『どうあがいても後味の悪い、真っ黒な絶望一色、逃げ場のない恐怖と悲しみと苦しみと後悔しかないエンディングで、それに押し潰されるようなミステリーが読みたい』
そんな衝動に駆られるがまま購入してしまいました。
文庫化まで待とうと思っていたんだけどね!
ミステリー作品としての評価が高いのは勿論のこと、『結末がとにかく絶望的』だの『後味が最悪』だのと言う評判も耳目にしていたので買っちゃったよ!
そんな具合で本日は去年末の各種ミステリーランキングに軒並みランクイン。去年のミステリー界を代表する1冊と言っても過言ではないでしょう。
夕木春央さんの『方舟』の感想をお送りいたします。
タイトルにも書きましたがあからさまなネタバレはしていません。いや、でも結末部分に関しては、ネタバレしちゃってるかもしれない。ただ犯人の名前を書くようなことはしてない。
が、匂わせ的な内容は書くつもりです。よって作品未読の方がその部分に触れて、そして作品を読まれたならばもしかしたら犯人が、はたまたこの作品の最大の肝であるホワイダニット、すなわち犯行動機がわかってしまうかもしれません。
個人的にはこの作品。知っている情報が少なければ少ないほど楽しめる、驚かされる、そんな作品だと思っています。
なのでこんな私の感想文を読んでやろう、と思われた『方舟』未読の方。
頼むから、まずは『方舟』の方から読んで下さい(土下座)
また『嫌!匂わせでも犯人につながるような情報は知りたくない!』と言う方も、今すぐこの画面を閉じて下さい。よろしくお願いいたします。
ではでは。まずは本作品のあらすじです。
物語は主人公である柊一、その『僕』と言う一人称でつづられていきます。
大学時代のサークル仲間、そして従兄の翔太郎と共に、ひょんなことから『方舟』と名付けられた地下建築に足を踏み入れた柊一。更に矢崎と名乗る家族3人がそこに加わり、総勢10名が『方舟』で一晩を過ごすことになった。
朝を迎えれば『方舟』を後にしいつも通りの日常に戻れるはず。そう信じていた柊一だったが、突如、地震が発生したことで事態は一変する。
地震の影響で柊一たち10名は『方舟』内に閉じ込められてしまったのだ。浸水被害が出始め、いずれ『方舟』全体が水没するのが明らかな状況の中、見つかった『方舟』からの脱出方法はただひとつ。しかしその方法は『その方法を実行した人間は、他の人間を助ける代わりに死亡する可能性が極めて高い』ものだった。
焦燥感が募り始めた柊一たち。そんな彼らを嘲笑うかのように、10人の内の1人が絞殺体で発見される。
誰が、このような状況下で殺人を犯したのか。何故、殺人を犯したのか。その疑問に駆られる一方、残された9人は、犯人以外の人間はこのような考えに至る。
他者を助けるために犠牲になるのは誰か。それは殺人を犯した人間、すなわち犯人であるべきだろう、と。
タイムリミットは1週間。それまでに柊一たちは犯人を見つけ出すことができるのか。そして犯人は、果たしてその身を犠牲にして無実の人間たちを助けるのか、と言うお話です。
結論から言おう。
めっちゃくっちゃ面白かったです。
ってかもう、冒頭に書いた欲求。
『どうあがいても後味の悪い、真っ黒な絶望一色、逃げ場のない恐怖と悲しみと苦しみと後悔しかないエンディングで、それに押し潰されるようなミステリーが読みたい』と言う欲求に関して言えば、完全に完膚なきまでに満たされました!
最高の一言。私が求めていたもの、それが完全な形で繰り広げられていて読み終えた後には後味の悪さは勿論のこと、絶望感ににやにや、ぞくぞくが止まりませんでした。
あぁ最高。もううっとりしちゃった。
こう言うの!こう言うのが欲しかったんだよ!ありがとう!
