tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

1が付く日なので~読書感想文を放出しますよ

最近、読んだ本。

五條瑛さんの『パーフェクトクォーツ』の2冊。そして伊坂幸太郎さんの『逆ソクラテス』ですな。

また機会を見て感想、書こうと思うのですが。

とりあえず『逆ソクラテス』は、いろんな意味でぐっと来た。

連作集なんですけど、ある1作品に、どうしようもなく、何と言うか『壁』、その存在のようなものを突き付けられたような気がして、いろんな意味で泣けた。

 

勿論、これは私のうがったとらえ方なんですけどね。はい。

 

そんなこんなで21日なので、過去の読書感想文を放出する日です。

相変わらず、まったく人様に読ませる気がない放出なので、どうぞ無視してください。

ではではスタートです。

  

・深水黎一郎『ミステリ・アリーナ』・・・ミステリが好きだ。大好きだ。文学界には様々なジャンルがあるけれど、これほどまでに作り手と読み手の思考力の限界を試すようなジャンルは、他にはないと思う。だからこそ、ミステリを書く作家さんには心底、敬意を表する。全ての、ありとあらゆる可能性を否定して、それを否定するためだけに、ただひとつの真実を作り上げる、追い求める。こんなに崇高な、そして孤独な文学ジャンルはないと思う。あらゆる可能性を内包していながら、けれど、たったひとつの真実に至る以外のそれらすべては捨てられてしまう、こんなにも残酷な、想像力を試しながらも想像力を拒む、冷徹なジャンルは、きっと、他にはない。はい。そんなこんなで、こんなことを強く感じさせる作品でした。ほんとね。ミステリ好きって言うと、何故か、西村京太郎?とか内田康夫?とか聞かれるんですけど。いや、まぁ、確かにそうなんですけど。そうなんですけど、もっとね、もっと素晴らしい作品を書く作家さんはいるのに、どうして知られていないのか。どうして読まれないのか。なんか、そのことを改め悔しくも感じたような一冊です。いやぁ、ほんと。自縄自縛のような、ミステリ作家にしてみれば、もう、自分で自分の首を絞めるような作品じゃないですか?(笑)。あらゆる可能性を、次から次へと否定していく。これだけの解決を思いつくのも素晴らしいし、否定されたところからまた新たに、否定されたこともふまえた上で物語を書き換えていくと言う、その作業自体にも、想像しただけで途方もない労力が費やされていたのだろうと思い、もう、頭の下がる思いです。で、まさかの平三郎と、平 三郎ネタとは(笑)。そう。でも、もう14通り?も否定しきった後に残された可能性と言ったら、これくらいしかないだろう。もし、これがミステリの唯一の真実として明かされた物であったなら殴り飛ばしてやりたいところだったけれど、こんなネタが待ち受けていても、もう、納得できますと言うくらいに、作者の労力がしのばれる作品でした。いやぁ、お見事。そしてそれと同時、進行していたもうひとつの企みにもドキドキが止まりませんでした。このままダークな結末に向かうのかな、と思っていたのですが、ラストは悪が成敗される終わり方で爽快でした。でも、樺山もミステリの魅力に、そしてその残酷さにとらわれてしまった人間なんだろうな。そしてそれは、この作者もまた然り…なのかな、とも思うのですが、どうでしょうか。デビュー作のことを思うと、やはりこの作品は、この作家さんなりの、ミステリと言うジャンルの立場の低さのようなものを訴えている作品のようにも、そしてそれに囚われてしまった作家たちの思いを代弁している作品のようにも思うのですが。デビュー作以来のご無沙汰だったのですが、すっかりミステリ界においては高い評価を受ける作家さんのひとりになられているので、また別作品を読みたい気もします。はい。そんなこんなで、まさに力作!なミステリでした。お見事!

 

