tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

祝日ですね~1が付く日なので読書感想文大放出の日です

2月11日の本日は祝日ですな。何の日なの? 

建国記念の日、だそうです。

知ってたような、知らなかったような(遠い目)

 

と言うわけで祝日ですが、私はお仕事です。

ありがとう、祝日なので時給100円アップだよ!

 

はい。

末尾に1が付く日なので読書感想文を垂れ流しておきます。

相変わらず文字ばっかりで、改行すらしていないと言う、手抜きの最高峰!

 

ごめんなちゃい(土下座)

ではでは。スタートです。

 

坂東眞砂子『パライゾの寺』・・・その土地に暮らし、生きてきた人の語りを、継ぐ、と言うことには、その土地にその人が暮らし、生きてきたことを証明することなんだと思う。そしてその語り継がれたことを聞いた瞬間から、見知らぬ土地は、私がきいた話を語った人が、確かに生きてきた土地へと変貌する。そして見知らぬその人は、たとえ今は亡き人であったとしても、確かにその土地で、必死に生きてきた人へと変貌をする。見知らぬ土地に、そして見知らぬ人に対して、その瞬間からどうしようもないほど切なさを伴った愛おしさのようなものがこみあげてきて、そう言うことによって、人は、生きていくことに対して、あるいは見知らぬ人に対しての優しさのようなものを覚えるんじゃないだろうか。生きてきた人の、声。発せられた、確かな声。それを掬い上げ、受け継いでいくことこそが、人が、個人が生きてきたことの証であり、集合体として生きてきた人類の、共通の使命なんじゃないだろうか。そんなことを感じさせられました。翻ってみて現代は、確かに声を発すること、声を受け取ることは多くなったし、そのためのツールもずいぶんと増えた。けれどそれは、実は広くと繋がっているようでいて、とても個人的な範囲のものでしかないような気がする。そうしてどんどんと、生きてきた人の声は語り継がれることなく、生きてきたという事実と共に消えて行ってしまうのかと思うと、そのことがとても残念に思われてならない。それと同時、そうか、そりゃ、社会全体から優しさもどんどんと失われていくわけだよな、としんみりした。語り手と継ぎ手。双方が向かい合うことで初めて存在するはずの語り継ぎが、社会から消えていき、行き場をなくした声だけが、ぷかぷかと漂っているような。そんな社会なんだろうなぁ、今は。はい。短編集ですが、どの話も、冒頭の口語体から始まってあっと言う間に物語の世界観に引き込まれていきました。そしてラストの、あっと驚く構成まで、お見事の一言です。『まんなおし』…タイトルからまさか、と思っていたらそのまさか、で笑っていいのか、真剣にとらえるべきなのか迷った作品。男女における立しょんの是非を、誰か、真剣に論議して下さい。でも、そうなんだろうな。島いうのは、そういう性分を持っているという言葉が、本当にその通りなんだろうな、としみじみと身に染みた。『残り香』…交わりの際にえいがみた景色と、昌作がえいに感じた匂いの描写が秀逸。この作品に限らず、全編から、その土地の匂いが濃厚に漂ってくるようだったのは凄いの一言。『パライゾの寺』…一番好きな作品。優しいキリシタンと、その男の背後に、天国を夢見た女の物語。ふたりの交わりのシーンにはくらくらしたし、その後の展開には胸が締め付けられた。男が語り継いだことによって、さくの魂である声もまた、語り継がれた。そして男の流浪の旅が終わったその時に、ふたりの魂がパライゾへと旅立つ、その光景が目に浮かぶようで。『虫の声』…そうか、子供のひとりとしてそう感じたのか。私はそうは感じず、最後までなんて身勝手な男なんだと思ったけどな。続く『六部さま』もそうだったけど、本と、昔から男と女の根本と言うのは、変わってないんだろうな。そうか。やはり人間と言うのは、種族として学習しない種族なのかもしれないな。それもこれもやっぱり、男の身勝手を、その逞しさと柔軟さで受け入れ、許してきた女の優しさのせいなんだろうな、と少し思ったり。『朱の棺』…軍神ではなく、自分たちの息子として。どうしようもなく出来の悪い、やんちゃな息子として。夢で真実を教えられ、亡くなった福寿を弔うことができた後の、夫婦の触れ合いに涙が出そうだった。戦争は、人の命を簡単に奪い去る。そして人の生きてきた証すら、神に仕立てることで、奪い取ろうとする。その愚かさと、それを最後まで受け入れなかった母の、女の、利根の強さが際立っていた作品。『お接待』…ひでの無念たるや、いかばかりだっただろうか。歯ぎしりの、その音を想像するだけで、だけどこみ上げてくるのは怖さよりも、悲しみで。その悲しみが、語り、継がれることによって少しでも、癒されるのであれば。やはり、語り手と継ぎ手、その双方の存在、そしてその双方が向かい合うことは、とても意味のあることなんじゃないだろうかと教えられた、そんな一冊でした。

