を高らかに歌い上げている、そんな楽曲になっているのだと思うのです。

 

それでもなんだろうなぁ。

灯織の『スローモーション』や愛依の『Going my way』に比べると物語性が高いと言うか。だからそれ故に、やっぱり『白瀬咲耶個人の思いを率直に歌った歌』と言うよりは『『王子様』の役割を与えられて『王子様』としてでないと伝えられない白瀬咲耶の思いを歌った歌』と言う気がするんですよね。

そこがまた『あぁ、白瀬咲耶や』と私は胸がちょっと切なくなったんです。

でも再三ですが、白瀬咲耶はそれが良いんです。それで良いんです。それこそが彼女にとっての幸せなんです。多分。

 

シャニマスって、ライブでしかコンテンツに触れていない人間が偉そうに言うのも何なんですが。ほんとにね。

なんかものすごく『アイドルとしての自分』と『アイドルではない自分』、その境界線が明確でありながら淡い、ものすごく1人1人のアイドルがそこに対して痛切なまでの思いを抱いている、そんなブランドだよなぁ、思うんです。

そして今回の『我儘なまま』2日目は、その思いを改めて強くさせられた。ほんとシャニマスだからこそのライブだったよなぁ、としみじみ、感じたのでした。

 

だからこそ1人の1人のアイドルが『私の『我儘』』を思う存分、それぞれの色で表現したパフォーマンスには、本当に魅了されっぱなし。

そしてそれらが朗読劇の流れ、物語とも見事に融合していたのも『素晴らしい!』の一言でした。

いやぁ・・・これはほんと、誰がこの構成、考えたんだろうか!

本当に素晴らしいライブを見せていただきました!

声優の皆さん、ライブに関わられたすべての方々、本当にありがとうございました!

 

ではでは。本日の記事はここまでです。

読んで下さりありがとうございました!