tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

1が付く日なので~読書感想文を出す日です

読書感想文を保存しているUSB開いて唖然としました。

 

ここ最近の読書感想文、全然、書けてないやん!

 

はい。慌てて、記憶を掘り起こして書いてはいますが・・・あかん。

 

あかん(遠い目)

 

そんな具合です。逃げるように、過去の読書感想文、いつものように放出します。

ただの字の塊です(汗)

 

・宇佐美まこと『愚者の毒』・・・…愚者つながりでもう一冊の本と購入したった、と喜んでいたけれど、どうなんだろうね。評判が高いので驚いた。好き嫌いの違いだな。東野圭吾の『白夜行』をイメージすると、と言う酷いネタバレ通りの構造で、あちらが、犯行を行った側の心情が一切描かれず、それを追い詰める側によって明かされていく過去から、読み手が想像できる、その面白さ、そして少しずつ真相が暴かれていく楽しみがあったのに対して、こちらは犯行を行った側の心情がこれでもか!と言うほど丁寧に描かれていて、そう言うのを楽しめる人にとっては、良作だったのかもしれない。が、その分、ミステリとしてのドキドキ感を期待していた私にとっては、甚だ辛気臭いことこの上なかったし、何と言うか、希美が、時にはただただ自分たちの境遇に酔っているような女性にしか見えないような一面も感じたし、入れ替わりじゃね?達也じゃね?と言うのも、割と早めに疑うことができたので、その通りで特別な驚きもなかったし、その辺で期待はずれだったと言う気が。はい。ラストの章、希美によって全てが語られるんだけれど、何か、どうなんだろうね。そこは小説と言うより、何か説明文を読ませされているような気がして、正直、楽しくなかった。せっかく、前の章で死ぬことよりも深い絶望、生き続けなければならないと言う絶望が描かれていたのに、希美があれやこれやと語ることで、勇次との関係を語ってしまったために、しかもそれがやたらと文学チックな語り口で綴られるものだから、何か、自己陶酔の塊を見せつけられたような気がしてならなかった。悲劇が、絶望が、一気に陳腐なものに変わってしまったと言うか。無駄に語り過ぎ。語らずして語ると言うこともあるんじゃなかろうか。どんなに頑張っても希美と勇次が歩んできた辛苦すべてが読者に伝わるわけなく、ならば、語らないことで読者の想像に委ねると言う方法がとられていても良かったように思う。うん。そうだな、希美の心情に限らず、ハコの心情もそうだし、自然の美しさなんかにしてもそう。語り過ぎて長すぎて、嫌気を感じることもしばしばありました。うん。この作者さんは初めてなんだけど、多分、出来事や行動を描くことよりも、登場人物の心情を描くことで物語を進めていくタイプの作者さんなんだろうな。そこが私には合わなかったです。はい。

 

