tsuzuketainekosanの日記

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ただいま絶賛再放送中~『ヴィンランド・サガ』について語ろう

てなことで夏クールアニメ、絶賛放送中ですが。

地方民の私にとってアニメを見るうえで非常に心強いのがBS11の存在です。

BS11で、大体の作品は放送されていますからね・・・ありがたいありがたい。

で、BS11で放送されているアニメの中には再放送作品も数多くあり、クールによっては再放送作品だけで『おおっ、これはなかなかのラインナップじゃないか!』と感じることもあります。

 

今期、夏クール、BS11で放送されている再放送作品のラインナップも、個人的には結構な充実具合だと思います。

具体的な作品を挙げてみると『ACCA』『SSSS.GRIDMAN』『アルドノア・ゼロ』、更には『特別再放送とは一体、何だったのか。最初からおとなしく、こっちの再放送を見とけば良かったんじゃないか』と思わず突っ込みたくなった『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』などがその一例として挙げられます。

 

で。

アルドノア・ゼロ』について語ろうかとも思ったのですが、この作品。全話見ていたはずなのに、さっぱりとその話が思い出せない。

否、思い出せることには思い出せるのですが、その内容が何話だったかは忘れたけれど、主人公の友人であるCV山谷祥生さんのキャラクターが離脱してしまうと言う内容と言う有様なので、泣く泣く断念しました。

なんだそれ・・・。

いや、作品としては面白かったのは確かなんです。確かなんですけど、内容が記憶にはっきりと残っているかと問われるとごにょごにょごにょ(汗)

 

ですが一方で強烈に内容を覚えている、非常に心に残っている作品もあり、それがタイトルにも書いた通り、ただいま絶賛BS11にて再放送中の『ヴィンランド・サガ』でございます。

本作品は2019年の7月から12月まで連続2クールで放送され、来年の1月からSEASON2の放送が決定しています。

おおっ、これは初めて知った。SEASON1の制作はWIT STUDIOでしたが、SEASON2はMAPPAになるのですね。私ゃ勝手にSEASON1もMAPPAだと思い込んでいました。たはは。そうか、『進撃の巨人』と同じ感じだ。

 

SEASON2の放送はTOKYO MXなどの放送局での放送が予定されています。なので多分、BS11でも放送されるはず・・・そしてそのための予習として、再放送が行われているのだと勝手に推測している私なのですが。

 

とにもかくにも『ヴィンランド・サガ』です。

2019年の放送時、毎週、視聴していましたが・・・いやぁ、なんだろ。めちゃくちゃ面白い作品なのですが、その面白さの毛色が他の作品とは明らかに異なっている作品なんですよね。うん。

こー、なかなか言葉にし難い面白さ、非常にヘヴィな感情に毎話、毎話、心をかき乱される、心を踊らされる、心を熱くさせられる、心を疲弊させられる、そんな作品だったなぁ、と思います。

 

てなことで再放送をご覧の方はご存じかと思いますが。

ヴィンランド・サガ』の簡単なあらすじを紹介しますと、主人公の名はトルフィン。父と母、そして姉と共に、貧しいながらも幸せで穏やかな日々を送っていた彼の人生は、ある出来事を機に一変します。それは自身を人質に取られた挙句、目の前で父親が殺害されてしまうと言う出来事でした。

父親を殺害したのは職業的ヴァイキング集団、アシェラッド兵団の首領であるアシェラッドと言う男です。

父親を目の前で殺害された、その絶望と怒りに支配されたトルフィンは、アシェラッドへの復讐を決意。あろうことかそのためにアシェラッド兵団に取り付き、アシェラッドとの決闘の権利を手にするため、戦いに身を投じていきます。

そんなトルフィンの復讐の行方、更には様々な登場人物たちの人生、時代の激しい流れ、変遷を描きながら、本作品は進んでいきます。

 

