tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

1が付く日なので~読書感想文を放出する日です

てなわけで読書感想文を放出します。

 

過去の読書感想文にかまけているせいか、せいでもないんだろうけど、ここ最近の読書感想文がまったく手付かずです。

とりあえず読んだ本の情報は記録しているのですが・・・感想を書いていないまま放置、しかも本は、既に古本屋に売ってしまったので手元にないと言う状況で、いやはや、もはや笑うしかないわ・・・。

でもまぁ、本の情報の記録は残してあるので、ぼちぼち、思い出しながら書いていくか。そんな感じです。

 

ではでは。早速、文章の塊、放出スタート! 

 

櫛木理宇『FEED』・・・胸に突き刺さるような作品でした。まず喫茶店の常連が語った言葉。人生は運に左右されるところが大きいと言う言葉。そして居場所や役割を与えられることが重要だと言う言葉。その言葉通りに、じょじょに道が開けていく綾希と、運に見放されたかのようにして、それ故に現状にしがみつくしかない眞美の現状の対象が鮮やか過ぎるくらいに、いっそ残酷さすら感じさせるくらいに描かれていて、ページめくる手が止められませんでした。本当にその通りだと思う。勿論、運をつかむための努力、行動と言うのもある。あるけれど、だけどやっぱり、居場所や役割を与えられるか否か、その選択肢があるかどうかは、運によるところが大きいと思う。ならば人生とは、本当に何て残酷なのだろうか。それから櫛木理宇の描く孤独のリアルさには、震える思いがした。これまで読んできた作品に共通している孤独を抱えている人物は、まるで他人には思えない。孤独ゆえに判断力が低下してしまい、誰かに、何かに深く依存しきってしまう。特に自分を、こんな自分を必要としてくれている、居場所を与えてくれる人と錯覚してしまい、依存に落ちていく流れは見事の一言。ただそうした人物が描かれていく一方で、たとえば綾希のように、あるいはやどかりの主人公のように、孤独ゆえに人から与えられるものを簡単には信用せず、自分で自分の役割、居場所、生き方を掴みとろうとする、あがく人物も描かれていて、その強さ、何か動物的なしなやかさや強靭さ、勘の鋭さのようなものを感じさせる人物の造形も見事で、その対象こそがこの人の作品の魅力なのだと思う。後今作では、本を読むことの重要性も描かれていて、個人的には嬉しかったです。本を読むことは、多分、世界の広さを知ること、人の感情の深さを知ることにつながるのだと思う。そしてそれらを想像することで生まれる何かしらの感情こそが、その人の生き方を支えるひとつの指針になるのだと思う。綾希が眞美に対して、喫茶店の存在も、陸の存在も話せなかったのは、話さなかったのは、自分の身を守りたいが故だったのだと私は思う。彼女自身もそのことがわかっていて、それを眞美のせいにすり替えていたからこそ、苛々し、全ての結末を迎えた後には後悔をしたのだと思う。予感を感じながら、だけどどうにもしなかったのも、やっぱり同じような理由からだったと思う。ただ、これは責められることではない。綾希は、自分の人生における優先順位を見失わなかった。最後の最後で眞美を切り捨てた。結局、手にした運を完全に自分のものにするためには、こんな冷酷さ、決断力も必要なものなのかもしれないとしみじみ感じさせられた。眞美なら多分、喋っていただろうな。悪い人は、確かにこの物語の中には存在している。でも、少なくとも綾希や眞美、その母親たち、あるいは淳平や、ひょっとしたら海里や彼女たちのリンチを遠巻きに見つめていた群衆にしても、その立ち位置は悪には程遠く、ただどうしようもない孤独をどうにかしたいとあがいていただけに過ぎない。その中で、運を掴んだものは孤独を共に分け合える存在に巡り合い、運を掴めなかったものは自らを押し殺すことで、あるいは誰かに深く依存することで、思考を放棄することでその孤独と折り合いをつけて生きていくしかなかった。悲しいな。生まれて、生きていかなければならないことって、どうしてもこうも悲しいことなんだろうね。よくある話と言われるような話かもしれないけれど、胸を刺すような残酷な真実が描かれている作品だと思う。だからせめて、自分の人生を歩むとはどう言うことかを感じるためにも、若い人に読んで欲しい作品だなぁ。

 