・戸南浩平『木足の猿』・・・いやはや。凄い新人さんがあらわれたものだ。素直にそう思う。新人離れした膂力と言う冠も、決して過大評価ではないでしょう。今後、どんな作品を描かれるのかが楽しみな新人さんです。はい。帯にあった『男たちの生き様が、熱く、せつない!』と言う惹句も、いまどきにしては珍しいくらいに、その通りでした。しかも何がお見事か、って読み進めている時は、『奥田の復讐がどのように事件に絡んでいくのかなぁ。イギリス人殺しと、それとはあくまでも別問題のままで終わっていくのかなぁ』という思いがあったんだけど、読み終えてみたら、そのふたつが、まぁ、見事に絡んでいたこと。絡ませなくても、あのまま矢島に復讐を果たして終わり、でも勿論、この作者さんの表現力をもってすれば、多分、十分満足できていたと思う。だけどそれをひょいと飛び越えて、ミステリとしての驚きもしっかりと用意して、その上で『木足の猿』としての生き様を描ききった、その構成力、手腕には脱帽です。はい。とにかくせつない。作者は50代の方なのですが、成程、このせつなさ、渋味、人生に対する悲しみのようなものをここまで描ききるのは、その年齢があってこそ、様々な人生経験を積み重ねてこられたからこそなのだろうな、としみじみと納得した限り。生きていかねばならぬ、その残酷さと、時代のうねりについてゆけぬ、個々としての矜持、その悲しみのようなものが、控えめな表現からばしばしと感じられて、何と言うか、本当にせつない。『夜が明けた。雀が鳴き、鴉が羽ばたく。鳥や虫、けものたちは身を震わせるような寒い日だとしても、食い物を見つけるために塒で眠っていることは許されない』―だけどこれは人間にもあてはまることで、時代が大きく変化したことでそれまでの価値観が一変し、だけど、それに合わせることができず、さりとて生きるためには生きていかねばならぬ人間たちの不器用な様が、本当に胸を打つ。ただただ水口のことを想い、迷いながらも、半ば自暴自棄の境地で矢島への復讐だけを胸に生きてきた奥田。武士の娘と言うだけでなく、時代が変わったとしても人としての正しいあり方を胸に、強く、強く生きてきたお陽。時代の変化にうまく対応しながらも、その実、決して断ち切ることができなかった主への忠誠に、己が人生を託し、立ち回っていた玄蔵。そして、ひとつの時代が『死んだ』ことで、自分をも『殺し』、新たな己として生きる道を選んだ水口。それぞれの生き様が本当に熱く、真摯で、だからこそ悲しくて、何だろ、生きることの陰のような部分をしみじと感じさせる。17年も矢島を追いつづけていた奥田。それを笑った水口。忍としての、草としての生を強制され、自由と広い世界を夢見、それを実現させ、しかし現実を知り、こだわることの一切を放棄した水口の目に、奥田の17年は、その思いは、どんなふうに映ったのだろう。なぁ。重いなぁ。個々の人生と、時代という大きな生きものの生。そのふたつが相容れなかった時、当然、個々の人生は大きく振り回されるわけで、それはもうめちゃくちゃ残酷なことだし、もう途方もなく悲しいし、だけど不器用なその生き方が愛おしいし、振り回されても断ち切ることができないその思いは、だからこそ重く、鈍色のような輝きを放ち、その人の傷だらけの人生を支えるような存在になり得るんじゃないだろうか、とも、特に奥田とお陽の生き方には思ったりもしました。だけど、自らを支える感情の在り処、その方向性を見誤ってしまった水口の存在も、決して責められるべきものではないとも思う。まじめで、優しく、高潔で、賢い人だったからこそ、水口はこんな方法を選んでしまったのだと思うと、それもまた悲しい。はい。いぶし銀。この作品を一言で褒めるなら、この言葉がぴったりです。いぶし銀(どーん)。死してようやく、望んだとおりの広い、広い世界へと旅立つことができた水口。対して奥田は、これからも変わりゆく時代の中で、『木足の猿』として生きていかねばならないのだろう。骨身にしみた雨の冷たさが何かを予感させるようで、それでも静かに、誠実に、ただ生きていくことを生きていく、そうせざるを得ない奥田の姿が目に浮かぶようで、胸が締め付けられるような思いがします。うん。うねりの中で、個人としてどう生きていくかを問われているような。そして、けれど、思うようには生きられぬ不器用さ、残酷さを突きつけられているような。人生の悲哀を描ききった、快作だと思います。はい。いやぁ、これはほんと、次作が楽しみですな。

 

