tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

1が付く日なので~残り少ない読書感想文を放出するよ

はい。と言うことで21日、1が付く日なので読書感想文を放出する日です。

タイトルにも、そして今までの記事にも散々、書いてまいりましたが、いよいよストックの底が見えてきました。

その残り少ないストックの中から、とりあえず今回はこちらの作品の感想を、どうぞ。

  

・伊吹亜門『刀と傘』・・・江藤さん、あんたはそんなふうに殺されちゃならない人だ。だから私は、って師光は言ってそうだ。怒ったような顔をして、こう言ってから、でも、江藤さん、あんたって人はほんと、仕様のない人だなぁ、って笑っていそうだ。困ったように、でもどこか嬉しそうに。うん。いや、そんなこんなで面白かったです。新人さんだけど、まず文章が本当に巧い。きれい。情景とか匂いとか、空気が伝わってくるようで、そう言ったものが登場人物の心情を的確に表現しているようでもいて、とても新人さんとは思えないような表現力で、読んでいて心地が良かったです。それからミステリ的な部分も論理的で、読みごたえがたっぷりで面白かったです。そして何より登場人物ひとりひとりの個性、と言うか、人間味がしっかりと描かれていて、時に面白くてくすりと笑ったり、切なくてきゅっときたり。激動の時代、昨日まで黒とされていたものが急に白になるような時代にあって、その流れに迷うもの、その流れについていけないもの、そうした人たちの時代に流されてしまった故の生き様、そこからくる悲しい様々な事件が本当に丁寧に描かれていてミステリとしては勿論のこと、人間ドラマと言うか時代小説としての面白味もあったように思います。ねぇ、動機がどれも切ない。そして何と言っても江藤と師光ですよ!こう言うのが読みたかったんですよ!はい。いや、でもほんと。惜しむらくはもう一遍、弾正台と監獄舎の間に、殺人の絡まない事件に対峙する楽しげな二人の話があれば、と言う気がしなくもないけれど。いや、でもほんと、このふたりの関係性が…もう…(悶絶)。いや、てか、冷静に考えて。これってどんなBLよりもBLじゃね?だって最終的に師光は江藤を守るために、その命をここに留めるために殺人まで犯して自害と言う道を選んだんたよ!BLじゃん(どーん)。いや。はい。でも師光にしてみれば、そうしても、そうまでしても江藤と言う人間には生きていてほしかったんだろうな。これからの時代に絶対に必要な人だと、信じていたんだろうな。そしてだからこそ、強引すぎる江藤に、せめてその道を改めるきっかけを感じて欲しくて、こういう手段を選んだんだろうな。江藤は確かにとても優秀で、でもこれからの時代にその優秀さを活かすのであれば、活かされるのであれば、人として決して踏み外してはならない領域がある、そのことを分かって欲しくて、こういう道を選んだんだろうな。多分、江藤のことを誰よりもわかっている師光だからこそのこの選択が、またこれ切ない…。そして江藤。なぁー…うーん…なぁ…師光の死に何を思ったのか。あるいは師光のこの手段がなければ、と思うとこれまた切ない。時代が時代だったら、江藤の強引さももっと違う形で活かされたんだろうし、師光もこんな手段をとらなくて良かったのかもしれない。二人が出会うこともなかったかもしれず、でもこんな結末を迎えることもなかったのかもしれない、と思うと、彼らもまた時代に翻弄されたと言わざるを得ないなぁ…。てか師光は実在の人物じゃなかったのね。本当に人間味あふれる、人間味のある人物像で描かれていたから、江藤同様、この人も実在の人なのかと思って調べちゃったわよ…はい。あぁ、でもどう。師光の自死と言うのは、うーん…江藤が自分の罪を認めたこと、それがきっかけと言う気がしなくもないなぁ、と読み返して思った今。監獄舎のラストではどうなったのか、わからないままじゃないですか。で、ラストの話で江藤がそれを認めたことで、師光はとてもショックを受けている。もしかしたら師光は、江藤が罪を認めないままでいたなら、自死は選択しなかったんじゃなかろうか。江藤が罪を認めた、だからこそ、その罪に対する罰として自死を選択したんじゃないだろうか、とも思うんだが…あぁ、切ないなこれ。はい。ほんと、どの話も面白く、胸に染み入るような自然の美しさ、それに対するような激動の時代と、そこに翻弄される人のかなしさのようなものが描かれていて素晴らしかったです。はい。そんなこんなで、この詩リースの続編は望めないけど(涙)、ぜひ、また発売されるであろう新作を楽しみにしたい作家さんです。

 

