某BLCD大賞にBLCDとしてノミネートされていた作品、及びブログで読ませていただいた感想が素晴らしかったので気になった作品のコミックを買いました。
その内の2作品の感想を昨日、お送りしました。
で、本日は残る1作品の感想をお送りいたします。
それが一ノ瀬ゆまさんの『神様なんか信じない僕らのエデン』です。
えー、ここからしばらくする話は、実にどうでもいいお話です。実にどうでもいいお話なのですが、この作品に対しての感想を書くには、このどうでもいいお話は絶対に避けて通れない。そう思ったので、恥を承知で書いていきます。
正確な年数と言うのは覚えていません。ただ高校生の頃からBL漫画を読んできていた私には、一時、それらを避けていた。それらを意識的に手に取らないように、読まないように、何なら目にすらしないようにしていた時期がありました。
『大好きだけど大嫌い』『読みたいけど読みたくない』そんな時期です。
なんでそんな複雑なことになっていたのかと言うと、理由は簡単です。
素晴らしいBL漫画に対して嫉妬心を抱いていたからです。『自分にはこんな作品を描くことは絶対にできない』『こんな作品を生み出せる作者さんが、ただただ羨ましくて、そして悔しい』と言うような感情を抱くようになっていたからです。
かつての私は小説を書いていました。主にはオリジナルのBL小説です。そして私には絵心と言うものが本当にありません。それこそ産まれる前に母親のお腹の中に置き忘れてきたのではないか、と真剣に思いたくなるくらいに絵心がありません。
父はめちゃくちゃ絵心あって上手だし、母も人並み程度には絵が描けるのに。
『〇〇さん、ふざけてないで真面目に描きなさい』は、小学1年生の頃。授業で林檎の絵を描く課題があり、一生懸命、それを描いたつもりの私に対して当時の先生が言い放った言葉です。
それくらいに絵心がない。とにかく描けない。本当に絵が描けないのです。
声優の小林ゆうさんくらいに突き抜けた破壊力のある絵心だったら、まだ救いがあったものの。それすらない。本当に描けない。頭の中に浮かんできたそれを、絵として表現することが全くできないんです。
小林ゆう画伯の絵は、あれはもはや芸術だと思うの。
そんな私にとって、そもそもとして『絵が描けて、それで物語を紡いでいける人』『絵が描けて、そこに登場人物の心情を込められる人』である漫画家さんは『羨ましい』『凄い』存在であり、だからこそ身勝手な嫉妬の対象でもある、そんな存在なのです。
絵が描けない、絵心が壊滅的に無い私は、小説で、文字で、物語を紡いでいって、登場人物たちの心情を表すしか術がなかった。でもそれでも、今から思うとそもそもとして比較すること自体がナンセンスなのですが、『私の書くBL小説は、絶対的にBL漫画には敵わない!』『絵表現と文字表現であれば、圧倒的に絵表現の方が有利じゃん!』とひとりで勝手に決めつけて落ち込んでいた。
その結果として『もうヤダ・・・BL漫画、読むのしんどい。全然、読んでいても楽しくない。ただただ悔しいし、自分の絵心のなさ突きつけられようでしんどい』と思うようになってしまい、意識的に避けるようにしていたんです。
これがね、BL小説だと、何と言うか。これまた振り返ると『おまえ、その自信はどこから来てるんだ』と突っ込みたくなるのですが(苦笑)
『同じ文字表現だもの!土俵は同じだもの!だから私も、頑張ればこんな素晴らしい小説が書けるかもしれないじゃん!』と妙なポジティブさ故に、それほど嫉妬心は抱かなかったのです。
ミステリー小説に関しては『私は頭悪いからね!こんなトリックは、そもそもとして思いつけないもの!そもそも勝負すら挑んでいないわ!』とそもそも白旗を挙げていたので読み続けられていた。
はい。てなことでそんな時期もあったのですが、それから月日は流れ。当時、オリジナル小説をやり取りしていた文通友達さん(文通!あぁ、なんて懐かしい響き!)とも『さようなら』をした結果、私はすっかり小説を書かなくなりました。
書かなくなってからも、そして今も『あ~、小説、書きたいなぁ~』と心がさわさわすることが全くないとは言い切れないのですが、それでも書かなくなったし書いてない。
そしてそうなってからしばらくして、またBL漫画を読むようになってからは、実に心穏やかに(笑)『はぁ~、今はこんなにたくさんの魅力的なBL漫画があるのかぁ。BL漫画を描かれる方もたくさんいらつしゃるんだなぁ』と楽しめるようになった。
