tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

失われた日常や時間~改めてご冥福をお祈りします

帰宅後、ニュースを見ると、京アニ事件で亡くなられた方の内、10名の方のお名前が公表されていました。

 

事件後、しばらくしてから、ネット上でも『××さんは生きているらしい。親族により生存確認済』とか『○○さんは連絡が取れないとのこと』などの情報が錯綜していて、個人的には『その気持ちはわかるけど、でも、なんか、なんか違うような気がする』と言うような、もやもやした気持ちでした。

 

亡くなられた方、全員の身元が明らかにされた際にも、『お名前を明かして下さった方が、変な言い方かもしれないけれど、個人的には気持ちに整理が付けられるような気がする。でも、ご遺族の方がそれを望まれていないのであれば、お名前は伏せられたままの方が良い気もする』と言うような気分でした。

 

そして今日のニュースです。ご遺族の方の意向を確認し、同意が得られた方のみと言う前置がなされた上で、ニュースキャスターさんによって読み上げられるお名前の中には、私が作品を通して存じ上げている方のお名前もあり、その瞬間、『あぁ、そうか。亡くなられていたのか。亡くなられてしまったのか』と言う、すとん、と何かが落ちてきたような、あるいはどこかへと落とされたような衝撃がありました。

 

年齢も性別も、そして経歴も、携わってきた作品もバラバラの方々で、でもだからこそ、そういう人たちが日々、時に黙々と、時に意見を戦わせながら、あるいは熱く語りあいながら、心血を注いで、理想とプライド、そしてアニメへの愛を胸に、あのスタジオで作品を作り上げていらっしゃったんだろうな、と言うことに思いが向かいました。

 

その時間は時に辛く、苦しく、悔しいこともあり、でもそれは同時にきっととても楽しくて、かけがえのない時間だったのだろうな、と。そうした時間の積み重ねがあのスタジオにはあり、その積み重ねによって生まれつづけていた日常が、今回の事件では奪われ、断たれ、失われてしまったのだろうな、と。

 

私と同年代の方もいらっしゃったし、私より人生の先輩の方もいらっしゃった。反対に、私より年下の方もいらっしゃって、その方たちは大学卒業後、今年、京アニに入社したばかりだと知りました。

 

失われた日常も、時間も、そして命も。

それらを賭けて作られてきた作品の一部も。

これから世に出るはずだった作品の卵たちも。

もう帰ってこない。

 

どうしてこんなことが起きてしまったのか。

日常の時間の中で、どうしてこんなことが、平然と、普通のような顔をして、起きてしまったのか。

 

犯人の動機云々とかではなく、何と言うか、私はあまりその存在は信じていないんですが、本と、神様とやら、あんた一体、どこを見てたんだよ、何を思ってるんだよ、何でこんなことを起こさせてしまったんだよ、どうにかして止めようがなかったのかよ、どんだけ無力なんだよ、クソが、とでも言いたいような気持ちでいっぱいです。

 

これは今回の事件に限った思いではないのですが。

世の中、本と、あまりにも理不尽な事が起こり過ぎているので。

それでもやはり、京アニと言う、自分の人生とは切っても切り離すことができない存在が、あまりにも理不尽に、深く深く傷つけられた事件だからこそ、より強く、そう思ってしまいます。

 

改めて亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

どうか、どうか安らかに。

 

そして、たくさんの作品を作り、遺して下さり、本当にありがとうございます。

その作品を見ることで、私はあなた方の生きた証に触れることができ、そして何度見ても色褪せることがない、作品の持つ魅力に心を打たれることができます。

 

本当に、本当にありがとうございます。

 

私だけではない、日本中の、世界中の京アニファンの思いが、どうか、亡くなられた方、そして今なお、治療を受けていらっしゃる方に届きますように。

そしてそれが、少しでも前向きな力となってくれますように。