若竹七海『殺人鬼がもうひとり』・・・うーん、この後味の悪さよ(笑)。後味の悪さと言うか、何だろう、とても不快。何だろ、うん、こー、性格が悪いと言うか自分のことしか考えず、他人のことなんて知ったこっちゃねぇよ、って登場人物って、ともすれば魅力的だと思うんです。現実には嫌だけど。そう言う人物の突き抜けた感じと言うのは嫌いじゃないんだけど。いやぁ…砂井に関しては、何と言うか、本と不快。警察官と言う職にあると言うこともその理由かもしれないけど、何と言うか、妙にリアリティがあるんだよね(笑)。うん。ねぇー、だからものすごく不快。こんだけ不快って打ってんだから、一発で不快って出てこいよ。はい。ねぇ…でも何だろ、多分、世の中の多くの人が程度の差こそあれ砂井なんだと思うよ。じゃなきゃやってられないって。ただ砂井の場合は、よりによって警察官と言う立場にあるだけであって。いや、考えてみてよ、現実の警察官なんてほんと、自分の保身と利益しか考えてないからねー。ねー。はい。不労所得万歳。そのためになら殺人鬼だってもう一人、増やしちゃうよ!…と言う表題作は、ただひたすら弟のことを思い続ける姉が不憫でならなかったよ。だからこそやるせなく、不快も一層、増したと言いますかね。ねぇー。はい。この不穏な突き抜け感と言うか、諦念の果ての自己保身のリアリティ、不気味さ、不快さはさすがの一言でした。はい。てか、こんな街、住みたくないよ(笑)。ただ一作、『葬儀の裏で』は、ブラック度満点の作品だったけど、なんか共感できたな。本家の生き残りとして、清濁併せのみ込み、それこそ今にも枯れてしまいそうで、それでも必ず春が来たら花びらを満開に咲かせる櫻のようなサクラの姿が美しく、悲しく、そしてとても毅然としていてかっこよく見えた。この舞台となった街、辛夷ヶ丘ってのは、実はどこにでもあるような街なんだと思う。街ができ、栄え、けれどやがては衰退していく。その中でそれでもその中でしか生きられない人間、あるいはその中で生きていかざるを得なかった人間と言うのは、いわば閉じられた人間であり、だとすればこの物語の登場人物のように、変な言い方だけど頭が少しばかりおかしくならなくちゃ、倫理観が少しおかしくならなくちゃ、そうしてでも自分のことは自分で守らなければやっていけない、とも思えるけど、そんなことで納得してしまってもいいものなのかどうか(笑)。そして辛夷ヶ丘が、あそこにも、ここにもあり、その中で生活をしている人は山ほどいると思うと、ぞっとしない。

 

上遠野浩平『恥知らずのパープルヘイズ』・・・泣いた。はい。フーゴはとても頭が良くて、そして言い訳が上手な人なんだろうな。だからあの時、たった一人、ついていかない道を選んだ。ブチャラティたちが悪い、と言うかおかしいんだ、と言う、彼らの方が自分を見捨てたんだ、彼らが自分の言葉に耳を貸さなかったんだ、と主語を彼らに置くことで、自分を置き去りにしていた、あるいはそう言う保険を置くことで、自分が傷つくのを、そのダメージを少しでも軽減させようとしていたんじゃなかろうかな。それはとても賢いとも思うし、けれどとても臆病で、うん、だからこそとても愛おしいと私は思ったよ。恥知らず、とは勿論、組織から見捨てられ、のうのうとひとり生き残った恥知らずの弱虫め、と言う意味合いもあるんだろうけど、それ以外にも、主語が自分ではない、傷つくことの主語すらも自分ではない、そしてそのことにすら気がつけていない、そのことすら知らないままの、と言う意味も込められているんじゃないだろうか。ラスト、ジョルノに手を伸ばされた時、それでもフーゴは、これがブチャラティであれば、彼のその姿を自分は見ているだけであればどんなに楽なことかと思った。でも、そうはならない。そしてあの別れの場面で、ナランチャもまたブチャラティに命令を乞い、けれど最後には自分の意志で、彼自身の意思でブチャラティたちについていくことを選択し、そしてこの世を去った。そうしたことがあってようやくフーゴは、恥知らずではなく、恥を知る、人生の主語は自分にあり、傷つくこと、後悔することのどうしようもない痛みを知った、恥を知った人間になったんだろうな。またこの時のジョルノのセリフが憎い。君が一歩を踏み出せないと言うのなら、僕の方から半歩だけ近づこう。かぁー・・・・ジョルノやわ、ジョルノやわ(大切なことなので二回言った)。フーゴが失ったものはあまりに大きく、彼はその重さに、これから少しずつ打ちのめされていくのだろう。傷つき、ボロボロになり、もしかしたら自分が主語となる選択で取り返しのつかない結末を招いてしまうのかもしれない。それでもきっと、その時の彼は穏やかに微笑んでいるんじゃないだろうかな。はい。いや、そんなこんなでスピンオフ作品、作者は全く別の人なんだけど面白かったです。パープルヘイズはかっこよかったし、敵さん側のキャラクター、スタンドも本当に魅力的で無理を承知でこちらもアニメとしてみてみたいと思ったくらいです。また敵さん側のスタンドがとても精神の在り方とか、思いの形とかと直結していると言うのも興味深く、個々の活躍シーンが短かったのが口惜しいくらいですよ!獰猛で凶暴ですべてを滅ぼしかねないスタンド、パープルヘイズ。けれどその獰猛さ、凶暴さを内へと喰らうことで、他者を喰らうという矛盾したパープルヘイズは、ようやく自分の人生を歩き始めた、その扉の前に立ったばかりのフーゴを具現化しているようで。

