tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

入院中も本はとても頼りになる存在でした~読書感想文の日

はい。と言うわけで本日11日は1が付く日。と言うことで読書感想文放出の日です。

あれです。

入院にあたって荷物を取りに自宅に戻ったわずかな時間。

『あ』と思い出したのが本の存在でした。伊坂幸太郎さんの『ホワイト・ラビット』と澤村御影さんの『准教授・高槻彰良の推察』の4巻。それから原田マハさんの『サロメ』を慌てて、荷物の中に入れ込んだのですが・・・。

 

いやぁ、本当に、これらの本にもどれだけ助けられたことか。

結果として原田さんの『サロメ』は手つかずのままなのですが、それでもほんと、本があることで、読書があることで、入院時間の退屈も、それはそれは癒されました。

 

あー、本当に本好きと言うか、読書好き、活字好きでよかったなぁ~。

病院内にあったフリーマガジンとか、そう言うの読むだけでも楽しかったもんなぁ。

あと病院内にも漫画があって、なんかなんか中途半端に巻数が欠けていたり、最終巻までなかったりするものが多いんですけど(笑)それらもちょこちょこと読んでいました。

GS美神』最高だった・・・アニメ、見てたなぁ。懐かしいよなぁ・・・。

『リメイクされたらこの声優さんで』と勝手に脳内アテレコした、その中身はまた記事にしたいと思います。はい。

 

いやぁ、本よ、漫画よ、活字よ、ありがとう・・・。

と言うわけで、読書感想文のスタートです。

 

・今邑綾『金雀枝荘の殺人』・・・ …NTRアドルフさんを思い出しました…ええ…(涙)。はい。そんなこんな。初めての作家さんですな。いや。面白かったです!序章に引っ張られて、本章の最初は人物の生存状況とか、時代設定とかをとらえるのに苦労しましたが。そこから先、過去の事件に行って、さぁ、謎解きが始まってからの後半はもう、一気呵成で怒涛の流し読みに近いような、ページを繰る手が止まらなかったです!ミスリードで見事に犯人導かれてからの、生き残った兄弟たちが次々と凶行に倒れていって、逃げて、逃げて、もう、その辺りの手に汗握る感じといったら!ドキドキですよ。怖かったです。自分も逃げ回っているみたいでした。で、その後に真実明かされて、そして、ラストの台詞で『あぁ、そういうことか…』と序章を読み返すと、作者さんの言った通り、まさしく、ネバーエンディングストーリー。うまいこと出来てるなぁ、工夫されてるなぁ、とぞっとしました。そうね。そういうことで、まぁ…アドルフさんを見習えよ、と(笑)。悲しい物語だよなー。信用しきれなかった男一人の思い込みひとつが、どれだけの命を不幸にしたか。それを思うと、なんか、空しくすらあるよなぁ…。悲しい。寂しい。そんなこんな。館×ミステリ。面白くないわけがない!と言う具合で、一気読み必至の傑作でした!

 

今邑彩『赤いべべ着せよ・・・』・・・和風ホラー、とでも言うんでしょうか。序章から、もう、おどろおどろしいと言うか、ちょっと湿った、日本の恐怖感のようなものがばんばんと伝わってきて、ぞっとしました。舞台は、どこか閉鎖的な田舎町。子供たちの不幸が、時を挟みながらも繰り返される田舎町。そこで事件が起こる度、そこで生きてきた人たちの本性がむき出しになっていき、そして、主人公の本性、本音も揺さぶられ、むき出しになっさていきそうになる…その過程が、もう、たまらない。いいなぁ。たまりません。ぐちゃぐちゃ。でも、きれいごとなんかで終わっているよりも、ずっとこさ共感できるし、心地いいです。主人公の千鶴。子供の存在に、自分の人生の意味のようなものを迷わせられながら、おまけ、ずっと憧れていた幼馴染にも裏切られて、それでも、最後の最後、気が付いたたったひとつのきれいな思い出、感情。…あぁ、しかし、その気づきは、救いなのだろうかね、希望なのだろうかね。私には、彼女が、きっと、子にとって鬼のような『女』になってしまうように思えて、そのきっかけでしかないように思えて、たまらない皮肉のように思えて、もう、にやにやしてしまいます。暗い愉悦とでも言いますか。こういう、情念と言うか、ぐろぐろしい感情の発露が、もう、たまらんなぁ。子を喪って『鬼』になった女。そして、子を持ちながらも『鬼』になりつつある女。そして、『鬼』にまさしくすべてを捧げた、ただの、憐れな男が一人。そうか、滋さんの行動は、そういうことだったのか…私も最初は、千鶴を助けたんだ!と乙女モード全開でしたが…ふふ、そりゃ、千鶴さんや、たまったもんじゃありませんな…くふふ(悪趣味)。でも、簡単なことは言えないけれどね。きっと、そういうことなんだと思う。『鬼』と滋さんにしか、子を喪った、その喪失感や悲痛はわからないものだったんだと思うし、そしてそれは、誰の共感をも拒む、拒んで当然のものだったんだと、その壮絶な最後には思うのでした。はい。ふたりにとっての子供は、ただのひとりしかいない。それ以外の子供は、ふたり以外の子供であり、子供でありながら、子供ではない。うーん…矛盾しているようだけど、でも、悲しいし、わからなくもないなぁ。そして、最後の最後で明かされた、最初の事件の真相にも、にんまりですよ。男への嫉妬に身を焦がし、身も心も滅ぼされ、そして、『鬼』になった女の正体。それを思うとまた、その『鬼』の息子が…というこの結末が、因果の巡りのようなものを感じさせて、言葉を失うと言うか、何と言うか…。いいなぁ、今邑作品。この、容赦ない物語展開に、ダークな後味が、個人的にはたまらなく好みです。はい。そんなこんなで、私の頭の中では、『鬼』となった千鶴さんの姿がまざまざと想像できるのですが…まぁ、あくまで、個人的解釈ですけどね。はいよ。

