tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

休みだけれど~1の付く日で読書感想文の日

よかった・・・昨日、無事、江戸城、開始されましたね。

あんな記事書いておいて『江戸城、まだでした~』とかだと、あんまりにもあんまりにもなので(笑)

 

内容も、むしろ途中帰城でもそれまでの鍵は入手できるなど、改善されていてうれしい限りです。

 

と言うわけで新しいパソコンで鍵集め、そして太閤左文字入手、頑張ろうと思います。

 

しかしなんでしょう。

ブログの記事を書くことに、ちょっと重荷を感じることもある今日この頃。

休みの日=リアタイ投稿ができる日が末尾に1の付く日だと、前にも書いたと思うんですが、めちゃめちゃ損したような気分になります。

まぁ、いいんですけど(どーん)

 

はいよ。そんな具合で本日はお休み。

明日からは4連勤でございます。

嫌だなぁ・・・。

 

まぁ、そんなことを言ってもどうしようもないので、さっさと読書感想文、始めましょうか(どーん)

と言うわけで、本日から2013年の読書感想文でございますよ。

ではでは。早速、スタートでやんす。 

 

誉田哲也ストロベリーナイト』・・・映像化もされ、気になっていたので読んでみた。警察小説とはおもえないほどに砕けた文体は気になったけど(苦笑)面白かったです。なんてったって主人公、姫川玲子がいい。圧倒的に男性的組織である警察の中で、女性であるが故に見舞われた過去を胸に、女性であることを武器にしながら、女性であることを忘れずに戦う姿がかっこいい!胸がすかっ、とするし、時折見せるチャーミングな姿、一人突っ込み、毒吐く姿は微笑ましいし。映像化されているからかもしれないけれど、これ、竹内結子さんはぴったりだと思う。美人だけど、でも、嫌味がない。どこか抜けた感じがあって、でも、毅然としている。踏みにじられそうで、でも、這い上がってくる。誉田さんは松嶋菜々子さんをイメージされたそうですが、この人だと、美人すぎる気がするしなぁ。うん。そんなこんな。菊田さんが西島秀俊さんってのもいいじゃないですか!妄想むんむんですよ!でも、生瀬さん演じる(適役すぎる(笑)井岡もいい奴だしなぁ…どっちも捨てがたいわ~、なんて恋愛小説的な楽しみも味わえるのが、このシリーズの、警察小説らしくない、だからこその独特の魅力のひとつじゃないてじょうか。事件の方は、ドラマ化の弊害、じゃないですが、キャストの関係で想像がついてしまっていて、犯人わかっちゃってたんですけど…。あぁ、でも、殺人ライブショー。ストロベリーナイト。そこに魅せられた、自分も殺される側に回るかもしれないのに、そこに魅了されてしまった人間たちの気持ちが、わかるような、わからないような、わかるような。単純に、死を見たい、と言う気持ちもあるんだろうな。死を見て、苦しみながら死んでゆく人間を見ている、生きている自分がいると言う優越感もあるんだろうな。死んでいく人間を見ている生きている自分と言うことを認識する自分は生きている、ということを強烈に認識する、その眩暈すら感じるような高揚もあるんだろうな。そして、自分もいつ、死ぬ側、殺される側に回るかもしれないと言う強烈なスリルを楽しむ気持ちもあるんだろうな。ただ単に死ぬのではなく、他者の圧倒的な暴力に蹂躙され奪われる、その被虐を暗く楽しむような気持ちもあるんだろうな。死んでゆく瞬間はどんな思いなのか、どんなものなのか、それを覗き見てみたいと言う気持ちもあるんだろうな。なぁ。北見の上を見すぎて、下を見たかったと言う気持ち。それを、勝俣さんは『人間はまっすぐ前だけを見て生きていればいい』と一喝した。確かにその通りで、でも、北見の中にも、由香里が切に願った、『自分もまた、他者と同じように生きている人間なんだ』と感じたい思いがあったのだとしたら、それを北見はあんなふうに言ったのだとしたら、もしかしたら、人は誰でも、ストロベリーナイトに魅入られてしまうのかもしれないなぁ、と。ね。因果な生き物ですな、人間って。面白い作品でしたが、ひとつ、姫川玲子が時に犯罪者に共感してしまう、同情してしまう、というくだりは…うーん…必要だったかな?というか、彼女が言っていること、抱いている思いって言うのは、多分そんな特別なものじゃないと思う。あえてそれをあそこまで語らせてしまったことで、ちょっと興ざめしてしまったなー、と言うのが個人的な感想でしたが、読みやすいこともあるので、是非是非、続編も読んでみたいと思います!

 

