tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

夏アニメ、個人的に印象的な楽曲~OP編

はーい。そんなこんなで毎クール恒例の記事でーす。

タイトルに書いた通り、本日は個人的に印象的な夏アニメのOPについて、やんややんやと好き勝手語っていきます。

 

いかがですか?夏アニメ。なんだろ。割と春クールが『どの作品もクリーンヒット!見事にどの作品もホームラン!』と言う感じだったのですが。

そこと比較すると夏アニメは『全体的に小粒だけれど、その小粒さが様々な味わいを放っている』と言う感じがしています。

自分でもこの感想、ちょっとよくわかんないけど。

 

そんなこんなで(逃)早速、夏アニメ、個人的に印象的なOPです。

まずはこちらの作品の、この楽曲から!

 

・『ソングオブザデッド』KANA-BOON

・・・ポジティブ過ぎるゾンビ作品として話題沸騰中の『ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~』のOPでございます。

『ゾン100 主人公』と検索したらサジェストで『頭おかしい』と出てくるのがなんとも切ないやら笑えるやらなのですが。

だだどうでしょう?もしこの作品が、語弊ある言い方にはなるかもしれませんが、普通のゾンビものだったら、こんなに話題になっていたか、と言うかそもそもとしてアニメ化されただろうか。そんな思いが個人的にはしてくるような気もします。

 

ゾンビの大量発生と言う、どう考えても、どうあがいても絶望的でしかない状況。だけどだからこそ『もう会社に行かなくていいんじゃね?』の一点のみで、その状況を圧倒的にポジティブに、パワフルに、縦横無尽に好き勝手駆け回っていく『頭おかしい』主人公の姿は、この作品だからこその、これまでのこの手の作品にはちょっといないようなタイプの主人公だと、勝手に思っています。

何より私自身は、この主人公、大好きです。勿論『いや、さすがにちょっとポジティブ過ぎやしないか』と苦笑したくなる部分もあるし、いくら大学ラグビー部だったとは言え、あの肉体の強靭さも『!?』となる部分もあるのですが。

 

それでも彼の、あのまっすぐさ。今まで色を失っていた時間、その全てを取り戻さんとする子どものようにまっすぐで無邪気な姿。そしてその思い。『人生は限られている』と言うことを突き付けてくるようなその姿、思いにはいろいろと考えさせられます。

同じマンションに住む夫婦さんの部屋が荒らされているのを目の当たりにした後。あるいは合コンしたCAさん達との別れを経験した後。彼の『悲しみ』『悟り』みたいなものが描かれていましたよね?それらを見ると、なおのこと、彼は『こんな状況だからこそ、アホみたいに、可愛らしい下ネタを連呼して喜ぶ幼稚園男児みたいに(どんなたとえ!)、徹底的に、大げさなくらいに楽しんでやろう。喜んでやろう。生きてやろう』とあえてしているのではないかな、と言う気もしてきて。

 

で、前置きは長くなりましたが(ほんとに)、そんな主人公の思い。ひいてはこの作品に込められている強烈なメッセージ。それが完璧な形で楽曲として表現されているのが、こちらのOPだと思ったのです。

いや、なんだ。もう曲が始まった瞬間から自然と体が躍り出しちゃう。頭を振りたくなっちゃう。なんかもう楽しい。よくわかんない楽しさが体に満ちていって、それがエネルギーとなって体中を駆け巡って、その勢いに蹴られるようにして叫びながら駆けだしたくなるような。曲自体がそんな、非常に強いポジティブさに満ち満ちている。

で、歌詞もラップを思わせる、音の一つ一つに言葉がはまっているのがただただ聞いていて楽しい。そして改めて調べてみたらこの歌詞も実に、この作品のことを、主人公のことが歌われていて、そこもお見事の一言。

 

今までのゾンビものにはなかった、実にカラフルな色遣い。鮮やかに色と言う色に溢れていく画面であったり、その中を思い思いの格好で、速さで進んでいくゾンビたちの姿。先週分の主人公たちの物語の振り返りを挟んでからの、ゾンビに追いかけられてもなお、イキイキとした表情で全力疾走する主人公の姿。そうした映像面でも、とにかく見てて楽しいし、圧倒的なエネルギー、ポジティブさを感じる。

『ゾンビものだけど、徹底的にポジティブ』『どこまでも、どこまでもまっすぐで明るい生命力に溢れている。ゾンビものなのに』と言う異色の作品。その幕開けを飾るに相応しい、この作品だからこその、唯一無二の組み合わせで生まれた素晴らしい楽曲だと思うのです。なんかほんと、聞いてて見てて、すごくエネルギーをもらえます。

 

・『憂う門には福来る』somei

・・・生活能力ゼロな頑張り屋さんの福沢幸来と、彼女に代わり家事一切を担う猫の諭吉。そんな2人の色々ありつつ、にぎやかで楽しい日々を綴った作品『デキる猫は今日も憂鬱』のOPでございます。

 

すごい好き(どーん)。いや、もうなんだろ。私としては『猫ちゃんと生活されている方、すべての憧れ、妄想が具現化したような作品じゃないか!』とすら思っているのですが・・・そんなこともないか。『いやよ!私の愛しい猫ちゃんが、あんな巨大化したら怖いじゃないの!』と言うツッコミも聞こえてきそうな・・・ごもっとも。

いや、でもあそこまで巨大化しなくてもいいので、一緒に生活している猫ちゃんが猫の姿のまま2足歩行して、喋れなくても人語を理解てくれて、家事を担ってくれたりしたら・・・最高じゃんか!