めでたしめでたし、です。
はい。そんな具合で『神様なんか信じない僕らのエデン』です。
BLCD初心者の私からすると『CV熊谷健太郎さん×CV小野友樹さんと言う組み合わせが、なんだかとても珍しいと言うか、新鮮な気がした』と言う、実に安易な理由だけで原作に手を伸ばしたのですが。
さっき長々と書いた話、その当時の私。あるいはそう言う時期を経て、それでもなお小説を書き続けていた私が読んでいたら。
多分、嫉妬通り越して圧倒的な衝撃を前になすすべなく、ただただズタボロになりながら、えぐえぐ嗚咽漏らしながらお家に帰っていたと思います。そして多分『もう、あたい、小説書くのやめる』と勝手に断筆宣言していたと思います。
『あたい』って一人称、何気に好き(どうでもいい)
漫画が小説に対して持っている優位性。それがそこかしこに感じられる作品。だからこそ、曲がりなりにも小説を書いていた人間にとっては『小説は漫画に勝てない』を残酷なまでに突きつけてくる作品。そして私のような『絵を描くこと』『絵を描けること』に対して異常なまでのコンプレックスと羨望と嫉妬を抱いている人間にとっては、もうとどめを刺してくるような、そんな作品、否『漫画』だと、苦しくなるくらいに感じさせられました。
喬くんのモノローグから始まる物語の始まり方、その描写にしてもそうだし、喬くんとと西央くんの手が触れてからのコマ割り、2人の目の表情、動きに描写が集中してからの匂いの描写とか。
何より『オメガバース』と言う設定に振り回される2人の表情の描写が、これもう、どうあがいても勝てない。文字だけの表現では、絶対に勝てない。
いや、別に勝たなくてもいいし、そもそも『勝ち』『負け』と言う言葉を使うのがおかしいんですけど。
でも心底、私はそう思ったんです。そう思ったからどうしようもなく惹きつけられたし心を奪われたし、ひたすら『作者さん天才か』と言う、なんかもう畏怖に近いような感情しかわいてこなかったのです。
あ、いや、てか、どうなんだろ。一ノ瀬さんの他の作品を読んだことがないので、もしかしたらこの作品だからこその感想なのかもしれないのですが。
この作品に関しては本当に1ページ、1ページ、1コマ1コマの絵が『絵画』のようにすら感じられたくらいです。
そしてお話もめちゃくちゃ衝撃的でした。『人類初のαとΩ』って、これもう、どうしたらそんな物語としての設定を思いつくのか。オメガバースものがBL作品においてもジャンルとして確立されている中、このアプローチを思いつかれた一ノ瀬さんの作家としての発想力が怖い。凄い。
だから非常に壮大なお話ではあるんです。だって人類初のαとΩ、その誕生を描いているんだもの。
ただ非常に壮大なお話ではあるのですが、そこにちゃんと、しっかりと、人類初のαである喬くんと、人類初のΩである西央くん。2人の少年の感情が、意味を持って存在している、壮大な物語の中にあって役割を果たしているのが、またこれ凄い。
そしてまた喬くんと西央くん。2人の少年の、その等身大の不器用さであったり青臭さであったり。未熟さ故に、走るしかない。一生懸命しかない。逃げるしかない。隠すしかない。ぶつけるしかない。
そう言うのがもう本当に瑞々しく描かれているからこそ、壮大な物語でありながらも、同時にそれに振り回されていない、その設定に振り回されていないだけの恋愛物語としての読み応え、魅力も有り余るほどに感じられる。
そのバランスのとり方、描き方ってのが、もう完璧の一言。
『西央くんは世界でたった1人の俺の異性です』
喬くんが物語の終盤、西央くんに口にする言葉ですが。
ってかここのシーンも、これもう『天才か』と思いました。
『性』と言う漢字の部首である『りっしんべん』には『感情や思考と言った、心の動きを表す』意味があるのです。『性』って聞くと、どうしても『男性か女性か』的な、機能的、生まれつきの性別を意味する色合いが強い。そうした場面で使われることが多い漢字ではあるのですが。
『りっしんべん』にはそう言う意味があり、その隣に『生』と言う字があって成り立っていると知ってからは、私自身は『性』と言う漢字は『心の生き様』を意味する漢字だと思っています。
機能的、役割的に分類される男とか女とか関係なしに、その人の心。それが生きる様子、それそのものが『性』なのだと。
漢語辞典、面白いよ!いろんな漢字の成り立ちが知れて面白いよ!
