tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

休み~1が付く日なので読感放出+無職時代をちょっと振り返る

4勤第1弾終了!

また明日から4勤!

やってらんねぇわ!

 

はい。と言うことで本日は休みですが、1が付く日なので読書感想文を放出しておきます、ってか、今シフトは1が付く日に休みってのが多いような気がするけど気のせいですか、そうですか。

と言うわけで、まずはこちらの感想からスタートです!

 

・青山文平『半席』・・・時間が空いた。わずか1ヶ月の間に、私の人生むちゃくちゃだわ。黒い悪魔がやってきて、仕事は解雇になるし、ぎっくり腰にはなるし。最低だ。それでも、こうやって本が読めているのだから、まだまだ最悪ではないのだろう。ありがたい。でも、もう、希望もない気もする(ちーん)。おかしいな。感謝を忘れない人間のもとに運はやって来るって言うのにな。はい。そんなこんな。うっかりBLじゃねぇか!と突っ込んでしまった一作です。四十のおっさん上司×三十路手前の青臭い部下。たまりませんでした、ごちそうさまでした。…違う、多分、これは、そう言うお話ではない(どーん)。はい。でも、いいね。雅之さんのような上司なら、離れたくないと言う気持ちを抱くのも理解できますわ。最後の話で直人が、半席でなくなる可能性がついえたことよりも、雅之さんから頼まれていた仕事や、雅之さんとの関係が途絶えてしまうことに強い未練を抱いたのも頷ける。まっすぐ、まっすぐ進むはずだった道がふとした拍子でずれてしまい、けれどそのずれた道の先々で見た景色と言うのは、まっすぐまっすぐ道を歩んできた直人にとっては、とても新鮮で胸に響いたんだろうな。だからこそ、その道へと導いてくれた雅之さんと離れることに、そしてその道から降りてしまうことに未練があった。適材適所と言う言葉があるけれど、多分、直人のような、甘っちょろく、やさしく、正しいことを正しいと信じてやまないような性質のような人間には、『何故』を解きほぐす仕事こそが適材適所だったんだろうな。雅之さんもそれを見抜いていたからこそ、なんでしょうね。…しかし爺殺しの異名は…うっかりやっぱりBLじゃんか…。でも、その青臭さに嫌みがないと言うのも、直人の魅力であり、本作の魅力なのだと思う。すごく好感のもてる好青年として描かれていたと言うか。はい。あとはやっぱり『何故』の部分が、とても胸にしみました。それは身勝手であり、だけどどうにもならないものでもあり、誰しもに共通してあるような、感情のなれの果てのようなもので。雅之さんが作中で、年寄りについて語っていて、つくづく、その通りだよなぁ、と思った。若い内ならそうした感情も、なんのためらいもなく発散することができるのかもしれない。けれどそのタイミングを逃し、自らが背負うもののために、それをためこみ、ためこみ、年齢を重ねていって、そうしてたどりついた結末が、そのためにためこんできた苦しみやら葛藤やらに見合わないものだと、一体、自分は何を、どうしてこらえてきたのだと思ってしまう。そのことに気が付いてしまう。そしてこの先もこのままなら、今以上にためこみ続けてもどうにもならないのではないかと思い、それがふとした瞬間に爆発してしまう…あぁ、何か大切なことを学んだ気がするよ…。とは言え、そうした耐え、忍び、ひっそりと自らに課せられた役割を果たすべき生き、歩み、重ねてきた時間や姿にも重みがあり、美しさがあるってのが、また胸を打つんだよなぁ…。はい。あとはやっぱり、時代小説ならではと言いますか、街並みの空気とか、人が活き活きと生活を送っている様子とかが丁寧に描かれていて、あぁ、なんかいいなぁ、と感じました。あと食事のシーンが美味しそう!楽しそう!食べるシーンが美味しそうで、そして何より楽しそうな小説はいい小説だ!はい。この作者さん、初めて手にとったけど、親しみやすい、読みやすい、それでいて登場人物たちの感情が滲み出てくるような、良い文章を書かれる方だなぁと思いました。時代物は読んだことがないと言う人でも、とても読みやすい、手に取りやすい文章だと思うのです。はい。そんなこんなで。…あの流れで、直人、雅之さんに押し倒されたりしないかなぁ、と。はい。いいなぁ、こんな人の輪、いいなぁ。