 

有栖川有栖『鍵の掛かった男』・・・このエクセル、ほんと嫌い。はい。そんなこんなで曲がりなりにもこの年まで生かされると、色んな事に遭遇するものです。読んでいる途中『この作品だけでも2時間ドラマとかで実写化されそうだなぁ』と思っていたら、まさかの火村シリーズドラマ化ですって。!。見たいような、見たくないような、でもやっぱり見たいような。で、今作は『あぁ、もしかしたら連ドラの最後に持ってくるつもりなのかもしれない』と言うくらいの大作でした。正直、火村シリーズの代表作かと問われれば、短編の方が好きな私は『いやいや、他にも』と言いたいけれど、作家、有栖川有栖の代表作は、と問われれば、間違えなくその内の一作に入る作品だと思います。はい。アマゾンのレビューでも目立ってたけど、これまでのミステリと同じように、どうして殺されたのか、そしてそれが明らかになったのはどうしてか、そして梨田さんと鷹司さんの関係にあった真相とかは、特に最後の点についてはもう少し説明して欲しかったなぁという気持ちは拭えない。前ふたつに関しては、『知っているはずのないことを知っているのが犯人で』と言う、その一点のみで突破した、綱渡りのような論理的な謎ときはまぁ、ドキドキして読みごたえもあったんですけど。でも、うん、従来のミステリのように、謎の主眼をこれらに置くのであればやはり物足りない点はする。でもこの作品の主眼は、そこじゃない。この作品の主眼は、梨田と言う男がどんな人生を歩んできたのか、その一点にある。そしてそれを心に留めこの作品を読んでいくと、人間が生かされ生きることの、生き続けることの、あまりの残酷さ、大変さを突きつけられたようで、胸がどうしようもなく苦しくなる。けれどその中でも、懸命に生き続けようとしてきた人の健気さが、どうしようもなく愛しく、切なくなってくる。梨田の人生がアリスによって解き、解されていくと同時に、作中では社会的に発生した大きな出来事についても言及される。あるいは、時代によって変化を遂げてきた、変化を遂げずに来た街の景色も。そうした俯瞰的な視線から個人の人生を見つめることで、あまりのその小ささに、涙が出てきそうな気すらする。そしてだからこそ、多少の説明不足は否めないものの、自分が思いを寄せた人と鷹司さんを残そうとした、梨田さんの思いには、言葉を失う。不幸な、あまりにも不幸な再会によって、命を奪われてしまった梨田さん。その生きてきた時間がアリスによって、あるいは様々な人たちによって少しずつ形作られていった。そして真相が明らかになり、生まれてくる新たな命に自分の名がつけられることを知ったラストシーンで、ようやくホテルから帰るべき場所へと帰っていく梨田さんの姿を見た思いがした。この作品がミステリであることは間違いない。だけど、ミステリにおいて最も重要な役割を果たしながら、しかし同時に、最も乱暴な扱いを受ける被害者を、被害者としてではなくひとりの人間へと戻していく作業を描いたと言う点では、とても珍しいミステリだと感じました。だからこそ、生きていくことの重みを、ずっしりと感じさせられた作品でした。はい。『自殺か他殺か』そして『梨田とは、どんな人間だったのか。どんな人生を送ってきたのか』、この2点のみで終盤まで、火村先生が出てこないにもかかわらず(笑)、読ませた手腕はさすがの一言です。火村先生な、出番は少なかったけどな。出てきて一番、『おまえは本当によくやったよ』って、アリスを褒めるって、どういうことなんだろう。いい加減にしろ!早く結婚しろ!はい。ごちそうさまでした。どうなんだろうね。作中でも、度々語られてきたけれど、火村先生にもまた、アリスが知らない人生がある。自ら人を殺したいと思ったことがあると言うことを認め、それ故に犯罪者の蛮行を暴こうとする、その原動力にもなっているその人生が、明らかになる時は来るんだろうかな。それを明らかにするのは、アリスなんだろうかな。なー。色々、妄想が膨らむよ。早く結婚して下さい(どーん)。てかよ、このシリーズに初めて触れた時は、ふたりはずいぶん年上のお兄さんだったんだよ!それが今作じゃとうとう同じ年だよ!その内、これ、年下になることも確定してんじゃないか!これこそ、ほんと、いい加減にしろ!(笑)。はい。そんなこんなで、読書の秋に相応しい、深みと重厚感に満ちた作品でした。火村シリーズ初めてよ、と言う方は、これを一番に手に取るって見るのも良いと思う。