自分たちの体に、心に何が起きているのか。わからないまま、ただひたすらそれに振り回されていく2人。だけど振り回されていきながらも、やがて2人の間には、互いに対しての明確な気持ちが生まれていきます。
ただひたすらに相手を思う、恋しく思う、大切に思う、独占したいと思うその気持ちに2人は戸惑い、特に、自らの感情を言葉に出せない、出すことが許されていなかった、だからそうしてこなかった西央くんは、最後の最後まで、その自分の気持ちに戸惑い、秘かに振り回されます。
その流れを経ての、喬くんのこの言葉です。
天才か。
作中、喬くんが『普通』に対して西央くんに語るシーン。
あそこで喬くんが話している内容も含めて、この喬くんの台詞。西央くんに対しての真摯な気持ちを伝えた台詞には、それこそやはり、とてつもなく壮大な、私は感じずにはいられなかったのです。
なんだろうなぁ。
1人1人の『性』、そのすべては、ただそのままで愛されるべきものなのであると言うような。そんな力強く壮大なメッセージすら感じたと言うか。
すんごい広くて深い愛情、それを感じたのであります。
またその愛情は、あくまで個人的な意見なのですが。オメガバース作品の中ではどうしても、αに『救われた』感の強いΩと言う立ち位置。
そこに対しての愛情と言うか。『αに救われたΩであると同時、αを救ったΩであり、そこに立場としての違いなんてない』と言うメッセージをも、私は感じました。
尤もそれが描けるのは、やはりこの作品が『人類初のαとΩ』を描いているからだとは思うのですが。
ってかこの言葉、こんな言葉を口にできるあたりが、もう喬くんの喬くんたる所以なんだろうなぁ。
海よりも深く、山よりも高い愛情・・・!
てなことであまりにも作品に打ちのめされたので、YouTubeでドラマCDの視聴動画なんかも視聴してみました。
西央くんが小野さんと言うのは、作品を読んでいる内『もうぴったりすぎるやん!』と言う思いがこみあげてきて仕方なかったのですが、その通りでした。
ぴったりすぎでした。美人だけど決して女々しくない。だけど脆さと弱さ、不器用さ。そこからくる喬くんに対しての溢れんばかりの感情。そう言うのが視聴動画の短さの中ですらちゃんと感じられて最高オブ最高でした。
そして喬くんは熊谷さん。こちらに関しては漫画を読みながら違和感はなかったものの『どんな感じなのかなぁ?』となかなか想像だけでは補えない部分もあったのですが。
こちらも最高だったよ・・・!熊谷さんの、あの清潔感と温かみのあるお声が、不器用だけどまっすぐな喬くんにぴったりだったし。とにかく真面目で、だけどとても柔らかな人でもある喬くんの、その部分をしっかりと感じさせる演技も最高でした。
嫉妬しちゃうシーンの台詞回しとかも、普段の温厚さ、優しさがあるからこその凶暴さみたいなのが感じられて、もうめちゃくちゃ萌えました。
あー・・・これまたナイスキャスティングだわ。
はい。てなことで漫画は第1シーズンとして上下巻。そして第2シーズンの1巻、合わせて3冊発売されているのですが。
『3冊目を読んじゃったら続き、当分待たなきゃいけないじゃん!そんなの地獄じゃん!』と頭を抱えた結果、3冊目はいまだ購入できておりません(笑)
なので早く、早く、続きの続きを出して下さい!
そんなこんなでこの記事を書くにあたって、本作品のBLCDの販促動画を検索しまくった結果。
YouTubeが大量のBLCD販促動画、視聴をトップページでおすすめしてきて、ありがたい悲鳴をあげております。
漫画じゃないけど『春になるまで待っててね』とか、どうあがいても私の好みストレートど真ん中、CDも熊谷さんと天崎滉平さん出演とか、もう頭を抱えるしかありません。
やめろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!BLCD初心者の私を惑わすんじゃない!
やめろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
嘘です。やめないで。るんるん。
あと前々から読みたかった作品を見つけたので、コミックシーモアを久しぶりに利用しようと思ったのですが。
誰か、ログインパスワード、覚えてませんか?
ではでは。本日の記事はここまでです。
読んでくださりありがとうございました!