トルフィンを演じていらっしゃるのは上村祐翔さん。幼少期は石上静香さんが演じていらっしゃいます。彼が復讐を誓った相手、ひいては生きる目的になるアシェラッドは内田有哉さんが演じていらっしゃいます。またこのふたりと深く関わることになるデンマーク王の次男であるクヌートは小野賢章さんが演じていらっしゃいます。

その他にも安元洋貴さんや大塚明夫さん、日野聡さん、松田健一郎さんなどが出演されていらっしゃいます。全体的に重低音ボイスが満ち満ちている作品です。好き。

 

ではでは、ここからは個人的に思う『ヴィンランド・サガ』のここが面白い!と言うポイントを語っていきたいと思います。

まずはこちら。

 

・男たちの生き様が熱い!

・・・女性キャラクターも少し登場する本作品ですが、基本的には好き勝手に、自分の主義主張、欲望に従って、理不尽に、無遠慮に殺戮を繰り返していく男しか出てこない作品です。そうした男たちの生き様は、何と言うか、私には非常に『人間の根源的な欲求に基づいて生きている、非常に人間らしい生き様』のようにも見えて、めちゃくちゃ空しくなったり、悲しくなったりすることもありました。

が、徹底してその生き方を貫いている、否、もしかしたら貫くしかない男たちの生き様を見続けている内に、そこにどうしようもない熱さみたいなものを感じるようになりまして。はい。

悲しい熱さ、虚しい熱さとでも言いますか。そこがもう、たまらなく面白いし、たまらなく、語弊ある言い方かもしれませんが滑稽にすら思えることもあったし、そしてやっぱりたまらなく悲しかった。でも熱かった。

何と言うか、ここまで『男の熱さ』みたいなもの、それを『人間の生き様としての熱さ、悲しさ、空虚さ』として描いた作品って、私の中ではなかなかないような気がするので、新鮮さすら感じた次第なのです。

なんだろ。こー、人間としての誇りからいちばんかけ離れた行為を行ってきた、それ故にいちばん、人間としての誇りからは遠いところにいるはずなのに。

なのにその男たちの人間としての、泥と血に塗れた誇りが、鈍く、鈍く光っている、みたいな。その光の熱さみたいな。

で、その体も精神力もタフな、タフと言うより、多分、人として大切な何かを失う寸前にある男たちを演じていらっしゃる声優さんの演技も、もう本当に渋いし、熱いし、クレイジーだし、それ故にめちゃくちゃ悲しいんだよ。最高。

 

・アシェラッドと言う男がずるい!

・・・ずるいのだ。そう、この男、ずるいのだ(どーん)。トルフィンの復讐の相手であり、生きる目的と化した男。飄々としていながら、先を読む能力、人の才覚や性格を読む能力にも長けており、立ち回りの手段は非常に冷酷。おまけに強い。

トルフィンに至っては、完全にその思考パターンや戦闘における動きを読まれてしまうため、まったく勝てる見込みすらないと言う、絶望的な状況。

なんですけれど、とにかくこの男、ずるいのだ。圧倒的な人間的魅力に満ち満ちている、そんな男なのですよ。ええ。

たとえば時折、トルフィンに対して見せる態度や言葉は、彼自身が殺したトルフィンの父親のそれとは程遠いに違いないものの、しかし、復讐を誓ったトルフィンすら何かしらの思いをそこに抱くほどのもの。

そして何より、ね。

あとで書きますけど、アシェラッドが胸に抱いていた目的。彼が職業的ヴァイキングを率い、無意味とすら思えるような殺戮を繰り返してきた、その目的、理由。

それがもう、本当にずるい。そこからトルフィンにかける言葉が、もうずるい。反則。

トルフィンが主人公でありながら、Season1はアシェラッドが主人公でもあるとすら私は思っています。そして言わずもがな、内田さんの演技ももう、本当にずるいの。

ずるい(どーん)

 

・ビョルンと言う男!