・芦沢央『許されようとは思いません』・・・焦った、焦った(汗)。はい。と言うことでだいぶ前に読んだのですが。書評のひとつに騙すことに専念しすぎたあまり、トリックやはなし運びに整合性がなく突飛な印象がぬぐえないと言う辛辣なものがあって、まぁ、確かにその通りかもな、とも思ったのですが。いや、これはこれで良いよ、面白いよ。騙すことにプラスして、この人ならではの、人間の厭らしい部分も描かれていて、思わずニンマリしてしまうような物語ばかりでした。何だろ。個人的には、きれいごとばかり書かれて騙しも何もないミステリよりは、たとえ整合性がなかろうが、突拍子すぎようが、これくらい尖ったミステリの方が好きです。うむ。特に印象に残っているのは、タイトルからして「あぁ、確かにその通り。許されようとは思いませんってことは、許されなくても構いませんってことだもんね」と、女性ならではの宿命のようなものをひしひしと感じさせられた表題作、そしてお祖母ちゃんの愛情、叶ったよ!(汗)な、ありがとう、おばあちゃん。そして、タイトルは忘れてしまったけれど、自分のミスをどうにかして帳消しにしようと、ごまかし通そうとした青年の姿が人ごととは思えない作品です。これはなぁ…ほんと。わかるわ。わかる。と言うかさ、この失敗、結局、彼が買い取ったことで売り上げとしては計上されたわけでしょ?だったら何の問題もないんじゃないのとも思うけど。完全、巻き込まれてしまった青年の裏側に潜んでいた、もうひとつの自分勝手の存在が恐ろしく、本と、自分が青年の立場だったらどうしようかとひしひしと感じ、そら恐ろしい気分にさせられた一冊でした。はい。何でしょう、櫛木理宇さんと芹沢央さんはほんと、注目作家さんだなぁ。

 

花村萬月日蝕えつきる』・・・時代が流れても、何一つ、変わっていないなと言うのが、読んだ直後に感じたことでした。暗黒小説と言うくくりになっているようだけど、これ、暗黒でも何でもないような気がする。何と言うか、これが現実と言う話なんだろと思う。生きることは残酷だ。生きることを完全に止めるには死ぬしかない。生きることが絶望であるならば、それを止めることができる死は希望で、けれど死んだが最後、人間は二度と生きることができない。そして間違いなく、生きることは不公平だ。この物語の主人公たちは皆、死ぬ。そして多分、生きたことも死んだことも、誰に思い出されることなく、誰に覚えられることもなく、誰に愛おしまれることもなく、彼女、彼が死んだことで、その重みは一切が消えてなくなる。まるで最初から無かったかのようにして。そのことを思うと、寂しくて、哀しくて、涙が出てきそうな思いに駆られる。けれど、そう言った生きることがあるのもまた事実で、その不公平さに言葉が奪われてしまう。人間だけじゃなくて、これは世の中すべての命にあてはまることだと思う。でも、やっぱりこれが現実なんだ。そしてこれは、多分、昔から、昔から、そしてこれからどれだけ時が流れても変わらないことなんだろうな。彼女は、彼は、ならば何故、この世に生まれてきたんだろう。彼女、彼が生きた意味は、どこにあったんだろう。いや、自業自得の奴もいたけどさ(笑)。それでも登勢とか、陰間にされてしまった男の子とか、もう、ほんと、切ないばかりだよ。登勢なんて、他人事は思えないもの。なぁー…ほんと。何だろ、せめて私は、この物語を読んだことで彼女や彼の生を掬い取りたいなと言うような気持ちになりました。はい。そしてもうひとつ、花村さん自らが「酷い境遇に置かれる人間の裏側には、必ず、そういった境遇に追いやる外部装置のような物がある」と言うようなことを話されていたので、その側面からこの物語を見てみると、やはりこれもまた、今も昔も変わらないと言う気持ちになってくる。今も昔も、人間を騙す奴がいて、あるいは人間をコケのように扱う人間がいて、その人間がどれだけの境地に追いやられたとしても、その人間は何ひとつ、ダメージを負わず、涼しい顔して生きていけると言う現実がある。登勢の物語の鬼畜坊主なんてほんと、ぶん殴ってやりたいよ!なぁ、ほんと。これが暗黒小説と言うのならば、つまり昔から、人が生きると言うことは暗黒の中を走らされるようなことなんだろうな。その果てに見えた太陽が、けれど、凄まじい宇宙理論の中でその明るさを消していった一瞬に命を燃やし尽くした人間たちの、哀しい、哀しい声なき声が聞こえてくるような作品。重い気持ちにさせられる作品ですが、読んで損はない作品だと思うし、何と言うか、個人的には映像化してほしい作品。やれるもんならやってみな、の精神で(笑)。

