もものすけ!
『活撃 刀剣乱舞』の劇場版、どうなってるか知ってるかい!?
可愛い。こんのすけも可愛いけど、もものすけも可愛い。
そんなこんなでそんなこんな。
3連休終了!
今日から4連勤です。
今月シフト初の、そしてシフト終わりの4連勤と言うことで、正直、嫌で嫌で仕方ありません。どうせならシフト始まりに4連勤でさっさと終わらせてしまいたかったよ。
くっは。
まぁ、仕方ない。
ぼちぼちと乗り切りたいと思います。
あとその4連勤中に新しいシフトが発表されますね。
毎月、私の寿命が確実に縮む瞬間です、新しいシフトを確認する時と言うのは。
クソが付くほど忙しい年末も控えているので、やっぱ今月に比べると4連勤は多いだろうなぁ。ただやたらめったらと人手は増えたので、そこでバランスがとられていることは期待したい。
お金は欲しい。さりとて働きたくはない(ちーん)
そんなこんなで11日なので読書感想文をお送りします。
本日は澤村伊智さんの比嘉姉妹シリーズ、その最新作である『ばくうどの悪夢』の感想です。
比嘉姉妹シリーズに関しては、このブログでも再三にわたり記事にしているので、よろしければそちらも見てみて下さい。
映画化もされた『ぼぎわんが、来る』(映画に際しては『来る』と言うタイトルでした)から始まって『ずうのめ人形』『ししりばの家』『などらきの首』『ぜんしゅの跫』がこれまでに刊行されています。そして11月に最新作として刊行されたのが『ばくうどの悪夢』でございます。
女性霊媒師である比嘉真琴と比嘉琴子。2人と2人の関係者が恐ろしい怪異、人に害をなす怪異に遭遇し、それに対峙していくと言うのが、シリーズを通しての大まかなあらすじです。
一応、ホラー小説と言う分類ではありますが、ミステリー的な騙しの仕掛けあり、サスペンス的な緊張感もあり。更には非常に強烈なテーマを孕んだ人間ドラマを描いているシリーズでもある、と言うのが個人的な感想です。
なのでめちゃくちゃ面白い。本当のどの作品も、私はページをめくる指を止めることができない経験をしています。『明日仕事だし、早く寝なきゃ』と思いつつ、しかし結局、最後まで読むのを止められず日付を超えてしまったと言う経験も。
どの作品も独立しているので、まぁ、どの作品から読んでもオッケーかとは思います。ただしシリーズもののお約束。先のシリーズにて、過去作のネタバレが描かれていることはあるので、ここはやはりシリーズ順に読んで頂いた方が賢明かと。
はい。長くなった。
てなことで最新作『ばくうどの悪夢』の簡単なあらすじです。
父の都合で東京から地方の田舎へと引っ越しをしてきた『僕』は、それ以来、悪夢に悩まされていた。そしてその悪夢に苦しめられると、現実でも、体に痣ができていることに気が付く。
『僕』はひょんなことから、クラスメイトの数人も、現実に影響を及ぼす怖ろしい悪夢に苦しめられていることを知る。やがてその内の1人が奇妙な死を遂げる。
悪夢が原因で彼は死んだのか。恐怖に震える『僕』たちは、『僕』の父を通して比嘉真琴とその夫であるライターの野崎と知り合う。彼女たちからもらったお守りで一度は悪夢から逃れることができた『僕』。
しかし今度は、不気味な黒ずくめの女性に襲われる夢を『僕』は見るようになる。その女性は自らを『比嘉琴子』と名乗り、夢の中で執拗に『僕』を追いかけてくるのだが・・・と言うのが、本作のあらすじです。
では、ここからは感想を。
できるだけネタバレは避ける、匂わせ的な表現、感想も避けるように努力はしますが『絶対に嫌!まっさらな気持ちで読みたいの!』と言う方は、今すぐ、この画面を閉じて頂くようお願いいたします。
『そう言えば、今の今まで、このシリーズにおいて絵に描いたようなハッピーエンド、誰しもが幸せになって、楽しい人生を送れるようになりました、そんな結末を迎えた話ってなかったよな』と言う。
そんなことに、今更ながらに気が付かされたラストでした。そしてそのことが持つ意味みたいなもの、それをまざまざと突き付けられ、考えさせられた、そんな作品でもあったなぁ、と。
その意味の部分に、本作のキーワードでもある『夢』、そしてそれに対する『現実』と言う言葉が実にうまいこと絡んでいて『お見事だなぁ』とも思った次第です。
人に害をなす怪異が登場し、それに日常をかき乱される。破壊される。時には命が危険にさらされる。身近な誰かがその怪異によって殺される。女性霊媒師が出てきて、その怪異と対峙する。
あまりにも派手で、そして現実に起きているんだけれども現実離れした出来事が、本シリーズでは描かれています。この作品『ばくうどの悪夢』もそうです。
で。
これだけ派手な、現実離れした出来事が起きて、その中心にいる怪異が結果的に倒されたとなれば、何か劇的な変化が発生していてもおかしくないじゃないですか。そこに携わっていた人の心の在り方とか、あるいは生き方に。
