tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

4連勤第2弾2日目~1が付く日なので読書感想文だよ!

 4連勤第2弾2日目。

こうやって書くとなんか改めて、とんでもないこと、乗り越えるべき試練のような雰囲気が増し増しになりますね・・・ふふふ。

 

わかってる!

自分でも大げさなこと言ってるな、って!

それくらいのテンションじゃないとやってられないの!

わかって!(どーん)

 

はい。そんな具合でタイトル通り、読書感想文放出の日です。

ではでは、さっそく、スタートでやんす。

 

石持浅海『届け物はまだ手の中に』・・・久しぶりの石持作品。重箱の隅をつつくような、一つ一つの会話、動作が気になって仕方なく、先の読めない物語の展開にドキドキしつつ、あっという間に完読。そして驚天動地、『こうじゃなきゃダメだよなっ!』とウィンクのひとつでもしたくなるようなラスト。あぁ、楽しかった。やっぱりこうあって欲しい。私の読む物語は、これくらいひねくれていて欲しい!万人に受けなくても、それこそ重箱の隅に固まっているような人に受ければそれでいいっ!…と個人的には大満足な一冊でした。はい。まずは、登場人物たちの交わす会話、動作に張り巡らされた伏線の数々。もー、楡井さんが違和感を覚える度に、『むっ!来たなっ!』と巻き戻しの繰り返し。またそのどれもが細かいっ!何、この細かさ!姑?嫁の掃除後をチェックする姑!?(笑)。この細かさがたまりません!そして楡井さんの違和感が解消されるたびに、『あぁ~、そういうことだったのね…って、わかるかいっ!』と突っ込みを入れつつ、しかし、それらが積み重なった末に明かされた真実、たどり着いた結末には『成程なぁ』と。この細かさ、この緻密さ、そしてこの構成力はさすがだなぁ、と。こういう緊迫感、いいですよね。なかなか、味わえそうで味わえないですよ、うん。そしてそして…個人的には、設楽さんは、魔女のごとく美しく冷酷な女性たちによって殺されたんじゃないのかなぁ、と思っていたのですが。遠野さんの『運命共同体』発言で『む。これは何かあるな…』と。何となく、楡井さんの復讐と関係しているのかな、実は楡井さんは江藤さんの首をちょん切っただけで殺したのは設楽さん?と言うことで最初のページに戻って、『あぁ、楡井さんちゃんと殺してるし(笑)』と思ったりで……しかし、まさかのこの結末。素晴らしすぎるっ!血祭万歳っ!復讐万歳っ!運命共同体万歳っ!(笑)。まさかまさかですよ。誰がこんな結末を読めますか?予想の斜め上を爆走中ですよ(笑)。そして、その後の美しき魔女たちの言動も素晴らしすぎる!男二人の暗すぎる運命共同体、その果てに生まれたのは、より暗い、大きすぎる秘密を抱えた男と女たちの運命共同体。あぁ、たまらんなぁ。人を殺しと置いて何一つ良心が痛まない。自らの行いを悔い改める気なんてこれっぽっちもなしっ!ああ、もう、このドライがたまらない。ドライのくせに、妙に人間臭い、それがたまらない。本格ミステリの面白さと、先の読めない物語の緊迫性、そして何より、予想外すぎる物語の結末に大満足の一冊でした!

 

貫井徳郎『殺人症候群』・・・シリーズ、最終作。復讐、仇討ち、私刑の空しさ、悲しみを描いていながらも、貫井先生は、決してそれを否定していないんじゃないかな、と思いました。何となくだけどね。はい。そんなこんな。重かったなぁ…。どの登場人物の心情にも寄り添える故に、とにかく、この結末は重い。和子さんにしろ、響子さんにしろ、渉さんにしろ、そしてまた倉持にしろ。始まりは、すべて彼女、彼らのあずかり知らぬところで起きてしまった出来事が原因で、しかもそれは、あまりにも理不尽で理不尽すぎて、どんな言葉を尽くしてもその悲しみを、怒りを、痛みを、苦しみを吐き尽くすことはできない。だからこそ、彼女、彼らたちには幸せになってもらいたいと、せめて、この先は、穏やかで安らかな時間が待っていてほしいと願う。でも、それは許されない。彼女、彼らが人間であるからこそ、彼女、彼ら自身が自身にそれを許さず、その末の結果としての、あの結末で。だからこそ、もう、言葉が出てこないと言うか。こんなにも理不尽なことがあっていいの、と今更ながらに叫びたくなるような。理不尽な災禍から生まれてしまった、せめてもの気持ちすら、受け入れられなかったのなら…と思うんですが。だからこそ、思わずにはいられない。それでも、彼ら、彼女らは、自分自身に、安らかで、穏やかな時間を生きることを許しても良かったんじゃないか、と。こんな結末だからこそ、そう思わずにはいられないんですが…。うーん…難しいなぁ。個人的にはもう、本と、復讐も私刑も仇討ちも、だってそれしかないじゃん、って思う人間なんだけど。殺人って、究極の不公平だと思うんだよな。ならばせめて、それくらいは許されなくては…とも思うんですが…ただ、最近は少し、それでも、そうした末に、それでも、悲しみは消えないにしろ、それでも、空しさが残ってしまったらどうすればいいんだろう、と思うと…と言うか、そう、そうしても、多分、空しさは残る。そうしたことで、空しさは、多分、より一層強くなるんじゃないか、とも思う。うん。結局、そこにどんな理由があれ、どんな、人間的に正当な理由があれ、それは結局のところ、突き詰めたところ、究極的なところ、殺人に変わりはないから。それによって、その手段を選んだ人だからこそ、きっと、そう思う気持ちは一層強いんじゃないかと、思うんですが。でも、もう、すいません。正直、わかりません。私は幸運にも、そういう理不尽な目には遭わずに生きてこれた人間だから。そんな人間の戯言なんて、響子さんや倉持さんや、たくさんのそう言った人たちの前で、口にすることすら許されないものだと思うから。うん。ただ、そう。だからこそ、昔に比べれ改善されたのだろうけれど、それでも、もっともっと、とにかく被害に遭われた人の心に寄り添う法律、その運用がなされるように、と願わずにはいられない。そしてまた、更生第一の日本の刑事罰制度が、果たして本当にそれが正しいことなのか。更生ってなに?何が一番、なされるべきことなのか。罪を認めて、悔い改めること。それはわかるよ。それを望みたいよ。でも、一方それが、本音と建て前、言い訳みたいになってない?刑期が、それを作り出すための時間になってない?それから、少年犯罪や精神障害者(この言葉を使用したことに、私は、貫井先生の、この作品に賭けた気持ちを感じた)による犯罪に巻き込まれた人へのケアは?罪を犯したのも、それに巻き込まれたのも、すべてが人間なのだから、だからこそ、人間の気持ちに寄り添った対処がなされて欲しい、と切に思います。はい。ラスト。意味ありげなラストだったけれど…どうかなぁ。私は、環さんは、銃を撃ったと思うんだな。環さんなら、そうする。と言うか、環さんは、そういう人だから。それでこそ、環さんだからうん。武藤さんが、明確すぎる環さんの判断基準が怖いと言っていて、私もそう思って、けれどそれは、やれ厳罰だ、やれ更生第一だ、と簡単に流れてしまう社会の価値基準みたいなものに対するそう言った思いも込められてるんじゃないかなぁ、と。…今の世の中だと、余計にそう思うと言いますか。はい。重いなぁ。ほんと。こういう作品を書く作家さんだからこそ、ミステリファン以外にも、もっともっと、貫井先生は知れ渡って、読まれてもいい作家さんだと思うんだけどなぁ、うーん。