 

原田マハ『暗幕のゲルニカ』・・・前作に続いて過去のシーン、絵の作者とその人を愛した人間たちの生きざま、人間ドラマが活力あるタッチで描かれてあって、まるで目の前で彼らたちの人生を見ているかのような錯覚に陥った。確かな検証があって、そこに作者ならではの豊かな想像力が加えられて、生き生きと描かれているなぁ、と言うのもひしひしと感じました。ピカソ、あるいはゲルニカ。その全てに魅入られ、人生を一身にそこにそそぐことができた遥子が、パルドがとても羨ましい。と同時に、改めてピカソゲルニカ、それに限らずアートや創造物が持つ偉大さ、力強さのような物も感じた。時を経てもなお、いやむしろ、時が経たからこそ、そうした偉大さや力強さは不変で、そしてますますそれを増していくのだろうな。人から人へ、時代から時代へとそう言うものは受け継がれていって、そうして遥子のような人たちのたゆまぬ努力によって守り、受け継がれていくんだろうなと。戦争やテロ。なくならないそれら。物語に描かれているアメリ同時多発テロイラク戦争を引き起こし、そしてそれが昨今、世界中を暴力の脅威に巻き込んでいるイスラム国の誕生につながっているのだと思うと、暴力の連鎖と言うことについていろいろと考えさせられる。『ゲルニカは私たちのもの』。その気持ちは痛いほどに伝わってきた。そうした役割も確かにあるのだと思う。ただ、現実的にはどこまでその力があるのかと疑問に思ってしまう気持ちもある。そんなことにかまけている暇があるのなら、もっと現実的な対策をとった方がよほど力になるのではないか、と。そうして、そう言う思いの矛先には必ずアートや創造物、文学に向けられやすく、ともすればそうしたものの抹殺にもつながりかねない。だとすればこの物語は、長きにわたりアート、美術の世界に携わって来られた作者さんの真摯な祈りの込められた物語であり、そしてまた、どんなときでも決して輝きを失わず、声なき声で何かを訴えかけてくる美術を守ってきて、そして今も守り続けている人たちに対する誇りが込められた物語でもあるのだろうな、と思いました。ただ、個人的にはもう少しマイテとのシーンは欲しかったなぁ、という気も。以上、感想ノートを参考に書きました。面白かったです。

 

・澤村伊智『ぽぎわんが来る』・・・たまたま図書館にあったので、これ幸いとばかりに読みました。いや、面白かった!あっと言う間に読了することができました。評判が高いのも頷ける完成度の高さでした。まず文章が読みやすい。これ、ほんと大事。そして物語の展開の仕方が巧い。ぼぎわんとは何なのか、と言うことが少しずつ明かされていって、そしてそれと同時に物語の語り手の視点も変わっていって、それが物語のものすごく幅を持たせていて、吸引力が抜群だった。単純に正体のわからないぼぎわんの怖さだけで、あるいはその謎だけで物語が進んでいくのかと思ったら、物語が進むにつれ、登場人物たちが抱えている思い、その裏側にある真相みたいなものが、そして本当に怖いのは人間のこわさと言ったようなものが描かれていて、この展開にはまた意表を突かれました。そこに視点が変わると言う演出の意味がしっかりと感じられて、改めて作者さんの構成力の高さのようなものに脱帽です。色々な要素、呪いが呪いを呼ぶ、男性と女性、父親と母親、家とよそ者、子供と子育て、子供を持つことができないと言うこと、自分と他者、他者を疎ましく、憎々しく思う気持ちと言うものも過不足なく書かれてあって、しかもそれらが物語にしっかりと絡んでいたと言うのもすごいなぁ、と感心しきりです。登場人物たちが抱えている背景、がどこにでもいそう、ありそうと言うのもポイント高いと思う。だからより一層、物語にのめり込むことができた。個人的には、イクメン(笑)の秀樹と、野崎君が良かったです。あと琴子さん。かっこよかった。霊能力者と言う胡散臭いことこの上ない存在であるにもかかわらず、真琴ちゃんとのエピソードもあって、ものすごく信憑性のある、血の通った人間として描かれていて、好感を持つことができたと言うのも大きいな。ラスト、ぼぎわんと対峙するシーンなんてめちゃめちゃかっこよかった。あのシーンだけでも映像化されないかなあ。あとは、はい、本と、怖かったです。ぼぎわんが少しずつ、その姿の片鱗を見せていくシーンのひとつひとつに、鳥肌がぞわり、ぞわりと立ちました。いやぁ、お見事。新人離れした実力とは、まさにこういう人のことを言うのだろうね。面白かったです!