 

今邑彩『七人の中にいる』・・・…で、結局、実は七人の中にはいなかった、と言うことなのか…。はい。そんなこんな。のっけからの残虐な殺戮シーンに『これぞ今邑作品だよね』とぞっとしつつ、にんまりしつつ、さて、それでは果たして、件の生き残りは誰なのか…という謎にぐいぐい引っ張られてあっという間に読了してしまいました。小出しに明かされていく招待客の正体。確実に、本性を現しつつある恐るべき招待客。その二つが絡み合って、さぁ、どうなる!と思っていたら、それぞれの招待客、思いもしていなかったような真実を明かし始めて『お、おう。まさか、こんな展開が待っていたとは』と思わず笑ってしまいました。そして、その、喜劇に近いような怒涛の賑々しい展開の後に待ち受けていたのは、家族だけの静かな、けれど幸福な会食…ときて、しかし、淡々と、あまりに静々と進むそのシーンに、どこかうすら寒いもの、ぞっとしたものを覚えつつ、そしてひとつの予感が胸を過り…キター!大当たりじゃんかよ!成程ね。まぁ、多少の無理がないこともないんだろうけれど、でも、楽しめたのでいいです。ラスト、ちゃっかり晶子さんに目をつけちゃってる佐竹さんとか『おいおい!あんた狙ってたんかい!』と突っ込み入れたくなりましたけど。後、娘ちゃんもタフね。私なら、ぐれそうになると思うけどね。はい。しかし、一つの謎を徹底的に追いかけて、ページ数の割にはスピード感を持って読ませる手腕はさすが、な今邑作品の魅力全開な作品でございました。

 