 

米澤穂信『リカーシブル』・・・米澤先生の久しぶりの新作。まず、よくある話ですが帯に語弊がありすぎる。やたらと『感動』を前面に押し出すの、やめようよ。うん。はい。そんなこんな。『強くないから、強いふりをするんじゃないの』。がつん、ときました。いいな。胸に響きました。『弱い』って言葉を出さないところも、自分を潔く『強くない』って認めているところも、そして、自分が『強がり』だってところを認めているところも、いいな。ハルカちゃんらしいです。そうだよね。そうやって強いふりをしてなきゃ、きっと、立っていることすら辛いもんね。呼吸をして、ただ、生きること。生きる上で最低限必要な、ただ、それすらが辛いもんね、厳しいもんね。うん。帯で引き合いに出されていた『ボトルネック』は、なんていうんだろ、主人公くんの自業自得っ面もあって、だからあのラストは痛快だった。よくある病気、青春と言う名の風邪ひきですよ、あれは。でも、今作は違う。ハルカちゃんも、サトルくんも、大人側の圧倒的な都合に巻き込まれた、って感じがして、だからなおのこと、ハルカちゃんのこの言葉が胸に響いたと言うか。強くならなきゃいけない。強くならなきゃ、生きていけない。安寧と、ただ、座っていることすらが危ういんだもんね。なぁー。…お母さん、ダーク(笑)。でも『強くないから、強いふりをするんじゃないの』という、生きるための手段を選んだハルカちゃんと同じように、『大変だから、利用できるものは利用するしかないじゃないの。犯罪者の夫と、その連れ子、幼子、三重の苦を背負って、女で一人、生きていくのがどれだけ大変かわかってるの?』っていう生きていく手段を選んだ、そのお母さんが、嫌いじゃないです。いっそ、潔いわ。逞しいわ。素敵だわ。ということで、だからなのかな。ラストのハルカちゃんにもまた同じような潔さ、逞しさを感じたな。でも、やっぱり、ハルカちゃんは優しいな。いい子だな。強くなくて、だから、強いふりをしている人ってのは、多分、きっと、人にやさしい人なんだよ。強くない自分の、その理由を知っていて、それを人に当てはめることができる人だから。うん。応援するよ。はい。そんでもって物語的には、おぉ、大掛かりだな、と。すごいね。あほらしいと言えばそれまでだけど、でも、なんていうんだろ、高速道路ひとつ、ただそれだけのため…と言う言い方も、また語弊があるのかもしれないけれど、まぁ、ほんと、それこそ命綱なのかもしれないけどね…に、人が死に、それを守り通すために、子供一人のためにまた歴史を繰り返す、というその田舎町特有の閉鎖性とか、その不気味さとかがすごく前面に出されていて。その不気味さが、簡単に死を選ぶ、あほらしいとわかっていながらも『死ななきゃいけないの』って簡単に…って言っていいのかどうなのかも謎だけど…それに巻き込まれちゃったアカネちゃん…だったっけ?(死)にも共通していて。だから、なおのこと、ラストのハルカちゃんとサトルくんの姿には、そういう閉鎖した世界から自力で、荒々しいまでの力で、開き直りにも似た力で、自分の生きる世界を手繰り寄せていく、作り上げていく、という意味もあるようで、だからなおのこと先ほどのような感想も抱いたんだろうな、と。はい。そんなこんなで。大掛かりな物語と、米澤先生らしい、エッジの効いた苦々しくも逞しく、そして一縷の希望を感じさせるような青春ミステリでした。強くないから、強いふりをしている人は、生きることがしんどくても、仕方ないから生きようと、生きるしかないじゃんとがんばれる人。頑張るしかないじゃん、と腹を括れる人。強くなくて、強いふりを選んでいたら、きっといつかは、偽物でも、強くなれるよ。

 

香納諒一『幸』・・・面白かったです。こういう本、売れて欲しいなぁ、と思うんだけどなぁ…どうなのかな。はい。このミスの隠し玉で、作者さん自らが力の入ったコメントをされていたのを思い出し読んでみましたが…やぁ、まさしくその通り。丁寧な文章、織り込まれる、眼に浮かんでくるような風景、匂いを感じられるような季節描写。抒情って言葉をひしひしと感じましたよ。そして、その中で繰り広げられる、様々な人たちの人間ドラマ、生、営みそのもの。小細工、あざとさ、一切なく、主人公の『私』と相棒の明子さん、そして、一人の女性の幸せを一途に愛し続けていた沙千さんの思いを通して、作者の思いや熱量がひしひしと伝わってきて、もう、なんてか、胸が震えました。あれ、眼から水が出てきたよ…、と言う具合。こういう作品を本当の感動作って言うんじゃないだろうかな、と思うんですけどね。うん。また、その匙具合がいい具合と言いますか、主人公の一人称でハードボイルドを彷彿とさせるようで、その男性らしい不器用さとか、弱々しさとか、荒々しさとか(身重の女、って言い方が侮蔑、差別を感じさせないところが、この主人公さんのかっこよさを物語っていると思う)がまた、この物語に通じている『生きること』とか『幸せ』とかのはかなさ、弱々しさ、愛おしさを助長しているようで、ほんと、いい具合に味わいとして胸に広がっていきました。こういう刑事さん、いて欲しいなぁ。市井の生活、幸せを肌身に感じ、そのために、刑事である自分の身を粉にして動いてくれる、声を拾ってくれる、聞いてくれる。なぁ…現実には、警察のあまりに杓子定規な対応、想像力の皆無によって、たくさんの人の生活が、幸せが失われているだけに、ほんと、こういう刑事さんがいて欲しいなぁ、とひしひし思いました、し…また、この人を取り巻く人たちが…もう、胸熱。明子さん。良かったなぁ。警察と言う特殊な機関の中で女性として生きることと、刑事として生きることの難しさを承知していながらも、でも、迷いながらも、傷つきながらも、日々を一生懸命に生きている人。西邑さんもかっこよかったよ…警察にこそ、こういう上官が必要なんだよ…ほんとに…。はい。そうだね。そういう熱い、正しさを守り、貫くべき位置にいる人たちが立ち向かう悪の存在がまた真に憎むべきものであり…でも、あの兄弟に関しては、ちょっと同情を覚えなくもないけど。はい。やぁ…でも、個人的に一番、胸が震えたのはやっぱり、沙千さんの感情が明かされた瞬間かな。『私』の思った通り、それは、恋愛でも友情でもない、愛、そのもの。一途に幸枝さんとその子の幸福を思い続け、祈り続け、そして、自らの家族の不正を知り、それを日の元に照らそうとした一人の女性。暗闇に閉じ込められ、薄れゆく『自分』の存在を認識しながら、それでも、それでも自分の思いを貫こうとしていた女性。その最後はあまりに残酷で悲しいものだったけれど、でも、『私』と明子さんにその思いが届いたことが、せめてもの供養になるかなぁ、と。やぁ、そんなこんなで。まさしく、ベテラン作家の一大力作。ぜひぜひ、多くの人に読んで頂きたい作品だと思いました。