・・・Season1を通していろんな男の、いろんな生き様が描かれるわけなのですが、その中で最も印象に残っているのは誰かと問われれば、私は迷うことなくビョルンの名を挙げます。いや、まぁ、ここはアシェラッドと迷うところなんですけど(どっちだよ)

ビョルンはCV安元さんが演じていらっしゃる、アシェラッドからの信頼も非常に厚い、彼の片腕的存在の戦士です。戦闘に際しては茸を食らうことで狂戦士、いわゆるバーサーカーとなって、次々と相手を屠っていきます。

そんな彼なのですがね。ある出来事の中で、一瞬の隙を突かれて重傷を負ってしまうんです。そして自分の死期を悟った彼は、ある選択を決心するのですが・・・。

これがねぇ・・・もうねぇ・・・ほーんと、なんだろ。熱いし悲しいし『こんなふうにしか生きられないなんて、ほんとバカだなぁ』と思う一方で、『こんなふうにしか生きられないなんて、なんて幸せなんだろう』と思わされると言うか。

そしてまた、その選択した出来事の中での、ビョルンとアシェラッドの感情のやり取り、感情と言うかもう精神のやり取りですな、それももう、言葉がないのだ。

CV安元さんは、私の中では『クレイジーさを装った凶暴なクレバーキャラ』を演じられたら右に出る人はいない、と勝手に思っている演者さんです。そんな安元さんの、とにかく愚かで、悲しく、けれど誇り高きビョルンの演技は、もう最高の一言。

 

・14話を見て!

・・・村娘、アンを演じていらっしゃった原由実さんがとんでもないお芝居をしていらっしゃいます。とんでもない芝居です。

この14話で描かれているお話は作中の中でも非常にヘヴィな、残酷な描写、内容としても知られているようで、本放送時もそこそこ話題になっていたような記憶があります。

職業的ヴァイキング集団の、その行い。人間でありながら、人としての倫理が圧倒的に欠落している彼ら。そしてその彼らの理不尽、身勝手極まりのない暴力に、ただただ晒され、振り回されるしかない無辜の人々の姿。私も見ていて、とにかく胸が痛かった。

そんな中、再三ですがアンを演じていらっしゃる原さんの演技は、とんでもないです。

この出来事を通してアンと言う村娘の心に芽生えた、芽生えてしまった感情。芽生えなくても、知らなくても良かった感情。それを、決して多くはない言葉数で、圧倒的に生々しく、そしてある種の色気や艶っぽさすら感じさせる演技で見せて下さっている原さんの演技には、ただただ脱帽です。

なんだろ。あの瞬間、アンは少女から女になったんだろうなぁ、とすら思わされたもんなぁ・・・。

 

・EDが良い!

・・・2クールなので前半と後半でEDは異なります。第1クールはAimerさんの『Torches』、そして第2クールはmiletさんの『Drown』です。そしてこのどちらもが、本当に素晴らしいのです。『ヴィンランド・サガ』と言う作品、その物語や世界観にぴったりすぎるくらいにぴったり。

まずAimerさんの『Torches』はどこか悲しげな曲調にのせて、切実な願い、希望を見つめるような人の眼差し。歴史や理不尽な出来事に翻弄されながら、それでもただただ懸命に生きている人の姿を歌っている歌詞、それを歌うAimerさんの歌声が、より一層の哀切さ、そこから生まれてくる強さを感じさせるのですよ。

そしてmiletさんの『Drown』、こちらもまたmiletさんの歌声、力強さ、生命力を感じさせるそれが、もうたまんないのよ。一歩、一歩、大地を踏みしめるような足取りを思わせるメロディに、傷ついた者を抱きしめ、癒すような、そして力づけるような歌詞。それが物語の余韻を一層、深めてくれるような楽曲なのです。

勿論、OPも良かった。良かったんですけど、このAimerさんからmiletさんへのEDリレーは最高だった。Season2は、物語の内容はがらりと変わるのですが、できればEDは再びこのおふたかたに担当していただきたいなぁ、と個人的には思っております。