今邑彩『鬼』・・・短編集でした。どれもこれも、小粒ながら技が効いていて、まさしくホラーでありながらミステリー。ミステリーでありながらホラー。今村作品の魅力がたっぷりと詰まった作品集でした。くそ、エクセルが消えやがった、死ね。はい。そんなこんなで書き直し。『黒髪』はぴんと来なかったのですが。それ以外の感想を少しずつ。表題作『鬼』は、怖くて仕方のない作品なのですが、何故か、安堵というか、あぁ、来てしまったか、と言う思いよりも、やっと来たか、来てくれたか、やっと終わるのか、と言うような思いの方が、主人公から強く伝わってくる作品。最後の微笑みが、その、心底ほっとしたような、やっと来てくれたんだね、と言わんばかり微笑みが、深い、深い余韻を残す作品。『メイ先生の薔薇』。素敵。生徒たちに愛され過ぎた、まさに若く、美しく、咲き誇っていた先生の生命を土台に、見る者の心を壊さんばかりに、狂気的なまでに美しく、大輪の花をつけた薔薇。真偽のほどは確かではないけれど、でも、素敵。『セイレーン』。まさしく、タイトル通り。迷う暇なく、魅了し、心を奪い、命を奪う愛美ちゃんの存在感よ。そして、生きる力を失った人たちが、最後の最後に求めた人との関係に、息が詰まるような思いを覚えました。続いては『悪夢』。可愛くてかわいくて、だからかわいそうで仕方がなくて、命を奪う。そんな逆説的とも言えるような人間の思いが、だけど、切実に理解できてしまうよ。思いもよらないそんな感情が、やはり思いもよらないところから明かされていく、その手法も面白かったです。切実で、哀切で、身勝手極まりのない思いが、でも、胸打つ作品。『カラス、なせ鳴く』も、母親の息子を思う気持ちが、と言いたいけれど、でもきっと、そんなものじゃないんだろうな。多分。母親と息子。真相に気かづいた瞬間の、父親が感じたであろう疎外感に、背筋がぞっとしましたが、まぁ、仕方ないよな、という気がしないでもないよ。『たつまさんが殺した』。それは果たして、天啓の声なのか、はたまた、ただの願望でしかないのか。いずれにしても、『お子さんの方は助からなかった』という言葉を、思いを、笑顔ひとつで裡に隠し通してしまった春美ちゃんに万歳!こういう、悪意が悪意のまま発露されずより巨大な悪意に育っていくってのが大好きだ。現実ではごめんだけど!そして、情緒的な、シクラメンに一つの思い、道ならぬ恋、そして燃え盛った女の姿を託し描いた『シクラメンの家』。枯れ果てた女の姿が悲しい一方で、一時であれ、燃え盛る秘密の時を過ごすことができたなら、それは幸せだったのではないだろうか、とか。けれど、だからこそ、こうしてまた、女の平凡な日常は続いていくんだろうな、という、幸福な諦念と言うか、幸福な倦怠感のようなものも、じんわりと感じられて。うむ。こうしてみると、本と、ひとつひとつ色が違っていて、改めて、作者さんの引き出しの広さを感じるなぁ。そんなこんなで、今邑先生フィーバーもひと段落したところで、今年の読書録は終了にしたいと思います。ということで、今年もありがとうございました。無事、読書を楽しめる時間が、一時でも長く続きますように、と祈らずにはいられない、今日この頃でございました。あわびがうまそうだ!

 

はい。で、ここから先が2014年の感想文となります。

 

沙藤一樹『Dブリッジテープ』・・・生きると言うことは、ただでさえ過酷なこと。庇護されるべき年齢で捨てられ、ごみと共に生きてこざるを得なかった少年の生の残酷さ、過酷さ、凄惨さ、苛烈さ。それらが、余計な描写を省いた、ひとり語りの文章だからこそ、鮮明に伝わって来た。語りでしかないのに、どんな文章よりも映像的で、それは、語りだからこそ、読み手の想像力を喚起するものだったのかもしれない。そんな、生活とも呼べないような生活の中で、時間の中で、唯一で逢うことができた少女との、短い、あまりにも短い幸福な時間。ぽっ、と二人に与えられた、ようやく手にすることができた灯りのような、その時間。けれど、それすらもほんのひと時で、その果てに待ち受けていた、当然とも言えるような結末は、でも、これも少年の語りだからこそ、胸に突き刺さるようで。ここで、生きていたことを、知って欲しい。生きていたこと、ただ、それを知っていてほしい。見ることも叶わなかった広く、自由な世界を想像し、対して、自分の世界と時間を思った少年の、その心中たるや。叫んでも、叫んでも、叫び足りないほどの、胸がぎゅっ、と押しつぶされるような思いだったんだろうな。生きることを捨てられず、生きることを諦めきれず。死ぬことよりも過酷な時間を過ごし、出会い、失い、生き抜いた果てに少年が得たものは、それでもただの絶望と悲しみでしかなく、けれど、それすらも、伝える人が少年の元にはいなかった。自分が、生きた、その証を、それでも少年は残したかった、伝えたかった。自分が、生き抜いたから。そして、ただひとり、共にあった少女のために。…と、まじめに書いてきましたけどね。はい。なんか、読了後と、時間をおいてからとの感想が、ちょっと変わったような気がする。やっぱり、これはこれで、なかなか胸を刺すような、極上の青春小説だったんじゃなかろうか、と言う気がしてきました。うむ。私だったら、生きるために、猫を殺せただろうか。ゴキブリを食べられただろうか。ゴキブリ、確かに、栄養豊富らしいけどね。生きるために生き抜いた少年だからこそ、このテープの存在だったんじゃなかろうか。生き抜いたからこその、どうしようもない絶望だったんじゃないだろうか。生き抜く、ということの残酷さを、しみじみ感じる、読了後四日後の今日この日(ちーん)。うむ。まぁ、あの、あれ。小説を一時でも書いていた人間としては、たとえば、この手法はそりゃ楽だっただろうな、とか思うんですけどね。でも、この手法は本当に効果的だったと思うし、余計なものを描けない、と言う点では、言葉や場面の取捨選択に、相当気を使われたとも思うし。あと、気持ちはわからなくもないけど、高橋克彦先生の絶賛は、この短編には重すぎたんじゃなかろうか、とか。…これ以降、あまり作者さん、作品出してらっしゃらないようだし。…結局、あまりこの作品も話題に上らなかったし…とか思うんですけど、でも、たくさんの人に読んで欲しいな、というような作品ではあるかな。特に若い人ならきっと、もっと、ダイレクトに少年の叫びに胸を打たれるんじゃないだろうか、と思う。生きることは、残酷で、凄惨で、過酷なこと。それでも人は、死なない限り、生きるしかない。