 

本多孝好『MOMENT』・・・久しぶりです。もう一か月以上前に読んだ本じゃないか、と言う話。読んでないわけじゃなかったんだけど、色々あったし、本を読んでも頭に入ってこない日々もあったので。今になりました、はい。そんなこんなで読んでる途中に色々あったので結果として、まったく初期の頃とは思いもしていなかった感想を抱いた本作。てか、これ、読んでなかったんだね、読んでなかったのかね?探したらどこかに見つかりそうな気もするんだけどさ。はい。最期の願いを聞き入れる、という感動してはい、おしまい、ってのを最後の願いだからこそ明らかにされる、明らかになってしまう人間のどうしようもない、それまでひた隠しにしてきた本性やらどす黒い本音やらと絡めて、ミステリ仕立てで読ませるのはさすがだな、と思いました。印象に残ってるのは、そういう意味で、思いもしていなかった本性、本音が明かされて、神田は糾弾したけれど、でも、私は全く糾弾する気になれなかった、だって彼もまたそういう意味では戦争の被害者なのだから、と痛切に感じた冒頭の作品と、『死ぬのは嫌。でも、生き続けていたいとも思えない。この先も同じような人生が続いて、年を重ねた分だけ、つまらなくなっていく。いつか間違ったのはわかるけど、それがどこかがわからない』って言葉に、もう、自分の人生重ねてうんざりした上田さんの話かな。ほんとね。ほんと。うん。あのさ、なんていうんだろ、ただ生きているだけでいいんだよ、とか、平凡に生き続けることが一番大切、とか、そういうのって頭ではわかるけど、でも、違うと思うんだよね、それ。うん。なんかそれって、結局、生かされているだけで、生きていることを放棄することにつながりかねないと思うんだよな。うん。生かされることは、まぁ、楽だよ。でも、生きることって本当は、ものすごくしんどくて、辛くて、そりゃ、あぁ、もう嫌だ、って思うと思うのよ。で、この作品を受け入れられなかったのは、そういう私には、どうしても神田がただの、若さと言うモラトリアムを謳歌していて、おまけに森田という友人までいて、どうにもこうにも、こいつただの甘ちゃんじゃねぇか、リア充じゃねぇか、お前に何がわかるんだよ、って思ってしまったからなんですよね。うん。こんな奴には、生きることのしんどさなんて無縁なんだろうよ、と。いや、勿論、あなたの言いたいことはわかるよ、わかるつもりだよ。うん。でも、ごめん。私は、死にたいと言う人がいたら、生きているのがしんどいと言う人がいたら、まぁ、だったら、死ぬのも手なんじゃない、と言う人間だし、そちら側の立場にフラフラ立っているようなくそ人間なので、なんか、最後の最後に来てこの神田が許せなかった、うざかった。はい。そんなこんなで、続編も借りていたけど読まずじまい。若い頃で、いろいろなければ、或いは素直に感動できていたかもしれないけれど。そういう意味ではこの作品、その人の、生きることへの思い、を試す本なのかもしれないな、と思いました。はいよ。

 

太田忠司『奇談蒐集家』・・・どうも読書の波の激しさについていけない今日この頃。暑いですね。はい。そんなこんな。ぬこが寝とる。はい。ということで広告で大々的に宣伝されていたので読んでみた。うーん…またも宣伝やら帯やらの文句に疑問を感じずにはいられない。いや、まぁ、そういうことなんだろうね。全ては奇談のため。自分が奇談として語り継がれるために、それだけのために、奇談として話に来た人の、そしてその周囲の人たちの人生を捻じ曲げた、ということでいいんだよね?そういう意味で、怖い、凍りつくような恐怖、と言うことなんだろうけれど…うーん…なんか違う気がする。凍りつくような恐怖、とは何か違う気がする。私の解釈が間違っているのかもしれないけれど、なんか、違う。と言うことで、売るため、と言えばそれまでなんでしょうけれど、宣伝文句や帯文句はもう少し、内容に寄り添ったものにしまんせんか?と思わずにはいられないけれど、まぁ、私の解釈が間違っていたとも言い切れないのでいいや(ちーん)。話自体は面白かったです。どの話も、『よし!これこそまさに奇談だよね。これは、本物の奇談に違いない!』と思いたくなるような不思議な、そして深い謎に彩られたお話で、まずそれだけでページをめくる手のスピードが上がる、上がる。そんでもって、その謎をあまりにあっさりと解決してしまう、美貌の助手さん(脳内アフレコ完璧)のパートで『成程、そういうことだったのかぁ』と単純なので感嘆しきり。よくできた話だなぁ、ってか、人間って単純、思い込みって怖いね、てへっ、みたいな具合で、あっという間に読了。ミステリ的要素をしっかりと押さえつつ、どちらかと言えば、ファンタジー的な印象も強く(特に幼少期の思い出を語った作品なんかは特に、ノスタルジィーも含めて)、すべての奇談の後にそれを引き継ぐ人物の正体が、その奇談に登場していた人だった、っていう構成もまたお見事でしたなぁ。ということでラスト、とんだけ大ドンテン返しが待っているのかな、と期待大だったのですが…帯に、宣伝文句に煽られパターンでちょっと残念でしたが、でも、短編で読みやすく、けれど内容は濃厚。面白い、と評するに十分値する作品だったと思います!