柚月裕子『蟻の楽園-アントガーデン-』・・・虐待と名のつくものにろくなものはない。動物虐待にしてもそう。そして、今作で描かれていた児童虐待にしてもそう。この世で忌むべき行為の、言葉のひとつだと個人的には思っている。対象を傷つけると言うことに対して、何か、どうしようもないくらいのどす黒い物を感じる言葉だと思う。姉妹のつまずきがどこにあったのかと問われれば、間違いなくそれは、父親を殺してしまったところにあるのだと思う。あそこで別の手段を講じていれば、間違いなくふたりは共に生きることができ、少なくともこんなことにはならなかったはずだ。だけどそれ以前に、そのつまずきを作り上げたのは誰だと、あそこまで姉妹を追い詰めたものは何なのだと、そして本当に姉妹を助ける方法はなかったのかと、主人公と同じように強い疑問を抱かずにはいられない。そして現実では、児童虐待のニュースは無くなることがない。子供を持つこと。育てていくことを、もっと真剣に考えるべきなんじゃないだろうか。そして児童虐待だけではないけれど、この国では、どんなに悲惨な、理不尽なことが繰り返されても、一向にそこから学ぶと言うことをしない。子供は社会の宝だと言いながら、一向に児童虐待が無くならないのは何故なのか。大人が子供を育てると言うことの過程で、この悲惨で残虐極まりない犯罪が発生しているのであれば、それは大人が大人たりえていない、大人が子供を作ること、産み、育てることの限界を示しているんじゃないだろうか。そこに加えて、社会全体がそれに対して無関心になっている以上、この犯罪は永遠に無くなることがないんじゃないかとも思う。はい。そんなこんな。面白かったです。特に沢越姉妹の正体はわかったものの、そこに潜り込んでくる『私』の正体が誰なのか、そこが気になって最後まで物語に引っ張られていきました。解離性同一人格と言うネタに関しては、そう来ちゃったかぁ、と残念な気がしないでもなかったけれど、まぁ、これだけ悲惨な人生を歩んできた人物だからこそ、それにもある程度は納得いく思いもあった気も。はい。『私』が消える瞬間に、沢越冬香が、ようやく沢越冬香としての人格を取り戻して、そしてこれでやっと、姉妹としてお姉ちゃんと会うことができると言う思いが、どうしようもなく切なかったです。どうしようもなくやりきれない物語の中で、ここが、せめてもの救いのようにも感じられて、本と、沢越姉妹の行く末が穏やかであることを祈らずにはいられませんでした。ただ、蟻の菜園と言うタイトルはどうだろう。どうしてもそこからは、互いが互いを食らいつくすようなイメージを、私は抱いてしまうのですが。はい。まぁ、いいや。そんなこんなで、色々と考えさせられる物語でした。

 

原田マハ『楽園のカンヴァス』・・・美術史とミステリは相性が良い、とあとがきで書かれていたけれど、その通りだと思う。美術史で絵画に限って言えば、その中に描かれていることは、その本当のところは、作者にしかわからない。否、ひょっとしたら、作者にもわかっていないかもしれない。想像と知識に基づいて、それを少しでも残されたものが解き明かそうとする経過は、まさしくミステリに描かれている謎を解き明かそうとしていることにとてもよく似ている。はい。そんなこんなで前々から話題になっていた作品です。なんか、映画化しても良さそうな作品だなぁ、と思いました。そして面白かったです。何だろう、美術作品を題材にしたものと言うと、つい説明が多くなってしまったり、その美しさだけが中心的に描かれてしまっているような作品が多いと個人的に勝手に思っているんだけれど、これはそうしたものを交えつつ、けれど何よりも、それを描いた、そして遺されたそれに魅了され、美術の世界に足を踏み入れた人たちの生きている姿を描いていて、とても好感が持てました。現代と過去、どちらの時代でも描かれていた、まるでその空気や空の色、匂いまでもが伝わってくるような、そして登場人物たちのその生き生きとした姿や、絵画と言うものに対してどれだけ心を奪われたか、そして何よりもそこに賭ける思いの熱量のようなものがひしひしと伝わってきて、読み手も胸が熱くなるような、そして時には切なくなるような作品でした。世界の奇跡そのものを愛していたと、ルソーを評した織絵。絵画からその作家に魅了され、そしてその作品からその作家に感じたことを表現する言葉として、こんな素晴らしい言葉はないんじゃないだろうか、と胸が震えるような思いがしました。この言葉で、一気にルソーの絵を、この目で、直に見てみたいと思った。そしてまたティムが、もし、自分がルソーと同年代に生きていたならば、と思うシーンには胸が締め付けられた。後世に名を残す画家が、けれどまだ、その片鱗すら覗かせていなかった頃の、けれど、だからこそ、どこまでも青く、どこまでも未熟で、繊細で、一途だった頃に、その作家と出会い、交流を深めたかったと言うのは、本と、その作家に心酔しているものであれば願ってやまないことだと思う。魅了されてしまった人間の、そこに立ち入ることができなかった人間ならではの、痛切な願いだと思った。はい。いいですね、織絵とティムの関係も。出会いから、ルソーの謎解きを通じて少しずつ距離が縮まってて行く様子も、そして別れと時間を経て、再会の時までが、とてもロマンチックに描かれていて。ルソーが、多くの人と出会い、そしてヤドヴィカと言う女神と出会ったことで完成させたのが『夢』あるいは『夢を見た』なのであり、そして時を経て、それによって出会いを果たしたのがこのふたりであった。既にこの世を去ってしまった画家が残した思いの結晶である絵画。時を経てそれが残っている奇跡を目の当たりしていると言う奇跡が、人と人とを結びつけると言う、また新たな奇跡を生み出した。素晴らしいことだなぁ。その全てが奇跡であり、この世の奇跡であり、それを愛した画家がルソーであった。うーん、見てみたい。今すぐ、ルソーの絵をこの目で見てみたい。そして肌で感じてみたい。はい。そんなことを感じました。イメージとは違って、とても読みやすい、そてしまたミステリとしてもとても楽しんで読むことができる作品でした。映画化、してほしいなぁ。ヤドヴィカとかルソーあたりのキャスティングは難しそうだけど、絶対、映画映えする作品だと思う。うん。

