21日には公休だったので、1が付く日の読書感想文はお休み。
てなことで少し遅れて本日、お送りいたします。
読書の醍醐味のひとつに、ひとつの作品でも読む人によって何を感じるのかが全く異なることがある、と言うことが挙げられると思います。
今回、読書感想文をお届けする作品『希望の糸』を読み終えた後、私は改めてそのことをしみじみと感じたのであります。
はい。
てなことで今回、読書感想文をお送りするのは『希望の糸』です。こちらは今や国民的作家であると言っても過言ではない東野圭吾さんによる作品です。東野さんと言えば数多くのシリーズを生み出されていますが、こちらはその内のひとつ、加賀恭一郎シリーズの最新作でございます。
加賀恭一郎シリーズも映像化されており、刑事、加賀を演じていらっしゃるのは阿部寛さん。そして途中からシリーズに登場となった加賀の従弟で刑事の松宮は、溝端淳平さんが演じていらっしゃいます。
で。
今回の『希望の糸』では、この松宮、彼の出自にかかわるひとつの真実が明らかにされ、それが本作品全体のメッセージともリンクしている、深く関係していると言った構成になっています。はい。
ではでは。簡単なあらすじを。
汐見行伸と怜子夫婦は、子ども2人を震災で失う。絶望に打ちひしがれた末に2人が希望を見出したのは、再び子育てをやり直すと言う選択肢だった。それから数年後、怜子は女児を出産。萌奈と名付けたその子の存在に、夫婦は再び希望を取り戻す。しかしそれは長くは続かなかった。ほどなくして怜子が病死してしまい、行伸は萌奈と2人で生活をすることになる。思春期の萌奈と行伸の仲は、決して良好とは言えないものになってしまっていた。
金沢で旅館の女将を務める芳原亜矢子の父、真次は緩和ケア病棟に入院していた。病気のため、いつ息を引き取ってもおかしくはない真次は、残される亜矢子のためにあらかじめ遺書を用意していた。弁護士からそのことを聞かされ、遺書を手渡された亜矢子は、意を決してそれに目を通すことに。するとそこには『松宮脩平』と言う、全く心当たりのない名前が記載されていた。
加賀、そして松宮は小さな喫茶店を営んでいた女性、花塚弥生の殺害事件の捜査に当たっていた。聞き込みの結果、誰しもが口を揃えて『善人であった』と言う被害者女性。しかし調査を続けるにつれ、彼女がいくつかの不可解な行動を取っていたことが明らかになる。そしてその行動のひとつに、ある1人の少女の存在が浮かび上がってくる、と言うのが大まかなあらすじです。
ざっくり、実にざっくりした分け方ではありますが。汐見親子の物語、吉原と松宮の物語、そして花塚と彼女の元夫、その元夫の現在の内縁の妻の物語、この3つの物語に分けることができるかと思います。で、一見すると別々の、何の関係もなかったそれぞれの物語が、実はものすごく深い関係があった、または同じテーマを抱えていたと言う感じですかね。はい。
ではそのテーマとは何ぞやと言いますと。
『家族』です。『家族』あるいは『親子』『家族間の愛情』『血の繋がり』そう言った内容だと、私は感じました。
本作『希望の糸』に限らず、加賀恭一郎シリーズにはこう言ったテーマを描いた、主に据えた作品が多いように思います。しかもそれらの一面、ポジティブであったり、見たい面ばかりを描いているのではなく、ネガティブであったり、ともすれば目を覆いたくなるようなそれを描いている、多方面に描かれているとも思うのです。
たとえば『赤い指』では加賀と父親の、決して一筋縄ではいかなかったけれど、しっかりとつながりあっていた絆のようなものが描かれていましたが、一方で息子を溺愛するあまり、その罪をもみ消そうとする両親の身勝手な愛も描かれていました。そしてその対比が非常に鮮やかであり、だからこそ一層、読み応えのある作品になっていたように思います。
で『希望の糸』でもそうした描き方は健在で、様々な人の様々な感情、それが非常に胸に染みてくる、そんな作品になっています。
またこの作品に限って言うと、非常に語弊のある言い方になるかもしれませんが。
テーマとか、あと謎の根幹部分、そこに関わっていることとかが、めちゃくちゃ日本人が好きそうな内容なんですよね。うん。