 

はい。と言うことで、前回の読書感想文の時にも書いていましたが、この『半席』を読むに至るまでの間、ですかね?に、私、無事、当時、勤めていた書店をクビのなり無職になりました。当時37歳ですか。

 

ちなみに冒頭に書いてある『黒い悪魔』と言うのは、飼い犬のはるのことでございます。はるが来た当時、ねこさんがはるを怖がってしまい、2階に閉じこもったまま、1階のリビングにまったく降りてこない、ご飯も食べないという日々が続いていたのです。

私はそれに不平を述べたのですが、父と母はまったく耳を貸さず。『ねこさんが悪くなったらどうしてくれるのさ!』と怒ったら『その時はその時じゃんか~』みたいな感じで鼻で嗤ったもんだから、私としてはなおのこと、腹も立ったし悲しくもなったし。

 

だもんでこの当時と言うのは、私、相当、苛々していたのですね。はい。そこに加えて仕事も、もうシフト面では言うことなしだったんですけど(笑)、仕事の内容そのものは、本当に嫌で嫌で仕方なくて、でも、仕事を新しく探すのも面倒だったし、何と言うか、新しい環境に身を投じると言うのも怖かった。

 

そう言うわけで苛々しながら、そりゃ振り返ってみると『お前すげぇな』とあきれ通り越して笑っちゃうような、それはそれは酷い態度で接客していたのであります。

で、ある時ですね。とあるところから電話がかかってきて、そこでまぁ・・・はい、解雇、となった次第です。まぁ、詳しく何があったのかは、このブログが続けられていて、かつ、自分の死期を悟った時にでも書こうと思います(笑)

 

まぁ、でも、前にも書きましたが、結局『解雇』と言う、有無をも言わせぬような形で辞めなければ、多分、私は、『嫌だ、嫌だ』と言いつつ、苛々しつつ、それでも新しい環境に行くの怖いからの一点張りで、今でもあの書店で勤めていたと思います。はい。

 

そう思うと、解雇になってよかったじゃん、と今では思えるのですが・・・はは(笑)

 

と言うわけで2017年の読書感想文には、無事、そして晴れて(笑)無職となった私の、絶望にまみれた日常が垣間見えるような文章も度々、登場しています。

よろしければ皆さん、鼻で笑ってやって下さい。

 

で、結局、何が言いたかったのかと言うと。

私が書店を解雇になったのは、はるのせい(酷い責任転嫁!(笑))

 

閑話休題。読書感想文に戻ります!

 

