tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

1日前倒しでの読書感想文~『消滅世界』

明日、11日はお休みなのでタイトル通り、前倒しで読書感想文をお送りいたします。

本日、感想をお送りするのは村田沙耶香さんの『消滅世界』です。

 

いつもはミステリー。『誰が殺した。いつ殺した。どうやって殺した。どこで殺した。なんで殺した』と言う謎を主に描いた作品ばかりを読んでいる私ですが。

今回はノンミステリーでございます。とは言え、ある意味では『これももしかしたらミステリーかも。そしてその謎は永遠に解き明かされないままなのかも』とも思ったのですが。

『ミステリーが読みたい!』と書店に行ったは良いものの、ほとんど下調べもしていなかったのでめぼしい本が見つからなかった。

結果、たまたま目に入ってきたこちらの文庫を購入した次第です。

 

ではでは。まずは本作のあらすじを。

セックスではなく人工授精で子どもを産むことが定着している世界が物語の舞台です。この世界において夫婦間のセックスは『近親相姦』とみなされタブー視されています。主人公の雨音は人工授精ではなく、両親が愛し合った、すなわちセックスした末に生まれています。そのことから彼女は、母親のことを激しく嫌悪していました。

やがて彼女は1人の男性と結婚。しかし勿論、その結婚生活は清潔なそれであり、彼女は夫以外の人やキャラクターと恋愛を重ね続けます。そしてそれは彼女の夫である男性も同じことでした。それがこの世界では『正常』なこと。しかしその『正常』は、彼女たちが『実験都市』に移住したことで一変する、と言うお話です。

 

はい。てなことで感想です。

何故、人は恋をするのか。何故、人はセックスをするのか。何故、人は子どもを作り、産み、育てようとするのか。何故、人は家族を持とうとするのか。

多分、こう言うことは、何だろ。語弊ある言い方かもしれないのですが『考えたら負け』なんだと思います。考えるようなことじゃないんだと思います。考えなくてもいいことなんだと思います。

 

ただ、です。考えたら負けで、考えるようなことじゃなくて、考えなくても良いことなのかもしれないんですけど。

 

『いや、それは人として当たり前だよね』と。

それを押し付けてくるのだけは違うよな、と。

だけど日本においては『それは人として当たり前だよね』と言う押しつけが、やはり当たり前のようにして、あるいは当たり前でないにしても個々の生き方を封じ込めるような形で、個人に対して行われてきたのではないかな、と。

そんなふうに思うのです。

 

ただ冷静に考えてみたら、です。日本だけでも人間、何人いるんだって話なんです。

それだけ人がいたら、一定割合で『恋愛?興味ないわ』『家族?いらないいらない』『子どもなんて絶対に欲しくない』『子どもなんて嫌い』と言う人がいても不思議ではないわけなんですよ。

何の理由もなくそう思っている人にしろ、あるいは何かしらの理由があってそう言う考えにたどり着いた人にしろ、そう言う人がいても、何ら不思議はないわけです。

かく言う私も、そう言う人間の1人です。詳しくは自分語りになっちゃうから書かないけど、そして一度も結婚していない身でこんなこと書いても『負け惜しみ(笑)』と思われるかもしれませんが。

10代、中学生の時には、私は『絶対に結婚もしない!子どももいらない!産みたくない!自分の遺伝子も、母親の遺伝子も、絶対にその欠片も残したくない!』と強く思い始めていました。

『年齢を重ねれば、この考えも変わっていくかも』と言う淡い希望も自分で抱いていましたが、結局、この思いは、考えは変わらないまま42歳になりました。

 

めでたい!

 

『当たり前』を『当たり前』として受け入れられる人がいる一方。あるいは押し付けられてきたそれを、なんだかんだ言いつつ受け入れられる人がいる一方。

絶対に、その『当たり前』には当てはまらない人。押し付けられても『嫌だ!』とどこまでも抗う人と言うのはいるんです。

ってかいるのが、それこそ『当たり前』なんです。

 

この作品は、そう言う話ではない、と思います。

そう言うことを描いている作品ではない、そう思います。

そうは思うのですが、それでも読んでいる間、そして読み終わってからも『日本は、あまりにもこの辺りのことを『当たり前』にしすぎて、考えることを放棄してきたんじゃないのかなぁ』と言う思いが強くこみあげてきた、それが感想のひとつです。

 

『当たり前』として当たり前のように、個人にその考えを押し付けてきた。

『日本の人口がどんどん減っていっている!』『若者が増えずに、高齢者が増えていく一方だ!』『将来的には消滅してしまう自治体もたくさんあるぞ!』『このままいくと人口の半分が独身者になるらしいぞ!』と言った話題が数十年前から、そしてここ数年は特にニュースで騒がれていますが。

これは結局、日本が『当たり前』だとして考えてこなかった、そのツケが来ているだけなんだろうなぁ。

 

ってかね、ほんとに。

何度も言うようですが、こんだけ人がいるんですよ。

そして時代が進むにつれて、良くも悪くも個人の生き方は尊重されるようになっているわけです。

そしたら恋、セックス、子どもを作り、産み、育てる。家族。そこに疑問を持つ、あるいは何の関心も、興味も持たない。はたまた拒否反応を抱く。それらを必要としない。受け入れられない。

そう言う人はいて当然なんだよなぁ。

 

そこを考えてこなかった、日本の恐ろしさよ。

 

で、もうひとつの感想ですが。

まぁ、これは、やはり私が母親といろいろとあった人間なので、この作品を正しく読めていない、それ故の感想だと思います。いつぞやに読んだ『人間に向いてない』と同じく、いわばこの作品もまた、私にとっては地雷のようなものだったわけです。

 

主人公の雨音は、どうであれ、多分、子どもを持つことにも、家族を持つことにも、誰かと共に生活することにも、不向きな人だったんだと思います。

極論。どうしてそうなった。

 

理由ですか?