 

月村了衛『影の中の影』・・・毎年、もう来年に突入している読書録。今年はうっかり手抜きがち。ということで、一応ここをくくりにしました。今年、出会った作家さん。…どうして新作を雑誌連載にしたっ!言えっ!ううっ…雑誌連載はな、単行本になるまで時間がかかるじゃん。うう…単行本で発売して欲しかったよぅ…。来年こそは、無事、生き残ることができるかどうかわからないのにさ。まぁ、仕方ない。運次第だ(どーん)。そんなこんなでこの一冊。うーん…感想としては『土漠』『槐』と同じです。と言うか、流れも一緒だしな。よりドラマ性を持たせるなら、月村先生、私なら新藤さんを主人公の女性を守らせたうえで殺しますぜ(笑)。是非、今作を読まれた方は、気流警察シリーズも手にとって見て下さい。ほんとに。…だから、どうして新作、雑誌連載にしたんだよおぉぉぉぉぉぉ(叫)。お願いします、何でもしますから、今、出来上がっているところまでのプロット、見せて下さい、お願いします、お願いします…うぅ…。由紀谷さんと夏村さんが結婚するのかどうか、緑とライザが仲直りするのか、ユーリが無事でいられるのかどうか、沖津さんの敵は誰なのか、その他もろもろが明らかになるまでは死ねないよおぉぉぉぉ(絶叫)。うう。と言うことで、すべては時の運次第。とりあえず12月8日の今日この頃までは、無事過ごすことができております。今年もありがとうございました。来年も、無事、読書が楽しむことができますように。あと、いい加減、今、勤めている書店を辞めることができていますように。はい。と言うことで、今年の読書録はこれにて終了です。ありがとうございました。おっと、今確かめてみたら、去年のラストブックも月村先生本でしたね。土漠でした。あぁ・・・来年の今頃に機龍警察の新作を読めていたら、どんなに良いことか…あぁ、無理だって、今月から連載始まったばかりなのに、無理だって…だからどうして、どうして雑誌連載にしたんだよおぉぉぉぉぉ(血涙)。

 

はい。そしてここからは2016年の読書録に突入です。

そうか・・・まだ2016年か・・・。

『影の中の影』で、今、勤めている書店を来年には辞めたい、と書いていますが。

 

残念!

2016年も、私はその書店でいやいや働いていたよ!

そしてそのいやいやが爆発した結果、2017年にはその書店補を馘首になったんだよ!

