tsuzuketainekosanの日記

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藤原啓治さんを偲んで~私が印象に残っているキャラクター

と言うことで、今日は先日亡くなられた藤原啓治さんを偲んで、私が印象に残っている藤原さんが演じられたキャラクターとか、いろいろ語っていきたいと思います。

 

まぁ、あれな。

 

藤原さんの訃報はワイドショーとかニュースとかでも取り上げられてはいたけど、正直、新型コロナのせいで薄れてしまった感が拭えない。そして何より、何と言うのか、こー、『クレヨンしんちゃん』の野原ひろし、というひとつの役だけがクローズアップされていて、まぁ、それは確かに納得できるんだけど、氏の代表的な役とも言えるからわかるんですけど、何と言うか、なんかそれで、こー、藤原さんの役者としての素晴らしさとか、貴重さとか、そう言ったものがどうしてもうまく伝わっていないような気がして、まぁ、これはアニメを見ている人とそうでない人、ゲームをしている人とそうでない人、洋画の吹き替えに触れている人とそうでない人とでは、どうしても温度差があるのは仕方ないんだろうけど。

 

土田晃之さんだったか。番組か何かで藤原さんの訃報に対して語られていたのだけれど、この人のその言葉が、いちばんしっくり来て、ちょっと安心したと同時、やっぱりアニメを視聴していない人にとっては藤原さんと言うのは一声優でしかないのかなぁ、と思ったりして、なんか悔しいなぁ、と思ったり。

 

と、長々前置語ってきましたが、ふふ。こんなこと語っておいてなんですが、私、『交響詩篇エウレカセブン』も『鋼の錬金術師』もまだ見ていないんですよ(死)。藤原さんがCVを担当されていた代表的なキャラクター、それが登場する作品名としてこの2作品が挙げられていることが非常に多かったのですが、私、またどっちも視聴していないんですよ!(ちーん)

 

・・・申し訳ない。そんな私が、あんなえらそうなことを語ってしまって、本当に申し訳ない・・・。

 

いやしかし、こういう言い方は語弊があるかもしれないけれど。

これから新しい作品に。それもとびきり評判が高い作品に。

そして何より、私がまだ知らない藤原さん演じるキャラクターに触れることができると言うのは、これはこれで、とても幸せなことなのかもしれない。

 

と言うことで、とりあえず『交響詩篇エウレカセブン』を見てみようと思う。いや、この作品に関しては、本と、いつか見てみたいと思っていたんだ。ほんとに。

 

はい。そんなこんなで、じゃあ、私が印象に残っている藤原さん演じるキャラクターは誰か、と言うとですね。

 

まず、ぱっ、と浮かんできたのが『だがしかし』の鹿田ヨウでして。いや、自分でも何でこのキャラクターが浮かんできたのかわからないんですけど(笑)。

 

鹿田ヨウって、何だろ。藤原さんが得意とされるキャラクターのひとつだと思うんですよ。いい加減で、だらしなくて、スケベで(笑)、でも藤原さんが演じられると、そう言うキャラクターですら、どこかかっこよさが滲んでしまうと言うか、そしてそのかっこよさから、どうにもこうにもいい加減でだらしなくてすけべで、ともすれば変人なのに憎めない感じが出てきてしまうと言うか。

 

野原ひろしは父親ですが、この鹿田ヨウと言うキャラクターも父親なわけで、他にも藤原さんはたくさんの父親を演じていらっしゃいます。とすると、もしかしたら藤原さんの演技と言うのは、どこにでもいる父親ででもそれ故、多くの人が理想とする父親、等身大の父親、それを体現することかできるものだったのかもしれないなぁ、と今になって思うのです。はい。

 

もうひとつ、父親キャラクターとしてとても印象に残っているのが『Dr.STONE』の石神百夜ですね。これなんて、本とつい最近じゃないですか・・・そう思うと、だから余計に訃報が信じられないと言うか何と言うか。

 

石神百夜。うーん、これもまた本当に良かった。とにかく息子に対する、時を経た、父親の不器用で、でも希望と信頼、そして愛情がひしひしと藤原さんの演技からは伝わってきて。息子を自分の子どもとしては勿論のこと、ひとりの人間として信頼している、信頼に値する人間だと信じている、その『人対人』の熱い感情のやり取りのようなものが、たまらなく胸を熱くさせた。でも、かっこいいんだけど、どこか肩の力が抜けていて、そこが藤原さんの演技の、最大の魅力だと思うんだよなぁ~。

 

かっこいいんだけど、肩の力が抜けている。そこから余裕のようなものが、あるいはキャラクターによってはどうしようもない諦念のようなものがうまれてきていて、それがまたかっこよさや、あるいは悲しみなんかをうみ出していて。ひとつの演技が、キャラクターが持つ別の性質なり魅力を引き出す、とでも言いますか。はい。

