今日から4連勤、ふーっ!
連休明けじゃないから、正直、精神どうにかなっちゃいそう、ふーっ!
ってかまた16日の日曜日、休みかよ、ふーっ!
時給100円アップだから、できれば日曜日は出たいんだけどよ、ふーっ!
何はともあれ4連勤、もはや空元気の搾りかすを更に搾りこんで乗り切るしかないよね、ふーっ!
4連勤は嫌だ。
はい。
テンションが不安定な今日この頃ですが、タイトル通りの話です。
いつも以上にどうでもいい話で、それ故、多分、いつも以上に需要のない話です。
私のひとりごとみたいな記事なので、読まなくてもいいです。ふふ。
そんな具合で本と漫画を読みたい、読もう、と言う思いが、ここ最近、とても強くなってきています。いわゆる読書欲とでも言うんでしょうか、それに対する渇望とか、それを満たしたいと言う気持ちが、より強くなってきている、と言うわけです。
考えてみれば、です。
幼いころ、寝る時に母親か父親に『まんが日本昔ばなし』の絵本を読み聞かせしてもらっていたことから始まり、私の人生、常に読書がそばにあったな、と。
ちなみに『まんが日本昔ばなし』の中で私が最も好き、そして今でもとても印象に残っているのは『三枚のお札』と『オコゼと山の神』そして『ぶんぶく茶釜』です。
あぁ、懐かしい。懐かしすぎて涙が出てきそう・・・。
特に高校、大学の時と言うのは、もはやお約束のようにして人間関係の構築につまずき、孤独な学生生活をエンジョイすると言う状態に置かれたのですが(ここまで私も言えるようになったか(涙))、その時の私の心を支えてくれたのも、やっぱり読書だった。
高校時代はコバルト文庫・・・おおっ、調べてみたら今もあるのね!で刊行されていた真堂樹さんの『四龍島シリーズ』を、それはもう、寝食を忘れる勢いで読みふけっていたし、高校2年生の時でしたか。有栖川有栖さんの『朱色の研究』に出会ってからは、ミステリ小説にもずふずぶとはまっていきました。
『『どうやって殺した。どこで殺した。いつ殺した。誰が殺した。なんで殺した』そう言う謎ときのあるミステリが大好きです』と言って、当時、働いていた書店の同僚さんをドン引きさせたのも、今となってはいい思い出じゃよ・・・。
で、バイトを始めてからは、そのお給料で自分の好きな本を、ある程度は購入できるようになった。通っていた大学の真ん前には書店があり、片道1時間30分の電車通学となれば、もう『本を買う→通学中に読む→読み終えたらまた新しい本を買う』と言う流れが習慣化していて、今から振り返ると、私は大学に本を買いに行くために通っていたんじゃないかと言う感じがして、もう良心に何と言ってお詫びすればいいのやら(ほんとにな!)
はい。それから20年余り経過しようかと言う今も、そして今までも、本当に読書ととと言う存在は私のそばにあり、私の日常を彩り、心を支えてくれていました。
それが今更、なして、改めて、読書欲を満たしたいと思うようになったかと言うとですね。
答えは簡単です。
老眼です(笑!)
小学5年生の時に眼鏡をかけて以来(『え、眼鏡ってちょっとかっこよくない?』みたいな理由で、わざと視力を悪くするために、暗闇でスーパーファミコンしたり、本を読んだりしていた当時の私、張り倒してやりたい(笑))、私の視力は眼鏡をかけても0.5前後。
眼鏡をかけていないと0.1を下回ると言った有様で、免許更新の際には『これが見えるって言ってくれないと、免許更新できませんよ』と言われる有様。そして健康診断でも、常に視力検査には引っかかっている状態です。
ただまぁそうは言っても、ありがたいことに見えてはいるんです。
ところがですね、40目前の最近ですね、遠いものだけでなくて近場の細かい文字などを見るのに違和感を覚え始めまして。
老眼で悩まれている眼鏡をかけている方が、近くの細かいものを見る時に眼鏡をはずされるシーンを目にされた方、いらっしゃると思うんですけど。
無意識のうちにそうしていることが多くなってきまして(笑!)