歌野晶午『そして名探偵は生まれた』・・・騙されたい。その一心で借りた一冊。はい。結果としては満足です。『そして名探偵は生まれた』…こういう作品、好き。BL展開すら想像してしまうくらい仲の良い名探偵と助手のコンビ。勃発した事件。そしてその最中、亡くなってしまう名探偵。さぁ、その無念を晴らすべく、助手が大活躍するよ!…って、お前が黒幕やったんかい!うーん、この流れ、最高。名探偵と言う存在に、怖いくらいの潔白さを求めた助手君こそ、まさしく名探偵になるべき存在なんだろうね。名探偵も人の子、けれどそこに与えられるのは神にも近い役割であり、だからこそ、人の子であること、一切の欲も悪も許さないと言う助手君のこだわりのようなものが見えて、怖いような、でも嫌いじゃないよと言いたくなるような。『生存者、一名』…そして誰もいなくなった、を彷彿とさせるような作品で、緊迫感がたまらなかった。ラストはにんまり。ちょっとややこしいところもあったけど、要は赤ちゃんが一人、生き残ったと言うことでいいんだよね。うーん。どっちの子どもなのかなぁ。『館という楽園で』…これがいちばん好き。何だろ。ミステリって、ものすごく生々しいものだと思うんですよ。だけど同時、とても夢のような、幻のような、憧れのような美しさのようなものもあると個人的には思っていて、それは多分、いわゆる新本格派と呼ばれる作家さんたちの、古典に対する憧れ、尊敬の念みたいなものを多少なりとも、作品から感じているからかもしれないんだけど。こー、論理を組み立てていく様とか、それでいて一発逆転、人を欺くことにすべてを賭ける様とかが、本当に儚くて美しいと感じるのですよ。うん。で、本作には、歌野先生のそうした、ミステリに対しての愛情にも似た強い、強い思いを感じることができたな、と個人的には思うのです。だから、すごく優しい作品だなぁ、と。勿論、とても悲しくて、切ない話でもあるんだけど。でも、冬木さんにしてみれば、本当にしあわせな結末なんだろうなぁ、と心底、思うことができたのです。人はどう生きたか、どんな思い出を積み重ねてきたかが重要で、でも、そうしたことを忘れさせるくらいに、最後と言う最も近い今が充実していること、幸せであることも、実はとても大事なんじゃないかなぁ、と改めて思わされた作品です。ミステリ的にもものすごく凝っていて、だけど、人間が描けていないと度々、評価されることもある新本格派に対する声への、反論のようにも思えるほど、とにかく人間味ある作品だったと思います。

 

・桐山徹也『愚者のスプーンは曲がる』・・・人を何気なく笑わせることの方が、人を泣かせる、悲しい思いにさせるよりもはるかに難しいと思う。こと、小説などの創作物においては。しかしこの作品は、さらり、と、ひょぃっ、と障害物を飛び越えていく猫のような身軽でもって、そのことを実現していた。ならばそれだけで、この作者の非凡さが窺い知れるのではないか、と言う話。面白かったです。初期の伊坂幸太郎氏を彷彿とさせるような文体と世界観。そしてシリアスとユーモアの絶妙なバランス。登場人物のキャラも立っていたし、とにかく先へ先へと読ませる力に満ちていた作品だったと思います。うむ。超能力とその代償と書くと、凄くかっこいいものを想像するけれど、そうばかりじゃないと言うのもまた、筆者のユーモアセンスが出ていると思う。肛門にモノを突っ込むと、その物の記憶が読み取れるって…うわぁ(笑)。一方で、見る者すべてを魅了する力を持ってしまったが故に、四肢を切断されても生きることを余儀なくされた少女とか。悲しいことこの上ないし。もしかしたら、この広い世界の中、ひょっこり、こんな能力者たちとすれ違っているのかもしれないと言うリアリティさを感じさせつつ、だけどやっぱり、物語の登場人物らしさも持っていて、皆が愛おしくなりました。はい。どうやら続編ものになりそうな感じ。是非、アニメとか漫画にしても面白そうだなぁ、と感じました。はい。読み終えたのが少し前なので、感想が短くなってしまうのを許して。そして明日から、無職生活4ヶ月目に突入するのも許して…お金が欲しい(直球)。

 