 

多岐川恭『濡れた心』・・・突如として思い立ちました。歴代乱歩賞受賞作品を読んでみよう!と言うことで、その第一弾です。はい。昔の文庫です。字がちっさいの(涙)。そうですね。まずは、各自の日記形式で、ものすごく読みやすかったし、誰しもが本当のことを言わなくても構わない構図なので、謎が深まった感があってすごく面白かったです。登場人物も個性豊か、その語り口も、ドラマよりもドラマチックと言いますか。この辺りは、時代をものすごく感じたなぁ。愛憎の形とか、きれいなものに惹かれる一方で、堕落した、汚いものにもどうしようもなく心奪われてしまう感じとか、すごく共感できたし、そういったひとつひとつ、ひとりひとりの心情が色鮮やかで、それらを中心に繰り広げられる物語はまるで万華鏡をのぞいているような気分でした。男たちの、打算的な愛。それから、大人たちの、ためらいがちな愛。少女たちの精神的な愛。美しいものを求めてやまない愛。そして、大内トシ(トシですよ!トシ!)の兄に対する愛、兄から、トシに対する愛。トシから典子に向けての愛。この辺りは、やっぱり、主役であるところの典子の存在感、不可思議な存在感、誰しもが何かしらの感情を抱かずにはいられない、誰しもの心を静かに、激しくかき乱して止まない存在感、と言うものが大きかったな。典子と寿利の愛が主題になっていたからこそ、その陰に隠れがちでだったトシの感情がこの事件を、と思うと、何とも切ないし、典子を憎みたいのに憎めない、というお兄ちゃんの気持ちも切ない。ミステリ的な部分でも、すごく凝っていたなぁ。…ってか、拳銃の弾に関しては、お兄ちゃん、しっかり覚えといて!と(笑)。刑事なのに、その記憶力の曖昧さは大丈夫かっ!と思ったけど、時代的にも、そんなものなのかもしれない。そもそも、拳銃を自宅に持って帰って整備できるような時代だったんだからなぁ。うん。そんなこんな。まずは一冊目、読了しました!

 

戸川昌子大いなる幻影』・・・乱歩賞受賞作を読もう、の二冊目です。相変わらず、文庫は古く、字が小さかったです。ふむ。戸川さんと言えば、髪色が派手なファンキーな人、息子が麻薬所持で捕まった、と言うイメージしかなかったのですが…面白かったよ!人生とは、幻影を背負うこと。幻影を追い、求めること。他社を寄せ付けず、第一線から退き、また、そもそも社会から必要ともされず、淡々と、アパートで生きてきた女たちは、やがて老女となり、自らに残された時間の少なさを知り、愕然とする。ある者は、幻影を今でも追い求め、すがりつこうとし、ある者は、その幻影に押しつぶされそうになっている。ある者は、自分にはその幻影のひとかけらもないことに気づき、愕然とし、その幻影を持つものに嫉妬の念を焦がす。そしてそれぞれが、その忸怩たる思いを弄ばせることができず、故に、他者の秘密を覗き見たい、暴き晒したい、という思い一心で妄想、想像を暴走させ、もう一つの幻影を作り上げていく。けれど、そうしてできあがった幻影が、実は結局のところ、砂の楼閣、まさしくタイトル通り、大いなる幻影でしかなかった、というストーリー構成は、もう、お見事!特にラスト、そう来たか!とひざを打ちたくなるような真相は、東条管理人の人生、最後の最後に打った大博打も大失敗でした!と言わんばかりのもので、その痛快な皮肉にはにんまりですよ。いやー…どの老女も、他人とは思えなかったな。きっと、私が彼女たちと同じ年まで生きることができていたら、私も、彼女たちと同じような老女になってること、確実だな、これ。ははははははははは!(汗)。はい。もうな、このアパート自体が、まるで老女という、枯れ果て、空虚と言う怪物を内に飼いならしている怪物たちの巣窟のようにも見えてきましたよ。なぁ。女性の社会進出なんてまだまだだった当時だからこそ、幻影に対するそれぞれの思いは、今以上だっただろうな。それを背負った人は、自分でやったんだ!っていう誇りも並々ならぬものだっただろうし、それを持つことができなかった人は、だからこそ、強烈な嫉妬を覚えただろうし。なぁ…。いいな。良かった。タイトル通り、生々しい作品でありながらも、どこか、大いなる幻影を見せられたような、もの悲しさも感じられる作品で。うん。老女、幻影求めて大暴走!女の嫉妬、ここに極まり!いつの時代も、女性は元気ですな。はははははは(ちーん)。はい。面白かったです!てか、初期の乱歩賞作品に、こんな画期的な作品があったなんてことが驚きでした!