有栖川有栖『江神二郎の洞察』・・・江神さんシリーズの短編集です。…そろっと、火村先生の国名シリーズの短編集も読みたいよ、と。全九作。良くも悪くも古めかしい推理小説張りのロジックと、学生アリスたちの羨ましすぎるくらいに楽しそうな学生生活と。いいなぁ…こんな学生生活が送りたかったはずだ。ああだこうだと、どうでもいいようなことを語り合える、そして、自分の世界観に謎と驚きと安らぎを与えてくれるような人と、学生時代に出会いたかったはずだ。はい。個人的には『ハードロックラバーズオンリー』『桜川のオフィーリア』『二十世紀的誘拐』『除夜を歩く』『蕩尽に関する一考察』が好きです。特に『桜川の』は、このシリーズ全てに共通しているような、日常と死、そこに否応なく巻き込まれてしまう人間のか弱さと、そこに魅入られてしまったかのような人間の姿が描かれているような気がします。そうだな、このシリーズは、どれだけ楽しくても、なにか『終わり』とか『死』とかの匂いが付きまとっているような気がする。それは、たとえば、アリスたちの学生生活の終わりが近づいてきているから、ということなのかもしれないし、江神さんの存在がそう感じさせるのかもしれないし。どこか飄々と、泰然自若としていながらも、アリスの思うとおり、ある日、何一つ残すことなく、姿を消してしまいそうな。そう言った雰囲気が、亡くなった少女の『生』に対抗できる唯一の存在として『死』に魅入られてしまった少年の思いと絡めて描かれていて、読みごたえがあったし、やっぱ、こういう作品こそが、と思いました。それでも、『死』『喪失』『終焉』ではなく『生きること』『獲得』『残ったもの』『今、そこに在るもの』に目を向けようとするのが学生アリスらしいし、或いは、『蕩尽に』で出てきたマリアちゃんたちの思いなんだろうな。マリアちゃんな。彼女の存在の重さってのが、この物語ですごくよく理解できた気がする。多分、マリアちゃんがいなければ、少なくともアリスは、何かしら、その日常に潜む死、の影に飲み込まれてしまっていたような気がするよ。うん。しかし、いいな。羨ましいなぁ。若い。この青臭さがたまらないですな。『二十世紀的』のラストも鮮やかだったし、『除夜を歩く』のすべての推理小説には、それ以外のトリックが行われたかもしれないと言う可能性を否定することはできない、って解釈も面白かったです。確かに。そんな具合で。もし、次作が出るとすれば、一応、公言されている分には最終となりますね、このシリーズの。学生時代の終わり。そしてそこに、どんな『死』が、『別離』が伴うのか。江神さんは、アリスは、望月、織田、そしてマリアちゃんたちはどんな道を、そこから生み出し、歩んでいくのか。そして、作家アリスシリーズに、それは繋がるのかどうなのか。あぁ、そして何より、国名シリーズの新刊は(願わくば短編がいい!)。どーん…ということで、諸々、楽しみに待ってます。

 

綾辻行人『緋色の囁き』・・・ずーっと前から知ってはいたのですが、何となく手に取らないままで、今になって読んでみました(どーん)。勝手にイメージとしては、記憶×ミステリで、結局夢落ち、みたいな結末なのかなぁ…と思っていたのですが。いやいや、いい意味でそれは裏切られました!綾辻先生らしい、ホラー的要素を含んだ陰惨な事件。舞台は、規律厳しいお嬢様学校。婚期を逃した腹いせをしているとしか思えないような鬼婆オールドミス教師に、百合すら感じさせるような、美しい少女とその取り巻き立ち。そして、それとは正反対に、我が道を確立している利発すぎる少女。現世とは隔離されたようなその中で、主人公の記憶は揺さぶられ、揺さぶられ、しかし、その中で出会った青年に心身共に支えられ、そして結末は…と言う具合で、あっという間に完読でした!まさしく『緋色の囁き』だよな。血から始まり、血に終わる。赤と緋に始まり、赤と緋に終わる。血と暴力に魅せられた少女。うーん…女性だからこそなんだろうなぁ。なんか。男性にはわかるまいよ、この、女性と血の関係は。生きながらにして、血を流すんですからね。生きながらにして、生を繋ぐために、血を流すんですからね。女性でなければこの事件は起こらなかった。なぁ。切ない。なんか、やりきれなさが残るなぁ。あと、なんだろ。天野さんの人形に『生無き死』を見たと言う綾辻先生の言葉が、何となくわかる気が。聖真女学園は、少女を閉じ込めた巨大な人形箱。外に開くべく、生を繋ぐために血を流す少女たちは、そこに閉じ込められた人形。開かれた世界に触れることも許されず、繋ぐ生の、その対象すらも奪われた彼女たちは、ただ、血を流すだけの人形。せめてもの救いは、まるで児戯のように選出した『魔女』を罰することだけ。知らない世界を知るように、その代わりのように、同じ人形を差別化し、排他し、そして己は『ただの人形でしかない』と言い聞かせることで安心する。なぁ。なんか。切ないよなぁ。綾の毒々しいまでの美しさも、彼女の取り巻きたちの葛藤も、そして内の寂しさも飲み込んで、押し付けられた『魔女』という『烙印』も受け入れていた恵ちゃんの気持ちも、なんか、どれもが理解できるなぁ。人形でありながら、生きることを望み、だけど、それを許されなかった彼女たち。うーん。そしてまた、最初から最後まで、宗像加代という人格で、血の呪いから放たれることなく生きることができなかった『人形』だった『宗像加代』。悲しいな。切ないな。 ラストもどうですか?個人的には、一瞬、ほっ、としたんですけど、読み返してみれば、ぞっとしなくもないという。そう感じさせてしまうのが、この作品の凄まじい力であり、また悲しところでもあり。ねぇ…ほんと、なんか、とっても悲しい物語だな、と思い返すと感じます。と言うことで、囁きシリーズ、他二作もサクサクと読んでいきたいと思ったのでありました!冴子ちゃんに幸あれ!(願!)。

 