・岩木一麻『がん消滅の罠~完全寛解の謎~』・・・選考委員の1人、大森望さんの選評がすべてを物語っていると思う。そうか、そのうえでそれでも、と大賞に選ばれたのは、医学ミステリとしては傑作だからなんだろうな。ミステリとしてじゃなく、あくまでも医学ミステリとしては、と。はい。ラスト1行の衝撃には多少、にんまりとしましたが…うーん。こういう作品は難しいな。どうしても専門用語の解説しなきゃならないし、それを自然にやろうと思ったら結局、登場人物たちに会話させるしかないわけだし。そこはわかるんですけどね。うん。ただ、会話シーンだけでだらだらだらだらと続けられても、読む気は失せる。これで多少なりともキャラクターに魅力があったらまだしも、何かどのキャラクターも親近感もわいてこないし、好ましい感じも持てなかったし、むしろなんかやたらかっこつけているだけのようにも思うて、気持ち悪さすら感じたし。うーん。物語の展開も、なんかのっぺりしたと言うか。まぁ、事件らしい事件が起きるわけじゃないから仕方ないんだろうけど。起伏がない、盛り上がりが薄いと言う気がしてならない。医療ミステリと言う分野を、それをそれと意識して読んだことがないから他のそれがどういうふうなのかがわからないので、何とも言えないけれど。こういうものなんでしょうか?専門的に見れば、このネタもお見事!と言えるものなのかもしれないけど、素人にしてみれば、その人のじゃなかったら他人のだわな、と言う気がしてならない。うむ。医療ミステリであれば傑作なのかもしれないけれど。小説として見てみれば、ただただ楽しく読むことはできなかった作品でした。はい。

 

・遠田潤子『鳴いて血を吐く』・・・専門的ミステリじゃなくても、人間が描けていればこんなにも魅力的な作品が仕上がるんだぞ!はい。ラスト付近の、やたらと緊迫感のない、急に作者が力尽きてしまったかような監禁シーンはともかくとして、本当に面白い、読み応えのある作品でした。ごんぎつねの台詞、『ごん、お前だったのか』。その言葉を口にすることだけを願いにして生きてきた実菓子の思いには、思わず涙。切ないなー。何だろ、多分、ごんぎつねにおいては、私は、ごんは、とうして撃たれたの?って言う悲しみの思いの方が大きかったと思う。だからその、それでもこの言葉を聞いて幸せだった、と言う多聞の意見には承服しかねるんだけど。ただそれでも、その一言で、自分の存在を大事な、大事な相手に刻み付けることができたのだとわかったんなら、それそれでよかったなぁ、と思えることなのかもしれない。で、人間でありながら人間として認められず、自分でもそのことを受け入れてしまったいた実菓子にとっては、きっと、そう言われることで初めて自分が人間としての何かを取り戻し、人間として認められたと思える証のような言葉だったのかもしれないなぁ、と。そんな方法しか選ぶことができなかった実菓子は、とても不器用で、だけどそんなふうにしかできなかったことを思うと、胸が押しつぶされそうになるのでありますよ。はい。物語の最初と最後で、あらゆる登場人物たちの、とりわけ実菓子の印象ががらり、と変わるのもお見事。それだけでも、とても読みごたえがありました。後はやっぱり実菓子の存在そのものの大きさと言うか、本と、惹きつけられて止まない、その人間離れした美しさ、妖しさすら感じさせる静謐な、だけど圧倒的な存在感のようなものが余すことなく描かれていて、何だろ、彼女が出てくるたび(ほとんど出てきてるんだけど)胸がさわさわとざわめいて仕方なかったです。何を考えているか、まるで読み取ることができなくて、だからそれ故、読者も多聞同様、彼女の存在に振り回される。でもだからこそ、彼女は必死に、ただ自分の大切な人を、思いを守り抜くために、不器用なりに頑張ってきたと言うことがわかったラストのカタルシスも大きいんだよなあ。うん。そして明らかにされた真相と言うのは、何ともおぞましいもの。なぁー…誰が悪いって言うのも、なんか違うような気がするけど…うーん…『家』は牢獄、と言う言葉を、しみじみ思い出した。そして『家』と『男』に置き換えると、その支配下に置かれる弱き女性、子供と言うのは、どこまでも被害者なんだなぁ、と思わずにはいられなかった。多聞の母親も、実菓子の母親の鏡子さんも、決して正しいことは行っていない。だけど、子供を産み、育てることしか『家=男』に対しての立ち向かう手段を持っていなかったわけで、そうせざるを得なかったその心中、立場と言うものを思うと、それはそれで一概に悪とは言い切れないよなぁ。うーん。ただ、その矛先を実菓子にまで向けてしまったのは、やっぱり間違いだよな。はい。藤家と斧家、わかりやすい旧家の対立、その中に否応なしに巻き込まれ、人生を振り回された人たちのことを考えると、なぁ、その末路として命を絶つしかなかった不動、そして傷だらけになって生きるしかなかった実菓子の存在が、本当に切ない。だからこそ、幸せを謳う実菓子の絶唱がページから聞こえてきて、こちら側の胸をかきむしるように響き渡るような気がして。これから先、人間としての実菓子の、そしてあらゆる何かから解き放たれたであろう多聞の幸せを祈らずにはいられないのでありました。