・斜線堂有紀『キネマ探偵 カレイドスコープ』・・・狭い空間の中で嗄井戸くんは、それでもただ一途に、一途に映画を見続けていたのは、勿論、お姉さんのこともあるのかもしれない(と言うか、凄いネタぶっこんできたな、と驚いた)。だけどそれ以外にも、広い世界を見たかったからなのかもしれない。誰かと話したかったからなのかもしれない。そしてそのためのきっかけを、やさしいきっかけを、映画の中で繰り広げられるドラマを、奇跡を、ずっと待ち続けていたからなのかもしれない。多くの人は、自分から動くことの大切さを説き、立ち止まったまま、動かない人を責める。だけどやさしいきっかけを信じたって、ドラマを信じたって、奇跡を信じたって、待っていたっていいじゃないか。そのことが、その人の繊細で、脆く、だけどどうにかしたい、どうにかしなくちゃと言う思いを支え、実現させ、そしてその人の背中をやさしく、ほんの少しでも押して、その人の何かを変えるのであれば、それはとても素敵なことじゃないか、と。まさに『やさしい世界』、そのやさしさが本当に心に染み入るような作品でした。自分から動くことができるような人間なら、些細なことに心が痛まないような鈍感な人間なら、そもそも変わることを余儀なくされるような状況には追い込まれないっつーの。はい。独り言。一縷の望みにかけるように、だけど多分、半ばあきらめも感じながら、映画を見続けていた嗄井戸くん。そして奈緒崎くんと言葉を交わすことで、もしかしたらと言う期待と、どうせって言うあきらめの境地を行ったり、来たりして、もうどうしようもなく不器用な態度しかとることができない嗄井戸くんが、私にはどうしても他人とは思えなかったのです。ただただ愛しいし、可愛いし、ほんと、奈緒崎くん、抱いてやれ!はい。スカイエマさんのイラスト信じて買って良かったです。と言うか、恐るべしスカイエマイラストだな…まさかのジャケ買いだもんな…。でも今見返すと嗄井戸くんのイラスト、彼の繊細さやら、幼稚さやら、不遜さやらが感じられるなぁ~。はい。そんなこんなで、ところどころ、『そうか?』とか『なんか設定がぶれてるな』と思うところもあるのですが、とにかく嗄井戸くんと奈緒崎くんのキャラクターや、束ちゃんの嫌みのない可愛らしさやら、彼らのやり取りやらが好ましくて、なんかもう、細かいことはいいや!と思わせる作品だと思いました。なんだろ、文章に愛嬌があると言うか。作者さんが小説を書くのが大好きと言っているその思いが、嘘でも誇張でも何でもないことが、作品の端々から伝わってくる作品とでも言いますか。うん。あと、こー、落としどころと言うか、緩急の付け方がわかっているなぁとも感じました。シリアスからの流れるようなコメディとか、コメディの中の不気味さとか。感動シーンの締めが、嗄井戸くんのゲロとか、最高だった。声を出して笑ってしまいました。謎解きも、成程な、と。なんか、筋金入りの映画ファンからしたら『おいおい、最近の、しかもメジャーどころの映画ばっかりじゃねぇかよ。本当に映画好きなのかよ、観てるのかよ』と突っ込みたくなるのかもしれないけど、まぁまぁ、そこはご愛嬌と言うことです。見たことがある映画は『セブン』だけだったので、ぜひ、他の映画も見てみたいなと思いました。うん。そんなこんなで、本当に微笑ましい青春×映画×ミステリ。てか、本と、嗄井戸くん、かわいいな!そのまま2階から飛び降りて、奈緒崎くんにお姫様抱っこしてもらえ!これは当然、続編あるだろうなぁ。今から楽しみです。

 

