tsuzuketainekosanの日記

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『バビロン』の感想~善とは、悪とは、その答え

と言うことで、『バビロン』最終回を視聴しましたので、その感想を今日は書いていこうかと思います。

全12話ながら、なかなか変則的な放送スケジュールでしたね。

衝撃の7話から1ヶ月くらい、間が空いたのかな。

曲世愛役のゆきのさつきさんが、『この間と言うのは、正崎さんが立ち直るために必要な時間』と言うようなことをおっしゃっていたのを、何かの記事で見かけたけれど。

 

最終回を見終って思うのは、その感覚があったからこその8話からの展開だと言うような気がして、そう思うと、あの間と言うのは良かったんだろうな、と思うのです。

でも同時、7話から間が空いてしまったことで、何と言うか、物語も7話で終わってしまったような感覚を個人的には抱いてしまいまして。はい。

なんてったって、あの7話は本当に衝撃的でしたからね。そして物語的に言えば、ものすごく語弊があるかもしれないんですが、あんな見せ場、盛り上がり方、無いですからね。

そう言う意味では、7話で最高潮を迎えてしまって、以降の8話からは、何か物語の視点がぶれてしまったような気がしたような気も、個人的にはしました。はい。

 

そう、8話からは舞台がアメリカ、更に登場人物が外国のお偉いさんたちに移るんです。そして途中から正崎さんもそこに合流すると言う形なんですがね。

 

で、お偉いさんたちが何を語り合うかと言うと、自殺法導入の如何から、善とは何か、悪とは何かと言うことを語り合います。ただ一方で、やっぱり海外でも曲世愛の暗躍は続いており、とうとうその毒牙は・・・と言う流れから、ラストになだれ込むと言う展開です。

 

で、ここで個人的にとても面白かったのが、『良いとは何か。悪とは何か』をお偉いさん、特にアメリカ大統領が考え、そこにひとつの結論を出すのです。

ただなぁ・・・個人的には、その答えには納得できなかったと言うか。

ネタバレです。

ネタバレですが、アメリカ大統領さんは『良いとは続くこと。悪とは終わること』と言う答えを出すのです。

 

うーん・・・。

続くのが良いのであれば、曲世愛のような存在が続くことすらも、良いことになりはしないか?

終わることが悪であるのならば、自殺ではない人の死も、一生を終えるという、その尊さすら、また悪にはなりはしないか?

『終わること』ではなく『終わらせること』が悪なのではないかな、と思ったりして、なんか、個人的には『うーん・・・』と思ってしまったりして。

 

ただこの結論があってからの、あのラスト。

正崎さんがある人物をああしてしまい、そこから『悪い子』って流れは、めちゃめちゃにんまりしてしまいした。はい。

 

あとですね。その、お偉いさんとか、ラストではアメリカ大統領と一人の少女が正義と悪、自殺の善悪について語り合うのですが、そこには当然、言葉の壁が立ちはだかるんですよ。

で、作中では通訳さんが活躍しているんでしょうね、その辺りは、特に言及なくやり取りは繰り広げられるんですけど・・・。

言葉の壁って、大きくね?(どーん)

なんぼ通訳さんが有能でもさ、やっぱり、こー、言葉の違いによるニュアンス、微妙な解釈の違い、頭で感じることじゃなくて肌で感じる感触みたいなものの違いって、大きいと思うのよ。

まして『善と悪』『自殺の善悪』と言う、デリケートな話題を語り合うにおいて、そのニュアンスが完全に無視されてしまっていて、果たしてうまいこと行くのかどうか、と言うのが、もう個人的にめちゃめちゃ気になってしまいましてね。

いや、まぁ、アニメやら小説やらでこんな現実的なこと言い始めたら、しようがないんですが・・・はい。  

 

あと、これは私の見方が悪いのかもしれないんですが・・・。

結局、7話において曲世愛がなした残虐な犯罪と、自殺法の善悪と言うのは、比較するのはあまりにも無理があるような気がして。はい。 

何と言うか自殺の善悪と、うーん、言葉にするのが難しいけれど、こー、犯罪としての悪?と言うか、こー、他人の命をいとも簡単に傷つけ、終わらせると言う悪とは決して一致しないわけだし、そのあたりがごっちゃになってしまっていたのが、個人的には残念だったなぁ、と。

 

勿論、自殺法と言うのはこの作品における大きな要素のひとつです。

でも7話のあの展開があってしまって、もはやサイコパスにも近いような曲世愛の存在が鮮烈に視聴者の脳裏に描かれてしまった以上、あえて正崎さんが『曲世愛』と言う、ただひとりの悪、誰が何と言おうと、正崎さんにとっては悪以外の何者でもない悪にがむしゃらに立ち向かう、と言う話でも良かったんじゃなかろうか、と思ったり思わなかったり。

 

はい。まぁ、一応の結末は出た最終回ですけれど・・・。

正直、はっきりとした、さっぱりとするような結論は出ていません。

 

ただ私がひとつ思ったのは、 もしかしたら曲世愛は、ただ寂しかっただけなのかもしれないなぁ、と。

 

彼女の思春期時代の頃が作中では語られていて、彼女にしたら、最初は自分でも『そんなつもり』はまったくなくて、でも周囲は『そんなふう』に見るわけで、だんだん、自分でも『そんなふう』だってわかり始めてきて。

 

だから『そんなふう』な自分を面白がるようにして、でも、本当は『そんなふう』じゃないってわかって欲しい、誰かと普通に対話をしたい、してもらいたいと言う思いもあったのかもしれなくて、そこで出会ったのが正崎善と言う人間であったんじゃないのかなぁ・・・とか思ったりもしたんですが。

 

まぁ、そんなことはないか(笑)

 

結局、曲世愛は曲世愛なんですよ。はい。くわばら、くわばら。

 

ちなみに。ちょこっとネットで調べてみたところ、原作小説とアニメとでは、ラストが大きく異なるようですね。成程。

気になる方は、ぜひ、小説を読んでみてはいかがでしょうか。

私は・・・まぁ、いいや(苦笑)

 

はーい。と言うことで『バビロン』の最終回の感想でございました。

個人的には、やっぱりこの作品では『だって同じ人間でしょう?』と言う言葉の恐ろしさをまざまざと感じたのが、いちばんの印象です!

私は二度と、この言葉を前向きには解釈できないと思うよ!