 

あはははは(汗)

 

久住四季『星読塔に星は流れた』・・・と言うことで、このミスも発表されたことだし。はい。アニメの櫻子さんで、主人公の少年と櫻子さんの会話の後に、一瞬だけふたりの距離が映し出される演出があったんだけど、それがふたりの間の、あるいは多くの人と櫻子さんの間にあるであろう、途方もないほどの倫理観や価値観の違いをあらわしているようで、すごく胸を突かれたような思いがした。で、その時に思い出したのがこの小説であり、加藤と博士のこと、そこで加藤が感じたであろう、博士との距離のことだった。生きながら世界の終わりを迎えてしまった人は、それに直面することを余儀なくされてしまった人は、多分、いわゆる普通の人間とは決定的に違うのだろう。そして世界の終わりを迎えたままでも生き続けるか、あるいは加藤のように、世界の終わりを終わらせて生き続けるかでは、きっと大きな違いがあるのだろう。生きていながら世界の終わりを迎えると言うのは、途方もなく残酷なことで、理不尽なことで、私としては御免こうむりたいことだけれど、ただ、それでも生きていくしかないと、少しだけ歯車が狂ってしまったようにして生きている人の姿は、博士のような、櫻子さんのような人の姿は、途方もなく悲しくて、途方もなく美しいように思えて、どうしても心惹かれてしまう。そんなこんなで初めましての作家さん。まず何よりも、文章の上手さに安心した。上手さと言うより、それこそもう、国語の教科書で紹介してもおかしくないような、癖のない、的確な文章で、とても読みやすかったです。文章が巧い、読みやすいと言うのは、作家さんに求められるべき当然のことだと思うけれど、それを実行できている作家さんはそれほど、多くないと思うの。それから舞台設定、殺人共にそれほど派手さはなかったけれど、天空と地上、星々、隕石、宇宙と人間、願いと欲望と言った対比的に要素がうまくからめられていて、読んでいて胸がきゅっと切なくなるような魅力に満ちていました。登場人物の書き分けもじゅうぶんだったし、何より、謎解きの部分の難易度がそれほど高くないのもありがたかったです(笑)。そういう意味では、万人受けする小説でありミステリだと感じました。はい。博士は、世界の終わりを迎えてから、ずっとそれを終わらせるための世界の終りの日を迎えようと画策していた。そしてその願いを叶えることができた。そこには微塵の悲しさも、後悔もないのだろう。常に美しい、地上の欲望など全く意にも介さない星々、宇宙だけを見続けているその瞳が、ならば願いが果たされたのであれば、より一層、輝くことを願ってやまない。そうして博士は、ひっそりと生き、死んでいくことを、私は願ってやまない。

 

長岡弘樹『教場』・・・ネットで評判見たところ、見事に真っ二つに分かれていて迷ったのですが、真偽のほどを確かめてみようと言うことで購入してみました。成程。警察小説を舞台にしたミステリ、と聞いて勝手に想像した若者たちの青春群像劇ではなく、それとは真逆を行くような物語でまずはびっくりしました。ただ、こういう作風は嫌いではないので個人的には良かったです。一方、この作品に限らないことだけど、うん…その、出版社とか書店員とかの過剰宣伝は、確かに過剰すぎると言う気がしなくもなく。こう言うのな、売れて欲しいと言う気持ちはわかるけどな。こういうことをしているから、本、買うのを止めようと思う人が出てくると言うのも事実だと思うよ。はい。なんでしょう。個人的に警察なんて強いものの味方、弱いものの敵と言う意識しかないので、成程、世の警察官と言うのはこうして作り上げられていくのか、と妙に納得できる面もありました。極限を知らなければ極限を迎えた人間、つまりは罪を犯そうとしている人間を察知することはできない、と言う言葉や思いには納得できて、そのためにあんなことをさせたのか、と思ったのですが、まぁ、いかんせん、リアリティには欠けるよね。あと何だろ、極限を知ったからこそ、世の警察官どもは強いものになびき、弱いものの敵に回るのではないだろうか、とも感じました。警察学校においては、規律が求められ、それに従うことが何よりも重視される。個人の意思や考えることは拒否される。規律に従うこと、教官の理不尽に従うことに耐えられなかった者たちが脱落していく、そのことは、裏を返せば従うことができた人間が残り、そして警察官になっていくということであって、ならば世の警察官どもが強いものに従うのも自然な流れだろう、と。そんなことを感じつつ、でも、閉じた空間だからこそのドロドロとした若者たちの人間ドラマは読みごたえあり、面白かったです。ミステリ部分の仕掛けも良く出来てるなぁ、と感じましたが…やっぱり、宣伝は持ち上げじゃないかなぁ。警察学校と言う舞台が珍しいと言うことが、この作品の評価を上乗せしている面はあると思いました。はい。続編が出るとのことですが…まぁ、いいかな。