有栖川有栖『狩人の悪夢』・・・25年だって。永遠の34歳。とうとう、彼らに高校生の頃に出会った私が、彼らの年齢を追い越してしまいましたよ。はぁ。しかし25年か。2人の付き合いはだいたい15~6年になるのか。すごいな。なんかもう、すごいな、の一言に尽きる。そんな思いもあってか、ラストのやり取りは不覚にも涙ぐんでしまいました。人を殺したいと思って事があるから―その思いだけで、まるで己を傷つけるようにして犯罪者を狩ることを続けている火村先生が、それでも曲りなりに立っていられるのは、周囲の人と猫ちゃんのお陰で、その中心にいるのがアリスなんだと思う。掛け値なしに、腐りなしに、心底、そう思った。いつも、いつも、自ら望むようにして深い、深い沼に落ちそうになり、手酷い傷を負いそうになる火村先生を、その寸前のところで引き上げているのはアリスの存在なのだと、改めて強く感じた。すごいな。15年、16年の付き合いだもんな。いつもこの調子でやって来たんだもんな。彼らと同じ年代になったからこそ、ずっと友情をはぐくんでこられたことの素晴らしさを思うし、心底、羨ましいと思う。かけがえのない存在とは、まさにこういうことを言うんだろうな。うん。何でしょ、日本の小説界には様々なコンビが登場し、どれも魅力的だけれど、このコンビは日本を代表するコンビと言っても過言ではないとすら思いました。はい。①火村先生と白布施さんのやり取りが、やっぱり今作最大の読みどころだったと思います。本とギリギリのところに、細い、細いを張り巡らせるかのようにして組み立てられていく論理の展開がたまりませんでした。『彼らは皆、物理的にやれたとしても、やらない』の一言なんて、まさしく弓から放たれた矢のごとく、すかっ!と私の胸に刺さりましたよ。矢作さんが音楽をかけていたことについても同様です。決して、『そうである』と言い切れるはずがないのに、断ずるように言い切られてしまい、その断つ、切るような緊迫感がたまりませんでした。美しい。白布施さんが、まさしく間断なく放たれる矢を浴びていき、少しずつ、少しずつ衰弱していくその様子と、1本1本、白布施さんに狙いを定め、弓を引き矢を放つ火村先生の冷静さと、冷淡さ、冷酷さと怜悧さの対象が鮮やかで、読み応えたっぷりでした。今までいくつもの物語で、火村先生が犯罪者を狩る場面は読んできたけれど、今作はなんかちょっと別格のように感じられました。追い詰められていく獲物、追い詰めていく狩人と言うイメージが特に強く感じられて、火村先生に怖さすら感じたもんなぁ。②渡瀬くんは、やっぱり、このままが良い、と願っていたんだろうな。その気持ちを、少しでも沖田さんが知っていてくれれば、と思わずにはいられない、やるせない気持ちが残る今回の事件です。全てを社会にさらされてしまい、ただ息をする場所すら見つけることが叶わなかった渡瀬くんにとっては、白布施先生のもとは、本当に、本当に、やっとの思いで手にすることができた安息の地だったんだろうな。悪夢しか見ることがなく、そしてまさしく悪夢のような現実を、どうにか生き抜いてきた彼にとっては、本当に、本当に、白布施先生のお世話をし、創作を続け、それが白布施先生の力になることは、何よりも幸せで、安らぎであり、生きがいだったんだろうな。一方の白布施先生。先生が多額の寄付をしていたと言うのは、本当に頷けた。自らの望む方向でなく、しかも自らのものではない力で途方もない名声を手にしてしまった情けなさや、悔しさ、苦しさ、そしていつそれが暴かれるかもしれないと言う恐怖、罪悪感。名声の一部を寄付することで、それらの感情に叫びだしそうになる心のバランスを、どうにか保っていたんだろうなぁ・・・。代替行為とでも言うべきか。そうすることで、自分がしていることは悪いことではない、と自分自身に言い聞かせていたんだろうなぁ・・・。やるせない。渡瀬くんも、多分、それでいいと思っていたと思うからこそ、本当にやるせない。なぁー・・・過ちを犯してしまった彼は、じゃあ、どこまで社会に対して暴かれてことに我慢すればよかったんだろ?それらは善意から発せられた、父親の暴力から母親を守った少年を守るために行われたことかもしれないけれど、でも、その善意が数多の矢となって彼を貫いた時、その責任は誰がとれるんだろう?彼が過ちを犯してしまった、その代償だとしても、じゃあ彼は、誰に許しをこえばいいんだろう?誰が、彼に対して本当に許しを下すことができたんだろう?やさしく、正義感ある少年だった彼が、どんな思いで、夢の中で平穏を乱す侵略者たちを討つ、そしてその仲間が集っていくと言う物語を創作していたのかと思うと、ただただ切ない。アリスが言っていたように、人間が進む道はどこまでも暗い。その暗さを、せめて癒すのが夢であれば、ようやく渡瀬くんが手にすることができた夢が、こんな結末を迎えてしまったのが悲しい。③はい、と言うことで、あと、今回もアリス、頑張ったね。作家としてのプライドが感じられて胸が打たれるような思いでした。火村先生の過去は、今回もはぐらかされたままですが。なんかもう、このままでもいいような気がしてきた(笑)。京極堂シリーズが10年以上、お預け食らっている中、コンスタントに作品が読めるだけでもありがたいって話ですよ、ほんとに(笑)。ただね、やっぱり私も願わずにはいられませんでしたよ。火村先生がどうか、安らかな夢を見ることができますように、と。悪夢であっても、3匹の猫ちゃんに襲われるとか、篠宮おばあちゃまの小言で叱られるとか、あるいは腐れ縁のミステリ作家に悪態つかれるとか、そんな感じの悪夢でありますように、と。生きること、その道が辛く、険しく、暗いものであるなら、せめて夢だけは、やさしく、穏やかで、安らかなものでありますように、と。