 

初野晴『1/2の騎士』・・・ 人間って言うのは、日々、生きているわけで、今日この日というのは、或いは、一瞬一瞬と言うのは絶対にその日、その時だけで、二度と同じ日、同じ瞬間と言うのはない…というのはわかっているけど、ぶっちゃけ、ありがたいことに生き続けていればいるほどに日々は繰り返しになり、瞬間は瞬間でなくなります。でも、どの人にも、絶対に、絶対に繰り返すことのできないくらいに、とにかくきらきら輝いていて、なんていうかもう、感受性むき出しでひとつひとつがまるで礫のように全身にぶつかってきてそれ故に痛くても苦しくても、楽しくても、とにかく輝いている時期があって、それが十代の中高時代だと、初野作品を読むとひしひしと感じます。勿論、そんなことないよって言う人もいるだろうし、それはそうなんだけど、でもなんていうかとにかく、ひしひしと感じます。楽しいだけじゃない、痛いことも、苦しいこともたくさんあって、でも、それらをうまく片付けるだけの力がなくて、それ故に辛くて、苛々して、どうしていいかわからなくて、でも、だからこそ、通り過ぎてみて初めて、あぁ、凄い時期だったな、と感じられるような時期。うん。初野作品は、間違いなく、青春作品だ。断言できる。米澤青春も好きで、素敵だけど、でも、若い人にこそ、初野作品、初野青春作品を読んで欲しい。そしてどうか、その、一度しかない、確実に一度しかない時期を、どうか、どうか大切に過ごして欲しいと切に思いました。ということで、はい。あとね、この人の作品を読んでると、時折、とんでもない言葉がさらっと出てきて息を呑みます。感動したとかも、いいな、とか、鳥肌が立った、とかいう言葉には出会うことはたくさんあるけれど、この人の作品に出てくる言葉は、心をすとん、と優しく、打ち抜くと言いますか。うん。『覚えておくといい。ひとに迷惑をかけずに一生懸命生きているきみが後れをとることはないんだ』。この言葉は、本と…サファイアの正体を知った今、また切ないんですけど、でもほんと、なんていうか、そんなことはなくて、世の中はそんなに優しくなくて、でも、涙が出そうになった。なんて優しくて、温かくて、正しい言葉なんだろ。そして、この言葉を胸張って言えるような、口に出すことのできるような生き方をしたいと思った。うん。なんてか、もう書きたいことが多すぎるんだけどな。サファイアの正体がまた…憎いよ、憎いよ、初野先生…。どんな思いで、サファイアという不完全で不格好な騎士が生まれたのか。どんな思いでサファイアはマドカちゃんを見つめていたのか。あまりに不幸すぎた一つの事故。けれど、その事故がなければ、ふたりは出会うことがなかった。だからこそ、なおのこと切なくて、切なくて。ふたりがこれから送る時間は、決して甘くはないのだろう、マドカちゃんが覚悟しているように。もしかしたら、マドカちゃんは、『サファイア』との思い出に、苦しめられることになるのかもしれない。それはたとえば、この時期の輝かしい思い出に苦しめられる、その時期を経た人間のように。でも、何故だろう。私の中では、泣いてもわめていも、最後にはきっ、と歯を食いしばって、『サファイア』だった男の子に立ち向かっていくマドカちゃんの姿がありありと想像できる。初野作品の女の子は、とても素直で、一途で、可愛らしくて、そして強い。正しくないことにも負けない。辛いことにも負けない。挫けても倒れても這いつくばってくる。あぁ、本と素敵。その存在感、生命力があるからこそ、匿名でしか語られない異常者たちの異常性、不気味さ、そして、マドカやサファイアたちと同じように、『そういう少数者』であることの悲しみなんかが浮かび上がってくるってのも見事だったし、あとさ…サイとかゴリラとかかっこよすぎよ。てか、もう、キリン…結婚して。脇役なのに脇役に収まらず、だけどきっちり脇役である、このカッコよさ。はう。ということで。ちっともまとまってないけど。初野晴、どうしてもっとブレイクしないっ!読まれてしかるべき作家だぞ!

 

東野圭吾『夢幻花』・・・読んでますよ。頑張ってますね、ここんとこ。はい。そんなこんな。読了後、新聞を見ると奇しくも『チェルノブイル、未だ進まぬ除染』の見出しが。蒼介の言葉が、決意が、思い出されました。成程な。そうだよな。技術者、その道のプロフェッショナル、というのは、本当ならば、その『全て』に通じていなきゃならないよな。その『全て』に責任を持って、最後の最後まで仕事を完遂しなきゃいけないよな。そう思うと、そもそもやはり、人間が原子力を使いこなせる、と思い込んでいたことが驕りだったし、その驕りにかまけて、まるでプロがプロとしていなかった現実とか(表に出てくる人がそういう人ばっかりで、実際、現場とかではそうじゃないんだろうけれど)まったく進んでいない除染のこととか、そして漏れ続けている汚染水の問題とか、更には、国全体を含めて、原子力廃止はいいけど、じゃあ、代替はどうするんだ、といった問題まで様々なことが思い出されて、考えさせられました。日本の技術者、プロフェッショナルの人たちって、多分、創造力は素晴らしいものがあるんだと思う。ただ、圧倒的に、どの分野に関してもそうだけど、想像力が足りない。たとえばその作ったものが散らばった時、散らばって、誰かに思いもよらない牙を剥いた時、どうすべきか、どうすればいいのか。そう言った想像力が圧倒的に不足していて、だから、後片付けが下手。『負の遺産があるのならば、誰かがなんとかしなきゃならない』―技術者やプロフェッショナル、と呼ばれる人たちに必要なのは、そういった覚悟、じゃないだろうかな。孝美ちゃんや、その覚悟に触発された形で、自らが学んだことを生かす道へ進むことを選んだ蒼介くんたちは、或いは、若いから、自分の生活が懸かっていないから、そういう覚悟を持てたのかもしれないけど。でも、ほんと、誰しもが簡単に進むことのできる、思ったとしても決して簡単に進むことのできる道ではない道を歩んでいる人たちだからこそ、そんな覚悟を、いつでも胸に抱いていてほしい。私たちは、その道のプロフェッショナルさんを信じるしかないのだから。はい。そんなこんな。ですね。うまいな、と思いました。なんてか、なんてか、あぁ、やっぱ、国民的作家だな、東野先生、としみじみ思わされました。いろんな謎が、人物が、物語が進むたびに絡み合って、繋がりあって、そして、一つの形となって現れ出てきたかと思うと、するり、と謎が解決される。ごくごくシンプルな文章で紡がれるからこそ、どんどんどんどん、物語にはまっていくと言うか、ページを繰る指が止められなくなると言いますか。どちらも使い方を誤れば、と言う点で原子力と禁じられた黄色いアジサイが重ねられていたんだろうけど、まぁ、両者には雲泥の差があるわな、と言う気もしなくもないけれど、そういう社会的なメッセージ、そこに関わって来た人たちの真摯な思いなんかも自然に浮かび上がってくる感じで、うまいよなぁ、としみじみ思います。あともうひとつ、連載されていた雑誌が歴史系の雑誌だったと言うのも、驚きでしたよ。はい。そんなこんなで、東野圭吾の作家としての力を、今さら、と言うか、何度目、と言った感じですが、感じさせられた力作でした。面白かったです!