 

大沢在昌ほか『激動 東京五輪 1964』・・・まぁ、豪華なメンツですこと。と言うことで読んでみた。面白かったのは、東京五輪と言うテーマでありながら、その光を感じさせる作品を描いた作家さんよりも、その闇を感じさせる作品を描いた作家さんの方が多かったところ。男性作家さんならではだからなのかなぁ。だとしたら、次は是非とも、女性作家さん限定で読んでみたいなぁ。以下、心に残った順番に。①井上夢人『予行演習』…唯一、五輪の光の部分、夢と希望に満ち溢れている部分を描き出していた作品。これは、実話なのかな?あまり良くわからないけれど、もし、実話なのだとしたら、本当に文字通り、何て輝かしく、何て希望に溢れた、幼い頃の思い出なんだろう、と震えが止まらなかった。そうか。そうなんだ。これはやっぱり、登場人物たちが子供だからこその、光であり、希望なのだ。だとしたら、4年後、再び日本に、東京にやってくる五輪が、どうか子供たちの、幼い者たちの光であり、希望になることを願ってやまない。②今野敏『アリバイ』…んな、アホな、と突っ込まざるを得ないけれど、何て言うか、なんか、このネタの壮大さが、五輪に夢を見ている人間たちの、その夢を見ていると言う感覚にマッチしているようで心惹かれました。③藤田宜永『あなたについていく』/月村了衛『連環』…並べたのはこの二作が、戦争と五輪を絡めて描いていたため。戦地に出向く人を送り出したその土地で、世界平和の象徴であるイベントが開催される現実に、どうしてもついていくことができない男の、どうしようもないかなしさと戸惑いを描いていた作品だったから。これぞ、五輪の闇の部分を描いた作品だと感じた。戦争も、そして平和の象徴であるはずの五輪も、お国のため、名誉のためと皆が皆、右向け、左向けと言う点では変わりないと言うことを突きつけられたような気がする。そこに違和感を覚える、どうしようもない居心地の悪さを感じる人間の行き場の無さのようなものが、私の胸には途方もなく響きました。ただラストは全く正反対だったなぁ。月村作品の『連環』は、タイトルの意味を知って初めて、そう言うことなのか、と感じた。一時の、映画のような輝かしい物語を経て、世俗の環から、人の環から弾き出された男の末路は、どこへと続いているのだろう。胸が詰まるような思いだ。それと共に、あの時代の『映画』と言うものの偉大さのような物を、ひしひしと感じた。④東山彰良『陽のあたる場所』…これも、月村作品と地続きになっているような作品。最も五輪との関わりは薄く、けれど、五輪にかりそめの夢と希望を見ようとしていた民衆と同じように、女との幸せな生活を、最後の最後に夢で手に入れた男の結末が、何とも切ない。五輪が幸せなイベントなのだとして、そこに幸せを見出すことができるのは、幸せな人だけなのだと思った。⑤堂場瞬一『号外』…五輪がなければ―。そんな思いが、怨嗟にも似た声が聞こえてきそうな。けれど、勿論、彼は知っているのだろう。本当に忌むべきは、自分の失敗を陽のもとにさらすことができなかった自分の弱さであることを。東京五輪と言う、全マスメディアが食いつくイベントの中で、本当にこんなことが起きていても不思議手はないと感じさせる作品でした。⑥大沢在昌『不適切な排除』…唯一、当事者ではない人間が主人公だったからなぁ。やっぱり、全作品読んでみると、事件にかかわった人間から語られる、そしてこの作家さんの持ち味である淡々とした語り口が、他作品の、特に③④⑤あたりの男たちの不器用さに比べると、どうしても印象の薄さにつながってしまっていたような。でも、唯一、現代を舞台にして、過去の東京五輪をふりかえることで、そしてそこに、平和のイベントでありながら、断ち切ることができない過去からの、戦争からの因縁によって命が奪われた人間がいるということを描き出すことで、やはりそこにある『平和』と言う言葉のまやかし、危うさを描き出している作品だと思いました。はい。そんなこんな。いや、どの作品も個性豊かで読みごたえありました。ほんと、繰り返しになるけど、これ、女性作家さんオンリーでもやって欲しいなぁ。