 

仁木悦子『猫は知っていた』・・・相変わらず字の小さいこと…はう。そんなこんなで、事実上、作品としては乱歩賞受賞作第一作目ですな。うむ。そうか、第一作目は女流作家さんだったのか。そうだね。なんだろ。推理小説ブームの火付け役になった、って言う説明が、すごく納得できた。事件が起こって、推理をする。あの可能性も、この可能性もつぶして言って、最終的に残ったものが真実だ!っていうのを、物語として見せる、というその流れが、そうか、もう、この時代からできあがっていたんだな、と感じました。あと、その登場人物たちが生きている、というか、そこにも熱意を傾けて、性格を与えて描いた、っていう意味では、やっぱり、キャラクターにも魅力のあるミステリの先駆けなんじゃなかろうか、とも感じました。アリスシリーズを彷彿とさせるような、兄妹のやりとりだったもんなー。こー、生き生きと登場人物を描く、日常と地続きの上で事件が起き、日常を生きる人物たちが推理をする、それを描くまなざしの柔らかさ、みたいなものは、宮部みゆきさんを思わせる感じだったなぁ。成程。145センチで60キロ…なのに、あんなにもきびきびと動ける悦子ちゃんに尊敬のまなざし(笑)。びっくりしたわ。一瞬、数字、見間違えたかと思ったわ。うん。こんな、お転婆女の子が出てきた、推理小説の主役として出てきた、ってのも当時としては珍しかったんじゃないかな。これ、そういう意味では、お兄ちゃんもイケメンっぽいし、コミック化したりしたら、ものすごく映えそう。うん。はい。ただな…すいません。もう、これは、完全好みの問題です。個人的には、こういう系統の作品は苦手かな…。推理で物語が進んでいくと言うのはわかるんだけど、長々と会話シーンが続くと、元気をなくします(どーん)。うむ。なので、すいません、字の小ささも手伝って、流し読み状態でした…はう。ただ、それを除いても、やっぱり、主人公とお兄ちゃんのコンビのキャラクター性は、すごく魅力的だったし、現在の推理小説、ミステリ界の礎的作品だと言うのは十分に理解できました。こういう邪推は、やっぱりよくないんだろうけれど、やっぱり、作者さんは物語に支えられ、辛い幼少期を過ごすことができたんだろうな。物語、そこに出てくる登場人物たちに対する愛情を、ひしひしと感じることができた一冊でした。

 

・藤村正太『孤独なアスファルト』・・・引き続き、乱歩賞です。はい。いわゆる非常に、乱歩賞らしい作品だな、と思いました。大きな欠点や瑕疵もない代わりに、取り立てて、目を引くような個性もない。けれど、二時間ドラマにでもなりそうな、きれいなまとまりと、十分に読み進めることができる面白味がある。百点ではないけれど、二十点でもない、まさしく七十点くらいの、そんな作品。安心、安全マークをつけて世に出せますよ、と言うような作品でした。とは言え、個人的にはとても面白かったです。文章は読みやすかったし、ストーリー運びも、お約束要素を踏まえたうえで、ものすごく追いやすかったです。社会派小説と言うんでしょうかね、緊迫感がありながらも、刑事の来宮さんの人間味あふれる温かい性格と、粘り強く、足で事件を追っていく様子なんかが、すごく物語に人間味を与えていたように思いました。気温差トリックは、残念ながらネタを知っていたのでアレでしたが、社会的立場の格差で被害者にすら順序をつけてしまっていた、その錯覚が暴かれた、謎の転換は、おお、成程!と思わされたし、最後の事件も、この物語に相応しいと言うか、悲しいもので余韻もたっぷりで、満足、満足でございましたよ。物語冒頭からの、田代君の孤独から、もう、物語に引っ張られていったと言うか。なー…ほんと、すごく読んでいて心苦しかったです。今もそうだけど、当時にしたら、田舎から都会へ、と言うのはやっぱり、不安はもちろんのことだけど、すごく大きな希望のようなものもあっただろうし、やってやろう!みたいな意気込みも相当のものだっただろうしな。それが、話し言葉で立ち行かなくなって、やがて、自分の中からもそういった思いが失われていく…辛いよなぁ。そして田代くんの場合、それでも、最後の最後の希望として残されていた大手企業への就職と言う道も、いわれない濡れ衣によって立ち消えてしまった。だからこそ、最後の彼の行為はものすごく納得できたし、そこに至るまでの、田舎者で誰ともしゃべらない、だからかけられた疑いもなかなか晴らされないと言うのが、苦しかったと言うか、でも、ありがちだよな、と。被害者の順序のことも含めて、大都会だけでない。社会の中にあって、人は、他人にはそうそう意識を向けない。だからこそ、職業とか、見た目とか、雰囲気とか、そう言ったわかりやすいもので人を判断してしまう…孤独なのは、そういう人の心なのかもしれない、と思いました。来宮さんが事件に関わり、田宮くんを連行してくれたのが、せめてもの救いのような気がします。うん。被害者、そして、間接的に事件の被害を受けた人たちが、社会から軽んじられていた人というのがすごくうまく利用されていたし、胸にくるものがあり、作品にぐっと重み、深みを与えていたように思います。はい。そんなこんなで、うん。面白かったです。