 

・浅倉秋成『ノワール・レヴナント』・・・評判がよく読んでみたかった本。奇妙な能力を持った高校生たちの、闘いの物語…ということで、その奇妙な能力が、四者四様だけど、どれもこれも、うまいこと考えたなぁ、と唸りたくなるようなものばっかりで物語、序盤から引き込まれていきました。役に立たなさそうで、でも冷静に考えると、大須賀君の能力以外は何かしらの役には立ちそう。ということで、その能力を軸に、その能力をうまく生かすように物語が進んでいく。能力を考えた時点で、この物語成功したも同然だよな、と思えるような内容で、キャラクターの立ち方とか、生かし方なんかは、読んだことないけど昨今のラノベ作家さんも真っ青、って感じなんじゃないでしょうか。…ただ、なー。すいません。個人的には、さほど高評価はあげられないです。登場人物みんな好感持てるし、物語は先が読めずにドキドキしたし、五日間の導かれた出会いと別れの末の爽やかさは悪くなかったです。が。…うーん、なんだろうな。ひとつは、評判が良かった部分が、私が期待していた種のものではなかったと言うこと。…ごめんなさい。個人的にはもっとミステリミステリした内容で、びっくりトリックでも出てくるのかと思い込んでました。もうひとつは、すんません。人格歪んでる私は、どうしても、黒澤父のやろうしていたことが、或いは、彼が『子どもを愛せなかった』ということが否定できない。むしろ、『代償を支払える人間にのみ子供を産ませる』と言う彼の言い分が、正しいとすら思えてしまう私です。うん。『正しいか、正しくないかはわからない』でも、『とりあえず命として生まれてきたから、今、ここで生きている』そもそも『誰も彼もが不完全ならば、誰かがそんなふうに正しいとか間違っているとか決めてしまっていいはずないんだ』そして『それでも生まれてきたから、大須賀君は弥生ちゃんと恋に落ちることができた』…うーん…もっと若ければ、心揺さぶられたかもしれないけどなぁ。なぁ。どうなんですかね。なんか、そういうの、気持ち悪い(言い切った!)…所詮、リア充の言い草だよな(笑)。あとね、もうひとつ。これ、誰も突っ込んでいないのが不思議でならないんですけど。その、皐月ちゃんのお母さんですよ。彼女の取った手段ですよ。これが、どうあがいても理解できない。自分のことしか愛せない夫。それ故に、子供を愛せない夫。子供に愛を注ぐことができない夫。父親たらざる夫。でも、その夫を信じた。だから、自分そのものである皐月ちゃんを彼の元に残した。三年の猶予を付けて…ってさぁ…おかしくない?それ、どんだけ子供からしたら、皐月ちゃんからしたら迷惑な話、って話じゃないですかね。一番、守られ、庇護され、愛されるべき時期に、母親の都合で、一切のそれらを奪われた皐月ちゃんからしたら、あたしが皐月ちゃんだったら、自分を愛していない父親なんかよりも、溶け込めない周囲なんかよりも、溶け込めない自分なんかよりも、何よりも、誰よりも、この母親と呼ぶのも忌々しいような女のことを恨み、憎み、殺そうと思いますけどね。弟さん一家もさ、その人が亡くなった時点でさ、実情知っていたんだから何とかしてやれただろうよ。なんか、もう、ここの部分まではそれなりに楽しく、好意的にこの物語を読み進めていたんですけど。この真相明かされた途端、一気に興ざめ。何これ、ですよ。ぶっちゃけもう、どれだけ評判良くても、この作家さんの本は二度とと手に取らないだろうな、的レベルにまで至りましたよ。…なんで誰も、ここに疑問を抱いていないのかなぁ…私の読みが足りないのかな。はい。そんなこんなで。楽しく読めましたが、同時、自分の捻くれ歪み加減を突き付けられたような一冊でございました。

 

馳星周弥勒世』・・・約束の時間は守りましょう。それが、今作から学んだ一番の教訓です、と。はい。嘘です。まぁ、あながち嘘とも言い切れないけれど。そんなこんなで分厚い文庫本上下巻完読いたしました。沖縄がまだ日本でなかった頃の話。そして、日本になるかもしれない、その期待と不安と怒りにゆらゆらと揺れていた頃のお話です。でも、それから時は流れたけれど、ほとんど状況は変わってないよな、と言うのが一番。この地が、いかに他からの侵略と支配を受け続けてきたのかを知り、その度に、生きてきた人たちが蹂躙されてきたことを知り、そもそも、本土の人間は沖縄のことに関して知らなさすぎる、と思い、そもそも、そんなことを思うこと自体が、既に、沖縄は本土でありながら本土ではないという無意識の表れなんじゃないだろうか、と我ながら思いました。こんな土地、他にないんじゃないだろうか。沖縄、という言葉から、地名から作られたイメージは、どうして、スローペースに代表されるような朗らかな、のんびりとした地上の楽園、みたいなものであって、だけど今更ながら、それは、本当に作られたイメージであって本土の人間は、それを、沖縄の本質を隠す隠れ蓑として使ってきたように思う。幾度となく重ねられてきた侵略、支配、他による蛮行。そして、他ではない、同じ国であるはずの日本そのものからによる差別。沖縄に渦巻いてきた失望と怒りはどれほどのものだっただろう。そして、本土復帰を果たしながらも尚、米軍基地の問題からは解放されなかった沖縄の失望と怒りはどれほどのものだろう。期待を持たせる側と、期待を持つ側。どちらがより性質が悪いのかはわからない。だけど、民主党政権が基地撤廃を高らかに公言した時、沖縄の人は何を思っただろう。心の底からその言葉を信用した人はどれくらいいたのだろう。そんなこと叶うわけがないと心の底で思った人はどれくらいいたのだろう。米兵による蛮行が起こる度、基地撤廃を訴えるデモが起こり、その様子はニュースなどでも伝えられる。でも、それもほんのひと時にしか過ぎない。蹂躙され続け、され続け、され続け、され続けた結果として、怒ることに疲弊した。そんな気さえする。届かない声。変わらない現状。全てが決まるのは、沖縄からは遠く離れた地の、小さな一室。そんな現実には、無力感さえ感じます。この物語は、そういう意味では、怒り続けることに疲弊する、その寸前の物語かな、と言う気も。伊波の、たとえそれが自己に、自己を取り巻くものに対してだっとしても、私的なものだったとしても、怒り続けたそのエネルギーは凄まじいものだった。空虚な時ですら、疲弊しきっている時ですら、その暗い怒りが凄まじかった、とでも言うべきか。ただ、その怒りが、私的に偏りすぎた怒りが、あの結末に繋がった、と思うと、何とも…。政信、マルコウ、そして伊波。三人の計画が徐々に形になっていく経緯はすごく興奮したし、三者三様の思いの違いも読みごたえがあったなぁ。怒り。伊波は、怒りを自分のものにし過ぎた。怒りを、都合よく利用しすぎた。愛子ちゃんは、怒りを振りかざすにはあまりにも幼すぎた。未熟すぎた。仁美さんは、怒りを形にするには、あまりにも優しすぎた。まっとう過ぎた。政信とマルコウは、怒りを冷静に操ることができていた。怒りの原因が何で、矛先はどこで、怒りが何を自分にもたらすかを熟知していた。ラストで、ふたりが何を見たのかはわからない。だけど、伊波が見た、その目に映った、あまりに絶望的すぎる、自分が足を踏み入れることすらできなかった光景は、まざまざと目に浮かぶようで。そして、砕かれた歯で、それでも銃身を強く、強く噛むことしかできない伊波の姿も、まざまざと目に浮かぶようで。壮絶、凄惨。震えすら走りました。はい。そんなこんなで。沖縄という舞台を最大限に生かしながら(対極、北の果てを舞台にした作品と言い、デビュー作と言い、舞台を生かす、その筆、構成力は素晴らしいものだなぁ、と改めて感じます)、様々な人物を通して、沖縄の問題を訴えながら、物語としての読ませる力にも満ち満ちた力作。是非、今だからこそ、多くの人に読まれるべき作品だと思いました。面白かったです!