 

さ。そして。

ここからは盛大なネタバレ、Season1の終わりを書いていきます。

普段ならこういうことはしないのですが、Season2のPVなどで、既にSeason1がどのような終わりを迎えたのかが明確にされていることもあるので、今回はネタバレしてしまおうと思います。

ただ勿論『ネタバレは絶対に嫌だ!』と言う方もいらっしゃることでしょうから、その場合はそっとこの画面を閉じて下さいね。

 

はい。

 

てなことでラストはこちら。

・トルフィンの人生が始まる

・・・父を殺害したアシェラッドに復讐をする。それだけを心にトルフィンは人生を歩んでいきます。アシェラッドとの決闘の権利を得るために、ただただ戦いに身を投じ、人の命を理不尽に奪い、人生を過ごしていきます。

しかしSeason1のラスト、アシェラッドはトルフィンの手にかかることなく亡くなります。

その裏側にあるのは、アシェラッドと言う男、人間の出自に関わること。そしてその中で植え付けられ芽生えた、ある切実な願い、希望です。彼はその願い、希望を叶える、実現させるためにヴァイキングと言う、自身が憎む存在になり、殺戮を繰り返してきていたのです。そしてクヌートの存在に自らの願い、希望を託すことを決心した、決心できたアシェラッドは、自らの命をそこに捧げたのでした。

飄々として、粗暴で冷酷。人を利用する術に長けてる男の、あまりにも一途な願い。そしてそこに殉ずる形で死んだ男。それが先ほども書きました、アシェラッドがずるいと思う理由のひとつでもあるのですが。

いやだって、こんなんずるいでしょ?なんなんだよ、って感じですよ。

 

そのアシェラッドは今際の際、トルフィンに言葉をかけるのです。自分が死んだ後はどうするのだと。そしてそこからの言葉は、まぁ、ぜひとも作中でご確認いただければと思うのですが。

『あんたがそれを言うのかよ』と思いました。でも同時、最初から最後まで歪極まりない関係性ではあったものの、トルフィンの成長を最も間近で見てきたアシェラッドだから言えた言葉、アシェラッドにしか言えない言葉だよなぁ、とも思いました。

 

いずれにしてもトルフィンにとってアシェラッドは、人生そのものだったわけです。

彼がいたから生きてきた。彼を殺すために生きてきた。彼を殺すこと、その権利を得ることだけが生きがいだった。トルフィンの生きている理由、生きている意味、生きていることそのものだった。

 

そのアシェラッドが、自分の目的とは全く関係のない、アシェラッド自身の人生に殉ずる形で死んでしまった。いなくなってしまった。

当然、トルフィンは抜け殻のようになります。

生きる理由、生きる意味、生きることそのものを失ったわけですから。

 

そんなSeason1、2クールのラストのタイトルは『END OF THE PROLOGUE』です。

直訳すれば『序章の終わり』ですね。

 

自分自身の人生を歩んでいるつもりで、トルフィンの人生は、アシェラッドの存在によって成立し、その存在によって引っ張られていた、それだけしかなかったのです。

その存在がいなくなり、ここからトルフィンは、自分の人生を、自分の体で生きていかなくてはならなくなったのです。

本当の意味で自分の人生を取り戻し、自分の人生を自分で生きていかなくてはならなくなったのです。

しかしそれは、決して生易しいことではないはずです。

 

序章を終えて、ようやく始まるトルフィンの人生。

それが描かれるSeason2の放送が、私は今から楽しみでなりませんよ・・・はう。

 

はい。そんなこんなで本日は再放送中、来年1月からはSeason2の放送も予定されている『ヴィンランド・サガ』について、個人的に思うことをやんややんやと語ってまいりました。

とりあえずあの、あれ。

今、再放送を見ていらっしゃる方は14話の原さんの演技に戦慄して下さい。ふふ。

 

ではでは。

本日の記事はここまでです。読んで下さりありがとうございました!