・・・ってか、あれ?これもしかしてネタバレになっちゃってる?(汗)
何が最高ってね。この作品、ラストもラスト、残り12ページでつづられている『エピローグ』で、探偵の完全敗北が描かれているんです。でも当の探偵本人は、多分、そんなこと知らない。知らない、気づきもしないだろうままに、絶望的な苦しみを味わうことになるんです。
それがもう、ほんと。言葉にできないような暗い愉悦、ぞくぞくするような愉悦を味わわせてくれて最高なんです。
ミステリー作品における探偵は圧倒的な存在なのです。少ない手掛かりからたったひとつの真実を見つけ出し、鬼畜の如き所業を行った人間をあぶり出す。それはもはや神のような行為、存在であると言っても過言ではないでしょう。
しかし同時、ミステリー作品において探偵は、それはそれは無力な存在でもあるんです。そしてまた忌まわしき存在でもあるんです。だって探偵は、事件が起きなければその存在価値を示すことができないんですから。そして探偵は、事件が起きなければ、起き続けなければより多くの手掛かりを手にすることができないんですから。
この『方舟』と言う作品でも、ある人物が探偵役を務めます。
ひとつひとつの事件から確実に手掛かりを得て、それを繋げていくことでいくつもの謎を次々と解明していく。『こうであるのが最も自然である』と言う極めてドライな考え方の元で推測を繰り広げていく。そしてその合理的で論理的な推測を結実させ、犯人を暴き出す。
そうした探偵役の存在感は、本当にお見事の一言。
圧巻で、私は畏怖を抱いたほどでした。
正直、作品内で3人の命を奪った犯人よりも、こんな極限の状況下に置かれていながら、次々と起きる事件から冷静に情報を、手掛かりを入手し、それを繋ぎ合わせて、冷静に考えを張り巡らせることができる。その探偵役の人物の方が、はるかに怖い、人間的ではない、と感じたくらいなんです。
だから事件の謎を推理していく姿は勿論のこと。探偵役の人物が、生き残った人間たちを前にして犯人が誰であるのかを説明していく。己の怜悧さを、冷静さを、冷徹さを、冷酷さを存分に示すように推理を繰り広げていくパートは、本当に探偵役の人物は神だったんだと思います。
全知全能で無敵の神。事件が起きなければ、事件が起き続けなければなにひとつ、その存在価値を示すことができないと言う無力感を忘れてしまっている神。自らをなにひとつの弱点のない存在だと信じて疑っていない神。ひとことで言えば傲慢な神。
エピローグでは、その神にも等しき探偵が犯したミスが、こともあろうに犯人自らによって暴かれていきます。
極限の状況下で3人もの人間の命を奪った犯人は、いわば悪魔と言っても良い存在でしょう。その悪魔によって、神の、自らは全知全能であると信じて疑わない神の、実は無力で傲慢である神のミスが暴かれる。
そしてそのことで『天地が反転した』と作中では記載されていますが、見事に神と悪魔の立場は反転するのです。
悪魔の正体を暴き、その罪を暴いたと信じ、自らが勝者であると信じる神が、悪魔の前に敗北を喫した。
神に、その正体を暴かれ敗北を喫したと、そのふりをしていた悪魔は、神には決してない怜悧で冷静で冷徹で冷酷な狡猾さと理性をもってして勝利を収めたんです。
そしてそのことで神と悪魔の立場だけでなく、登場人物たちの希望と絶望も逆転した。綺麗に逆転した。
神がその傲慢さに溺れた余りに犯したミスで、全てが逆転した。
そして、神に与していた人間たちの全ても逆転した。
でもそれすらも、神の、探偵役の人物の自業自得なんです。
でもそのことを、神は、探偵役の人物は、多分、知らないままなんです。
ここの流れが、もう個人的には本当に『お見事・・・たまらんっ!』の一言なんです。もう『痛快!』と言っちゃってもいいくらいです。
なんだろ。今までいろんなミステリーを読んできて、それこそ探偵の敗北を描いた作品も多々あったように記憶しています。
が、ここまで完全に探偵の敗北を描き、そして敗北した探偵に更なる絶望を味わわせるようなラストを描いていた作品があっただろうか、と。
もうそれを考えると、この点に関してだけでもこの作品、あまりにも完璧すぎる作品だと、私は心底、思ったのです。