 

・西東登『蟻の木の下で』・・・そんなこんなで、ちんたら読んでいたので、途中からは流し読みです、すいません。でも、ラストにかけての流れとか、意外すぎる犯人の正体とかはびっくり、読みごたえたっぷりでした!戦争。なぁ。地獄を見るような目に遭って、一命を取り留めたものの、人としての姿を失ったが故に、その命に代えて守り通そうとした妻と娘の元に帰ることができなかった、その無念たるやいかばかりか…。その、トリックとして使われていた蟻の木の存在も不気味で、この世のものとは思えないような存在だったなら、悲しいかな、そうなってしまった犯人の姿もまた、どこかしらモンターじみたものを感じさせて、そう感じてしまう自分がものすごく嫌だし、でも、そうなってしまっても人の心がある、その残酷さが悲しい。うん。淵上も、ほんと、最低だな、と思ったんですけど。でも、戦争での手柄が、戦後には通じなかった、それ故に、金に走るしかなかったって言う意味では、この人もまた戦争に人生を、未来を狂わされた人だし、なんてか、ほんと、当然のことだけど、ほんとうに、戦争は全ての人の人生を、未来を狂わせる。うん。それを痛感した。見捨てるしかなかったふたりも、あの状況下ではそうするしかなかった、って気持ちが、すごく苦しい。戦争は、人の持つ残酷性を引き出して、膨張させ、人の持つ優しさをかき消してしまう。うん。時間を経ても、決して消え去ることない戦争と言うものの残酷さを感じさせる、その一点だけでも、この作品の価値は十分なものだと思いました。あと、宗教の描き方。その世界では、金のある者が力のある者。そういう構造が、今でこそ当然のような考え方だけど、今から何十年も前のこの作品で描かれていたのが、すごく新鮮で驚きました。先の作家さんと含め、この作家さんも、戦争を生き抜いて、ペンを握り、作家となった人。何と言うか、その、戦争を生き抜いてきた、って時点で、もう、すごいな、と思うし、そのお二方、もちろん、このお二方だけではないけれど、そういった人たちが、ペンを握り、物語を紡ぐことで、たとえば田舎から出てきた人間の孤独を、濡れ衣を着せられたその人間の無実を証明しようとする刑事さんの奮闘を、たとえば戦争に人生を狂わされた人の怒りや悲しみや苦しみを、不正に得た金でしか自らの立場を満たすことができない滑稽さ、愚かさを訴えようとした、そのことが、とてつもなく貴いことのように思えます。はい。そんなこんなで、ちょっと時間はかかりましたが、うん、完読できて良かったな、と心の底から思った作品でした。ということで、今年も続くよ、乱歩賞受賞作を読もうキャンペーン。

 

