明日が休みなので、前倒しで本日、読書感想文をお送りします。
いやぁ、偶然だとしたら凄いわ。
てなことで私は本を購入するのにもアマゾンをよく利用しているのですが。
そのアマゾンがおススメしてきたのが、今回、感想をお送りする王谷晶さんの『ババガヤの夜』です。
その時点ではまだ『世界最高峰のミステリー文学賞 英国推理作家協会賞(ダガー賞) 翻訳推理小説部門ノミネート』と言う宣伝文句でした。
紹介されているあらすじを読んで『読んだことがない作家さんだけど面白そうだし。読んでみようかなぁ』と軽い気持ちで購入した、その数日後。
先の宣伝文句の『ノミネート』が『日本人初の受賞!』に変わったと言う一報を知った私は『アマゾン!これを予想して、私に本作品をおススメしてきたのか!?』と非常に驚いたのでありました。そんなわけはないけど(笑)
はい。こう言う偶然が、本当に何年かに一度、あるから面白い。
てなことで本日は、日本人作家としては史上初。アジア人の作家としても2人目となる、権威あるミステリー文学賞、ダガー賞を受賞した『ババガヤの夜』の感想をお送りしていきます。
出版元である河出書房新社のサイトには、王谷さんの、本作にかけた思いを綴ったエッセイも公開されています。また本作の冒頭27ページを試し読みできるサイトへのリンクも掲載されているので、気になる方は是非。
作品としては文庫本で190ページの作品です。だから試し読みと言っても、全体の1割強を読めるわけです。実際、作品を読んだ後に試し読みも読んだけど、『物語の始まり』と言える部分、読めちゃうな、と思いました。
てなことでまずはあらすじです。
唯一の趣味は暴力。そんな新道依子は、ある出来事をきっかけに、暴力団、内樹會の人間に拉致される。激しい暴力を受けた後、依子は、内樹會会長の一人娘である尚子の護衛を命じられることになるのだが、と言うお話です。
ではでは。感想です。
面白かったです。ページ数が200ページに満たないこともあってか、わずか2日で読了してしまいました。
ページ数をもっと増やそうと思えば、費やそうと思えば。描写をしようと思えば。いくらでもそうすることができた。そんな作品だと思います。
でも、多分、そうされていたら、この作品の魅力は半減、否、もっと減っていたかもしれない。読み終えた今なら、そう、強く思います。
暴力に純粋な生の喜びを見出す依子の生き様が。あるいは、あまりに理不尽な運命に翻弄され、全てを諦めている尚子の生き様が。はたまたカタにはまって生きるしかない男たちの生き様が。
叩きつけるようにして、わずか200ページの中に濃厚に閉じ込められているからこそ、200ページとは思えないほどの満足感。充足感を。
そして何より依子と共に、この堅苦しくがんじがらめに縛り付けようとしてくる世界を疾走しているような感覚が味わえた。そんなふうにすら思うのです。
そして読み終えた後。胸を満たした感情を、一体、何と名付ければいいのか。
私は未だにそれがわからず、ただただそれを思い出す度に、読了した時と同じように、涙がぶわっ、と出てくるのです。
なんでしょう。私が小説だったり、漫画だったり。あるいはアニメだったり。
そうしたものに積極的に触れようとしているのは、それらを通じて、まだ見たことがない光景だったり。味わったことがない感情だったり。そうしたものを見たい、味わいたい、そうしたものに触れたい。そして願わくば、そうしたものに打ちのめされたい。
そんな思いがあると言うのもあります。
それで言うと本作品は、私のその思いを見事に叶えてくれた作品です。
さて。本作は非常に凄惨な暴力に彩られた作品です。拷問も登場します。
○○も切り取られています。
恐らくだけど、生きたまんま切断されたんでしょうね。おっふ。
なのでその辺りが苦手な方は避けられた方が無難、そんな作品だとも思います。
何より主人公の依子が、先にも書いた通り、暴力で血が滾る。暴力と共に生きてきた。純粋な暴力の虜。暴力のエネルギー、それを喰らって生きているような存在です。
だから彼女は、相手が誰であっても必要とあらば暴力を振るいます。そしてその逆も然り。彼女もまた、激しい暴力を振るわれます。
『男女平等パンチ』と言う言葉がありますが。
それで言えば、この作品における暴力は、男女平等です。
男女平等のはずなのです。はずなのですが、やはりそこには、常に依子が『女』であると言うこと。それが付きまとっています。
これはもしかしたら、暴力団と言う『男』の世界に拉致されたからこそ。
その中で『腕っぷしが強い』と言うことに加えて、『女』であると言う理由で、会長の一人娘の護衛を任されたからこそ。
そう言う部分も大いにあるのかもしれませんが。
とにもかくにも、表面的には『男女平等パンチ』である。
しかし依子は、そして彼女が護衛することになる尚子も、『女』であることが理由で、平等ではない暴力にさらされる。
そこに、何と言うか『二重の暴力』のようなものを感じて、私はとてもやるせない思いがしたのでした。
ただ、まぁ、ここは私の穿った見方かもしれませんが。
で。
私は、やはり小説や漫画、アニメ、映画などの中で描かれる『暴力』と言うものも、好きです。勿論、その内容と言うか、その意味合いによっては『胸糞』と吐き捨てたくなるほどの嫌悪感を抱くこともあります。
そして当たり前ですが、現実においての暴力は、どんなものであっても基本、反対ですし、お近づきにすらなりたくない、そう思っています。
私が好きな、創作物で描かれる『暴力』。