 

薬丸岳『逃走』・・・欲しかった本のタイトルが怪しいと思っていたら、その怪しさ通り、チラ見したら猫が虐待されていて、こんな本、読めるか!と思い代わりにとったのが今作でした。さくさく読むことができ面白かったんですが、何故、逃走していたのかと言う理由が、今になって思い返してみると弱かったな、という気も。明かされた時には心揺さぶられていた気もするんだけど。翌日になったら、どうして逃走してたんだっけ、と思うよな有様でしたからね、ほんと。はい。出てくる人、みんないい人と言うか、人間的にまっとうな人で、ちと面白みが足りなかった気も。とは言え、この作者さんはこういう作風が持ち味たからなぁ。罪を犯す人間と、それに巻き込まれた人間の立場や心情をとても丁寧に、丁寧に、掬い取るようにして、決して感情だけに訴えることなく描くことに長けた作風だからこそ、の人だからなぁ。

 

・小松エメル『夢の燈影』・・・はじめて新選組のことを知ったのはいつだっただろうか。もうそのことも思い出せないんだけど、それから数十年は経過したであろうこの年になっても今なお、また改めてその魅力に気づかされると言うのは、何と言うか色んな意味で凄いことだよなー、と思う。私だけでなく多くの人を魅了している新選組。その理由は、やっぱりひとつはそのキャラクター性なんだろうな。源さんが老成していたとか、沖田が子供のような無邪気さを持ちつつも、けれどどこか人間性が欠如したようなキャラクターであるとか、ある程度、共通したところもあるけれど、それにしたって様々な作品で描かれている隊士たちは驚くほどに個性豊かだったりする。ある程度のテンプレもあるんだろうけど、だけどそこに様々な脚色を加えることができる、そしてそれにより様々な作品が、様々な隊士が生み出されていると言うのが、理由なんだろうな。そしてもうひとつは、彼らの生きざまと散りざまの鮮やかさなんだろうな。キャラクターに脚色を加えることが許されるほに、彼らの歩みは鮮烈で、そしてその時はあまりに短く、結末は切なさを禁じ得ないものだった。義に殉じ最後まで戦い抜こうとした者、相容れず道半ばで散って行った者、敵に、あるいは味方の刃の前に散って行った者、なすすべなくただ大きな流れに飲みこまれて行った者…夢があり、理想があり、希望があり、だけどそれと同じくらいに理不尽があり、現実があった。立場は違えど、そうしたことにすべてを賭けた、あるいは賭けざるを得なかった彼らの生き様は愚直であり、そうした生きざまに憧れのようなものを抱きながらも、決してそんなふうには歩むことが、生きることができない多くの人たちの心を強く、強く揺さぶり、惹きつけるのだと思う。そして多分、今作の作者、小松エメルさんもそんな人のひとりなのだと思う。丁寧な筆致で描かれている物語は、多分に物語性が強いものだったけれど、けれど、もしかしたらあったかもしれない、繰り広げられていたかもしれない彼らの日常の物語だった。息遣いが聞こえてきそうな日常が描かれていたからこそ、なおのこと、新選組と言う組織のある種の愚かさや異常さ、そしてたどり着いた末路の寂しさが際立っていたようにも思う。あるいは去りゆく者の、散り行く者の、残った者の悲しみに胸が締め付けられる思いでした。ただそれ以上に、全編を通してわきあがってくるのは、最後の物語、中島登を主人公とした章で書かれていた一説のような感情だ。悲しみもあり、胸も痛み、時と共に薄れゆくそれらの一方で、それ以上の愛おしさと懐かしさがこみあげてくる。長く生きた永倉や斉藤、島田たちもこんな気持だったのかなあ。どんな感情を抱いていたかはわからないけれど、だけど、彼らもまた共に生きた者たちの命を、その道を後世に残そうとしたそのお陰で、今日になってもなお、新選組の存在が人々を魅了しているのだと思うと感謝の気持ちがいっぱいです。はい。そんなこんなで、そんなこんな感情を抱かせてくれるような、まるで隊士のひとりとなって生きたような気持ちになるような作品でした。いやぁ、やっぱ新選組はすごいな。