簡単です。

彼女と母親との関係です。これに尽きます。

 

彼女は最後の最後まで『母』の『子』であることからは逃れられなかった。

『母』と言うその最初の『世界』の『当たり前』から、逃れられなかった。

しかも、作品世界においては『近親相姦』と認識されている方法、『母と父がセックスして生まれた』と言う経緯から、私には、彼女自身が彼女自身の生を肯定できていないように思えてならなかった。

 

この作品で描かれているのは、作品世界の『当たり前』、それと戦う、静かに戦う、戦いながらも振り回されている雨音の姿だと、私は思いました。

恋や、性欲や、セックスや、家族や出産が。現実社会のそれとはずいぶん様相を変えている、この作品の世界、社会。

本来ならば、良くも悪くも生命力を感じさせるようなそれは、けれどこの作品の中においては、あまりにも透明な印象を受けるくらいです。透明で無機質。無臭。生命力の、その欠片も感じさせないような。

けれど雨音のそれだけには、違う印象を受けるのです。か細くも、確かに脈打っているようなエネルギー、あるいは温度。それを感じたと言うか。

それくらいに雨音は『正しくあろう』『正常であろう』、そうあり続けようとするのです。

まるで社会に抗うかのように。

『私の『当たり前』はこうなんだ』と抵抗を示すかのように。

 

でも物語の終盤。最後の最後。あるいは作品の結末。

それをどうとらえるかは、当たり前ですが人によって様々でしょう。

でも私にはたった一言『復讐』と言う言葉しか浮かんでこなかった。

『抵抗』ではなく『復讐』です。

『復讐に成り果てた』と言ってもいいかもしれません。

 

『当たり前』に対しての復讐。

『世界』あるいは『社会』に対しての復讐。

『自分』に対しての復讐。

『本能』に対しての復讐。

そして何よりも『自分をこの世に産み落とした母親』に対しての復讐。

 

ネタバレになっちゃうので詳細は差し控えますが。

ね。

世界、社会、周囲、自分。その狭間でもがき、あえぎ、苦しんだ果てに、雨音があの行為に及んだと言うことが、もう、私には、雨音が『逃れられない『母』と言う世界』、そこにあったのかもしれない『私が知らない当たり前』を知りたい一心で』あの行為に及んだ。

そんなふうに思えてならなかったと言うか。うん。

だからあのラスト、私は、ものすごく哀しく思えてならなかった。グロテスクと言うよりも、ただただ哀しさしかなかったと言うか。

 

彼女が、清潔な結婚生活を送っていた夫と移住した実験都市と言うのは、誰もが『子供ちゃん』の『おかあさん』である世界なんです。つまり誰もが、子供の『おかあさん』であることを実は緩やかに強要されている世界なんです。

 

その世界において、緩やかに抵抗の牙を奪われていき、やがては疲れ果てていって、最後にあのような行為を選択した彼女は、結局『母親』の『子供』でしかなかった。『母親』と言う『最初の世界』から逃れられなかったが故に、それよりも大きな『おかあさん』と言う概念にも染まることができなかった。最後の最後まで、そしてこれからも、『母親の子供』でしかなかったんだなぁ、と。

そんなことを思ったのですが。

 

まぁ、でも、これは、うん。

正しい読み方ではない気がする。

私が、自分と母親との関係を重ねた結果の感想なので、なんか、多分、ダメな読み方だ。

 

結論。

『人間に向いてない』同様、やっぱりこの手の作品は、私には荷が重い。

私情を挟み過ぎる。

 

てなことで、なんだかまとまりのない、かつ中身もない感想になってしましましたが。

 

いや、でも普段、ほとんどミステリーしか読んでいない私にとっては、とても新鮮な感覚のする作品でした。フィクションになるのかしら?個人的には『あぁ、純文学ってこういう作品のことを言うんだろうなぁ』と思ったのですが。

村田さん、芥川賞も受賞されていらっしゃいますしね。

また村田さんの他の作品、たとえば『殺人出産』や『生命式』は気になるので、機会があれば読んでみたいです。

 

こんな感想で申し訳ないのですが、でも、色々と考えさせられたのは確かです。

押しつけがましくなく、考えさせられたと言うか。

 

はい。

そんな具合で本日は村田沙耶香さんの『消滅世界』の感想をお送りいたしました。

 

ではでは。本日の記事はここまでです。

読んで下さりありがとうございました。