 

ってかなぁ・・・しつこいようだけどなぁ・・・『Dr.STONE』って、本と、つい最近の作品ですよね・・・勿論、アフレコの時期はもっと早かったのかもしれないけれど・・・それなのに、なぁ・・・うーん・・・本当に信じられない。

 

で、父親ではないですが、若い人を時にやさしく、時にぶっきらぼうに、時に不器用に、時に突き放すように、しかし見守る、と言う役もとても多く担当されていたように思います。そんな役で印象に残っているのは『進撃の巨人』のハンネスですね。

 

ハンネス。代役として演じられた津田健次郎さんの演技も素晴らしかったのですが、やはり彼の、あの最期のシーンは、藤原さんに演じて頂きたかったなぁ。

 

なんだろうなぁ・・・ハンネスは、一見すると諦めの人、だと思うんです。うん。でも物語を知っている方たちはご存じだと思いますが、勿論、そんなことはなくて。ハンネスの中にも、エレンたちとはまた違った捨てられない思いや願いのようなものを抱いていて。エレンを助けた時に、勿論、それはエレンの母親の頼みもあったけれど、巨人に対しての圧倒的な恐怖心もあって立ち向かうことができなかった、というその事実が、ハンネスにとってはものすごく負い目のようにもなっていて、だから諦めを装うしかない、そういう生き方を選んだ人なんだろうなぁ、と言う気が私はするのです。はい。その辺りの微妙なニュアンス、思いはある、だけど諦念もある、その天秤がゆらゆらと揺れている感じと言うのを、藤原さんは見事に演技で表現していらっしゃったよなぁ、と思うのです。

 

ハンネスは、今の自分よりも、飲んだくれで、兵士としては役に立たない自分の方が良い、と述べています。一方でエレンにとっては、ハンネスがそうであった頃の平穏と言うのは、実はまやかしでしかなかったわけです。

 

この両者の思いの違いと言うのは、何だろうなぁ~、年齢とか、考え方とか、生き様とか。経験とか。そう言ったものの違いを如実に表しているようで、私はとても好きです。うむ。ハンネスにとって、エレンの考え方や生きざまと言うのは、理解できるものではあって、だけど途方もなく危うく、眩しく、それ故に疎ましさすら感じて、でも、どうかそれが叶うようにと祈らずにはいられないようなものだったんじゃないかなぁ。

 

それからもうひとつ。見守る・・・と言うのとは少し違うかもしれませんが。見守る、と言うよりも、むしろ見守りつつ引っ掻き回して、主人公が七転八倒するのを楽しんでいると言う感じがするような気もするのですが(笑)『四畳半神話大系』の樋口師匠もこれ、印象深いんですよ。

 

『良くて仙人、悪くて貧乏神』とは主人公である『私』による樋口師匠の評ですが、とにかく飄々としていて、つかみどころがない。でもどこか高貴さ、人離れした能力の高さ、そして何より人懐こさすら感じさせるようなあの笑顔・・・と文字にすれば簡単ですが、実際はとにかく『謎多き人』としか形容できないような樋口師匠。

 

しかしアニメでは、藤原さんの実に巧みな、お見事!としか言いようがない演技によって、見事に『樋口師匠』としてそこに実在していたと言うか。悠然さ、飄々さ、それとは正反対のどこか下世話くさい感じ、胡散臭い感じ、樋口師匠を形作るそうしたキャラクター性を、本当に藤原さんは見事に演じて下さっていて。

 

四畳半神話大系』に関しては、もう声優さんのキャスティング、演技は言うことないんですよ。本と、原作の小説通りの声なんですよ。その中にあって、しかし藤原さんの演技と言うのは、人として何かを超越しそうになっている樋口師匠そのまま、何か超越した『力』のようなものを感じさせるほどだったなぁ、と。諏訪部順一さん演じる、犬猿の仲、城ヶ崎先輩との自虐的代理代理戦争の時のやり取り、演技の応酬も、楽しかったよなぁ。

 

はい。と言うわけで、藤原啓治さんが演じられたキャラクターで、私の中で印象深いキャラクターについて語ってまいりましたが・・・いかんせん、いわゆる代表的なキャラクターについてはほとんど触れていないので、なんか記事としてはすっからかんな内容であることは否めませんな・・・申し訳ない。

 

とりあえず本と、アレ。アマゾンプライムで『交響詩篇エウレカセブン』見るわ。まずはそこからだな。はい。

 

最後になりましたが改めて。

藤原啓治さん、今まで本当に、素敵な演技をありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。