岩井志麻子瞽女の啼く家』・・・何にしてもそうなんですけどね。『その人』と『その人が作り上げたもの』と言うのは、大概にして一致しないものです。と言うか、一致しないからこその『作り手』という職業なんでしょうが。なんていうか、本と。テレビで見る『岩井志麻子』という人と、その人が紡ぐ作品が、どうしても一致しない。どこをとっても、こんな文章を紡ぎだす人とは思えず、紡ぎだす要素すら見いだせず、だけど、このミスのインタビューで答えていたデビュー前の、狂気が爆発する寸前の日常の、あの、何とも言えない色合いを思えば、やはり『岩井志麻子』と言う人は、作家なんだと思う。『岩井志麻子』という、テレビに出ない作家こそが、数々の作品を作り、生み出してきた作り手なんだと思う。うん。ほんとな。あー、なんかもう、どうしてこんなに地獄を書けるのか。この人は、本当に地獄を知っているとしか思えない。『岩井志麻子』の描く地獄は、現生の地獄ゆえ、どうしようもなく濃く、鮮やかで、暗く、生々しく匂い立ち、そして息苦しいほどに美しく、どうしようもなく悲しい。人が生きる『土地』が『地獄』と同化していて、その『土地』の放つすべてが『地獄』と化していて、だから、その土地に生きる人々は『地獄』で生きているも同然。悲しいのに、悲しいのに、苦しいのに、本当に美しい。『岩井志麻子』の描く地獄には、もう、なんだろう、魂を奪われそうなくらいに魅入られてしまう。言葉を失うとか、そういう言葉では足りないくらいに、なんかもう、壮絶、凄惨、骨抜き。はい。そんなこんなで、今作は、『視界』を持たない女たちの地獄。女たちの瞼の裏側で繰り広げられる、極彩色の暗黒。暗闇の中で炸裂する、濃厚で甘美な色欲。あぁ。私ですら、視界を持つ私ですら、そんな美しい悪夢、色鮮やかな暗黒、見たこともないと言うのに。そんなにも甘美な、濃厚な色欲など、未だ知らぬと言うのに。彼女たちの見たそれを、羨ましいと言ってしまっては、あまりにも罰当たりなんだろうけれど。なんか、もう、本と。この人の作品を読むと、モラルだのなんだのと、ちっぽけに生きている自分があほらしく思えてくるような(笑)。と言うか、つくづく、生物として軟弱な自分を思い知らされる。あぁ、それもそうか。私は、地獄を知らない。地獄を見たことなどない。幸福な私だからこそ、現生の地獄をこうも書ききる『岩井志麻子』の作品に魅入られてしまうんだろうな。

 

綾辻行人『暗闇の囁き』・・・囁きシリーズ、第二弾。暗闇、と言うほどではなかったような気もするけれど、これこれで面白かったです!十数年前に出会った二人の子供。その内の、片割れが話した、他愛もない想像の物語が、凄惨な事件の真相にあるのかもしれない…、と。拓也君の戸惑いたるや、そりぇ、相当たるものだろうけれど、でもどうしてでしょう。それを考えると、胸の奥がきゅっ、と締めつけられるような、なんか懐かしいような、切ないような気持ちにさせられるのは。亜希の世界を、拓也の語った物語が支配していた。支配し続けていた。色のない世界で生きていた亜希の世界の中で、拓也の物語だけが、燦然と輝き続けていた。そう思うと、なんか、甘い感覚、実っていないと思っていた初恋が片割れの知らないところで実り続けていたような、そんな気持ちにさせられました。あとは、前作同様、『違う』道を進まざるを得ないような人生を歩んできた、悲しき狂気者の存在と、それを隠し通そうとしてきた者の悲しみと、そして、その結果の悲しみと。何だろ、その辺からは、なんかこー、差別、じゃないけど。『私たち』と『私たちとは異なるおそるべしもの』の境界線は、確かに明確なんだけど、でも、なんていうか、そうじゃないところもあって、その付き合い方さえ間違っていなければこんな事件は起こっていなかったんじゃないのかなぁ、と。おそれているものがおそれすぎてそのおそれに飲み込まれてしまって、起こる必要もない事件が起こってしまった、と。おそれるのはわかる。けれど、『臭いものには蓋をしろ』じゃないけど、蓋をすることだけに熱心なだけでは、事態はかえって悪化するだけ。だって、『私たちとは異なるおそるべしもの』たちもまた、『私たち』とおなじ人間なんだから、と。なんかそんなことを感じたような気がしました。前作にしても、今作にても、そもそもの原因はないわけだからなぁ。憑かれてしまった、という表現が正しいような気がして、そういう意味では、ちょっと京極堂シリーズの匂いも感じたりしました。はい。静かな森の中で。三人分の生を生きる少年一人。悲しく、寂しく。でも、父親の歪んだ愛情に振り回されてきた分、なんていうか、今度こそ、もう、静かに静かにしてあげて欲しいなぁ、とも思う。うん。そんなこんな。表紙は今作も天野さんの人形。その人形の表情に、なにかしら、前作も怒りのようなものを感じたのは私だけでしょうか?それは、憑かれ、隔離され、閉じ込められた者たちの、せめてもの訴えのようにも思えます。

 

綾辻行人『黄昏の囁き』・・・囁きシリーズ、最終作です。最終作と言うか、これ以降、出てないもんなー。うむ。最終章にして、今までの作品とはちょっと毛色が違う感じでした。そこが残念と言えば残念かなぁ。これまでの犯罪者には、自分ではどうすることもできない力に魅入られてしまって、周囲もそれに怯え、隔離することで安心しきっていたけれど、それが結果として、こんな悲しいことになってしまった…みたいなやりきれなさが残ったんですけど…。今作は…うーん…うーん…うーん…。老い、惚け、子供たちにいいように馬鹿にされ、弄ばれていた老人。その父親の姿に悲しみと共に怒りを覚え、そして介護疲れの果てに…みたいなナニはわかるんですけど…。なんか、その後の展開、と言うか、その後の春海さんの気持ちの変化が…このシリーズに持ってくるにしては、あまりにもこじつけが過ぎる気がしてですな。なんか、前作二作が、こじつけだと言われてもおかしくないことを、だけど、どうしようもないやりきれなさを伴って現実味をもってして描かれていた悲劇だっただけに…拍子抜けしてしまった気が。うーん。なんか、ちと、これがシリーズの最終作と言うのがちと悲しいです。はい。その、翔二くんの記憶が蠢く感じとか、『笑って』『遊んで』の不気味さとか、ましてそれが老人だったその意外性とか悲しさとか、すごくぐいぐいと引っ張られる物語だっただけに残念でした。あと、占部くんがかっこよかったよね。占部君と翔二くんの兄弟みたいな友情に萌えました(万歳!)。そんなこんな。できればまた、新たなシリーズ最新作を読みたいなぁ。

 