 

柚月裕子孤狼の血』・・・正義の遂行者であること。法の遵守者であることが警察官の役割である、まさしくそれだけが正義だと信じきっているのであれば、成程、警察官は何の頼りにもならないはずだ。法には、体温はない。ただの制度であり、目安でしかないのだから。そんなものを守ることを正義を遂行することだと思い込んでいるのであれば、それはおめでたい思い込み以外の何ものでもない。人の体温があるところ、その場所を守ることこそが正義であり、警察官と言う公僕に就いた以上、何を賭けてでもそれを実行していくのが警察官の役割であり義務であり、そして警察官の正義であるはずだ。ならば大上は、警察官そのものだった。その名、その職に相応しい人間だった。極道と言う土俵に入り込み、極道に生きる人間に対して相応しい態度で、あるいはその土俵にのっとったルールで、彼は、市民と言う、体温のあるところを守り抜こうとした。それこそ、警察官以外の何ものでもない姿だろう。そして、その血を受け継いだ日岡もまた、警察官としてあるべき姿へと変貌を遂げていくのだろう。あらゆるものを賭け、あらゆるものを失い、あらゆるものを売り渡し、けれど、体温のあるところを守り抜く警察官へとなっていくのだろう。はい。そんなこんなで話題になっていたので、調子に乗って買ってみました☆的一冊でしたが、まぁ、面白かったこと。絶対、映像化されそう。あと、最初に聞いた時は別にいいや、と思っていたけど、この結末を知った今は、是非とも読みたいね、続編。大上と日岡。大上のキャラクターが、へ本当に良かった。読む前のイメージはずいぶん、裏切られたけど。ただの優しい、困ったおっさんじゃん!(どーん)。でも、このキャラクターあってこそ、読者は、ラスト付近の日岡の行動に共感できるのだと思う。圧倒的な存在感、彼の放つエネルギーや温度が、ページのこっち側にまでどんっ、と伝わってくるようで、どんどん彼に、そして物語に引き込まれていきました。そして日岡。実はスパイだった、と言うトリックがまた憎い。そこが明らかになって、大上との出会いのシーンから読み返してみると、彼の戸惑いや成長、決意が胸に迫ってくるようで、胸にずしり、と来ました。ひよっこから本物の警察官へ。孤独な狼の血を受け継いでいくと決心し、その変貌への一歩を歩み始めた彼の姿には言葉を失うような思いもしたけれど(堕胎を強要したホステスの名を口に出した、あのシーンは最高に痺れた!あの言葉こそが、きっと、その第一歩なんだと思うよ)、同時、プロローグとエピローグで描かれていた彼の姿には、あぁ、大上がそこにいる、と思わせるのに十分で、嬉しい気持ちにもなりました。いいコンビだな。日岡はきっと、警察官としても、人間としても、最高の人に出会えたのだと思う。ちなみに続編は、日岡と一之瀬さんの関係が描かれるんでしょうか。ならばうっかり、BL本ができちゃいそうだね☆と思っちゃいました、てへぺろ。このふたりをはじめとして、極道の世界で生きる男たちの、そして大上と日岡と同志になる、紅一点の晶子さんの存在感、そしてその生き様が、生き生きと躍動する広島弁によって、余すところなく描かれていて、そのエネルギーに引っ張られるようにしてぐいぐいと読み進めることができました。捜査のためになら悪魔にでも魂を売り渡す―否、現にそうして、警察官としての生きようしか残されていなかった大上。そしてまやかしの正義に魅入られ、スパイになった日岡。けれどその中で触れた生きざまに、本物の警察官になる覚悟を決め、孤狼の道を歩み始めた日岡。警察小説、ハードボイルド、ミステリー。今作は、そうしたジャンルのおもしろさをすべて備えていながら、何よりもこのふたりの、時を経ても受け継がれる思いの、意思の熱を描いた、胸が熱くなるような作品だと思いました。