それこそ昔ばなしのように『悪い怪物は倒され、みんなは幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし』となっても、そんなハッピーエンドを迎えてもおかしくはない。
だけどシリーズ、思い返してみると、そんなハッピーエンド、わかりやすいハッピーエンドを迎えた作品はないんです。このシリーズ。
そして本作品も、個人的にはそうだと感じました。
そこにあるのは、怪異と言う存在が現れそれによって日常がかき乱されそれを倒すとと言う派手な出来事が起きたにもかかわらず、それ以前と何も変わらない『現実』であり『日常』なのです。
倦んだような日常。息苦しいだけの日常。なにひとつ、思い通りにならない日常。ただ生きて、生きて、生きていくしかない日常。現実。
そして本作では、そんな現実、日常に耐え切れない思いを抱いている人が見る夢。『幸せな悪夢』と言うものが登場しています。
あんな現実にはもう戻りたくない。あんな現実で生きるなんて耐えきれない。
それならずっと、醒めない、この幸せな悪夢の中で生きていたい。
ずっとずっと永遠に。
その登場人物の思いが、個人的にはめちゃくちゃ共感しかなかったです。本作品を読んでいた時の精神状況が酷かったことも関係していたせいでしょうが、本当にもう、寝る前この作品を読んで、さぁ、寝ます、となった時。
『あー。私も幸せな悪夢を見たまま、目覚めなきゃいいのになぁ~。ずっとずっと、その幸せな悪夢の世界で生きていけたらいいのになぁ』と真剣に思ったくらいです。
物語の終盤。1人の少年、ある要因から現実、日常、自分を取り囲むすべてに怒りとも悔しさとも、苦しみとも悲しみとも。諦念とも嫌気ともつかない、それらすべてが複雑に絡み合った感情を抱いている少年は、決断を下します。
自分はどちらの世界で生きていくのか。そのことに対しての決断を。
そして迎えた物語のラスト。それは再三、書いてきた通り、やはりハッピーエンドではない。ただただ以前と変わらない現実、日常がある。そこを生きていくしかないと言う、圧倒的な現実を突き付けられる。
ただだからこそ、『物語』の主役、その中心にいるのは怪異ではなく『おまえ自身』なのだと。
そんなことを、そんなあまりにも頼りなくか弱く、けれど力強いメッセージが描かれていたようにも、私は感じました。
怪異は確かに存在している。それに対抗し得る手段は、比嘉姉妹の持つような特殊な力なのかもしれない。けれどその怪異の力に取り込まれるな、魅せられるな、飲み込まれるな、屈するな。人として、そこに最後まで抗ってみろ。
そんなメッセージ。怪異の存在、その怖ろしさ、ある種の畏怖みたいなもの。それを描きつつ、同時、人の無力さ、そこから来る力みたいなものも伝わってきたと言うか。
おまえはどうしたい。
おまえは、どうしたい。
死にたいのか。生きたいのか。
永遠の幸せの悪夢で死んだように生きたいのか。
刹那の辛い現実で生き抜いて死んでいきたいのか。
だから何だろ。読後の、この、切ないような、それでいて確かに背中を押されるような感じは『ししりばの家』の読後に近いかな。
『ししりばの家』もハッピーエンドではなかった。それでもあの作品のラスト。愛犬に確かに支えられながら一歩を踏み出した登場人物の姿。私、あそこの描写、めちゃくちゃ好きだし、めちゃくちゃ泣いたんですよね。うん。
はい。
で。
作品では『幸せな悪夢』に囚われた、ある男の姿も描かれています。
でね。
物語の始まりは、この男が犯した大殺戮。無差別殺人事件。
それが、あまりにも生々しい筆致で描かれています。ここはほんと、かなり残虐、残酷なシーンなので、苦手な方はちょっと『うえぇぇぇ』となるかもしれません。
男はいわゆる、今の言葉で言えば『無敵の人』なんです。
で、私もかつて、親の脛をかじっている身なので衣食住の心配はしなくても良いと言う違いこそあれ、仕事もない、精神的な意味で居場所もない。話し相手もいない。そんな状況にあった時期があって。まぁ、それはすべて自業自得なんですけれど。
ぶっちゃけると、その時の精神状態って、本当にヤバかったんです。うん。
正直に打ち明けると、『暇だし家にいても肩身狭いから、歩いてこよう・・・外には出たくないんだけど。家にいても親にうっとしがられるだけだし』と外に出るじゃないですか。そうしたら幼稚園バスが停まってて、園児さんたちが降りてくるわけですよ、ぞろぞろと。
今なら『あー、可愛いなぁ。黄色い帽子が、ひよこさんみたいだなぁ。うふふ』って素直に思えるんですけど。
当時は、その光景を見た瞬間、なんかわかんないんですけど、猛烈な怒りとか虚しさとか、悔しさとかがこみ上げてきて。