完璧すぎる絶望。そして完璧すぎる愉悦。美しすぎる、探偵の完全敗北。
探偵役の人物に関してはですね。なんか登場してきた時から、どうも、こー、その人間性、キャラクター性みたいなものが見えにくいなぁ、と感じていたんです。
でも読了した今ならわかる。その理由がめちゃくちゃわかる。
探偵役の人物に関しては、ほんと神、キャラクターのない、人間性の見えない、そんな存在として意図的に描かれていたんだと思う。
そしてだからこそ、探偵役の人物が圧倒的な推理を披露し終えて、犯人に、他の人間を助けるための生贄になること。その決心を促すような言葉をかけた瞬間に、その人間性がグロテスクなまでに感じられたんですね、個人的に。
あの場面、犯人に犠牲になる決心を促すあの場面では、何故ならもう、探偵役としては敗北が決定していたわけだから。ここでは探偵役は自らを探偵、神だと信じて疑っていなかったわけだけれど、でももう犯人に対して敗北を喫していたわけだから。
だからあの場面では、探偵役はもはや神でも探偵でもなく、ただの人間だったんだな。
だからあんなにも、グロテスクにその人間性が、あの言葉からは感じられたんだな。
そしてその探偵役が。自らを神だと信じ続けていた、ただの人間が。
最後の最後に、どんな表情で、どんな絶望の絶叫を響かせたのかと思うと。
あぁ・・・もうぞくぞくしちゃう。たまんない。最高。
あと・・・これもちょっとネタバレになっちゃうかもしれませんが。
主人公の柊一。彼が、この探偵役の人物に向ける思いみたいなもの。
これも本編通して、めちゃくちゃ印象深いです。
特に、先に書いた、探偵役の人物が犯人に対して生贄になることを決心するような言葉をかけたシーンでの、柊一目線での、その言葉、言い方の説明が。
柊一の、探偵役の人物に対しての、ある種、盲目的なまでの信頼。それを表しているようにも感じられて『そうか・・・君には、そんなふうに聞こえたんだな』って、私としては愕然としたような思いを抱きました。
ねー。
で、こちらの作品。
極限状態で次々と起きる殺人。いくつかの謎は探偵役の人物によって解明されていき、動機の部分に関しても当然、明かされるんですね。
でも、実は・・・と言うのが、この作品の肝であるんですけれど。
本作品が4位にランクインした、去年末に刊行された『このミステリーがすごい!』2023年版では、その部分に関して次のように説明されているんです。
『なぜ密閉された環境の中で、殺人を犯さなければならないのか。あまたあるクローズドサークルものの中で、最もショッキングで最もエレガントな解を示した傑作だ。』
これ、読み終えた今なら、めちゃくちゃわかる。
本当に『ショッキング』なんだけど極めて『エレガント』な動機なんです。
『そうだよな。そりゃそうだよな。衝撃的極まりない動機だけど、こんな絶望的な閉鎖状況の中、わざわざ殺人を犯し続ける理由なんて、それしかないよな。それしかないわ。それ以外、ないわ。ぐうの音も出てこないわ』ってくらいの、私としてはただただ衝撃的だけど、『それしかないわな』と言う納得感においては『エレガント!パーフェクト!』と言うしかない、それくらいの動機なんです。
だからこそ、私は犯人に対しては、ただただ共感の気持ちしか抱かなかったです。
『なんだ、この人。すごい人間臭い人じゃん』と。
探偵役の人物、あるいはその彼に心酔しているような、頼り切っているような節のある主人公が、最後の最後まで、その人間性が見えにくく描かれていたからこそ。
そして探偵役の人物に関しては、その人間性が露呈された瞬間に『うっわ・・・』と眉を顰めたくなるような感情に駆られたからこそ。『お前、遠回しな言い方しやがってよ。なんなんだよ、その偉そうな物の言い方っ!素直に(以下、ネタバレのため自粛)』とイラッ、とするような思いに駆られたからこそ(笑)
素直に、極めてこの状況下においては素直で、純粋で、当然な思いを抱いたからこそ。
そしてそれを実現させたいと思ったからこそ。
3人の命を奪った犯人が、私には、本当に人間臭い人に思えてならなかったです。
あと私も割と『良いことに気づいたけど、この利益は自分だけのものにしちゃお!』って思う、手柄を独り占めする、そのための行動は厭わない人間です。