 

・アンソロジー『大密室』・・・読んだ作品もちらほら入っていたけれど、やっぱりラスト2作が群を抜いておもしろかった、のと、北村先生の蓮城那智シリーズが恋しくなった本作品。法月先生作「使用中」は、まさか作中で語られていた別作品のストーリーそのままにストーリーが展開すると言うストーリーが、もう秀逸。サイコパスな殺人犯と、便意に夢中なあまり思わぬ騒動に巻き込まれてしまった編集者の心理戦と言うか、せめぎ合いのようなものがおかしくも、たまらない緊張感をもってして描かれていたように感じました。どうなんだろ。普通に考えると非常ベルは殺人犯の仕業と言う流れなんだろうけど。果たして、編集者君はトイレを出るのか、出ないのか。もし、自分がその立場におかれていたらどうしようかと真剣に悩みたくなる作品でした。ってか、便意、最強。便意、最恐。それから山口先生の作品。あのまま、人間が人形になってしまったと言うようなオチでも個人的には嫌いじゃなかったんだけど。そこからもうひとひねり、実は精神的な密室がそこには存在していたと言うオチが何とも衝撃的で、けど皮肉も効いていて、ニヤニヤしてしまいました。密室なぁ。なんか、こー、綾辻先生の館シリーズみたいなの、読みたいな。こー、館に人が集って、そこで次々と殺人事件が起こる、みたいなの。ドキドキするなぁ。と言うか、館シリーズの新刊を出してくれればいいのだよ!(どーん)。