そんな最高も感じさせつつ、同時、私がこの作品を好きな理由のひとつには『何気ない日常』、それをそのまま描いているところにもあります。

『いや、拾ってきた猫があんなにでかくなって家事やってる時点で『何気ない日常』は壊れてるんですけど!』と言うツッコミもやはり、聞こえてきそうですが(苦笑)

 

この物語で描かれていることって、そんなに特別なことじゃないと思いませんか?幸来ちゃんの『お仕事イヤだぁ~』と言う気持ちも『もう家事なんて面倒くさいよ!』と言う気持ちも『家でだらだらしたいよ~』と言う気持ちも、私にはただただ共感しかない。そんな幸来ちゃんが、それでも日々、健気に仕事に向かい励む姿も、ただただ共感しかない。

そしてそんな幸来ちゃんを『ダメ人間』と思いつつ、猫缶のために家出はできないと言いつつ、ちゃっかり幸来ちゃんの生活を支えている諭吉のその気持ちも、ただただ共感しかないのです。

 

なんだろ。ものすごく2人の感情が身近なんですよね。

2人の中心とした物語。その中に登場する人たちの造詣であったり、その人たちが思っていることも、その関係性も、とても、何と言うか生活感に溢れている。

そのことで『こんな何気ない日常。それこそが何よりも尊く、幸せでかけがえのないもの』と言う作品のメッセージみたいなものがじーんわりと伝わってきて。毎週、くすり、とさせられつつも、時折、そのメッセージにどうしようもなく胸をぎゅっ、と締め付けられるような思いをする。そのバランスが実に素晴らしい作品だと思います。

 

で、このOPですよ。曲も良い。someiさんの、実に飾り気のない、まっすぐな感情をまっすぐに歌い上げている歌声も良い。聞いていて本当にすっ、と耳に届いてくる。心にすっ、と染みこんでいくようで。

そして何より歌詞が良い!良いってか、もはやずるいレベル。歌い出しの『たったひとつだけ』からもうダメ。なんか泣きそうになる私がいる(笑)

OPだから当たり前なんです。当たり前なんですけれど、だからこそ『someiさん・・・素敵な楽曲を本当にありがとう・・・(感涙)』と崩れ落ちたくなるほどに、とにかく歌詞が、この作品まんま。『作品=この歌』と言っちゃってもいいのではないか、とすら私としては思うくらいに、とにかく作品のすべてがこの歌にはぎゅぎゅっ、と詰め込まれているんですよ!

 

そして歌の最後の方では、何気ない毎日を輝かせている、その正体であるところの『愛』、それが高らかに歌われているんですよ。ここももう、私としては、一緒に生活しているねこさんのことを思い浮かべてしまって、歌詞を見ているだけでも泣けてくるし、あるいは幸来ちゃんから諭吉、諭吉から幸来ちゃんへの気持ちを歌っているのだろうと想像して、更に泣けてくると言う(笑)

絵もまた、ずるいんですよ!特に最後。花火を見ている幸来ちゃんと諭吉。最初に幸来ちゃんが諭吉に寄りかかってからの、その後に諭吉もちょっと幸来ちゃんの方に体を寄せる、と言うのがもう『あぁぁぁぁぁぁぁぁ!』なんですよ!

 

泣けるOPです。辛くて、苦しくて、寂しくて泣けるじゃなくて。『平凡な毎日』『大切な君と過ごす、なんてことない毎日』『だけど、だからこそかけがえのない毎日』、その素晴らしさ、素敵さに、温かくも胸が締め付けられる思いがして。

だから泣けてきちゃう。笑いながらも泣けてきちゃう。そんなOPだと思います。

 

・『Crack-Crack-Crackle』CLASS: y

・・・原作を1巻のみですが事前に読んでいた私としては『アニメ化されても、さぞかし面白いことだろうよ』と思い込んでいたのですが。蓋を開けてみたら、そんな予想を軽々吹き飛ばすほどの面白さ。制作サイドの才能と言う才能、想像力と創造力、それらが見事に原作と噛み合ってとんでもないことになっていた。そんな印象を毎話、毎話、受けている、それが『アンデッドガール・マーダーファルス』でこざいます。

いや、ほんとに。なんかほんと。『そうか。映像としてこんな見せ方もあるのか』とか『こんな見せ方、どうしたら思いつくんだ』と言うような驚きすら感じるくらいです。

あととにかく『鳥籠使い』一行の3人を演じられている声優さんの演技が、完璧なのじゃよ。

 

そんな作品のOPがこちらの楽曲です。初めて聞いた時『すごく韓流っぽい。K-POPっぽい!』とそちら方面に疎い私ですら感じたのですが、やはりそうでした。歌唱されているのは去年5月にデビューされたばかりの、韓国の7人組アイドルグループとのこと。