東野圭吾『名探偵の呪縛』・・・面白かったし、内容的にすごく興味深かったです。当代一と言っても過言ではない売れっ子の東野先生だからこそ、もしかしてこれが東野先生の本音なのかなぁ、とか。時代が求めるものと、出版社が求めるものと、東野先生が書きたいものと。それらが一致しなくて、それでも、作家として世に作品を放たなくてはならない、そしてまた、世から作品を求められるってのは幸せなことでもあるけど、ときに、辛いことでもあるんだろうなぁ、とか思うんですけど。どうなのかな。東野先生ですからね。それすらも、ネタとして割り切って、この作品が生まれたのかもしれない、と言う気がしないでもないわ(笑)。探偵の存在意義とか、ミステリの解釈意味とかも、いろいろ考えさせられたなぁ。やっぱり古き良きミステリ、ってのは時代に合わないのかなぁ、とか。でも、人が殺される不謹慎な話なのに、ミステリには、その謎には、どうしようもなく心惹かれてしまって、個人的には、そこには人間の想像力の限界みたいなものも含まれてるんじゃないのかなぁ、とすら思っているわけで、だからこそ、そういう作品はこれからも残り続けていてほしいし、作家さんには、そこに挑戦していってほしいなぁ、と思うわけですよ。探偵さんにはやっぱり、神に近い立場でありながらも、人間であってほしいなぁ、と思うわけですよ。うん。ねー。はい。ミドリちゃんのような『謎』にドキドキして、伸ばす手をひっこめることができないと言う読者さんがたくさん増えれば、と思うし、作家さんにも頑張っていただきたいし、出版社さんにも、もっと挑戦していただきたいし、と思うと、なかなかどうして、奥深い作品なんだろうなぁ、と思いました。面白かったです。

 

誉田哲也ソウルケイジ』・・・そんなこんなの姫川シリーズ、二作目。あー。なんか、切ないなぁ。ソウルケイジ。魂の檻、みたいな感じなんでしょうか?人は、『その人』で生きている限り、色んな制約、他人から受けるそれだったり、自分が作っているそれだったりと共に生きざるを得ないじゃないですか。でも、高岡は、高岡なんだけど高岡じゃなくて、でも、高岡であり、自分であり、自分じゃない顔も持っていた。きっと彼の魂を束縛する制約ってのはきっとあってない感じだったんじゃないのかなぁ。うん。で、もし、彼が、戸部のようなくそ人間だったら、彼はもっと、もっと自由に生きていけたんだろうと思う。それこそ、魂の檻なぞないように、制約などないように、好き勝手気ままに、堕ちるところまで堕ちていくように生きていけたんだろうと思う。ただまぁ、彼が彼でなくなったのは、彼が、そんなくそ人間でないから故、なんだろうけれど。そして、彼の魂を支えていた檻は、その核となるものは、一言でいえば『父性』だった。なぁ。なんか、切ない。彼らの出会いが、こんな出会いでなければ。勿論、耕介君の父親が死ななければ出会うことはなかったけれど、でも、もう少し、何か、違う出会い方だったら、と思わずにはいられない。贖罪という面もあったんだろうけれど、でも、それだけじゃなかっだろうな。きっと、これが、この人の魂の檻だったんだと思う。この人を支えていた核だったんだと思う。人は、人との出会い方も、別れ方も、選べないもんな。選べるようで、選べないもんな。うん。なんか、そういうことも含めて、ものすごく、事件そのものが切なくて仕方なかったです。そしてその部分が、姫川と犬猿の仲の日下にも共通していて、日下パートがあって、それも含めて彼視点で語られた、ってのが面白く、この作品の読み応えだったり、味わい深さにつながっていたように思います。遠藤さんだもんなぁ、演じてるの。それも含めると、すごくその、父親と刑事の狭間に落ちちゃってる感じってのがすごくぴったりたと思うし、なんか、憎むに憎めないって気がすごくするなぁ。うん。父性と社会的役割。うーん。成程な。うん。なんか、わかる気がする。単純な感想ですが。はい。そして、姫川を巡るうじうじ菊田とがっつり井岡の争いも一進一退…とは言え、菊田よ…少女漫画かよっ!(どーん)。がっ!と行けっ!がっ!と(笑)。姫川もきっと、それを待ってるに違いないのよ!…どうなのでしょう?ここいら、進展する日が来るのでしょうか。ということで、深い、深い父性の存在に切なくなり、姫川の奮闘に胸をすかっ、とさせられつつ、恋の行方にはやきもき。そして、それでも家庭は顧みないとだめだよ!な日下さんの今後も楽しみなシリーズ、お次は三作目!

 

誉田哲也『シンメトリー』・・・読んだのが大分前。そんなこんな。はい。短編集でした。面白くないことはなかったけど、長編ならではの濃密さが欠けていた分、どうしても、『警察小説だけどライトノベルっぽい』のが前面に出てる気がして、ちょっと物足りなかったかな。表題作も、いちばん好きで、すごく情景が目に浮かんでくるようで。でも、被害者であり加害者の心情って、そんなに簡単に報われると言うか、変わるものなのって気がして。このシリーズならむしろ、最後の最後まで報われないまま、救われないまま、復讐の権化、空しさの塊みたいなものでもよかったんじゃないかな、とか。長編ならそこからはじまって、姫川がそれにどういう言葉を、態度を示すかってふうにも展開しただろうになぁ、と思うと。ちょっと残念だったな、と。はい。ただラストの作品のメッセージは、ものすごく伝わって来たし、考えさせられました。罪を自覚しないまま矯正施設に入ったとしても、それは何の意味もない。では、何の存在が、犯罪者に罪を自覚させるか。それは、自分を気にかけてくれる人の存在。そういう人の存在があれば、人は、その人の存在のために、自らの行いを自覚し、認め、贖罪の気持ちを抱く。うん。とてもきれいごとのように思えるけど、でも、その通り、ってところもあるのだと思う。今の、罪を犯した人を取り巻く環境がどういうものなのかはわからない。だけど、普通の人ですら、普通の生活を送り続けるのが困難な時代にあって、果たして、そういう人たちが出所したのち、普通の生活を送り続けることが可能なのかどうか。勿論、本人の努力だって、気の持ちようだって重要なのは言わずもがなだけど、でも、そこに、確かに自分のことを支えてくれている、自分の存在を気にかけてくれている人の存在があれば、或いは、その人の、言葉の存在があれば。もっともっと、そう言ったものが濃密であれば、と思わずにはいられない。…まぁ、ずいぶん甘やかし論理だな、とも思うんですけどね。うん。そんなこと、理不尽に犯罪に巻き込まれた側にとっちゃ、知ったことじゃないよ、と突っ込まずにはいられないんですが。でも、間違いなく、姫川の言葉にも一理ある、それもまた、犯罪に立ち向かう力のひとつなのかもしれないな、と思いました。はいよ。