 

池波正太郎『幕末新選組』・・・そろそろ本格的にUSBメモリの状態が心配になってきた今日この頃。無職生活も間もなく2ヶ月に突入しようとしています(死)。はい。そんなこんな。永倉新八といえば、私の中ではやっぱり『ちるらん』のイメージが強い。と言うか、あれ読んでなかったら、永倉新八?状態のままだったと思う。義理人情に厚く、しかし理知的、冷静な面も持ち合わせていて、剣の腕も相当だったと言われる永倉の生涯を描いた作品です。はい。いやぁ、何だろうね。何か、こー、ドロドロと淀んだ私の心に、ふと爽やかな、鮮烈で清冽な風が吹き抜けたような作品だと思いました。亡くなる直前、莞爾と『悔いなし』と言った彼の言葉は、本心以外の何ものでもなかったたんだろうな。幕末の激動を乗り越え、仲間たちの多くが命を落としていった中、70歳過ぎまで生きた彼は、一言で言えば運が良かったんだと思う。本当に、ただそれに尽きるのだと思う。だけどその半面、彼には人に愛され、全ての運を味方に付けるような、そんな何かしらの力のようなものもあったんだろうな、と思わせる、永倉新八と言う人間の魅力を、ひしひしと感じました。いや、他の志士たちに魅力がなかったのかと言うと、そんなことはないのよ。うん。だけど何だろうな、永倉新八と言う人には、自力で道を切り開いていくことができるだけの豪胆がありながら、だけど人が自然と寄ってきて、その道が切り開かれていくのを助けたくなるような魅力もあると言うか。目に見えない力が味方に付きたくなるような人だったんだろうな、と思わせる作品だったな、と。そんなふうに、永倉新八と言う人が描かれていたなぁ、と思うのです。うん。彼がどんな思いで、それこそ掌をひっくり返すようにして変わった時代を生きていったのかと思うと、色々切ない思いもする。だけどそれでも、やっぱり彼は、人に愛され、自分に関わった人を愛しながら、生きることを全うしていったのではないかと思うと、その、生きることに対しての真摯な姿勢のようなものには、ほんと頭が下がる思いです。ね。近藤さんとか、土方あたりが生き残ってたらさ、なんかいつまでもうじうじして、とじこもってそうだし(笑)。あるいは、最後の最後まで武の道に殉じそうだし。バランスが取れた人だったんだろうな。強固で柔軟、頑固で、だけど受容的でもあった。はい。あとは、あとがき書かれていた方も書いていらしたけど、近藤さんの描写は、ちと酷過ぎやしないかと(笑)。まぁ、そう言う側面もあったことは否めないんだろうけど。剣しか振るってこなかった人間が、いきなり表舞台に担ぎ上げられ、祀り上げられたんだもの。そりゃ、舞い上がり、偉ぶっちゃうよね、うん。ただな。やっぱり、とても、とても輝かしく、華々しい時代もあったわけで、剣しか振るってこなかった若者たちが、その剣で、時代を作り、自分たちの存在価値を証明していったと言うのは、胸が熱くなるのですよ。そしてだからこそ、時代の変成についていくことができず、組織として瓦解していき、それでも、必死に時代にあらがおうとしたその最後には、胸が締め付けられるのですよ。事実がどうであったかはわからないけれど、やっぱり、そのことの幸せと悲しみ、そしてそこにあった価値のようなものは、永遠に変わることがないものなんだろうな、というふうに思います。はい。その中でも、特別に幸せであったに違いないのが、永倉新八だったんだろうな、と。その理由のようなものが、彼の生きざま、あるいは目まぐるしく流れていく時代を通して感じることができる作品でありました。

 