 

・大門剛明『不協和音~京都、刑事と検事の事件手帳~』・・・続編ものになりそうだなぁ。続き出たらどうしようかなぁ。免罪だったのかどうか、知りたい気もするけどなぁ…期待した感じとはちょっと違っていたしなぁ…。どうしようか悩み中。はい。そんなこんな。京都を舞台にして2時間ドラマになりそうだなぁ、と思って正式タイトル見てびっくり。京都が舞台やったんかい。まんま2時間ドラマじゃん!おばさんは刑事×検事と言えば、某シリーズのような辛気臭い、陰気くさい、それ故漂うエロスを期待してたんだけどね。はは。まぁ、そりゃ私の勝手なんですけど。思っていた以上にミステリ色の強い作品だったなぁ、と。ひとつひとつの作品の密度も濃く意外な驚きでした。そこに2人の、と言うより主に祐介側の思いが描かれていたんだけど、何でしょう、今いち、彼のキャラクターが掴みきれなかったと言うか。いや、所詮は刑事と言っても人間、迷い、悩み、失敗する姿も描かれていてそれはそれで好感が持てたんだけど。何か、単純すぎると言うか。子供っぽいと言うか。煩悶がどうにも伝わってこないと言うか。…完全に某シリーズに陰気刑事を期待しすぎていた私が悪いんだけど(笑)。はい。ただ取り調べの難しさや冤罪についてはいろいろ考えさせられました。と言うか、刑事が取り調べをするって言うのがおかしいなと言う気が。事件の真相を躍起になって追いかけていた人間が取り調べをしたら、そりゃ、自分がやって来たことを遺児でも相手に認めさせようとすると思う。そしてその過程で間違いが発生してしまっても、それは何ら不思議なことではないと思うのよ。捜査は捜査、取り調べは取り調べと別々にした方がいいんじゃないのかなぁ、と思うんだけど。はい。でも、それにしたって難しい仕事だよなぁ。やったかやってないのかを知るのは、やった人間だけで、よほどの状況証拠がない中で、それを本人からの自白だけに頼ると言うのは難しいと言うより、無理があることだと思う。はい。2人の父親は、果たして冤罪を生み出してしまったのか。否か。作者は続編を出すつもりなのか否か。気になるところではありますが。

 

貫井徳郎『ミハスの落日』・・・外国を舞台にした短編集を作る。そしてそのために実際に各国に足を運んだ…お金もかかっている…これ、出版社からの提案なのかしら。費用は出たのかしら。もし、そうだとしたらそれが通るって、貫井先生、すげぇな。はい。そんなこんな。気になっていた1冊。『ミハスの落日』…真意、真相を知らないまま、自らの行為に後悔を抱く、落日の如き1人の老人。真相を知る若者から見た、その姿の寂しさが余韻深く胸を打つ作品でした。人間らしい感情の動きが描かれる一方で、神の意思としての密室トリックが描かれているのも興味深いし、このトリックがあるからこそ、オルガスとアリーザの、ある種の悲劇のような人生、交流が際立っているのだと思う。『ストックホルムの埋み火』…ネタは、私にしては珍しく見抜けたよ!刑事の中の埋み火、くすぶっていたそれに、ぱっ、と暖かな熱が取り戻されたようなラストが印象的です。『サンフランシスコの深い闇』…まさにタイトル通りの深い闇。表題作を思わせるような、神の意思、はたまた悪魔の意思が働いたかのような、けれどそこにあるのは紛れもない1人の少女の行為であり、その落差に立ちすくむしかない大人たちの姿が印象的です。サンフランシスコでる必要性はないとおっしゃっていたけれど、この街を舞台選んだからこそ、ラストのラストで主人公同様、こちらも救われたような思いになれたんだと思う。『ジャカルタの黎明』…伏線は張られているのに、こう言うトリックがさく裂して、それを見抜くことができないからこそミステリは面白いんだと思う。そして何と言うか、貫井作品の多くに共通している、人間の抱える仄かな暗さのようなものは、たまらなくいいなぁ、惹きつけられるなぁ、と思った作品。夜明けの殺人者が明かされたのは勿論だけど、その後、トシのセリフにもにんまりですよ。トシの瞳の色は、きっとジャカルタの夜の色。全てを飲みこむ、暗い、暗い、人生のように暗い夜の色。『カイロの残照』…落ちた日。その残りに照らされる、1人、残された男の悔恨。いやぁ、何とも苦々しいなぁ。カミーラは全てを知っていたのかなぁ?どうなんだろうなぁ。『ストックホルムの~』でも書かれていたけど、貫井先生、元妻に未練たらたらの情けない男、書くのうますぎやしませんか?(笑)。はい。と言うことで海外を舞台に描かれた5つの物語。どれも貫井先生らしいミステリ色と人間ドラマが融合した短編集でした。あぁ、あと、あとがきに書かれていた西洋文化イスラム文化に関する考え方も、今の時代だからこそ考えさせられるものでした。はい。そんなこんなで季節は12月です。今年の分は、今作にて終了にしたいと思います。何でしょう。もう、無事に生きて読書できていることが、本当に奇跡でしかないと思えるような今日この頃。どうせ地震は来るんでしょ!(逆切れ)。はい。来年も、できるだけ平穏無事に読書が楽しめますように。あと、今年中に今勤めている書店を辞められますように。新しい仕事、見つかりますように(と書きながら、どうせ無理だし、と思っているあたり、もう、何と言うか何と言うか)。