で、当然、読書の際にも『あっれ、前、こんなに読書するのに目が疲れてたっけ・・・』と思うことが増えてきて、それで『はっ!これが老眼かっ!』と思い至ったわけなのであります。
近眼の人は老眼になってもさほど困らない。
そんな噂を耳にしたことがあったのですが・・・大嘘つきめっ・・・(涙)
このような自分の体の変化を目の当たりにした時、私の脳裏に思い出される文章がありまして。
それが占い師として有名な石井ゆかりさんの占いに登場した一文です。
石井ゆかりさんの占いって、私、嫌いなんです。うん。ものすごく良いことしか書かれていないし、内容は抽象的だし、良いことしか書かれていないからこそ当たったことがないから腹が立つし。
ただそれは、石井さんのメッセージ、石井さんが読み解かれた星からのメッセージを即物的な解釈、『当たるか当たらないか』の二者択一的の価値観でしか受け止めることができない私自身に問題があるからなんですが。
はは(遠い目)
でもだからこそ、嫌いだからこそ、そして自分の即物的な価値観に対する反省も込めると言う意味で、石井さんの占いにはちょこちょこと目を通しているのですが。
その中、石井さんが年明けに公開されている12星座ごとのその年の運勢の占い。
その2019年度版、獅子座の占いに書かれてあった文章と言うのが、なんかずーっと心の奥に残っていまして。
こちらですね。この中の・・・8個目の段落中に登場する文章です。
『定年後、思う存分』から始まる文章ですね。はい。
それがもう、読んだ当時も、そしてそれから2年経った今も、なんかすごく、胸の中に残っている文章で。
で、自分の老眼と言う現象によって、読書に今まで感じなかったような疲労感を覚えるようになった時にも、ぶわっ、とこの文章が思い出されて。
あぁ、そうか、と。
もしかしたらこの先、私の目はどんどん衰えていって、満足に読書することすらできなくなるのかもしれない。
目だけじゃない。
もしかしたら認知機能も衰えて、読書と言う行為、そのものすら忘れてしまうのかもしれない。物語を楽しむことすら、理解することすら難しくなるのかもしれない。
勿論、こうした老いによって訪れる体の機能への変化と言うのは、どうしようもないものです。それを悲しく、残念に思う気持ちはありますが、否定する気持ちはありません。だって仕方ないもんよ。
ただそう言うことを考えたら、なんかもう、俄然『読める内に読んでおかねば!』と言う気持ちに火がつきまして。ええ。
あとですね。もうひとつ。
今後、日本列島を襲うであろう大地震、地震だけじゃない天候による災害とか、そう言うものの脅威を考えたら、これまたやっぱり『とりあえず平穏無事な今の内に、読めるもんは読めるだけ読んでおかねばっ!』と言う使命感にも似た気持ちに駆られた、と言うのもあります。
更に言えば、うちの母親、海外旅行が好きで。
コロナが拡大する前は、1年に3~4回は海外旅行に出かけていたんです。で、その母親が『自分が見ていない光景があるのが悔しい。だから見られる内に、できるだけたくさんの光景を見ておきたい』と言うようなことを結構、口走っていたんですね。
で、それを耳にする私は『まぁー、わからないこともないけど』と言う感じで聞き流していたんですが。
改めて読書欲に火がついた今。
もし、自分が手に取っていない本、漫画がめちゃめちゃ面白かったら。もう寝食も忘れて読み耽って、1回読んでもぜんぜん飽きなくて、それこそ生涯の友とも言うべきくらいの存在になる、そんな作品だったら。そして自分がそれを手に取らないまま、読まないまま、この世を去ることになったら、と考えたら。
『なにそれ、え、めっちゃ悔しいんですけど!え、そんなの絶対いやなんですけど!』と言う気持ちがふつふつとわいてきたのです。
そして母親の例の発言にめちゃめちゃ共感できたと言うか。
やはりこれは、読める内に読めるだけ読んでおかねば。
そんな気持ちになった、と言うわけです。
てなわけで、今までも読書、していたんですけど。
ここ最近はもっと意識して読書しよう、と読書に励んでいます。
あと今までは『いやいや、今まで国民年金にしか加入していなかったんだし、将来の年金のこととか考えたら、少しでも節約しなければなっ!』と言う無駄なあがきで、本とか漫画を買うのも、ちょっとセーブしがちだったんですけど。
どこが?と自分でも思うんですけど、セーブしていたつもりではあったんです(汗)
でもここ最近は、もともと緩かったそのセーブが、更にゆるゆるになりました。
『読める内に読む→買える内に買っとけ!』の理論です。
アマゾン万歳!
はい。と言うわけで、です。
まぁ、私の場合は読書に関してでしたが。
やりたいことがある。
そしてそれをやることが許されている、できる環境、状況にあるのであれば。
やはりやれる内にやらなければ。
やれなくなった時に猛烈に後悔するのではないか、と。
こう思うのは、多分、多くの人の胸にある思いなのではないのかなぁ、と思うのですがいかがでしょうか。
まぁ、後悔をしても、そこからやり直しができるのであれば、またやり直しすればいいわけなんですけれど。
みんな!やりたいことは、やれるなら、やれる内に、やれるだけやっておこうな!
人生ほんと、一寸先は闇だからねっ!
あとほんと、35過ぎてからやって来る肉体の変化、恐ろしいわ!
もはや笑うしかないレベルだわ!
はい。そんなこんなで今回の記事はここまでです。
ほんと、どこに需要があんだ、と自分でも改めて突っ込まざるを得ない記事ではありますが、それでも万が一、億が一でも読んで下さった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました(土下座)