多崎礼煌夜祭』・・・物語とは、誰かが生きた証である。そのことを強く、強く感じさせる作品でした。正直、描かれているメッセージはありきたりなもので、『すべてのことに意味がある』という言葉も、個人的にはとても嫌いな言葉なんだけど。それでも、そう言ったことを突き破って、がしっ、と胸を掴んで、乱暴に揺さぶってくるほどの力強さがある作品だと思いました。傑作。本を読んで、何か身震いするような感覚を覚えたのは、久しぶりだ。まず世界観が良い。幼い頃、夢中になって遊んでいたRPGの舞台を彷彿とさせるような世界観が、余すところなく描かれていて、物語を読み始めるや否や、あっと言う間に引き込まれていきました。それ故、カタカナ乱舞と言うのはつらいところだったけど。はい。見たことがないはずの風景なのに、でも、それが何故か脳裏に想像できて、そして想像した瞬間、胸がきゅっと締め付けられるような感覚になって、それが物語とマッチしていた、素晴らしい世界観だったように思います。それから語り部が交代交代で物語を紡いでいく、という設定も良い。語り始められるまでの冒頭から雰囲気たっぷりで、これからどんな物語が繰り広げられるんだろうと言う期待感が高まる。そして何より、物語そのものの構図と言うか、ひとつひとつのそれがやがて大きな、大きな絵を描き出すと言う構図が傑作。と言うか、こういう構図はよくあるんだけど、それによって明らかになる真実が、がつん、と胸を打つ。そこにあるのは、人間であれ、魔物であれ、大切なものを守ろうと必死に生き抜こうとした命の姿であるから。最後の最後まで生き抜いた、命の姿だったから。だから、ありきたりなメッセージであっても、それは柔らかな光を放ち、『すべてのことに意味がある』という言葉にも、説得力が与えられていたように、私には思えた。語り部の正体にも何かあるんだろうな、と匂わせておいてからの、語ってきた物語の時系列がやがて現在のそれに追いついて、今、まさしく、その舞台に到着したと言う構図も、ミステリを思わせるようでたまりませんでした。そしてその正体も。正直、カタカナばっかりで最初は誰が誰だかはっきりわからなかったけど(死)、改めて確認したら、もう、切ないやら何やらで、たまりませんでした。でも、ふたりの正体以上に胸を打ったのは、エンです。魔物であるがため、ほとんど死に体であった彼が、ムジカと出会うことでひとつの夢を実現させたいと強く願った。しかしそのための道は、半ばでして途絶えてしまい、彼は打ち首にされた。けれど死ぬことができなかった彼は、首ひとつになってもなお、生きていた。その彼が、首だけになっても何を思っていたか。そしてムジカと再会した時に笑顔を浮かべたと言う、そのことを思うと、もう、本当にたまらない思いに駆られる。魔物である、ただそれだけの理由で、まっとうな夢を、死を奪われた彼の純粋さと、それと相反する人間のおぞましさのようなものがどうしようもなく感じられ、だからこそ、彼を終わらせてあげて欲しいと託したムジカの思いと、それを聞き入れ、ふたりの思いを、ふたりに関わったすべての人の思いを、物語として受け継ぎ、語り継いでいるガヤンの姿に、思いに、涙が止まらなかった。そしてまた、未だ差別は残ってるものの、少しずつ、少しずつ、エンの夢が実現していると言う世界が、途方もなく美しく見えて仕方なかった。生きてきた人の、魔物の思いが、長い長い時間をかけて、ひとつの形になったような-その結末を見届けたようで、思わず涙ぐんでしまいました。いやぁ、この手腕と言うか描写力はお見事だわ。生きると言うことを、書くことができる作者さんだな、としみじみ感じました。デビュー作でこれとは、恐れ入った。物語が物語であること、それを読むことの素晴らしさを味わわせてくれる作品です。不思議と、昼に読むよりはタイトル通り、夜に読むべき作品のような気がします。語り部が語る物語に耳を澄ませば、夜の静けさに誘われるようにして、きっときっと、目には見えない様々なことに対して思いを馳せたくなるような作品です。そしてその思いの先にある、胸にともった小さな煌めきを、途方もなく愛おしく感じるような作品だと思います。うーん、これは本と、何かをきっかけに話題になって欲しい作品だなぁ。