 

多島斗志之『黒百合』・・・両眼失明の恐れのため、この人が失踪してから既に数年が経過している。どこかで無事に生きておられるのか、それとも、どこかの地でその生涯を閉じられたのかどうかはわからない。が、いずれにしても、ご本人が選択された道であるから、どうか心安らかな時間が流れていてほしい、と切に願うばかりだ。はい。そんなこんなで、多分、手に取ったのは初めての作者さんです。中でもこの作品は、前々から評判の高さだけは知っていたので、いつか読んでみたいと思っていて、今に至る経緯。そんなこんなで読んでみた。…ダ、ダメだったよ(ちーん)。イニシエーションラブと同じ感覚でした。『凄いどんでん返しがあるぞ!』と言う話題だけは耳にしていたけれど、何のことやらさっぱりそれが見抜けないまま、物語の幕が閉じられてしまったと言う、何とも言えない空しさと悲しさ(笑)。と言うことでね、はい。便利な世の中、インターネットによって真相を知ることができました、と。成程。2割くらいは見抜けていたわけだ。でも、日登美おばさんの不倫相手が同性だったと言うのは、盲点だったな。成程、だからタイトルが『黒百合』なのか、と納得。うーん…何だろ、ミスリードが多すぎると言うか、騙すつもりはないけれど騙すつもりは満々だったと後出しされているような気持ちになる。何だろ、この釈然としない気持ちは(笑)。登場人物の関係性がやたらとややこしいのも、あるいは『おばさん』『おじさん』と言う呼び方をされる登場人物が多いのも、何か、ばれないような後出しじゃんけんをされているような感覚が拭えない。…真相を見抜けなかったからって、くやしさ爆発です(笑)。はい。ただ、文学作品としての格調の高さのような物、繊細さがあるからこそ、ミスリードにしても、呼び方にしても、もう少しそこに合わせて頂きたかったなぁ、と言うのが正直なところです。騙すなら正々堂々、騙してやるぜ!と言うあくどさみたいなものが欲しかったなぁ、と。はい。まぁ、理解力のない私が悪いんですけどね、はいはい。…どーん、と派手にわかりやすく、正々堂々と騙されたいです、ミステリにおいては。

 

渡辺裕之『叛逆捜査 オッド・アイ』・・・はい。そんなこんな。どうして購入したのだろうか。ふと、迷った一冊。面白そうだと思ったのは確かなんですけど。読み初めは面白かったんだけどなぁ。主人公もかっこいいと思ったんだけどなぁ。割と序盤で、その器の小ささが感じられてからは、もう駄目だった。あと、作者の考えとかがどうしても描かれてしまうから、こういう作品は難しいよな、と感じた次第。はい。なんか、スポーツ新聞に連載されている小説を、脂ぎった中年のサラリーマンさんが読むとはなしに読んでいる気分で読んでいました。

 

