tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

1が付く日なので~読書感想文大放出だよ!

ジャンプアニメフェス、どんな感じですか?

『忘却バッテリー』面白かったですか?

テレビアニメ化、されるんですか?

鬼滅の刃』、あのキャラクターのCVは発表されたんでしょうか・・・?

 

そんな諸々に一切、立ち会うことができない私は、きっと今頃、悶々とした思いを抱えつつ、仕事をしている事でしょう・・・世知辛し・・・。

 

と言うわけで、本日は読書感想文の日です。

早速、どうぞ。

 

初野晴『退出ゲーム』・・・初野さんと言えば、デビュー作手に取ったけどさ、どうにもこうにも読み切れなくてさ、結局さようならしちゃった人。あぁ、時を経ることそれからざっと十年!かぁーっ!やられた。ってか、面白かった!最高!ビバ!拍手!大好き!(どーん)。話題になっていたハルチカシリーズ、第一作!言ってやりたい、折木奉太郎に言ってやりたい!見よ!これがあるべき青春の形だと!これが正しい青春の形だと!(笑)。いやいや。古典部シリーズと比べるのは失礼な話ですが。古典部シリーズはシリーズで超絶面白いんですけど、こちらはもう、どストレートの青春もの、きらきら、眩しいくらいの、まっすぐすぎるくらいの青春もので、って言うか、古典部でもこのシリーズでも書こうとしている姿や思いはそう変わらないと思うんですけど、とにもかくにももう、おばちゃん、胸がときめいて、震えてたまりませんでしたよ!ずっこい!こんな高校生活を送りたかった!ずっこい!ずっこい!(あまりにも悔しいので二回言ってやったわ!)。そして、いわゆる日常の謎に絡められているのは、これまた胸がぐっ、と来るようなエピソードばっかり。誰かが誰かを想っている、その証としてのすれ違ってしまった優しさだったり、言えなかった言葉だっりで、もう涙腺ヤバス!ってか、ラストの作品『エレファント・ブレス』は泣いちゃったよ、あぁ、おばちゃん、泣いちゃったとも!はい。参考文献の多さからも裏付けられるように、豊富な知識をミステリらしい遊び心とまぶして作られた謎、明かされる真実はまさしく目から鱗もの。知らなかったことを知ることができる、という読書の楽しみも十分に満たしてくれていると思いました!そして、その物語がひとつ幕を閉じ、新たな物語が開くたびに、仲間が一人増える、この演出が憎いっ!素敵!そして何より、登場人物たちの個性豊かなこと!本当に、画面よろしく、ページ狭しと暴れまくる姿が、どのキャラをとっても愛おしい!神がかり的な推理力を見せるハルも、それ以外の場面ではちゃっかりボケキャラだし、草壁先生に恋する姿なんて本と、可愛すぎるし!物語の語り手、恋する乙女のチカちゃんは本当に素直で、まっすぐで、ハルとのボケツッコミコンビネーションも最高だし!可愛いし!草壁先生は、そりゃハルもチカちゃんも惚れちゃうよね、ってくらい素敵な先生だし!紆余曲折の末、吹奏楽部に入部した成田さん、マレン、後藤ちゃんも、それぞれが本当にいい子っ!語り始めたら切がないくらいにみんないい子っ!頑なさ、戸惑い、そして拒絶。各々のそれらが、物語を経て、解け、それぞれの心の中に受容されたのだろう証として、吹奏楽部に入部と言う演出がなされているわけで、やー、もうほんと、憎いっ!メイン、吹奏楽部の登場人物だけでもこんなにお腹いっぱい状態なのに、まだまだ出てくる、唯我独尊の生徒会長に、各部の部長、部員たちも、もうもうもうもうもうもうもう!贅沢すぎる!萩本兄弟なんて反則っ!(笑)。やー…本と。まさしく傑作。個性豊かな登場人物たちが織り成す青春物語。そして読書の醍醐味たっぷりな、知識と稚気によって仕掛けられた謎、知識がふんだんなミステリ小説。まさしく、どちらもの要素が奇跡的な塩梅で融合した小説!やー、あとシリーズが三作も残っていて、それら全てが手中にある、なんて、なんて贅沢なのかしら!ひゃっほう!てか、アニメ化してっ!(どーん)。