 

貫井徳郎『失踪症候群』・・・はぁはぁ…こ、これは、か、かっこよすぎるでしょ。誰が?環さんが。何この人。かっこよすぎ。もう、何がどう、ってよくわからないくらい、その存在感がかっこよすぎる。あと、武藤さんも。普段は托鉢僧。なのに身体能力も高いし、頭脳も優秀ってどんだけ!肉体派の倉持も素敵だし、娘との関係に苦悩する原田さんも素敵。渋すぎる。脳内妄想アフレコですよ(どーん)。妄想万歳!…はい。そんなこんな。まだこんなシリーズが残っていたなんてねー。やーやーやー。このシリーズの一作目です。うん。何だろうなぁ。貫井さんって、もう十分に、ミステリファンの間では評価されている作家さんだけど、一般の読者ファンには、まだまだ評価されていないような気がする。てか、発売されている作品の面白さとか深みとか、キャラクターの造形とか、そもそもの文章力、表現力の高さとか簡潔さ、わかりやすさとかから考えたら、もっともっと売れていても、話題になっていても、人気になっていてもいいように思うんだよなぁ。うん。今作は、自分の人生から逃れようとした若者たちの姿。殺されちゃった吉村くんが、一人暮らしを満喫しているシーンがあったけれど、あぁ、なんか、その解放感、わかる気がするなぁ。自分でありながら、対外的には自分ではないわけで。自分じゃない自分を知る者はいても、自分である自分を知る者は誰もいなくて、だから、自由気ままに生きることができるわけで。うん。でも、どうなのかな。それも最初の内だけかもしれないよな。自分の人生からは逃れることはできない、って言葉が、彼らの姿に重くのしかかるようで。吉村君だって、こんなことしなけりゃ殺されずに済んだんだから…げふん。原田さんの娘ちゃんと言い、吉村君と言い、仲間外れにされていた、あまりに憐れすぎて同情と共に笑いが止まらなかった(鬼)村木君といい、わかるよわかる、一家の大黒柱は大変だもんね、そういう意味では、原田さんと共通した部分があるのかもしれないね、的馬原さんと言い。…使い古された言葉ですが、人は、自分の身で危機を味わって初めて、自分の存在がいかに脆いものだったのかと言うことを、自分がいかに恵まれていたのか、自分にとって何が大切だったのかに気が付くことができるんですよね…あぁ…胸に刻んでおこう、彼らの姿を。あくまで、事件を外堀から埋めていくような描写がされているから、それが逆に、環さんたちの活躍、暗躍っぷりを際立たせていてかっこいいんだけど。やっぱ気になるのは、環さんと武藤だよなー(るんるん)。特に環さん。その全容が、思いが、明かされて欲しいような、謎めいた存在でいて欲しいような。武藤よ、何があって托鉢僧!(どーん)。はい。そんなこんなで。貫井さんらしい社会性とミステリ、そして必殺仕事人を見ているかのようなエンタメ性に満ちた作品でございました!ぜひ、近いうちに続編をば!

 

・葉真中顕『ロスト・ケア』・・・話題になっていたので読んでみました。面白かったです。あっという間に読了。いろんなテーマがそこここに散らばっていたけれど、最大のテーマは勿論、老いと介護。いつだったかのニュースで二十年後には高齢者の割合が今よりもさらに増えていて、自治体によっては今の何十倍にもなっている。だけど、それを支えるべき若い人はいないものだから、自治体そのものが壊滅的な状況になる、と言うニュースを耳にしたことがありますが。なんか、このニュースに限らないことなんですけど、今の今まで、日本人は何をしてきたんだろう、と思うことが多々あります。賢明で、働き者で、資源もないこの小さな島国を、ここまでの先進国に育て上げてきた日本人。それは素晴らしいことだと思うし、敬意を表するに値すると思う。思うんですが、ここにきて、あまりにも、おいおい、考えてこなかったんじゃないの?と突っ込みたくなるような問題が次々と表出してきていて、たとえばこの問題にしても、原発のことにしても、雇用のことにしても、教育のことに関しても、色んなこと、色んなことが。日々の生活営むのに精いっぱいで、それは理解できるけれど、それにかまけて、実は、日本人と言うのはあまりにも考えてこなかった、具体的な対処法を考えてこなかった人種なんじゃないのかなぁ、と思うのです。そしてその根底には、『自分だけは大丈夫』『まさか、自分が』的な考えが広がっていて、それが行き着くのは『そうなったらそうなったで仕方ない』という開き直り諦観で、まぁ、それは確かにそうなんですけどね。考えてもどうしようもないことは多々あり、そもそもそれが仕事であるべき政治家が腐った国だからってのもあるんだろうけれど。私だって、こういう人間の一人であり、そういう考えの持ち主なんですけどね。はい。『まさか自分が惚けるはずはないでしょう』『ってか、もう、惚けたら惚けた時。どうしようもないじゃん。そもそも惚けちゃったら、自分が惚けたことだってわからないかもしれないんだから』。うん、その通りだ。そんな未来のことを、未来の恐れに杞憂するより、目の前の、明日の生活を獲得し、楽しみ、守り抜くことの方が大切だもんな。うん。でも、そろそろ、本気で具体的な対策を講じないとまずいと思う。『もうすぐ、夜が来る』―本書の最後の一文が、どんっ、と胸に重く沈むように感じたのは、私だけ?確かに、心構えは何よりも重要。でも、今、目の前にあるべき食事にもあり付けない人に、心構えを説くことのむなしさがあるだろうか?国によって保障されるべき衣食住が保障されていない状況は、人の心を荒ませるよ。社会の穴に落ちた人に、落ちてしまって人に、精神を説くことほど失礼なことがあるだろうか。勿論、すべてが全て、とは言えないけれど。この辺りは、もう、大友さんと斯波さんの対決に如実に表れていたような気が。安全地帯を獲得してる、そして今後だって、その職業的社会的地位の高さ故に安全地帯にいられ続けるであろう大友さん。かたや、社会の穴に落ちてしまい、暗い暗い人間の悲しさを見てしまった斯波さん。『ロスト・ケア』殺人から、その理論を死刑にまで転じて大友さんを完敗させた斯波さんの言葉には、思いには、多分、頷く人も多かっただろうと思う。正当化してはいけない。当然だ。殺人なんだから。正当化はできない。でも、認めることは、私はできる。あぁ、ごちゃごちゃしてきた。とにかくです。ほんと。夜は、すぐそこだよ。ごちゃごちゃした議論とかはそれなりにしてさ、本当に、具体的に、人を支え、人を守る、生活を支え、生活を守る対策を講じないと。絆なんて言葉一つで、慰めあってる場合じゃないよ。せめて、老いることが不幸ではない国になって欲しい。せめて、老いると言う自然現象が受け入れられる国になって欲しい。そしてせめて、老いた人を支えるその人が、その人の心が、不幸でない、荒んでいない国になって欲しい。はい。本当に思いテーマに引っ張られるように、勿論、ミステリ的なミスリードもばっちり、更には、登場人物たちが各所で自分の持ち味を存分に発揮していて無駄がなく、あっという間に読了でした。面白かったです。