坂東眞砂子『恍惚』・・・どうにもちぐはぐな印象を受けるなぁ、と思っていたら、パートナーさんの英文を訳して、そこから肉づけを行っていったからなのか、とあとがき読んで納得した次第。はい。以下、心に残ったところだけ書いていきます。『緑の女の還る地は』…若菜を犯す黒魔蜂の男の涙に、思いに身震いがする思いだった。そして若菜の、死の彼方で起きることは、永遠につながると言う思いにも、身震いがした。残された兎足の思いは、すべての先人たちの思いに通じるものなんだろうな。歴史は繰り返されると言うのは、こういうことか、と何千もの歴史を突きつけられたような、呆然とするような、途方もないような思いに駆られた。『乱の徒花』…最初から最後まで。この生そのものが、誤りだった。…あぁ、ぞっとする。まるで他人事とは思えなくて、ぞっとする。そして茶佐と瑠璃王の生と性の交差。死にゆくものを目にしたものが、その一切を知らずに死にゆくものになると言う現実。あぁ、儚い。『伽羅の魔』…知らぬ世界に魅入られた女。その果てに待ち受けていた末路。時代を感じさせる話でした。『神の辺杯』…おちんちんは伝書鳩…あぁ、もう、何だよ、これ(笑)。暗い、暗い、どこまでも暗く、救いようのない、狂ったような話。でもどこまでも、どこまでも虐げられ、暗い道に追いやられるのは女ひとり。

 

荻原浩『噂』・・・前々からずっと読みたいと思っていた作品。読んでみた。面白かったです。トリックだのなんだのと言うミステリも良いけど、こういう、理屈抜きに犯人は誰だ、と言う感覚を楽しむミステリも良いですな。登場人物たちもとても個性的で、特に事件を追う側の二人が良かった。いいコンビだったし、どちらも嫌みがないってのが好感度高いな。やり手の女社長の造形も、ステレオタイプだけどだからこそ、わかるわぁ、って感じで面白かったです。こういう作品は、登場人物たちの個性も大事、読み進めていく上で大事だと、改めて認識しました。そして宣伝文句にもなっていた、ラスト、衝撃の一行ですが。成程。確かに衝撃ですわ。そして、にんまり。こういう結末、大好き。良いなぁ。何だろ、『仲間がやられたんだ。敵討ちしたって問題ねぇだろうが!』と嘯いている連中より、よっぽどたくましいものを感じたあたりは、さすがに女子高生と言う感じでしょうか。そして、誰よりも娘のことを案じていた小暮さんが、よもやこの真相を知ってしまったならどうなってしまうのか、いや、むしろ知った方が展開的には面白いんじゃないか!とか思ってしまうあたり、私の性格の悪さが出ていますけれど、いやいや、まさに衝撃の一行でした。良いな。一昔前の女子高生!って感じの女子高生が描かれていて、いろいろ面白かったし、感慨深かったです。どうだろうな。今でも、こういう宣伝方法は通用するだろうか。でも、SNSが爆発的に普及してしまっている今、こう言うことは日常的に行われているような気がするし、その嘘を暴く人も出てきているから、なかなか難しいかもしれないなぁ。普及し過ぎる、と言うのも、実は宣伝にとっては芳しくないことなのかもしれない、と感じたりした今日この頃。期待を裏切らない、面白い作品でした!

 

連城三紀彦『夜よ鼠たちのために』・・・アマゾンのレビューで、『連城作品は過大評価され過ぎだ。人間動物園なんて、どうしようもない作品だった」と言うようなレビューを見て、同作品には苦い思い出がある人間としては、そうなのかもしれないなぁ、と思ったり。ただ、それは、この人の作品の多くが、ミステリでありながら、その主題は人間の情念を描いたものであるからだと、本作を思って感じました。人間の、ほの暗い、それでいて黒く、暗い、底の底の方で流れている情念。この人の作品は、それを描こうとしている。そしてそれが生み出す様々な出来事を、それはひょっとしたら出来事とは呼べないような日常を、ミステリとして描こうとしている。だから何と言うか、ミステリとしての真相が、どうしても後付のような気がしなくもないと言う気がしなくもない。と言うわけで、トリックだ、派手な謎解きだ、と言うのをミステリだと思い込んでしまったいると、この人の作品のこういうところが、もしかしたら、過大評価だと言う評につながるのかもしれないと思ったんですが、まぁ、評価は人それぞれだからね。はい。短編集でしたが、時代によって文体とか、種明かしの仕方、更には登場人物の雰囲気とかががらりと変わっているのが印象的でした。特に後半の登場人物たちの、擦り切れた紙切れのような生きざまと言うか、姿には、やっぱりこの人は、ミステリうんぬんよりもこの姿こそを描きたかったんじゃないだろうか、と思った次第。なんていうのかな、根底に暗い暗いものがあり、まるで泥船に乗りながら、大海原をわたるようにして生きている登場人物たちの、倦んだ感情、諦念、それでも捨てきれない執念のようなものが描かれていて、あぁぁぁ、と言う感じです。だからなんていうのか、どこか現実離れしたような雰囲気を漂わせながら、でも、現実のどこかで起きていそうなことだと感じました。生きるって、しんどいな(ぽつり)。どうもこの人の作品は、超絶技巧とか、トリックとか、そう言う宣伝文句が冠されていることが多いように思うのだけど、惹句だから仕方ないとは言え、この人の作品にはあまり相応しくない宣伝文句だなぁ、と思うのですがね。はい。決して、絶望的な、悲観的なラストが待ち受けている話ばかりではない。にもかかわらず、どうしてか、救いようのない、と言う言葉がぴったりとくるような、まさしく、明けない夜を目の当たりにしているような気分にさせられる珠玉の短編集でした。