ちょっとネタバレになってしまうかもしれませんが、『果たして血の繋がりのない親と子は、本当に親子と言えるのか』とか。『本当の親は誰なのか』と言った内容がそれに該当するのですが、これって、それこそ手垢のついた題材、テーマと言ってもおかしくないと思うんです。
でも、それでも、手垢まみれでなお、それらを描いた作品が後を絶たないのは、やはりそれの訴えるところが、日本人の情に訴えかけるものが多い。だからこそ、作り手としてはそれを描きたくなってしまうのではないかな、とも勝手に思っているのですが。
そう言う意味では、国民的作家である東野さんの、非常に東野さんらしい、そして加賀恭一郎シリーズらしい作品であるとも言えるような気がします。はい。
いや、あくまで私の個人的な意見ですが。
それから、これは毎回、東野さんの作品を読むたびに思うことなのですが。
うまいんですよねぇ。うん。文章が、と言うよりも、こー、何て言うのかしら。登場人物たちの自然な会話で物語を展開させていく、その描写や構成力が、もう読み始めてものの数分で『うーん、うまい』と唸らされるほどと言うか。
全然、説明臭くないんですよね。すっ、と物語として、状況や登場人物の感情が自然に頭に入ってくる。そしてそれが、まったく無理のない流れで展開されていく。それは冷静に考えると美しさすら感じさせるくらいなんですけれど、でも、全然、とっつきにくさやわかりにくさはないと言うのもまたこれ、凄いし素晴らしい。
選び抜かれた、だけど平坦な言葉を、考えに考えつくして並べて、組み立てて、それを登場人物の言葉として発せさせることで、物語を展開させていく。
なんだろ。それって小説としては当たり前、基本中の基本のことなのかもしれないけれど、でも、いやいやなかなかどうして、これって並大抵のことではないような気が。
だから東野さんの作品って、ほんと、普段、あまり本を読まないと言う方でもめちゃくちゃ読みやすいと思うし、すごく面白さを感じやすいとも思うのです。はい。
そんなことを今回も改めて、ひしひしと感じさせられた、と言うのがひとつ。
で。
ここからの感想は、冒頭に書いたことにつながってくるのですが。
殺害された花塚弥生と、彼女を殺害してしまった犯人。その犯行前のやり取りが回想と言う形で描かれるシーンが登場します。
その中、花塚が犯人に対して口にした一言、それが決定打となって、犯人はほとんど反射的に彼女を殺害してしまうのですが。
この一言について、その直後、松宮が『実はそれは犯人の誤解に過ぎなかった』的な説明をある人物にするのですね。はい。
で、その松宮の言葉、誤解云々と言う内容に関しては、辻褄が合うんです。何故かと言うと、花塚がその言葉をどんな思いで口にしていたか。それをある人物が語るシーンも、いわば伏線としてばっちり登場しているから、だから松宮の言う通り、犯人は花塚の言葉を誤解、勘違いして受け止めてしまったと言うのが、正解なんだと思うのです。
思うのです。
が。
いや、私にはどうしてもそうは思えずですね。
と言うか、あらすじにも書きましたが、この花塚と言う被害者の女性。とにかく彼女を知る人は口を揃えて『とても良い人』『誰かに恨まれるなんてとんでもない』と言うんです。
また彼女と偶然、知り合ったある人物の回想で描かれている彼女の姿と言うのも、まさしく善人。まっすぐに、前向きに物事をとらえて、しっかりとした自分の思いを持っていて、それに基づいて自分の人生を歩んでいる人。そうでありながら同時、他人の幸せも願える人。そんな彼女の性格、性質のようなものがひしひしと感じられるんです。
だからこそ、なんです。
だからこそ個人的には、犯人である人物と会話した時の花塚の言葉からは、どうしようもない・・・うーん、言葉が難しい・・・悪意・・・悪意ではないけれど、圧倒的に正しいことを言っているからこその悪意、なんかこー、花塚自身も気が付いていないであろう上から目線的な、勝ち誇ったような感情が滲み出ていたように感じられて。
このシーンを読んだ瞬間、それまでのシーンで頭に作り上げられていた花塚弥生と言う女性の姿が崩れ去って、一気に熱が冷めたような思いすらしたんですね。