 

・須崎しのぶ『神の棘』・・・むる…これ、何だろ。打った覚えがないんだが。せっかくなので記念として残しておこう。はい。そんなこんな。おめでとう。今日から無職生活3ヶ月目です(死)。いい加減にしないと、今以上にいい加減になっちゃうぞ、と。感想。近代ヨーロッパの歴史にまるで詳しくないことが悔やまれた一冊…ロシアとドイツ、イタリアとイギリスの区別が明確に付いたのが、大人になってからと言う人間だからね…ほんとに。あと、記憶違いなのかどうか分からないけど、この辺の歴史って学校でしっかりと学習しなかった記憶があるんだけどなぁ。学習しなくても役に立たないと言うことなのかな。と言うか、今考えると歴史って何のために学ぶんだろう。もしそれが、人間の行ってきた愚かさ、そこから現代を築き上げてきた知恵のようなものを学ぶと言うものであるのならば、ここの部分はしっかりと学習しておいてしかるべきだと思うんだけど。はい。そんなこんな。文庫本でも600ページを超えるのが2冊になると、ほんとそこそこ凶器になるんだな、と気づきました。はい。日本語名の作品が読みたいよ!もうカタカナ名はたくさんだ!(たった2作品、連続しただけでこのありさま)。はい。何だろうな。やっぱり、神だ、救済だ、と言われてもピンと来ないのは、私が日本人だからだろうか。それとも私が、そう言ったものにとんと疎い人間たからだろうか。神からの赦し、と言われてもピンとこない。本当に、本当に神がいると言うのなら、世の中に戦争や理不尽は存在していないと思うし、それこそが神からの試練だと言われても、もうそれってどんだけどMなの、と突っ込まざるを得ないし、それを乗り越えた先に救済があったのだとしても、そんな試練、いらんわ、と突っ込まざるを得ないし。なんだろ、つまるところ、神なんて言い訳にしか過ぎないのだと思う。はい。だからこそ、神の存在に迷い、それを疑問に思いつつ、それに仕える身として、とにかく行動を起こすマティアスの姿には、胸を打たれました。神だ、救済だ、とのたもうて、何一つ現実的行動を起こしていない、神を真摯に信仰すると言ってやまない人間よりも、そこに疑問を持ちながら、目の前の悲劇を食い止めるために行動を起こすひとりの人間の方が、どれだ信じるに値するか。はい。後は物語、ラスト付近になって、ようやく面白いと思うことができました。それはアルベルトの隠されていた真相が明らかにされたからで、それまではいまいち、彼の行動が理解できなかったから。ラスト、マティアスとアルベルトとが対峙して、いくつかの言葉を交わすシーンには、結局、やはり人が対峙し、時に対立し、それでも心を通わせていくことができる存在と言うのは、神ではなく人なんだろうなぁ、としみじみ感じました。人が人として生き、何かを貫き通そうとした物語であり、そのためには血みどろの時代であることが詳細に描かれることが必要だったなのだと思う。…ただすんません。わたしにはやっぱり、辛かったし、ピンときませんでした…くふ。

 