 

『作品に合ってない』と言う声も、私はネット上で目にしたのですが、なんかそう言いたくなる気持ちはわからなくもない。そんな気がしないこともない。歌詞も見てみたら、私としてはスリリングな恋愛の行方、その有様を歌っているように思えたから、『確かに。合ってないと言われれば、首肯したくなる気持ちはある』と思ったのです。

 

でも、なんです。この『絶妙に作品には合ってない気がする』と言う楽曲が、アニメ制作陣の手にかかった結果、見事に『アンデッドガール・マーダーファルス』と言う作品のOPになっている、と言うところが、ただただ凄い。

そしてその凄さの結果、『やっぱりこの作品のOPは、この楽曲じゃなきゃダメなんだよ。『絶妙に合っていない気がする』と言うところも含めて、それでも完璧に、作品のOPになっているこの楽曲こそが、この作品のOPなんだよ』と、自分でもよくわからない理屈でもってして納得させられているのが、また凄いんですよ。ええ。

天才か。このアニメの制作陣、本当に天才しかいないだろ。

 

一言でいえば本編同様、見せ方が巧み。うまい。最高。天才。あの怪しげなイントロから始まる楽曲に合わせて、曲の世界観を表現しながら同時に作品の世界観も表現されている。『絶妙に合わない感じのする』2つの作品の世界観を、物語を、見事に映像が、あるいは色彩がつなぎ合わせて合致させている。

なんだろ。ちょっとサイケデリックな感覚すら味わわせるような。そんな色遣いであり映像の見せ方だと思いませんか?極彩色の悪夢、その序章を見ているような。

 

それでいて、いやもしかしたらだからこそなのかもしれませんが、個人的にはめちゃくちゃ懐かしい感じがするのもたまらんのですよ。特に夜宴一行が映し出されるシーン。あそこのシーンの色遣いと言い、一行が横並びになっている絵とか、なんかもうどうしようもないくらいの懐かしさを感じて、にやにやが止まらないんですけど。

あるいは全体的な、この作品だからこそのいかがわしさ、うさん臭さみたいなもの。それが幼い頃『あれは見ちゃダメ!』と大人たちから言われていた、ありとあらゆる創作物を思い起こさせるからでしょうか!

 

とにもかくにもそんなわけで、とにかく見ていて楽しい。そして聞いていて楽しい。

先程から再三『絶妙に作品に合っていないような気がする』と書いていますが、この楽曲。楽曲単体としてはめちゃくちゃクセになる曲だと思います。コロコロ変わる曲調も楽しいし、言葉遊びのような、リズミカルな運びの歌詞も楽しい。一気にドラマチックな表情を見せるのも、楽曲の見せ方としては最高の一言。

その楽曲の魅力をも殺すことなく、しかし『アニメ作品のOPだからこそ』の見せ方で、作品の魅力もしっかりと伝えている。その結果として噛み合うはずのない2つの作品の世界観、それが見事に噛み合い、小さな違和感すら魅力として感じられるほどの『OP』と言うひとつの作品が出来上がっている。

そんな奇跡のようなOPだと思います。うーん、凄い。

 

てなことで以上3作品、3曲について語ってまいりましたが。

他にも語りたいOPがやっぱりあるので、そちらについても少しではありますが語っていきます。

まずは『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』のOP、Ayase×R-指定による『飛天』です。良いな。旧アニメのOPとED、その楽曲たちを知っている身としては『やっぱり『るろ剣』アニメのOP(EDも勿論)はこうじゃなくっちゃね!』とにやにやしたくなるくらい。

良い意味で、やっぱりこちらも『絶妙に作品に合ってない感』がある。あるんですけど、聞き込めば聞き込むほどしっかり作品の世界観が表現されているし、こちらもやはり、映像の力。アニメ絵の力。それが大きな役割を果たしていると感じます。

 

それから『うちの会社の小さい先輩の話』のOP、小林柊矢さんの『HONEY』も、めちゃくちゃ好きです。歌いだしの歌詞からして、もうずるいですよね。ずるい。

歌詞全体、もう甘々なんです。だだ甘。なんですけど、これが『年齢=恋人いない歴の2人』が繰り広げる物語、両片思いの物語を表現しているからこその、どうしようもない微笑ましさがある、と言うのも実にお見事。

あと『呪術廻戦 懐玉・玉折』のOP、キタニタツヤさんの『青のすみか』も、なんかもうずるい。お話の流れを知った上で初めて聞いた時にも、胸に突き刺さってくるような痛みを感じる、そんな楽曲だったけれど。

その全てをアニメで見てしまった今。『青春』が砕け、その欠片がバラバラの方向に散りゆくのを目の当たりにした今、改めて聞くと、そうして感じていた痛みすら愛おしいと思っている私がいます。

永遠に取り戻すことなど叶わない青。なのに、それでも今なお、この体の中に棲んでいて、それはどうしようもないほどに澄んでいる。

その痛切さに、ただただ言葉を失う、そんなOPです。

 

ではでは。本日の記事はここまでです。

読んで下さりありがとうございました!