・宮城あや子『花宵道中』・・・気になっていた本なので読んでみました。はい。今から考えると、すごいよなー、吉原って。そして、今現在も、結局こうやって、女性を売る、買う、という概念も行動も残っているのがすごい。すごいってか、もう、呆れるしかないと言うか、笑うしかないと言うか。なぁ、なんか、その点がもう、しみじみと感じられて愕然とした。はい。そんなこんなで、この一冊。身を売る女性たちの悲哀を、小さな喜びを、きらきらと万華鏡のように描いた作品だなぁ、と。心を完全に閉ざすことができれば、どれほど楽になれたことだろう、と彼女たちの様々な生き様を見て思いました。吉原、遊郭と言う大河に浮かべられた、小さな笹船。激流に流されるがままでいた方が、どれほど楽だっただろうか、と。それでも、流されるがままでいなかったことこそが、彼女たちが、たとえ人間らしくない環境下に身を置かざるを得なくて、人間らしくない生活や行為を強いられていたとしても、それでも彼女たちが人間だったと言うことの証のような気がして、切なく、悲しいけれど、美しい。ある者は、激流に身を砕かれ、ある者は、激流を自らの力で流れ尽くすことを決め、ある者は、激流に傷ついて傷ついて立ち止まることもできず…そうした彼女たちの生き様が、本当に人間らしくて。なぁ…しあわせ、と言う言葉とは程遠いけれど、それでも、どっちの方が良かったのかなぁ、とか思うと、それでも、自らの心揺さぶられ、たとえ待ち受けていた運命が悲しいものだったとしても、精一杯傷つき、精一杯迷い、精一杯愛し、自らの心で決め、切り拓いて、人生を歩んでいった彼女たちの方が、しあわせだったのかなぁ、とか思うんだけどな。好きな人と結ばれて、平凡ながらもごくごくありふれた生活を過ごして、一生を終える。女性としての、そんなしあわせを手に入れることは、遊郭で生きていた女性には夢のまた夢。それでも、恋に身を焦がし、男が見せた夢に心を揺さぶられ、けれどそれらを断ち切って生き抜いてきた結果として…の、最終話だったと思うと、ほんの少し、救われるような思いがしなくもないです。てか、ラストの、弥吉が勝野の膝で泣いた、っていうくだりが、もう、本当に男のどうしようもない身勝手さ、精神的弱さを示しているようで笑っちゃったし、お見事だなぁ、と。はい。そんなこんな。最後に作者さんが書かれていた、吉原の女性たちに向けての言葉に、深く同意しました。どうか、彼女たちの魂が、せめて慰められていますように。いつまでたっても変わることのない男の性と、それを愚かだと笑いながらも振り払いきることができない、あまりに優しい女性たちの魂が、その傷が、せめてどうか、浅いものでありますように、と。人間ってほんと、悲しい生きものだな、としみじみと感じました。はいよ。

 

・倉狩聰『かにみそ』・・・そんなこんなで、話題になっていた一冊、読んでみました。新人離れした、きちんとした文章。独特の世界観。『私』と『蟹』の間に芽生えていく奇妙な友情。そして、それを通して『私』の中の、他者に対しての感触が変わっていく。その果てに訪れる別れ。『私』に食べられるのなら本望、幸福、とさらりと言ってのけ、すべての本音も隠しこんだまま、茹で蟹になった『蟹』。そして、あぁ、美味なるかな、かにみそ…。すごい話だよなぁ、と思う。生きること。食べること。そう、食べること。人間がやっていることは、本質的には、『蟹』のやっていたことと何ら変わりはないはず。なのに、人間の『食』は認められて、『蟹』の食には胸を痛める『私』、そして読者である私たち人間側の身勝手よ、それこそが恐ろしいのだと言われれば、そんな気もするけど、読み終えてなんか釈然としない気持ちが残ったのは、これ、ホラーじゃないよね、って突っ込みをせざるを得なかったからか。ホラーってのは、怖い、ってのとも、不気味、ってのとも違う、黒い、とか、底知れぬ、とか、怨、とか、粘、とか、そんな気が個人的にはして、何と言うか、『ホラー』としか伝えようがない気がするんですけど、そう思って読むと、この作品は、ものすごくよくできた道徳小説のような気がして、成程、だから妙に釈然としなかったのかと、今頃納得しました。はい。

 