 

東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』・・・と言うことで、騙されたい!驚かせてほしい!と言うミステリを探していたところ、紹介していたサイトさんを見つけました。で、色んな本が紹介されていたので、それらを片っ端から読んでいこうと思いました。はい。で、ネタとどれくらい驚いたかを勝手に書いていこうと思います。はいよ。そんなこんなで、今作。ネタは『描かれていない、もう一人の語り手が、登場人物がいた』ですね。はい。驚きとしては…うーん、『私を指差した』の前に、それを匂わせるようなネタバレ的セリフがあったので、それでわかってしまったので、個人的には『おおっ!』と言う驚きはなかったので、ちと残念。まぁな。いちいち、久我の独白、と区切られている点、そしてそれ以外の文章はフルネームで語られている点あたり、どうしても身構えてしまうわな、と言う話。でも、こういう騙し系の作品って、どうしても作者が『騙すぜ、騙すぜ』と言う意気込みがあり過ぎて、ストーリーとして読みにくいと言うか、面白くないものも多いと思うんですけど。その点はやっぱり、東野圭吾と言うべきか。読ませるなぁ~、こー、読者を物語へと引っ張る力が強いなぁ、としみじみ感じました。なんだ、結局、誰も死んでいないんかい、とがっくりしたけれど(この人でなし)、でも、すべてを読み終えてみると、むしろ人が殺されていないからこそ味わえる、柔らかな爽快感、心地よさ、色々ありながらも、演劇に打ち込んでいる若者たちの青春のようなものが伝わってきて、良かったな、と思わせるのだからさすがです。はい。そんなこんなでさくっと一冊目、終了!さぁ、もっと私を驚かせて!

 

赤川次郎『マリオネットの罠』・・・あぁ、ロマサガ2、やりたい。やりたい。やりたいったらやりたい(どーん)。そんなこんなで2冊目。トリックは『実は主人公がマリオネットを操っていた』でした。驚きとしては、五つ星満点で一つ星ですかね。はい。『それは君だ』のところには、一瞬、にやり、とするものがあったけれど。なんだろう。アクロイド殺しに通ずるような、なんか、狡さを感じてしまった。アクロイド殺しはまだいいんですよ。一人称で語り手は『私』なんだから、『私』が語りたくないことは黙っていても。ただこの場合、語り手が『私』じゃなくて、いわゆる『神の視点』ですからね。せめて何かしら、匂わせるような記述があって欲しかったと思った次第。はい。と言うか、何だ、結局、殺人を犯していたのは雅子さんなのかい、と言う気が。そこにどんなトリックがあるのかなー、と期待していた身としては、うーん、肩透かし。とは言え、著者の作品の中では最高傑作との呼び声も高いようです。成程。わ、私には合わなかったかなぁ(遠い目)。あと、古い文庫で読んだので、字がめっちゃ小さかったです。昔はこれが当たり前だったんだろうけど、いつから、読者の読みやすいよう、文庫の文字は大きくされていったんだろう、と本筋とは一切、関係のないことを思った次第です。はい。そんなこんなで、驚きが足りない!もっと私を騙して!あっと言わせて、にんまりとさせて!そしてロマサガ2がやりたいの!PSvita、買って!(どーん)。

 

はい。

と言うことで本日はここまでです。いつもに比べると少ないですが、まぁいいや。

個人的には原田マハさんの作品、私は美術史や実在した画家を取り上げた作品しか読んだことがないのですが、とてもおすすめです。

何と言うか、とても時代とか人物の生き方が生き生きとしていて、読んでいてその人物が生きていた、その当時の、その街に没入していくような感覚を味わえると言いますか。はい。プラス、ミステリ的な面白さもあるので、よろしければぜひぜひ、お手に取ってみて下さいね。

 

ではでは。今回はここまでです。

おおっ、2月は31日がないので、次は3月11日ですね。

よろしければ引き続き、お付き合い下さい。

 

もし・・・もしこんな文章の塊を読んで下さっていた方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました(土下座)