それは、端的に言うと、暴力を振るう人間の生き様だったり、信じている信念だったり。あるいは狂っているとしても、その人が信じている美学だったり。そうしたものが透けて見える、強く感じられる、そんな暴力です。
『現実では絶対にお近づきにはなりたくない』
『でもだからこそ、創作物と言う、絶対的安全地域から触れているそれだからこそ、心惹かれてやまない』
そう思わせてくれるような、魅力的な暴力。それに、私はどうしようもなく惹かれてしまいます。
依子が何故、暴力を振るうのか。暴力と共に生きてきて、暴力を振るうことにどうしようもない悦びを抱くのか。
そのきっかけと言うか、経緯のようなものも、ざっくりではありますが描かれています。
その経緯の中で、依子が暴力と言うものにどう向き合ってきたのか。暴力をどう受け止めてきたのか。それも描かれているのですが。
ページで言えば97ページですか。ここに登場する依子の、あるいは依子に多大な影響を、と言うより、もはや彼女の人生を決定づけたと言っても過言ではない、ある人物。このふたりの『暴力』と言うものに対しての考え。
それが、私は大好きです。
で、です。
依子にとっての『暴力』とは、そう言うものなのです。
で、この描写がですね。
後半、あるいは終盤。
柳と言う男の生き様、あるいは柳が依子に対してかけた言葉。そしてそれに対して依子が返した言葉。
また、ネタバレになっちゃうので詳細は書けないのですが。
『カタにはまる』と言う生き方。それに対して依子が思いを馳せる終盤のシーン。
ここでめちゃくちゃ効いてくるんです。
依子は、どこにも属していない。属せない。
当たり前だけれど誰のものでもないし、誰かの何かとして生きられるはずもない。
徹底的に自由だから、暴力を振るう。暴力を愛する。暴力と共に生きる。
そうしてきた。
ですが・・・うぅ、ネタバレになっちゃうので本当に難しいのですが。
あぁ、どうしよう。
書きたい。
書きたいけど、やっぱりここは、何も知らない状態で読んで欲しい。
そして『えっ!?そう言うことだったの!』と言う新鮮な驚きを味わってほしい。
そうです。ちょっと話はずれますが。
そう言う点で言えば本作品、非常にミステリー的な仕掛け、ミスリードも用意されていて、まんまとそれにハマった私は、一瞬、何が起きたのかわからないほどでした(笑)
なのでやっぱり我慢します。
我慢しますが。
『カタにはまる生き方』
この言葉です。この言葉と、そんな生き方とは真逆の人生を生きてきた、だからこそ、純粋な暴力を愛し、純粋な暴力に愛されてきた依子の生き様。
あるいは作中、尚子と共に依子と関わることになるヤクザの男、柳。この男の生き様。やはり暴力に彩られたこの男の生き様。
その辺りは、ほんとに胸に突き刺さるような感覚を抱きました。
作品読まれていない方にとってはこの感想。
いつも以上にわけわかんないでしょうね。
ふふ。
読め、読むんだ、読んだらわかる(圧)
人間は、そもそも『肉体』と言う『カタ』があります。
『人間』と言う『カタ』が外側にある以上、求められるのは『人間』としての生き方であり在り方です。
『人間』として生まれてきた以上、どうあがいても、そこからは逃れられません。
でも当たり前ですが『カタ』の中にある思いは、人それぞれです。
『人間』としての中身が、しかし『人間』として受け入れられない。どこにも属することが許されない。けれど『人間』と言う『カタ』にはまってしまっているならば、どう生きていけばいいのか。
ぼろぼろになって引きずりながら、それでも、捨てることが許されない、できない、それをどうすればいいのか。
『人間』と言う『カタ』を引きずりながら。
『それ以外』になるしかない。
何よりも『人間』らしい、そんな答えにたどり着いた。
ようやく、ようやくたどり着けた依子の、その思いの穏やかさに、私は涙が止まりませんでした。
はい。
うーん。なんだ。なかなか感想がうまく言葉にできない。まとめられないぞ。
悔しい!
とにもかくにも、日本人初のダガー賞受賞も頷ける、濃密濃厚なバイオレンスアクション作品です。
文庫本の帯では『シスター・バイオレンスアクション』って惹句が使われていたけど。
個人的には、依子と尚子。このふたりの関係に付ける名前なんてないと思うのだ。そしてこのふたりの関係には、名前なんて必要ないと思うのだ。
ダガー賞受賞に際しては、当然、この作品を翻訳された方がいらっしゃるわけで。
サム・ベットさんとおっしゃる方が翻訳されたようですね。
作品そのものを生み出された王谷さんは勿論のこと。このサム・ベットさんの翻訳の手腕も素晴らしいからこその受賞なんだろうなぁ。
読んだところで理解できるはずもないだろうけれど。それでもサム・ベットさんによる翻訳版も、日本語版と比較しながら読んでみたいなぁ。
あと、冒頭に貼り付けたインタビューの内容もそうですが。
文庫本のあとがきなどに記されている王谷さんの言葉。小説だったり、暴力、それを描くことに対しての思いだったり。
それらも、非常に力強い、芯の通った思い。それを感じさせるものであったのも、個人的にはとても印象に残っています。
1981年、私と同じ年齢でいらっしゃるんですよね、王谷さん。
王谷さんに比べての、自分のふにゃふにゃさ加減に、もはや笑うしかない。
そんなこんなで本日は、世界的権威のあるダガー賞を、日本人作家としては初めて受賞した、王谷晶さんの『ババガヤの夜』の感想をお送りいたしました。
いつも以上に感想になっていない感想です。
だから頼む!読んでくれ!めちゃくちゃ面白い、そして『がつん』と来る作品だから!
ではでは。本日の記事はここまでです。
読んで下さりありがとうございました。