 

初野晴『初恋ソムリエ』・・・はいはいはいはいはいはいはいはい!(笑)。今作も泣かされました。何これ。もう、狙ってるよね?狙われてるよね?普通、こまでくるとあざといじゃないですか。あざといくらいですよ。それでも、そのあざとさを微塵も感じさせないのはやっぱり、登場人物たちの力でしょうね。ひたむき。まっすぐ。とにかく優しい。自分のことよりもまず、誰かのことを想っている。そのための、その思いを守り通すためなら、少々の無茶もなんのその。あぁ、そのひたむきさが胸を打つよ。そのまっすぐさが眩しいよ。その優しさが、若い彼らのことだからこそ不安になり、それでも、こんなやさしい人たちが傍にいたら、と思わずにはいられず、どうかどうか、彼にがいつまでもこのままでいて欲しい、と切に願うよ。草壁先生の言葉、この先の人生の方が長いのだから、と言うその言葉が、或いは、音楽が捨てきれずにしがみついているだけだと言った草壁先生の姿が、そんな彼らの姿を見つめ続けているからこそ、胸に、重く響きます。いつか、彼らにも変革を余儀なくされる時が来る。努力や、優しさや、思いだけでは超えれない壁が出現して、きっと彼らは、きっとそうだったのだろう草壁先生のように打ちのめされるのだろう。この、輝くような時間にも終わりが来て、別れを告げなくてはならないと気が、彼らにも必ずやって来る。でも、だからこそ、願わずにはいられないよ。草壁先生の元で、こんなにも楽しい時間を送っている優しいからだからこそ、どうか、その変革の時もまた優しいものであって欲しい、と。はい。そんなこんなで今作も笑わされ、そして泣かされた一作。一番、心に残ったのは『周波数は~』ですかね。麻生さん。立派。お見事。偉い。なんて行動力に溢れ、優しい人なんだろう。そしてまた、なんだかんだと言いつつも、『卒業したい』という彼女の意思を尊重し、不登校児たちの安息の地である地学研究部を認めているこの学校も立派。こんな学校、どんどん作れよ、なんだよ、この学校。素晴らしすぎるよ(涙)。そしてカイユ。この子も本当に優しい。それは、学校と言う社会から脱落してしまった彼だからこその優しさだったんだろうけれど。おまけ、老人たちの受け入れ先も難なく決まるって、もう…どんだけいい人だらけの話なのさ…。こうあって欲しい、と願う心が結実したような話。学校になじめなくても、支えてくれる、認めてくれる、力を貸してくれる大人がいれば、子供は、自分で自分の太陽を見つけることができるんだ。何だか、今の世だからなおのこと、胸に響く話でした。はい。『アスモデウスの視線』も、そういう意味では考えさせられる一作。人は、思いを捨てなければ必ず、やり直すことができるんだ。そんな陳腐すぎるメッセージが、だけど、先述したようにあざとくも嫌味でもないのは、やっぱり登場人物たちの力が大きいんだろうな。そして芹澤さんがらみの『スプリングラフィ』と『初恋ソムリエ』。自分の居場所を見つけようと、吹奏楽部に入ることは、チカちゃんたちに失礼だと思った…あぁ、芹澤さん。なんていい子なの。どんだけ真面目なの。なんでそんなに優しいの。もう、震えが止まらなかったよ、この言葉を聞いた時。ほんとに。でも、そうなんだろうな。吹奏楽って、本当にチームワーク、力の和が何よりも大切なんだろうな。だからこその、芹澤さんの言葉なんだろうな。偉いな、すごいな。 その芹澤さんの伯母さんの初恋の話も。全ての真相は明かされなかったけれど、それでも、伯母さんにつけられた名前『汚れていない星』、それが自らを『復讐者』と名乗った男の思いを思うと、胸が詰まるような。そこに、どれだけの思いが込められていたかと思うと、もう言葉も出てこないよ。うん。あぁ、本当に書き始めるとキリがない!とにもかくにも、今作もハルチカに笑わされ、チカちゃんのひたむきな思いに胸を熱くさせられ、ハルの導き出した真相に胸を震わされ、吹奏楽部をはじめとする個性豊かな登場人物たちに元気をもらい、草壁先生に恋をし(笑)、新たな知識を得ることもでき、そして、一人、また一人と着実に力をつけてきている吹奏楽部の行方に期待に胸が膨らみ、とますます今後の展開が楽しみ!さぁ、三作目、行くぞ!