森雅裕モーツアルトは子守唄を歌わない』・・・乱歩賞受賞作。講談社とトラブルがあったらしく、全集にもおさめられておらず、なおかつ絶版の憂き目に遭っている作品だけど、面白かったよ!すごく、読ませる文章。探偵役のベートーベンから始まって、物語に出てくる全てのキャラクターたちの個性がすごくたっていて物語にすっ、と引き込まれる。そして、モーツアルトの死の真相は、という謎に、その他の謎が次々と絡まっていって、その謎を解こうとする探偵役に次々と危険が襲い掛かる、というお約束の展開も用意されていて、ぐいぐいと、物語に引っ張られていって、そして、最後にはきちんと、人間の心に隠されていた謎、ミステリーにおける、ある種、いちばんの謎が用意、解決されていて、お見事!という感じでした。登場人物がカタカナ名だったので、もう途中から別紙に名前と職業書き出さないと、区別がつかない、ってところがもう私の悲しいところだったんですけど。うん。とにかく、ツンデレなベートーベンが最高にかっこよかった!弟子のカールとのやりとり、シレーネとの掛け合いも抜群。こういう会話の妙、テンポの良さ、ってのはなかなか書こうと思っても書けるもんじゃないと思うし、もう、そこだけでもすごいなぁ、と。楽しかったし、ほんと、まるで彼ら、彼女らがそこここで動いている、生きているような、そんな生々しさがありました。それから、モーツアルトの死の真相。というか、おいおい、未亡人になった途端、再婚かよ!と突っ込んだモーツアルトのご婦人に、実は、そんな思いがあったなんてなぁ、と。そこで、この、コメディタッチの作品が、がらり、と様相を変えて、ひとりの人、愛した人の、せめてもの名誉を守り通そうとした女性の、時代にかき消されそうになったその思いが、ぐっ、と胸に迫ってきて、そして追記のように、箇条書きで書かれていて、その後の、各人の人生…という、この構図が、もう、たまらなく憎い!すごく、キャラクターたちがたって描かれていたからこそ、その後の死それぞれの人生に、悲喜こもごも、様々な感情が湧き上がってきて、それが深い余韻となって物語の終幕を飾る、と言う感じで、いやぁ、やられたな。時代に翻弄されながらも、確かに彼ら、彼女らは生きていたんだ、という思いが強くします。はい。そんなこんなで、これは、絶版、全集未収録と言うのが、非常に惜しい気がします。アマゾンレビューにあった、乱歩賞受賞作の中でも、高いレベルにある、そして、面白さも兼ね備えた作品、というそれは、まさに正しい!もっと読まれて欲しい、傑作娯楽作品でした。面白かった!

 

・新章文子『危険な関係』・・・引き続き、乱歩賞作品。…字が小さいよっ!句読点が少ないよ!改行が少ないよ!みっちり詰め過ぎだよ!久保竣功、歓喜(どーん)。はい。そんなこんな。この当時のミステリ、と言うか小説って、ほんと、唐突なのね。前触れもなしに、いきなり自殺未遂起きてたこととか、それまで仲良くしてたのにいきなり、そんな前のことで殺したくなった、とか、びっくりですわ。脈絡がない、と言うより、流れがないんだよな。うん。まぁ、そんな具合。ミステリというよりも、昼ドラを見ているみたいなごちゃごちゃした人間関係の方が楽しかったかも。というか、そこを重点的に描いた方が、人間関係のミステリで描いた方が面白かったんじゃなかろうか、と。京都弁も、そういう意味ではすごく効果的だったし。うん。ただ、まぁ、ほんと・…それ以前に、まぁ、昔の原稿だから仕方ないんだろうけど、これだけみっちり詰められては、読む気が失せるってば。うん。戸川さんの作品みたいに、いかがわしさでもあれば面白く読み進めることもできたかもしれないけどなぁ…うーん…。どの登場人物の心情も、あまりにぶつ切りに、突然、姿を現すものだから共感と言うか、戸惑いの方が強かったです。ということで、うん、まぁ、個人的にはこんなもんか、と言う作品でした。すいません。しかしほんと、小説の歴史と言うか、成長ってのも、こうやって乱歩賞作品を読んでいくと色々感じられて、面白いなぁ。

 

岡嶋二人『焦茶色のパステル』・・・ということで、乱歩賞受賞作。でも、だいぶ前に読んだの。しかも後半流し読みだったの。競馬ミステリとのことだったのだけどね、馬の名前がカタカナで、まるで覚えられなかったの。競馬にもね、申し訳ないことに、さほど良いイメージ持ってないしね。あとね、妙にうじうじした主人公も、逆に、まぁ、あの当時の働く女性、豪胆な女性ってイメージってこういうものだったのかもしれないけどね、主人公の友人の女性が、もう、もう、なんか、不快極まりなかったの。…というわけで、すいません。言い訳だらけなんですけどね。ほんと。もう少し、主人公の心情とかが丁寧に描かれていたら少しはましだったのかもしれないけど、デビュー作らしく、その辺りのバランスが不釣り合いだっただから、もう、もう・・・主人公、友人ともども、まったく好きになれずに、もう、序盤からアウト!でした。…すいません。ほんと、すいませんでした!

 

と言うことで本日はここまででございますが・・・なんだろう。

『お前、何様やねん』と自分でも言いたくなるような、本と、作者様に対してただただ平身低頭、お詫びしたくなるような偉そうな感想文が多すぎますね・・・。

まぁ、あれだ。

 

若気の至りと言うやつだ。許してくれたまえ(逃亡)

 

はい。と言うわけで本日はここまででございます!

読んでくださりありがとうございました!