 

はい。以上で2016年の読書感想文、終了です。

そして『ミハスの落日』の読書感想文の最後に書いている『今、勤めている書店を辞められますように』と言う私の願いは。『書きながら、どうせ無理だし、と思っているあたり』と言う私の思いは、年明け早々、2017年2月11日、SideMの2ndライブ初日が開催されたその日に、見事に、思いもよらぬ形で叶えられることになります。

 

まっさか、あんなことが起きて、あんなふうに10年、勤めた書店を辞める、と言うか、去ることになるとはねぇ・・・。

いやぁ、ほんと、人生、何が起きるかわからないもんですよ・・・ほんと(遠い目)

 

書店を辞めて・・・と言うか、ぶっちゃけクビになってからしばらくは、それはもう、人生お先真っ暗、この先、私は一生、仕事になんか就けないんだ、と自暴自棄の極み、朝から晩まで2階の自室に引きこもり、日々、この先の生活どうなるのか、真綿で首を絞められているかのような感覚を味わうみたいな状況でございました。

夜、寝る時は『あー、このまま朝、目覚めなければいいのに。布団と同化してしまえば最高なのに』と思い、朝、目が覚めた時には『どうして目が覚めるんだ、こんちくしょうめ!』と顔を歪めるような日々でしたけど。

 

ははは(笑)

 

まぁ、でも振り返ってみると、ああいう形で、ほとんど不可抗力的な形で書店を去る、と言うことでもなかったら、多分、私は『嫌だ、嫌だ』と言いつつも、書店で働き続けていたと思います。はい。

 

嫌だったけど、でもシフト的にはめっちゃ楽だったし(汗)

『バイト行ってくる~』とか嘘ついて、ほとんど毎日のように図書館に引きこもって、本やら漫画やら読みふけるような毎日だったのでね、はい。

 

あー・・・でもお金のこと考えると、やっぱり働かざるを得なかったのか・・・。

あの頃は、書店勤めで5万くらい、そして家で文章書く内職してて、それで月5万くらい稼いでいたので良かったんですが。

ちょうど、書店をクビになった頃くらいから、文章を書く内職の方の依頼数がぐっと激減してしまったので、あのままだったら私、確実に破産していたわけで。

そうなるとやっぱり、嫌でも書店以外のところで働かざるを得なかったと言うわけか。

 

お金がないとね。やはり、私のような物欲が強い人間、そして自分を励まし、元気づけてくれる対象にはお金を使いたい、と言う人間にとっては、なかなか厳しいですわ。

 

そう言う意味では、ほんと、今、こうして働けていることには、収入を得ていられることには感謝しかありません。

 

・・・読書感想文の放出の最後が、思わぬまとめになりました(笑)

 

ではでは。今回はここまででございます。

読んで下さりありがとうございました!