 

東野圭吾祈りの幕が下りる時』・・・うまいよね、と思う。なんか、もう、今さら『好きな作家は?』と聞かれて『東野圭吾先生かな』と答えるのって、いかにもミーハーっぽくて悔しいんですけど。でも、答えざるを得ないと言うか。うまい。読ませる。時事の話題もしっかり取り込んで、だけど、決してそれを話題だけで終わらせず、物語の、登場人物たちの人生にしっかりと関与させる。絡まりあういくつもの謎、伏線が収束していく様子は、ページを繰る指が止まらない。単調な文体なのに、きっちり、余韻も感じさせる。うーん、すごいな、と思う。うまいな、と思う。そんなこんなで、今作は加賀シリーズの最新作です。なんていうか、人の縁、じゃないけど、そういうものをひしひしと感じさせられた。出会いと別れ、そういうものの残酷さと素晴らしさをひしひしと感じさせられた。浅井親子、と入れて、『母娘』は出てくるのに『父娘』とは出てこないことに泣きそうになった。どうしてだろうね。己の存在を消し去り、別人として生きていこうとした父親。原発渡り鳥として生きていこうとした父親。その孤独たるや、どれほどのものだっただろう。その苛酷さたるや、どれほどのものだっただろう。娘の成長を間近で見守ることができなかった、その切なさと悔しさたるや、どれほどのものだっただろう。そして、それを掬い上げるように、加賀の母親である百合子さんとの出会いは、どれほど温かく、柔らかく、幸福だったことだろう。原発作業員という、お金を得るためには一切の人間性を見て見ぬふりをするような仕事だからこそ、なおのこと、彼の半生の孤独さ、過酷さがまざまざと浮かび上がってきていたような。けれど、それでも、人間性を一切無視されても、否定されても、そして自分の中で見て見ぬふりをし続けていても、人は、人である以上、誰かと出会い、別れる。この物語は、まさしく偶然に偶然が重なった、まさしく物語的物語に過ぎない。けれど、人が出会うこと、別れることで生まれる数多の物語の存在と言うのは現実にもここそこで生まれているわけで、なんかもう、ただ切なくなった。願わくば、本当に、そこから生まれる物語が、温かく、幸福なものでありますように、と願わずにはいられなかった。原発作業員のことが、あまりにも杜撰に管理されていた、使い捨ても甚だしい人たちのことが描かれていて、そこから、原発で故郷を追われた人たちのことを、慣れない土地でそれでも生きていくしかない人たちのことを思ったからかもしれないけれど、本当に、そう願わずにはいられなかった。そして、浅井博美という娘。どうしても、私にとっては他人とは思えない人。父親を手にかけた、彼女の気持ちはどんなものだっただろう。簡潔に、残酷なまでにただの行為しか描かれていなかったところが、また東野先生の巧さと言うか。なぁ…なんか、様々な思いが想像できると言うか。うん。はい。事件そのものに関しては、もう、やるせないとしか言いようがない。だからこそ、こうして繋がった様々な人の出会いと別れの物語が、加賀恭一郎というひとりの男性と、浅井博美というひとりの女性に、今、そこに生きている、このふたりに収束していったことが、ふたりの人生に溶け込み、ふたりと共に生きていくことが、救いのように思えてならない。祈りの幕が下りる時、か。なんか、しんみりとさせられるタイトルだなぁ。はい。そんなこんなで、まさしく、加賀シリーズのターニングポイントとなる作品だろうな。お見事でした。

 