 

・菅原和也『さぁ、地獄へ堕ちよう』・・・生きると言うことは終わりのない、ゴールの設定されていないマラソンのようなものだと言うたとえがあった。成程、その通りだなぁ、としみじみ感じた。正確に言うと、ゴールは設定されているけれど、それが見えないマラソンだと思う。いつかは必ず死ぬ。だけど、その時がいつかは全くわからない。それまでは生き続けるしかない。死なない限りは、四肢をもがれようが、寝ゲロにまみれようが、中身空っぽなふりをしようが、どんなに苦しくても生き続けるしかない。こんな残酷なことって、ないでしょうよ。なんか、そのことを上手に受け入れられない、そのことにうまくなじめない登場人物たちの姿と言うか切実な思いに、胸が締め付けられるような気がした。はい。そんなこんな。読み始めた時は主人公のあまりの頭の弱さに、あまりにもステレオタイプな人物造形に、そしてそれをこれでもか、と表現するようなびっしりと書かれた文章にどうなることかと思いましたが。途中から、この子は実はとても頭の良い子なのだと、そして多分、一生、分かり合えないだろうけど、多分、思考回路的には私と似たような考え持ってんじゃないのかと気がついたら、割とすいすいと読めて行けました。はい。SMやら人体改造やら、ブレインピアスやら、ともすれば人目を引くためだけに扱われそうな題材がとても丁寧に描かれていて、そこにまず好感が持てたし面白かったです。見た目を大きく変えることで、自分の中の何かが変わったと錯覚するって言うのは、ものすごく納得できた。見た目が大きく変わると、たとえばピアスがじゃらじゃら空いていたり、刺青がバンバン入れられてたりすると、他人の目も変わるから、それによって自分の中の気持ちも変わるんだろうなぁ。まぁ、でもそれは、まやかし以外の何ものでもないんだろうけどなぁ。それでも、そう言った手段にでも頼らないと『変わる』と言うことなんて難しいことなのかもしれない。いや、本当はそんなに難しいことを考えなくても、とてもシンプルなことなのかもしれないけれど、でもそれができないのが人間と言う生きものなのだろう。さぁ、地獄へ堕ちようと言うサイトが、自殺幇助システムと言うのもひねりがあって面白かったです。なんていうんだろ、これはこれで、すごく健全なシステムなんじゃないだろうか、と言う気がしたのですが、個人的には。生きていることが辛いなら、自分の体が辛いなら、どうすれば良いのかと言う気持ちは、なんでだろうか、それを口に出すことすらが馬鹿にされるような扱いにあるけれど、でも、それに真摯に向き合うことが必要なんじゃないだろうか、とも思ったり思わなかったり。ただ少なくとも、生きることを素晴らしいことだと唱えている人は、痛みを通じてまでどうにか生きることと向き合おうとしている人の切実さに応えるべきだと、向き合うべきだと思うの。うん。はい。色々と思うところがあった小説でございました。そうか、デッドマンと横溝賞を同時受賞したのね。…な、なんて四肢損壊なダブル受賞(汗)。ラスト、まるでバトルロワイアルのラストを彷彿とさせるような疾走感と爽快感と悲壮さが混じり合っていて、良かったです。そう、だからそう言うことなんだろう。結局、『変わる』『変わらない』は、個人の気持ちの持ち方、それに限るのだと思う。ほんと、何にしろこれに限るのだと思う。

 