歌野晶午『ROMMY 越境者の夢』・・・3日で読了。日本語名万歳!はい。読んだのは新装版なのですが、初めてこの作品が発表されたのは1995年です。物語の舞台は、それよりも更に古い年代に設定されているのだけれど、明かされている真相に『成程、そう来たか』とにんまりとすると共に、現代までの22年間、ROMMYのような人を取り巻く環境が大きく変わっていったことに、改めて様々な思いを抱きました。このネタは大学の時に研究テーマにしていただけに、個人的には思い入れが深いと言うか、何か色々、思うところがあるんだけど、そもそも私が大学時代に学習していた時も、なんだかんだ言いつつ、やっぱりまだまだ何と言うか、奇異な目で見られているような存在だった。それは今でも変わらないのかもしれないけれど、でも、それから時間が流れていく中で、そう言った人たちに向けられる視線の中にも真摯な視線は増えていったと思う。もし、ROMMYが生きていたのが、物語の10年後だったとしたら。どうだっただろう。何かを隠す必要なく、かと言って明らかにする必要もなく、ただありのままの存在として、カリスマ的人気を得ることができていたのできないかなぁ、とぼんやりと思った。これ、表紙の絵が、とてもいいんだよなぁ。女性にも見えるし、男性にも見えるし。勿論、ROMMYとしては女性なわけだから、女性らしい!と言うのが彼女にとっては嬉しい言葉になるのかもしれないけれど。でも、何だろ、本と、そう言う性別の垣根を超越した、まさに超越者、そのどちらをも持ち合わせた、とても力強く、美しく、どこか神秘的で、少しの畏怖すら感じさせるような存在しとして描かれていて、本当にROMMYと言う存在が感じられて、良いイラストだよなぁ、と思う。うん。だからそう、もし、その存在が実在していたとして、今ならばきっと、本当に広く支持された存在になっていたんじゃなかろうか、と思うし、だからこそ、『時代』と言うものを強く感じさせる物語でもあったから、なんか、色々考えさせられました。うん。あぁ、あと、やっぱりミステリはいいな、とうっとり。中村の存在が茜澤だったと言うのは勿論なんだけど、個人的には、中村がROMMYの死体(正確に言えば、気の毒なことに替え玉の女性の死体なんだけど)をバラバラに切断した理由と言うのも、あぁ、と。すとん、と納得できたと言うか。それまで、エキセントリック極まりないんだろうな、と言う印象を与えておいて、だけど真相が明らかにされた瞬間、その印象がガラリ、と180度変わるってのは、もうミステリならではの魅力だなあ、と。何か、こういう作品を片っ端から読み漁りたい、としみじみ感じた次第です。振り返ってみると、ミステリとしては勿論なんだけど、ものすごく人間ドラマ性の高い作品だと思う。杉下裕美と中村茂と言う人間の、そしてROMMYに関わった多くの人間の、あらゆる感情が描かれていて、それらによって改めてROMMYと言う存在の大きさのようなものも感じられて、本当に読みごたえがありました。何だろ、あまり詳しくないんですけど、新本格派は人間が描けていない、という批判を受けるらしいんだけど、個人的にはそんなことを感じたことは一度もないんですね。ただ、もし、そう言う感情を抱いている人には、ぜひ、この作品をおすすめしたいなぁ、と思う。杉下裕美と中村茂、子と父であり、女と男であり、そして同士であり。距離が離れ、立場が大きく変わり、時にそれを見失いそうになりながらも、決して切れることがなかったふたりの関係。互いが互いのことを、本当に、心の底から思っていた。そのことが感じられる本作は、まさに人間味が凝縮したミステリだと思うのです。はい。いいな。やっぱ、こういうミステリをもっと読みたい。私を騙して(実生活で騙されるのはごめんだけど)。

 

はい。この中で印象に残っているのは・・・斜線堂有紀さん初登場!と有栖川先生の『狩人の悪夢』そして多崎先生の『煌夜祭』ですね。

斜線堂先生については、その内、語りたい。有栖川先生の作家アリスシリーズについては、今後もずっと語ると思う。

 

と言うわけで多崎先生の『煌夜祭』です。

これはほんと、もっと話題になって欲しいし、何と言うかジャンル問わず『物語』、その存在を愛する人、その存在に一度でも、一瞬でも『救われた』と言う思いを抱いたことがある人には、本当に読んで欲しい作品なんだよなぁ~。

ひとつひとつの物語は勿論のこと、それらが思わぬ形で結ばれる、と言う作品そのものの全体的な構成、仕掛けも本当に美しく、お見事なんです。

あと絶対、アニメ化したら映える(確信)

 

はい。と言うわけで本日の読書感想文はここまでです。

次回は21日ですか。果たしてまたも休みなのか否か!

 

ではでは。読んで下さった方、ありがとうございました!