梓崎優『リバーサイド・チルドレン』・・・デビュー作が、あれほど話題になり、絶賛されたら、それはもう、二作目は大変だろうなぁ、としみじみと思う。この作品も、アナウンスは以前からずっとなされていた。『初めての長編に四苦八苦しています』と作者さんの言葉がこのミスに掲載されていたけれど、この作家さんの場合、単純に作品の執筆だけの苦労だけではなかったと思う。一作目のハードルを、いかにして超えるか。無言のプレッシャーのようなものも、きっとあったに違いないことは想像に難くないです。で、満を持しての二作目。正直な感想としては、やはり、一作目の『叫びと祈り』の衝撃は超えられなかった。もう、これは仕方がないと言うか、そりゃそうだろう、と思う。ただ、まず特筆すべきは、やはりこの作家さんの文章力の高さ。静謐で、透明。透き通った水を通して、すべてを見通しているような錯覚にとらわれる、そんな文章、文体、言葉の選び方。美しい。それから、『叫びと祈り』で重要な役割を果たしていた、簡単な言葉で言ってしまえば『文化の違い』という要因は、十分に描かれていたように思う。それ故の、殺人。正直、理解できない、と言うのは簡単だ。だけど、あの状況下で、ハヌルのように思う子がいても、少しも不思議ではないだろう。人として生まれながら、人として認められず、人として生きることも許されず、そして人としても殺されない子供たち。殺されてもなお、人とは認められない子供たち。人として認められたい。その、切実なまでの思いが胸を衝いた。虐げられる子供たち。虐げる大人たち。人が人とも認められない、過酷な現実が、そこには確かにある。ただ、それでも、それは、個人の思いようなのだと教えてくれたのが、この作品を通してのメッセージであり、残された子供たちの生き方なのだと思った。矜持なんだろうな。彼ら、彼女らの胸には、そんな思いはないんだろうけど、今、ふと、この言葉が胸に浮かびました。人として認められなくとも、人として生きることが許されていなくとも、それを決めるのは『誰か』ではなく『自分自身』。うん。あと、そんな彼女、彼らの生き方を浮かび上がらせているような、自殺をする人なんてほとんどいないという言葉。なぁ。全てが全てとは言えなくなってきているけれど、それでも、衣食住に困らず、こんなにも国としてもそこそこに潤っている日本と言う国では、年間、三万人に近い人が自殺している。なんか、皮肉。『生きる』と言うことに対しての雑念を抱くだけの、変な言い方だけど『暇』を、カンボジアの人は抱かないんだろうな。『生きる』と言うことを、ただ、そのままに受け入れている。日々を、『生きる』ことを自らの裡に取り込み、力強く、日々を受け入れる。うん。なんか、そんなふうに感じました。はい。そんなこんなで。それでも、やはり、秀逸な作品だったと思いました。悲しい物語。残された子供たちを取り囲む現実は、何一つ変わらない。けれど、彼ら、彼女らは、生きている以上は、生きることを、自らの力で受け入れ、推し進めていく。その力強さが、せめてもの救いのように思え、静かに、静かに胸に残りました。そうだなぁ…三作目も楽しみだけど、やっぱり、この人の作品は短編で読みたい。短編で、たくさんの国を回りたい。そして、時に静かに、時に乱暴に、こちら側の倫理観を揺さぶっていただきたいと思いました。はい。

 

我孫子武丸『兎と狼のゲーム』・・・…梓崎先生の本を読んでいたもんだから、もう、文章の落差の大きさにまずは戸惑った(笑)。なんだろ、決して、きれいな文章ばかりが良いとか、文章力ないなぁ、とか言うつもりはないけれど…うん。ちょっと、読みにくかったです。はい。そんなこんな。後半は怒涛の展開で、もう、文章そのものなんでどうでもいいわい!ってノリだったんですけどね。まさに兎と狼の追いかけっこ。捕まれば即、終了。その緊張感たるや凄まじいもの。そして、明かされた真相には、『あぁ…これ、コスモくんも(すんません。このキラキラネームにも笑いが止まりませんでした)やっぱり父親の血を継いじゃってんじゃん』となんだか悲しくなったり、おかしくなったりで(鬼)アレでしたが、ラストはそのコスモ君自ら死んでしまったと言う、ビターな結末でしたな。でも、実際、こういう子、たくさんいるんだろうなぁ、とか思うと、ほんと、何とかしてやれよ、と思ったり思わなかったり。そんなこんなで、そんなこんなな一冊でした(いい加減)。

 

伊坂幸太郎『死神の浮遊』・・・『死はナッシングである。しかし、死者は生きているのである』。この本の前に読んだ本の一文であります。成程なぁ。最近思ったんですけど。なんか、どんなにつらい人生を送ってきても、或いは、どんなに楽な人生を送ってきても、結局、死ぬ時、その時の瞬間によって、その人の、自分に対する人生の思いは変わるんじゃないだろうか、と。死に直面した人にとって、死が、今じゃないですか。死が最後の今とでも言うべきか。人間は、今が、生きている時間軸にいちばん近い時間だから、だから、死と言う今が穏やかであれば、幸福であれば、それは人生そのものもそう見えるんじゃないだろうかなぁ、とか。主人公の人生と、加害者の人生。そして、主人公の最期と、加害者の最期…ってか、最後はまだ来ていなくて、腰にざっくり硝子刺さったまま、水中で、20年間生きなきゃならないんだけど(笑)。どちらが、人生の終わりとして、直近の今として、受け入れられるものか。心穏やかなものか。なぁ。うん。今際の際に、何を見ていたのか。何を思っていたのか。無慈悲にも娘の命を奪われた両親の、その思いたるや、無念たるや、悔しさたるや、それはもう、想像してもしきれないものだろうな。うん。はい。そんな、復讐、と言うより、加害者のたった一度の死を、これ以上ないほど残酷なものにしてやろうと心に決めた両親の元にやって来たのが死神、千葉さん。いいなぁ、このキャラクターが抜群だ。音楽ために、と身を粉にし、自転車まで頑張って漕いじゃって、真面目に仕事しない同僚を冷めた目で見ちゃうくらいに真面目に仕事をこなした挙句、結局、『可』にしちゃう辺りとか、ブレがなくて最高ですよ。…『不可』にしてあげろよ、とつっこんだけど、よくよく考えると、長く生きることが幸福だとは限らない。勿論、若くして死んでしまうことは悲しいことだけれど、それもそもそも遺されたものの主観でしかないし。空虚に長く、と、充実に短く、だったらどちらが幸福か、って話だし。子供を守って亡くなった主人公が、もし、『不可』を出されていたことで、その子供を見殺すような側に立っていたとしたら、きっと、主人公さんの思いは、と思うと、なんか、変な言い方だけど、うん、きっと『可』で良かったんだろうな、と言う気がしないでもない。その時がきたら、人は、死ぬのだ、と。親が子に向ける愛情の深さとか。特に、主人公の父親の、死は怖いが、後にくる子のために、それが実は怖くないことを見てくるために死ぬのだと言った父親の言葉とか、もう、ぐっ、と来たんですけど。でも、その辺りとか、生と死と言う、いちばん深淵なテーマとかが説教臭く、湿っぽくなっていない辺りが、さすがだなぁ、と思うし、『死神の浮遊』というタイトルにピッタリだと思いました。人は、死ぬ。遅かれ早かれ、必ず死ぬ。何を為しても為さなくても、死ぬ。死の間際が選べないからこそ、選べる時間であるところの生きている間は、せめて、生きよう。けれど、それすらもままならない時間だからこそ、せめて、せめて自分だけは、自分の生を肯定してみせよう。理不尽に巻き込まれ、大きなものを失って、それらが拭われることはないけれど、でも、主人公さんは、最後の瞬間、きっと、微笑めていたんじゃないのかな。

 