『あー、刃物持ち込んであのバスに乗り込んだら、園児相手なら私だって勝てるかもしれない。そうしたらニュースで報道されて、少しはみんな、私のことわかってくれるかもしれない。仕事も馘になって、親にも白い目で見られて、朝、起きた瞬間から『なんでいるの?』みたいな目で見られて、話相手もいなくて、どうせ私のことなんて誰も気にかけてくれない、そんな私のこと、みんなわかってくれるかもしれない』って思ったんですよ。
いや、ほんと。今から振り返ると『引くわ。自分、引くわ』としか言いようがないんですけど。ほんとに。
仕事馘になったの、自分のせいだろって、ほんとに(苦笑)
でもほんと、そんな精神状態だったんです。
だからぶっちゃけると、この男が無差別に、ある場所にいた人たちを殺していくシーン。そこはただただ、かつての自分の・・・うーん、妄想、妄想と言うか、あまりにも身勝手な感情のぶつけ方、そのひとつの在り方を見ているようで、めちゃくちゃ心にずっしりと来ました。
自分より確実に弱い存在。純粋に力の弱い存在。それを狙ったと言うのも、もうほんと、かつての私、まんまやないか、と。
だから少なくとも私は、この男のことを『他人事』とは思えなかったのです。
『無敵の人』が残していた、ネット上での書き込み。
それがニュースなどで、『無敵の人』によって、あまりにも無慈悲で凄惨な事件が起こされると取り上げられることがあります。
本作品でもそのような流れが描かれているのですが。
その男が残していた書き込み、その一言。
<必要とされたかった。居場所がほしかった>
ただの甘え。苦しい思いをしているのはお前だけじゃない。努力をしろ。我慢をしろ。行動を起こせ。
そう断じ非難されて当たり前のこの言葉、男がネット上で漏らした、そこでしか漏らすことができなかったであろう、その言葉。
誰にともなく漏らして、ふわふわと、広大なネットの世界を浮遊して、やがては消えていくはずであったであろうこの本音。
それが私の胸には、すとん、と刺さりました。
幸せな悪夢に生きた男。
辛い現実を選んだ少年。
そして比嘉姉妹シリーズの主役の1人、比嘉真琴も、本作品では大きな決断を下します。
その決断によって本作品は『一応、終わりはしたけれど、その実、何も終わっちゃいないよね!これ、言っちゃえば『ばくうどの悪夢 前編』って感じだよね!』と言う終わり方、このシリーズにしては珍しい終わり方をしているのですが、っておいおい、ネタバレしないと言うお約束はどうした。
すいません(土下座)
ただ、その比嘉真琴や1人の少年と、悪夢に囚われた男の姿はとても対照的で。
この両者の違いは何なのだろう、と考えた時に浮かんでくるのが『誰か』の存在なのです。
自分も大切。
だけれど、その大切な自分の命を、言い方は難しいけれど、賭してでも、使ってでも、何かを伝えたい誰か。守りたい誰か。
そして共に在りたい、この辛い現実で、息苦しい日常で、それでも、いや、だからこそ共に在りたいと願う誰か。
『無敵の人』の圧倒的な孤立も、ニュースなどで度々、報じられますが。
物語でもそれが描かれているのが辛いし、だからこそ、やはりその圧倒的な孤立をどう防ぐのか。そこを考えるべきなんじゃなかろうか、と偉そうに思ったり。はい。
そんな存在があったからこそ、真琴も少年も、それぞれの決断を下せたのだろうなぁ、と思ったのでありました。
でも真琴の下した決断、そして取った手段は・・・切ないわ。これはあかん。ずるい。残される人間のこと、なにひとつ考えちゃないじゃないか。その思考の短絡さ、幼稚さ、身勝手さ、だけど不器用なまでの一途さが真琴らしくて、また泣けてくる。
はい。そんなこんなでなんだかよくわからない感想になってしまいましたが。
ほんと、なんかいろいろ考えさせられた作品でした。
エンタメ作品としてめちゃくちゃ面白い。
それでいてハッピーエンドを描かない、それが描かれないその意味や理由。それに思いを傾けることで、いろんな感情がこみ上げてくる。
そんなシリーズの魅力、シリーズらしさが存分につまっている作品だとも思います。
ぜひぜひ、これまでのシリーズ作品を読まれている方は、こちらも読まれてみて下さい。
いやー・・・しかしこれは続きが気になるぞ。
こんなにも『続き』を意識したような終わり方をした作品、シリーズの中では今までになかったもんなぁ。
うーむ・・・これはどうなるんだろう。
真琴がこうなった以上、次の主役は琴子さんと言うことになるのかなぁ。
どうなるんだ!
続きが気になるぞ!
はい。と言うことで本日の記事はここまでです。
次回は今年ラストの読書感想文になる予定、12月21日にお送りいたします。
よろしければ引き続きお付き合い下さい。
ではでは。読んで下さりありがとうございました!