月村了衛追想の探偵』・・・…機龍警察の新刊は、いつですか?(真顔)。はい。日常系ハードボイルドと言うことで、もう安心安定、非常に面白く読めました。氏の映画などに対する愛情の強さも感じられたし、その制作に携わってきたすべての人たちの思いや時間、そこに埋もれている謎のようなものが無理なく、嫌味なく解き明かされていく様子も読み応えたっぷりでした。うん。何より印象に残ったのは、主人公の女の子の働きっぷり。何だろうなぁ、『サクラクエスト』で主役やってる彼女に声をあてて欲しいくらいだわ。うん。無職生活もすっきり板につき、外世界との交流を極端に恐れている私にとって、どこかに就職して、しっかりと働くと言うのは、今まで縁のないことで、その生活と言うのは私が得なかったものでもあって。勿論、その生活をしっかりと身に着けた弟を見ているとわかるけど、やりがいを持って日々、きらきらきと働いていると言うのは物語の中のことだからこそ、と言うのは良くわかる。うん。だけど、なんだろうな。それでもやっぱり、私には今作の主人公が、とても、とても羨ましく思えた。それは、やるべきことと、やりたいこと、そしてやれることが一致しているからなんだろうな、と思う。家に帰ってもぶっ倒れるように眠るだけの生活で、どうしてそんなに頑張れるの?と思うこともあった。だけどそれはやっぱり、彼女にとって仕事はやりたいことであり、やるべきことであり、そしてやれることだからなんだろうな。だから彼女は、人に何度、問われても、さられと切り返せるのだ。『仕事ですから』と。羨ましいな。うん。そんなにも正々堂々と仕事に向き合い、その中で、自分の思いを実現させていくことができる、そうした環境を許されている、だけどその環境に甘えることなくやり遂げることが出来る彼女が、心底、羨ましいと思ったよ。仕事は、生活の糧を得るための手段である。それはその通り。だけどたからこそ、それがもし、自分のしたいことで、自分のできることであれば、人生は、日々は、どれだけ輝きを増すことだろうか、と思う。うん。なので個人的には、人探しの妙、その面白さのようなものも浸みましたけど、それ以上に、主人公の仕事に対する向き合い方や、仕事そのものに関しての思いに心打たれました。はい。これまた続編が出たりするのかな?…そ、その前に、機龍警察の新刊はいつですか?(大事なことなので2回言った)。

 

・柴田よしき『風精の棲む場所』・・・村に囚われている彼女を自由にするために殺害した、と踏んでいたら、遠からずと言ったところなのでびっくりしました。はい。切ないね。うーん。何だろうなぁ。知ると言うことの残酷さと、知らないと言うことの寂しさと、幸福さを思った。それこそ、ゼフィラム?と呼ばれる蝶のように、儚げでも自由に、輝いて羽ばたくことができる、許されているはずである年代の彼女たちにとって、けれど、それすらも、更にはそれから先も許されていないと言うのは、どんな思いだろうかなぁ。けれどれもまた、知らなければ淡い憧れのままで終わるはずであり、だからこそ、知る、知ってしまうことの不幸さのようなものを思わずにはいられませんでした。うん。何だろうな、村と言うか、閉ざされた集落にありがちな人間関係とか、女性に対しての見方とかがすごく生々しく描かれていて、うーん、ほんと、色々考えさせられました。ただひたすらに自由を求め、飛び立とうとした彼女たちは、実はとても勇敢なんじゃないだろうか。はい。後は、物語の終わり方も幻想的でよかったな。最後まで、物語の雰囲気を壊すことなく貫いたと言う感じがして。はい。そんなこんな。

 