 

道尾秀介『笑うハーレキン』・・・久しぶりの道尾先生本。いい意味でも悪い意味でも、物語らしい物語。希望の物語、と言う感じかな、と。はい。東口の姿ってのは、事情の大小の差こそあれ、誰にでもあてはまるものだと思う。そしてまた、仮面をかぶっている、って言うのも、なんていうか、それが礼儀のようなところもあるし、本音と本音のぶつかり合いなんてそうそう簡単にはできないでしょう。でも、その仮面が、些細なことで揺らぐ、剥がれる、その瞬間に見えてくるものがある。他人の仮面がどうのこうのと言う前に、自分の仮面はどうなんだ、と言う話で、だとしたらこれは、誰にでもあてはまる物語、なんだろうな。その、東口の仮面を揺るがした最大の存在が奈々恵ちゃんでしょう。彼女の姿には、すごく共感できるところがあったし、自分のためじゃなくて、両親のために代わりたい、って強く願うだけじゃなく、実際に家を飛び出して、それを実行してみせた彼女の行動力は素直に尊敬します。すごいと思う。一歩を踏み出す、その瞬間って、自分の体がぎゅーっと縮こまるような、なんか、世界中が収束していくような感覚があるじゃないですか。そこを超える勇気って、勇気と言うかエネルギーって相当なもので、あぁ、だからこそ、東口のような、或いは、私のような、誰かのような人間には、身の危険を覚えない限りはなかなかどうして、と言う話で(苦笑)。仮面が剥がれても、人はまた、新しい仮面をかぶる、被らざるを得ない。ただそれでも、一歩踏み出し、膨大な勇気とエネルギーを消費した末に生み出したその仮面が、東口の言うように、笑顔であったなら、それはそれで素敵だなぁ、と思う。へらへら笑っているようなそれではなく、穏やかに、微笑んでいるようなそれであったなら、素敵だろうなぁ、と思う。はい。そんな具合で、まぁ、なんていうか、普通に面白かったんですけど。デビュー作から一定期間まで道尾先生の作品を読んできた人間としては…これ、別に、道尾先生じゃなくても書けんじゃね?みたいな。道尾先生の作品じゃないって言われても、頷けるんじゃね?みたいな。良い悪いの問題じゃなくて、もう、個人の願望としての問題なんすけど(笑)。願わくばまた、デビュー作のような、向日葵のような、シャドウのような、粗削りで力技で、しかし、ひんやりとした底黒さが待ち構えているようなミステリ作品を読みたいなぁ、と思っているのは私だけでないはず!

 