 

米澤穂信『本と鍵の季節』・・・堀川君は、そう言えば良かったんだと思う。でも、言えないよな。言えば良かったと思うと言うのは、私だから言えることだもんよ。お守りのようにしてただそこに置いておくだけ。弱みは作りたくない。そう言った松倉の気持ちが、私にはもう涙浮かべるほどに理解できた。勿論、根底にある思いの方向性は全く別なんだろうけど、でも、まとまった現金がそこに、すぐそこにあると言うのは、それは確かに精神的にはとても強い安定剤になると思う。まして母や弟、そして自分のことを考えている松倉にとっては、いかほどだろうかな。なぁー。知らないままでいられたなら。知られないままでいられたなら、どんなに良かっただろうか。堀川君と松倉の関係は、どうなっていくんだろう。きっと何も変わりがないように、でも水面の下で微かに何かがうごめくようにして、少しずつ、少しずつ変わっていくんだろうな。何だろ、多分、その変化の兆しってのは最終話までにもところどころで多分、堀川君も松倉も感じていたのだと思う。でもそれは友情と言うベールで被われていたようで、だけどそれが最終話にしてばっ、と剥がされてしまったような。そんな感じ。うん。でも、きっと堀川君にとっては松倉は友人、なんだろうな。友人。友人。いい響きだな。はい。そんなこんなで、こういう作品書かせたら右に出る者はいないと言っても過言ではない米澤先生の最新作です。ほんと、ほろ苦いと言うか、あぁ、とため息つくしかないような切なさと言うか、複雑な感情がこみあげてきて、なんか、もう(苦笑)。でもほろ苦さだけじゃなくて、ふたりの、文系男子高校生らしい地味な、きらきらからは程遠い、だけどさらさらと淡く輝いているような日常、友情も描かれているからこそ、なおのことやるせない思いが込み上げてくると言いますかね。ほーんと、意地悪(笑)。いつものように図書室で松倉を待つ堀川君。複雑極まりない、だけど、待つと決めた彼の静かに澄んだ心が深い余韻を感じさせるラストでございました。切ない。

 

はいよ。

ってなわけで残りは・・・4冊ですか?

 

ほんと、これも再三、書いてまいりましたが。

この読書感想文のコーナーを始めた初期の頃、突っ走り過ぎたんだよ・・・。

今から考えると、ほんと、先のこと考えてもっと出し惜しみしていれば・・・もっともっとこのシリーズ、長続きさせられただろうに・・・。

 

1の付く日はこの記事を書くことで、記事作成が手抜きできるから楽だったんだよ・・・(本音)

 

まぁ、でも、仕方ない。

出してしまったものはどうしようもない。

 

てなことで、ちゃんとしたと読書感想文の放出は、次回、7月31日がラスとになりそうですね。で、その後には、最近、読んだ本で、記録だけしてある、感想は書いていない本の紹介と言うことになりそうです。

その後は・・・どうしようかなぁ(遠い目)

 

はい。

てなことで、今回、紹介した本の中だと伊吹亜門さんの『刀と傘』がおすすめです。

めちゃくちゃ面白かったです。バディものとしても、そして時代小説としても、ミステリとしても、本当にそれぞれの魅力がいい塩梅で混じりあっていた作品だと思います。そしてプラス、伊吹さんの新人離れした筆力、構成力も目を瞠るものがあり、作品の世界に引っ張られたが最後、ページをめくる指を止めることができなかったと言う思い出のある作品です。

 

今年、新作『雨と短銃』も刊行されたんですよねぇ。ねー。欲しいなぁ。

 

そう言えば、フルタイムで働く前は、毎週のように、下手すりゃ週3とかで図書館に行っていて、新刊も借りていたけど・・・もう2年は図書館、行ってないなぁ・・・良く元気がない(ちーん)

 

ではでは。

先程も書きましたが、次回はちゃんとした読書感想文放出、ラストです。

31日ですね。よろしければお付き合い下さい~。

それでは、今回の記事はここまでです。読んで下さりありがとうございました!