鳥飼否宇『死と砂時計』・・・面白かったです。久しぶりの作者さんでしたが、本当に面白かったです!特にラスト『アラン・イシダの真実』は傑作じゃなかろうかと思うくらい。いつか来る、と頭では理解できていても、でもきっとまだそれは先のことだろう、そしてなんならばそんな日は来ないんじゃないだろうか、と思い込んでいた死刑執行の日が近づいてくる、そのことに対する切迫感、緊張感、不安、焦燥が砂時計と言う小道具を通じて、見事に表現されていたように思う。死と言うものを考えた時の、あの、何とも言えない、世界が窄まっていくような、腹の底から何かがこみあげてくるような感覚がすごく伝わってきた。そしてそこに、アランの半生、少しずつ、父親の正体に近づいていくこと、アランの残り時間が少なくなっていくことが絡まり合って、ドキドキが止まりませんでした。そしてラスト、父親の正体についてはある程度は予想がついていたけれど、この巨大な監獄の正体、トリスタン・シュツルの本当の思惑―命を賭して息子をにがし、『女囚・マリア・スコフィールドの懐胎』にも、そんな思いがあったのか。そうか、やっぱり父は父であり、息子であるアランとの再会を心の底から幸せに思っていたんだなぁ、ジョージに対してもそこまでの思いを抱いていたんだなぁ、と胸が熱くなるような思いがしたのに、あなた(笑)。ラスト7行で、冷や水ぶっかけられたような思いですよ。そしてその狂気に、純粋すぎる、科学者としての狂気ににんまりですよ。最高。この後、無事、生き延びたアランが、TSウイルスを発症した時にどんな顔をして、どんなことを思うのかと思うと愉悦が止まりません(笑)。ステキ、シュツル、ステキ。サリフがその欲望を満たすために巨大な監獄を作り上げたのと同様に、シュツルもまた、自らの願望を満たすためにアランと言う、小さな監獄を作り、守ったと言うことなんですな。かはー。とんだマッド・サイエンティストだな。はい。そんなこんなで他の作品も読みごたえ十分でした。個人的には『監察官・ジェマイヤ・カーレッドの韜晦』と『墓守・ラクバ・ギャルポの誉れ』が好き。前者は何と言うか、定年退職に潜む不幸や悲しみを描いているようで胸が詰まるような思いがした。後者は葬儀に対する文化の違いが描かれているようで興味深かったです。巨大な監獄を作り上げた人間はいなくなったけれど、この後、この監獄はどうなるのだろう。少しずつ、変化を迎えていって、やがては終焉を迎えるのだろうか。それとも、サリフの変わりがあらわれて、何事もなかったように続いていくのだろうか。そして多くの欲望を満たしていくのだろうか。前者の方が幸せなはずなのに、何故か、後者の方が幸せのようにも思えるのはどうしてだろうか。そしてアランと息子、ジョージの行方は。シュツルの残した『子供』は、世界中で輝くのだろうか。色々、想像が膨らむなぁ。そんなこんなで、割合、読みやすく、ミステリ的な伏線もばっちりとはられていて、それでいてラストにはこの作家さんらしい、満開の狂気のような物も描かれていて、大満足な一冊でした!

 

はい。と言うことで本日はこのあたりで終了にしておきましょうかね。

 

どうでしょうか。こうして振り返ってみると、坂東眞砂子さんの『パライゾの寺』と鳥飼さんの『死と砂時計』とかは、結構、印象に残っているなぁ、と。あと『教場』とか『孤狼の血』なんかは、この後に映像化もされたわけで。そうか有栖川さんの日村先生シリーズもドラマ化されて、結構、評判良かったんだっけか?私は見よう、見ようとも思いつつ、結局、見なかったんですが(汗)

 

そう思うと、今、2021年現在で読んでいる作品も、数年後には映像化されていたりするのかもしれないなぁ・・・。

斜線堂有紀さんの作品なんかは、なんかはと言う言い方はいい意味で使っていますよ、ほんと、ドラマ化、アニメ化にめちゃめちゃ向いていると思うんだけどなぁ~。

 

はい。そんな具合で本日はここまででございます。

ありがとうございました~。