貫井徳郎『誘拐症候群』・・・作中では、インターネット使用の際、電話線に回線を繋ぐシーンが出てきます。…懐かしいなぁ。昔は、そうだったもんなぁ。いつからか、そんなことをしなくてもいいようになり、いつからか、生活の大半以上をネットに依存するようになり、いつからか、パソコンじゃなくてもネットができるようになった。ネットなしじゃもはや、現代社会は成り立たない、うまく回らない、と言っても過言じゃないと思う。便利になったし、本と、ありがたい時代になったなぁ、と私なんか思う。だけど一方、私は手を出していないけれど、いつでもどこでも誰かとつながっている、繋がっていなきゃならない、みたいなコンテンツの登場、台頭には、勿論、それによって自分の考えや趣味を晒すことで世界が広がる、人の輪が広がるという利点はあるんだろうけれど、でも、なんか、窮屈だなぁ、と思うし、面倒だろうなぁ、と思う。ネットの中だけの人間関係に固執するあまり、目の前の人間のこと、その人との関係のこと、忘れてませんか?的な。そういう思いがあったからでしょうか。『ジーニアス』との関係にのめり込み、のめり込み、けれど、我を取り戻した咲子さんの姿が、笑いながら泣いて、そして胸の裡で何かが消えうせたような感覚になったと言う彼女の心境が、昔、ネット上での関係に依存していたこともある私にしてみれば、そういうことも含めてとても清々しく、ちょっとうらやましく思えました。まぁ、彼女の場合、自分が誘拐の片棒を担がされていた、という思いもあるからだろうけれど。はい。そんなこんなでシリーズ第二作。本作が発売された当初に出始めたばかりと思しきネットの存在、それによって事件の概要がじょじょにじょじょに、いろんな人たちによって浮かび上がってくる様子はすごくスリリングだったし、面白かったです。そういう意味では、今の社会じゃ普通になっちゃってるネットを駆使しての犯罪ってのを予見していたのかもしれないなぁ。すごいなぁ。そしてもうひとつは、やっぱり武藤さんと高梨さんでしょう。てか、武藤たん、はぁはぁ(萌)。何この子。可愛いよ。可愛すぎるよ。どんだけツンデレ(どーん)。いやいや。彼が高梨さんと、少しずつ親交を深めていく姿が描かれていて、そこに、今までになかった自分の姿を見てちょっと戸惑ったりする武藤さんの姿が的確に描かれていたからこそ、のその後の物語だったと思う。たとえば、亡くなった高梨さんの子供のことを歯牙にもかけないような発言をした環さんに対するおそれ、不信感。武藤さんと言う、頑なながらも、決して不誠実ではない、むしろ生真面目すぎるほどの彼だからこそ、環さんの発言は許せなかった。勿論、環さんが不誠実だとか、生真面目じゃないとか、そういうことを言いたいんじゃない。ただ、高梨さんの存在ひとつにすら僅かばかりの変化を受けた武藤さんと、赤ん坊のひとつの命の存在を、亡くなっていた時点で駒として利用した、その環さんとの人間性の違いが、或いは、次作で描かれているのかな…ってか、次作でこのシリーズ、終わりなんだけどね(どーん)。そして、貫井先生らしいというか、驚愕と胸が重くなるような暗澹たるラスト。一度も、高梨さんの姿を見ることが叶わなかった武藤さん。そして、一度も、自分の姿を見ることを武藤さんに許さなかった高梨さん。大切なものを自分の手で支える、守るそのために、どんな苦難をも受け入れていた彼の、優しい表情は、この時一体、どんな表情を浮かべていたのか。高梨さんの犯した罪と、彼の父親がなした行為と、どちらがより、悪に近いのか、どちらがより、許されざることなのか。その辺りも、多分、次作で描かれるんだろうなぁ。あぁ。ただ、ただ、去っていく高梨さんの姿を、その後ろ姿を、黙ってみることしかできない武藤さんの姿が、そして、両者の間に刻まれた、両者の間だけではない、高梨さんと、この社会とに刻まれた深く、深く、暗い、暗い溝のような亀裂が、ただただ、切ない。

 

森見登美彦四畳半神話大系』・・・『我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。今ここにある君以外、他の何者にもなれない自分を認めなくてはいけない』樋口師匠のお言葉です。いい言葉。私たちの日常、世界、と言うか可能性と言うのは、所詮は、四畳半サイズなのだと思う。というか、それが人間に見合った理想のサイズなのだと思う。けれど、主人公が悟ったように、その四畳半は、僅かなことで無限の広がりを、違いを見せる。それこそが、人生を生きる、と言うことなんだろうな。ただし、それは、たった一度しかない。どの瞬間も、どの四畳半も、ただの一度きりしかなく、やり直しは効くようで、でも、本当の意味ではただの一度きりしかないのだから、やり直しは叶わない。だからこそ、四畳半に閉じこもっていてはどうしようもないのだろう、最後の章の主人公のように。寺山修司は言ったじゃないか。『書を捨てて、街へと出かけよう』。この言葉が、こんなにも胸に響いたことは未だかつてありませんでした。薔薇色だろうが、何色だろうが、それは、その瞬間にはわからないことだ。一度しかない、なれるものにしかなれない自分にしかなれない自分で、四畳半の向こう側に続いている、こことは異なる四畳半へとつながっている、無数にあるドアのどれかを開くことこそが、生きると言うことであり、生き続けると言うことであり、それこそが、なれる自分にしかなれない自分に許されている唯一のことなのだ…と。こんなことを書いてみたけど、まぁ、こんなことを声高に訴えていないところがいいな。どこまでも人を喰ったような、シニカル、へそ曲がり的な文体、或いは、私の語り口が、もう、たまらなく好き。ともすれば、単調になりがちな内容、ありきたりな話を、ここまで面白おかしく、少ししんみりもさせ、描いてしまうなんて、すごいな、と単純に思いました。はい。アニメの方は、より、四畳半と可能性、に関してのメッセージが声高に、センチメンタルに訴えられていたように感じて、小説とはずいぶん手触りと言うか感触が違う気がします。てか、もう、小津とのラブストーリーになってたじゃないですか、アニメ版のラストなんて(笑)。どっちも好きです、はい。でも、四畳半に悟りを得、無間地獄のようなそこを抜けだした後の光景の煌めき度、そこに感じた感動度は不思議、小説の方が遥かに高かったですな。うん。てか、これ、基本的にはリア充なんだよな、こんちくしょー!(笑)。樋口師匠に、城ケ崎さんに、羽貫さんに、明石さん。何だよ、明石さんとの邂逅、恋の成就なんてもう、運命じゃねぇかよ、このやろー!そして、小津。黒い糸でボンレスハムのごとく結ばれ、マリアナ海溝へと共に沈む運命であるところの小津。こんなに素敵な人たちと出会っておいて、明石さんと成就しておいて、何が薔薇色でないものかっ!ほんとに。小津な。もう、反則だよ、こいつ(笑)。なんて不気味で、なんて純粋で、なんて卑怯で、なんて可愛いんだろ。こんな友人一人いれば、無双じゃなかろうか。はい。そんなこんなで、アニメと小説、どちらも非常に作り手さんの才能と工夫と想像力がいかんなく発揮されていて、どちらもすんごく楽しめました!すべては、あなたの四畳半を生きる私次第。さぁ、書を捨て街へ出かけよう、ジョニーと共にっ!(笑)。