なので犯人の行動。あのー、アレのアレを入れ替えて皆を騙していた、と言う部分ですね。はい。この行動にもやっぱり共感しかなかったです。
犯人の動機。それには理解、共感しかなくて、だけど私が犯人と同じ立場に置かれたとしてそのために殺人を犯すかどうか。それは私にはわからない。
でも犯人だけが、ある事実に誰よりも早く気が付いていた。それを隠すために行った、アレのアレをアレしていたと言う行為に関しては、多分、私も同じことをしていたと思います。自信ある。
『他人にこの事実を知られてなるものか。この事実のメリットを得るのは、この事実に誰よりも早く気付いた私の当然の権利だ』って。うん。
なんだろ。ほんと。
探偵役の人物よりも、私は圧倒的に犯人の方が、人間的に好きだし、共感しかないし、魅力的だと思いました。
いやー・・・しかし、この犯人が最後の最後に見せた感情の名前は、あれは何と名付ければいいのかなぁ。
ってかあの言葉の内容、それをそのまま信じてもいいものなのか。
そこもなんか考えれば考えるほど『どうなんだろうねぇ~』と気がする気もするのですが・・・それでもやっぱり、ここは、やはり、犯人は、その言葉を投げかけた人物のことを・・・信じていた、信じたかったんだろうな。
あるいは、そうか。
この言葉を信じるのであれば。
もしかしたら『そのために』犯人は、殺人を犯し続けたのかもしれないなぁ、とか今、思ったりしたんですが。
でも改めて195ページ~198ページあたりの会話を読むと・・・そんなことはないかな。
やっぱり犯人は、信じたかったんだろうな。その言葉を投げかけた相手のことを。
そして自身は『誰からも愛されなかった人間ではない』と言うことを。
未読の人は、本屋さんで195ページ~198ページを立ち読みしちゃだめよ!
はい。そんなこんなで本格推理の醍醐味、それを存分に味わえる作品でもあるし、ミステリー小説における探偵の存在。その輝かしいばかりの一面と、だからこそ、それが打ち破られた時のみじめさ。はたまた痛快さ。それを描いた作品としても、本当に『素晴らしい!』としか言いようがない作品でもあります。
最後の最後に待ち受けている衝撃の展開も、その純粋なまでの暗黒さがいっそ美しいほどだと、私に感じられました。
物語は、読み返してみると『そう言う作品だ』と知っているからこその部分もあることだとは思いますが、それでも始まりからどうにも陰鬱な空気が漂っているような。そんな雰囲気があります。
その陰鬱な空気が話が進んでいくにつれ、じょじょにじょじょに色濃くなっていく。それに伴いじわじわと真綿が首に巻き付いていって、それで首を絞められていくような。
少しずつ呼吸するのも苦しくなっていくような。そんな絶望感、切迫感が募っていくのに、しかしどうすることもできない、その圧倒的な閉塞感。
その描写が抜群なのも本作品の魅力でしょう。硬質な文章だからこそ、それらが妙に迫力を増しているようにも感じられるし。
だからこそ、最後の最後に犯人と、犯人からある事実を打ち明けられた人間の、人間としての感情の揺らぎみたいなもの。その柔さと生々しさみたいなのが際立って感じられたのもお見事。
絶望に次ぐ絶望。募りに募っていく死への恐怖。体にぺったりとまとわりついていくようなそれを、どんどん、どんどんと濃くなっていくそれを描きながら・・・なおも最後に、こんな結末を用意しているとは。
あーん、最高。
作者、天才か。天才か、作者。
ってかこう言う作品を生み出すあたり『あぁ・・・さすがはメフィスト賞出身の作家さんや・・・』と思ったのは、きっと私だけではないはず。
てなことで本日は去年のミステリ界を代表する1冊。そしてまだまだその余韻は衰えることのない傑作にして問題作。読み終えた後、読み終えた人同士で語り合いたくなる作品でもある『方舟』の感想をお送りいたしました。
『ミステリーは苦手なんだよなぁ』と言う方も大丈夫です!何と言うか、この作品の本質的な部分での驚き。その部分の推理云々に関しては、まったく難しい部分はないので、普段、ミステリーを読まれない方でも無問題!だと思います。
この衝撃に、胸を、心を殴られてくれ!
ではでは。本日の記事はここまでです。
読んで下さりありがとうございました!