そして『はぁ?』ってなったんです(笑)
で、その末に、犯人がとどめを刺されたような思いがした言葉が口にされたわけですから、私にはどうしても、その言葉が松宮の言うような誤解であったとは思えなかった。
『いや、誤解であったかどうかなんて、本当のところはわからんやん』と。
むしろ私には、それまで善人、善人、善き人、素晴らしい人間性の持ち主であった人として描かれてきた花塚と言う女性のすべてが伏線で、本当は彼女は、こう言う人なのではないか。
自分の信じる正しさから無遠慮に他人を傷つける人。
そのことを自分でもわかっていながら、だけど他人に対しても、自分と同様の強さを求める人。
そして自分と同様の強さを持っていない人に対しては、話にもならないわ、と言うような態度をとる人。
そんな人なのではないか、と。
彼女が善人だと言われていたのも、それはそう口にしていた人が、単に、彼女が自分と同じような強さを持っていると見出した人だったから。
そんなことを、強烈に感じたのです。
なんだよ。『あなたはあなたでがんばったらいいじゃない』って。
なにその上から目線。
だから私は、その後の松宮の言葉を聞いても、先ほども書きましたがそれが正解だろうと言うのはわかったけれど、どうしても納得がいかなかったのです。
『ぷぎー!』と言う、なんだか憤懣やるかたない思いでいっぱいだったと言う(笑)
どうですか!?
個人的にはもう、ここに関しては、本作品を読まれた方すべてと徹底的に語り合いたい、そんな気持ちなのですが。
私の読み方が穿ちすぎなのでしょうか?
いや、てか。
松宮の言葉、犯人が花塚の言葉を誤解して受け止めてしまったと言う内容。それは伏線もしっかりあった以上、正解なのだろうとは思う、と書きましたけれど。
そんなのわかんないよね!?
ね!?(圧)
もしかしたら花塚は、嫌味を込めてあの言葉を言ったのかもしれないじゃん!
じゃん!
・・・この辺り、本当に本作品を読まれた方と語り合いたいのですが・・・。
とにもかくにももし、私が犯人だったとしても、犯人と同じように花塚の言葉を受け止めてしまうだろうな。そして言葉にできない怒りに駆られて、彼女を殺害してしまうだろうな、としみじみ感じたのです。はい。
そんな具合で私としてはこの部分の受け止め方の違いと言うのが、強烈過ぎるくらい気強烈に感想として胸に残ったのです。
あとは、そうだなぁ・・・。
子どもをつくる、産む、育てる。そう言うことに対しての、どうしようもない切なさ、ままならなさみたいなものも感じて、いろいろと考えさせられました。
それから、ものすっごいくさい言い方をすれば『愛の形』、その多様性みたいなものも物語の終盤、描かれています。そのあたりも、やはりこのシリーズらしく、またその時々の社会を描いている作品だなぁ、とも感じたのであります。
そう言ういろーんな思いが、ラスト、松宮とある男性との再会に結実しており、そこで本作品のタイトル、そこに込められている思いが、意味が胸にじわーっ、と染み込んでいく構成も、やはりお見事の一言です。
先程、さんざん書いたシーンのおかげで『ぷぎー!花塚さん、めっちゃ嫌な人やん!』とぷんぷんしていた私ですが、このラストのお陰で、その怒りも収まり、なんだか浄化されたような気持で本書を閉じることができた次第です(笑)
そんなこんなで本日は東野さんの人気シリーズ、加賀恭一郎シリーズ最新作『希望の糸』の感想をお届けいたしました。
どうなんでしょ?本作品も映像化・・・は、されないか。
一応『祈りの幕が下りる時』がシリーズ完結編と銘打たれていたんだもんな。
ただこの『希望の糸』、加賀恭一郎シリーズの1作品ではありますが、物語的には加賀さんの物語と言うより、松宮の物語なんですよね。そう言っても言い過ぎではないように思う。
なので、こー、単発SPドラマでの実写化ならアリだと思うんですが。
そんなこんなで本作品を読まれた方は、ぜひとも、花塚が犯人に向けて口にした言葉。それをどう受け止められたかを、花塚を本当に善人だと思うか否かを、私に向かって念で送って下さい(笑)
ではでは。本日の記事はここまでです。
読んで下さりありがとうございました!