 

森見登美彦有頂天家族』・・・アニメ化です。…あかん、もう、反則や…。お願いですので、このアニメは無事に完走させて下さい…ってか、このアニメに限ったことじゃないけどさ、本と。はい。そんな具合で、完全脳内アテレコしながら読んでました。反則や…こんなん、反則や…(笑)。とりあえず、長男、結婚しようか(どーん)。いや、ほんと。長男の、外見芥川龍之介、カチカチすぎてド団場ではとんでもないぼけかましてくれて、でも、かっこよく虎に変身しちゃったりするところとか、前を見て歩くことしかできない人故、方法は不器用すぎるけど、その根底にある家族のことを深く深く思っているところとか。二男の、深い深い後悔と悲しみの果てに自己防衛の手段として生み出された達観したいじけた感じ、でも、誰よりもやる時はやる、家族のことを遠くから深く深く思っているところとか。三男の、とにかくお気楽阿呆なこと大好きあはは、って感じとか、でも、物事の真髄をしかととらえているところとか、その心のひだが捉える、まるで狸さんのしっぽの毛がふわふわ揺れるような優しい心の揺らぎ方とか、そしてなんだかんだ言いつつ、家族のことを深く思っているところとか。四男ちゃんの、携帯充電がすぐできるなんて今すぐ手元に拉致りたいわ!なところとか、すぐに尻尾を出しちゃうどうしようもない可愛さとか、ってかもう可愛すぎる可愛さとか、そして、家族のためになけなしの勇気を振り絞る、その根性強さ、想いとか。お母さんの、その、本当にもう、琵琶湖よりもでかく、マリアナ海溝よりも深い、夫と子供たちに対する愛情と、雷が怖い、そんなキュートなところ、更には宝塚よろしく、黒服の麗人になっちゃうおちゃめなところとか。弁天の、自らをかどわかした師匠なんて簡単に追い抜いちゃった、そのおそるべし天狗としての才気とか、でも、もののあわれとでも言うべきか、その心の繊細さとか、男どもを掌で転がしちゃうようなその触れた途端、美しさで凍っちゃうわ、みたいなクールビューティーっぷりとか。…それらが、あの声優陣によって演じられるんだと考えると…は、鼻血が止まりません…はぁはぁ…楽しみすぎる。死ねん。死んでも死ねん(どーん)。そしてまた、物語自体も本当に素敵。泣いた。『四畳半』でも感じたけれど、森見先生は、平凡な物語を非凡な物語に仕上げる天才と言うか、でも、独特のユーモアセンスで決して押し付けがましくなく、どこまでも楽しく、どこまでも切なく、どこまでも破天荒で、どこまでも阿呆で、どこまでもぬくぬくしている、そんなことをやってのける天才、と思いました。だからもう登場人物すべてが愛おしい。誰一人、きれいごとを言ってなくて、でも、私たちと同じようにいろんなものを抱えていて、でも、阿呆で、情けなくて、小さく弱い存在で、だから、本当に愛おしい。確かな息遣いを感じる。あぁ、長い。うん。そんなこんなで書きたいことは山ほどあるんですが。やっぱり、どこで泣いたかって話になれば、二男ですよ、二男!二男!ありったけの勇気を振り絞って四男ちゃんが助けを求めに来たシーンから、(ツンデレ海星ちゃん、最高にキュート!)叡山電車が疾走し、そして、父親の言葉を思い出し、その言葉を三男、四男ちゃんとともに唱和するシーンがもう鳥肌もの。二男の体内の、沸騰する阿呆の血と共に、こちらの中の阿呆の血も沸騰して叫びだしたくなるほどの興奮、歓喜!その後の、赤玉先生大活躍!教授の偏愛炸裂!弁天ちゃんお色気万歳!もう何が何だか大混乱!の物語を経て、四兄弟がお母さんと話すシーンでは、もう、もう…涙が止まりませんでした。はう…。あぁ、この家族、最高だ。けむくじゃらの深い、深い愛。もう、その愛に塗れて窒息したい…。そんなこんなで、『やる時はやる人』二男の活躍が、一番の楽しみ。しかし、長男の頑固さと真面目さとぼけっぷりと暴走っぷりと情けなさっぷりでご飯三杯はいけそうだ。三男の飄々さに癒され、四男ちゃんを拉致したくなりそう。弁天ちゃんの色気と、海星ちゃんのツンデレっぷりにやられ、お母さんの深い愛に泣きそう。金閣銀閣の四文字熟語乱舞に笑いそう。あかん。これは、本格的アニメが楽しみすぎる。

 

はい。と言うことで本日はここまででございます。

 

やはり、と言うか、悲しいことに非常にタイムリーな話としては先日、自殺されこの世を去られてしまった竹内結子さん。その竹内さんの代表作でもある『姫川玲子シリーズ』(と言う呼び方が正しいのかどうかはわからないのですか)を読んでいたのが懐かしいですな。

 

読書感想文にも書いていましたが、やっぱり竹内さんって、美人なんだけど、どこかやわらかく、そして親しみやすい雰囲気も兼ね備えておられて。でも毅然さ、芯の強さ、我の強さのようなものも同時に感じさせる、そんな女優さんだったように思います。

改めてにはなりますが、ご冥福をお祈りいたします。

 

あとは森見先生の『四畳半神話大系』と『有頂天家族』ですかね。

有頂天家族』は3部作らしく、果たしてそちらが刊行されるのはいつになるのか。

そして刊行された暁には、やはりそちらもアニメ化してもらわねば、とひとり、意気込んでいるのですが・・・それが実現するのは、もう少し先になるのかなぁ。

 

はい。

と言うわけで10月は31日があるので、お次に読書感想文を放出するのはその日ですね。

 

良かったね!

31日は休みじゃないよ!

4連勤第2弾の2日目だよ(ちーん)

 

ではでは。読んで下さりありがとうございました~。