西尾維新十二大戦』・・・アニメ化と言うことで読んでみた。兎さんと牛さん、寅さんあたりが美味しいなぁ、と思ったり。と言うか、本と、兎さん、どうしてそんな格好になっちゃったの。友達欲しさのあまり、そんな格好になっちゃったの?逆に誰も近寄らなくなるよ、そんな格好じゃ(笑)。はい。アニメ化、楽しみだな。どうなのかな。だけど結構、放送コードに触れる描写があるような気がするのが気になる。あまりその辺りはごまかして欲しくはないんだけどな。鼠さんの『たった一つの願いと割とそうでもない』のところも、描くのかな。ネタバレでその内容を知った身としては、やっぱりそれを描いてこそ、と言う気もします。はい。そんなこんな。西尾維新さんの本を読んだのは何年振りか。ただまぁ、面白いね。長きにわたり活躍されていて、長きにわたり支持を受けているその理由が、わかる。まずなんてったって、このキャラクターの濃さよ。そして人を馬鹿にしているような、ひょいと大切なことを躱すような作風でいて、剛速球ど真ん中ストレートで、こちらの胸をえぐるようなことをぶっこんでくる、その緩急自在の文体とかテーマとかも、本当に読みごたえがたっぷりで、胸を打たれます。今作においては、①正しいことをやると決める②やる、ですね。その言葉を胸に道を正すことができた寅ちゃんと、愚直なまでにそれしか知らなかったのであろう牛とのロマンスなんかも、また読んでみたいなぁ、とか。きっと血みどろロマンスなんだろうけど。申や酉の過去なんかも、面白そう。いかにも創作物のキャラクターらしいキャラクターでありながら、どこまでも人間臭いと言うか、ふとしたところで垣間見える、私たちと同じ生々しさが描かれていることこそ、西尾作品の大いなる魅力だと思う。うん。鼠さんの能力はチートやろ、チートが過ぎるやろ、とも思ったけど、これはこれでしんどいな。リゼロのスバルみたいなもんだもんな。1回、生き残るために99回、死ぬ。それは辛い。でも、1回、生き残るために1回、戦い、死ぬと言うのも辛い。うん。11の戦士が戦い、死に、そのドラマが繰り広げられた挙句が、『たったひとつの願いを叶える、と言うことを忘れさせてほしい』と言うのは何たる皮肉。でも、それこそが鼠の能力ゆえの、どうしようもない寂しさのあらわれなのかもしれない。何をするか、何を選択するか、その結果が全て見えてしまうと言うことの無力さのようなものも、そこには感じずにはいられませんでした。それでも鼠さんは、死ぬことを選択しなかった。ならば一体、何故、彼は生き続けるのか。死ぬのは嫌、と言うのは、もはや人間の根源的な拒否なんだろうな。理由はわからない。だけど、嫌。と言うか、こうなると、そもそもとして生きることって何ぞや、みたいな感じにもなって来て、そこももうなんか、11戦士が散ったことを思うと、あまりにも皮肉がきいていて笑えてくるのも、西尾作品ならでは、ですね。中村先生の12戦士のイラストも、とても個性があって素敵でした。…と言うか、兎さんの衣装も中村先生が決めたものなのだろうか…だとしたら、グッジョブすぎるよ…。と言うことで、繰り返しになりますがアニメが楽しみです!

 

はい。と言うことで本日はここまでにしておこうか。

 

そうですね・・・個人的に印象に残っているのは、戸南浩平さんと桐山徹也さんのデビュー作が、めちゃめちゃ面白かった、と言うところですかね。

特に戸南さんの『木足の猿』は、絶対、年末のミステリランキングでも上位に食い込むだろう、と確信していたのですが・・・うーん・・・。

おふたりとも、この作品以降、それほど多くの作品を発表されていないことを見ると・・・ほんと、作家で生きていく言うのは、めちゃめちゃ厳しく、難しいことなんだなぁ、と改めて思わされるような気分です。はい。

 

それから最後に登場した西尾維新さんの『十二大戦』ですね。

 

過去の私よ、アニメでは見事に、兎さんのコスチューム、再現されていたぞ!

しかもCVは岡本信彦さんだったぞ!最高の演技だったよ!あと鼠役の堀江瞬さんの、あの何とも言えない、鼠さんが抱えているありとあらゆる虚無を煮詰めた末の、いっそ清々しさすら感じさせて笑うしかないって感じの演技も、最高だったよ!

私としては、こちらのアニメはとても満足のいく完成度で、最初から最後まで楽しく視聴した思い出があるなぁ。はい。

 

あとは・・・無職生活4か月目に突入した云々という記述がありますね。

その記述を信じるのであれば、大体これを書いていたのは6月くらいか。

と言うことは・・・あと無職生活は半年、続いていたことになるのか。

 

ははははは!

はい。まぁ、このあたりのことも、いずれはブログに書きたい。

 

ではでは。今回の記事はここまででございます。

文字の塊、読んで下さった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました。次回の読書感想文は・・・4月は30日までなので、5月11日の予定です。

よろしければ引き続き、お付き合い下さい。