芦辺拓『奇譚を売る店』・・・芦辺先生の、こういう、なんていうか、昔懐かしい探偵小説を彷彿とさせるような、いかがわしく、そして壮大な想像力と創造力が爆発した作品が大好きです。そんなこんな。いいなぁ。良かった。面白かったです。ほんとね。読書が趣味って言うと、なんかインテリとか、真面目とか、そんな印象抱かれがちだけど、違いますよ。読書ほど、自分勝手で、怠惰な趣味って他にないと思うんだよなぁ。ただ文章を目で追うだけで、旅行しなくても旅行したような気分になれるし。好きな時に始められて、好きな時に止められるし、好きなところで放り出すこともできるし。面白いものに当たれば、その世界観を自分の頭の中で膨らませて、いくらでも楽しむことができるし。うん。こんな気楽で、怠けものにピッタリで、社会不適合者でも楽しめる趣味って、本と、そうそうないよ(笑)。そして、物語のラスト、『読書』に魅入られ、人生を棒に振った古本屋の親仁の嘆き、痛切たる後悔は、もう、他人事とは思えず、ぞっとするのを通り越しておかしかったし(笑)。あーあーわかる!こんな後悔を、新聞に投稿していたご婦人もいたじゃないか!それくらい、読書って、実は時間を費やす割には、外の世界に向いているようで実は、内へ、内へとこもっていくだけの作業ですからね、ほんと。そして、そんな親仁の、その後悔への対処方法と、だけどそれでも報われず、それ故の、三文小説家にすら嫉妬心を抱いてしまうってのが、もう、最高。他人じゃないよね、絶対。物語に浸食されていく、私が私でなくなり、物語と同化し、物語に食われていく、その辺りのラストは、もうその迫力にくらくらと眩暈すら感じました。帯の煽り文句も最高じゃないですか。ここんとこ、何かと内容と違ったような帯が多い中、実に本書の魅力を的確にとらえた惹句で、実に素敵。ラストに至るまでの各物語も、どれもこれも個性があって魅力があって、ぐいぐいと『物語』の世界に引きずり込まれました!いいなぁ。こういう作品を、それも短編で執筆できる、ってのが、大作家さんを相手にとても失礼だとは承知で、だけど、やっぱりすごいなぁ、と思わざるを得ませんよ。そうだよな。本なんて、元々は、執筆する側の強い思いから生まれたものだもんな。そして、それが、様々な人の手に渡り、読み、継がれてきたものならば、古書ならば、化けないはずがない。もう一度、言おうか。読書なんて、己の時間と世界と魂を『物語』に、そこらに込められた強烈な思念に喰わせるだけの、実に楽な趣味なのだよ。そして、そうなって、自らの手元に何も残っていないことに気が付き、愕然としたところで、しかし、誰も慰めてもくれず、どうにかしてくれるはずもなく、ただ、『物語』の余韻に空しく浸るしかできない、実に、悲しく空しく、業深い趣味なのだよ。…とは言え、やはり、『面白い本ってない?』と薦められた時、『これ、すっごく面白いよ』と、にっこり笑顔で薦めたくなるような(ゲス(笑)この作者さんならではの面白さに満ち満ちた一冊でございました。読書、最高!

 

有栖川有栖菩提樹荘の殺人』・・・そうですよ!いつの間にか、サザエさん化してるじゃないですか!アリスも火村先生も!…ということで、そうです。確か、最初にこのシリーズを手に取ったのは、『緋色の研究』を手に取ったのは、高校一年生の時だったはず。ずいぶんと、そりゃ、この二人が年上のお兄さんに見えたことでしたよ。あれからざっと15年近くの時が流れ…私も、作者さんの言うところ『幸福なことにつつがなく時を過ごすことができ』32歳です。…おかしいね。倍近くあったはずの、彼らとの年齢差も、たった2歳になっています。…どういうことなんだ!?(どーん)。そんなこんな。しかし、本当に長い付き合いですね。あの当時読んでいた作品で、そもそも、こうしてコンスタントに新作を出されている作品自体が少ない(京極堂然り、鉱物シリーズ然り…まぁ、後者は国際情勢の激変もあって仕方ないけど)中、この作品だけは、本と、本当にゆったりまったり、変わらない距離間で付き合っているような。それは、たとえるならまさしく、アリスと火村先生のような。なぁー。なんか、人間関係では言わずもがな、どんなものであれ、こういう関係って、ほんと、貴重だと思う。うん。そんなこんなで…えっと…サザエさん化は別に否定しないんですけど…生きている内に、無事に、つづかなく読書を楽しめている時間の間に、火村先生の過去を教えて頂けるよう、お願い申し上げます(土下座)。はい。全四作。うち一作は別のアンソロで読んでいたので。印象に残ったのは、『探偵、青の時代』と表題作…の、ラスト付近かな。猫…火村先生に飼われる猫になりたい…はう。いいな、学生時代の火村先生の、なんていうか、その、今以上に、自らの中の何かに抗うように頑なで、潔癖なところとか。場の雰囲気を壊してしまったと、実は内心で、こっそりと傷ついているだろうところとか(あくまで妄想)が、もう、たまりません。萌える(どーん)。…猫、拾って帰ったのかなぁー。むふふ。表題作のラスト付近、火村先生が、握ったナイフで刻もうとしたのは誰の名前だったのか、とアリスが思いを馳せた、そのシーンが、ナイフを握る若き日の火村先生と言うのが、その姿と言うのが、もうまざまざと想像できました。一切を寄せ付けない、頑なで、冷え冷えとした空気を纏い、菩提樹の下、握りしめたナイフをじっと見つめる火村先生の姿。…てへ、菩提樹ってのが、いまいちよくわかっていないんですけどね、てへへへ(死)。はい。相変わらず、相変わらずすぎる二人の会話も楽しめて、大満足でございました。そうか…カレーばっかの食べてるのか。てか、そんなに会ってるのかよ、あんたたち…くそう!(笑)。すごいな。よくよく考えたら。こんだけ長い付き合いなのに。飽きもせず。いつも一定の満足は覚えることができるなんて。な。すごいよ。ということで、これからもよろしく。…先述したことと、できれば、国名シリーズの方も、よろしくお願いいたします(土下座)。

 

はい。と言うことで今回も引き続き2013年の読書感想文をお送りしてまいりました。

次回、数冊紹介した後、途中から2014年の読書録に突入する予定です。

 

古いパソコンのデータが、果たして新しいパソコンでも無事、再生されるのか。

それだけが不安でございますが・・・。

 

はい。と言うわけで、お次は11月11日ですか。

オール1の日だ!

 

だからどうした!

こっちは仕事だよ!(謎の逆切れ)

 

はい。と言うわけで、よろしければ引き続き、おつきあいくださいね。

 

ではでは。今回はここまでです。

読んでくださりありがとうございました!