 

初野晴『空想オルガン』・・・仮にも演劇部に所属していた身。大会、ありましたね。でも、真正面倒くさがりの私は、日常の中に紛れ込んできた非日常のあの日程が大嫌いだった。移動は多いし、色んな人はいるし、時間は融通が利かないし。うん。でも、今作で、チカちゃんたちのドキドキや、途方もないほどの緊張感を共有して、共有できるのもそれを曲がりなりにも体験してきたから。彼女らの非日常の気持ちが、僅かでも、だけで手に取るように感じられたのは、それを体験してきたからだと思うと、あの時の体験も経験も、決して無駄じゃなかったんだな、と思った。そんな具合で第三作。今作も優しさと感動のてんこ盛りで何度泣かされたことか。加えて、草壁先生と渡邊さんたち大人のかっこよかったこと。『胸を張れ。顔を上げろ。まだだ。諦めるな』。こんなことを言える大人が、諦めるな、はともかくとして、その前の部分を含めて、こんな言葉を口にできる大人がどれだけいることか。そして子供たちは、全力を尽くしても尽くしても微動だにしなかった壁を前に、倒れそうになった時、こんな言葉をかけられたなら、どれだけの力になることだろうか。どれだけ、再び起き上がろうかと言うその力になるだろうか。あぁ、つくづく、チカちゃんたちが羨ましい。あんなに素敵な仲間、戦友に恵まれ、そしてこんな言葉をかけてくれる大人たちに恵まれ。羨ましすぎる。はい。全四作。『ジュバウォックの』は、そんな具合でとにもかくにも草壁先生のあの一言に、胸が震え、涙があふれた一冊。鑑札に関しては、お母さん、メッセージにしてもちょっと手が込みすぎだよ、と突っ込みたくもなるけれど、でも、そう。いつか、少女が全てを理解した時に、きっときっと、このメッセージは少女の力になる。現実では、こんなに体よく、優しく物語が運び、終わるわけもなく、けれど、そこに登場する人物たちが抱えている感情、事情は私たちの世界と陸続きで、だからこそ、まるで優しい魔法を見せられているような、そんな物語。『ヴァナキュラー・モダニズム』。破壊力抜群!のハルのお姉さんに、そりゃ、草壁先生ような人にハルも惚れたくなるわな、と納得(笑)。てかチカちゃん。…腐女子としては、そりゃもう、草壁先生の所にお世話になるハルを見たかったよ、そりゃもう(どーん)。500円玉貯金が暴かれ、切り崩されていく光景言ったら、それもまた魔法を見ているかのようで。お祖父さんの『どうじゃ!見たか!』といたずらっ子のように笑う顔が、もう、ありありと想像できます。『十の秘密』。一番、好きな話。遠野さん、芹澤さんという、若くして才能に恵まれ、しかしそれ故に、過酷なほどの苦悩に晒されている二人を目にしてチカちゃんが『希望の見えない世界で、挫折を味わいながら生きていくことに、どんな貴さがあるというのだろう』っていう、その言葉が。もう、チカちゃんの若さ、優しさが全開の言葉で『そんなことないよ。挫折を経験しておくと、少々の挫折ではへこたれない『強い』人間になれるからねー』と歪んだ思いを抱く一方で、『本と、その通りだね』って思った。彼女たちの時間が、失敗も挫折も許されて、それでも希望があふれているのだとしたら、ふたりの時間は、あまりにも気の毒すぎる。でも、やっぱり、彼女たちのその時間もまた、人との出会いによって、貴いものに変わっていく、変えられていくものなんだろうな、とだけど、この物語を最後まで読んで思いました。『トーノが私たちに、新しい世界を教えてくれたんだ』のナナコの言葉。もう、この言葉では涙がぶあっ。ナナコちゃん、遠野さんにとっても、あなたたちは新しい世界を教えてくれた出会い、存在なんだよ。挫折があり、苦悩があり、紆余曲折があり、へこたれ倒れてしまっても、この年代にとって、ううん、ひょっとしたらすべての人の希望であると言うところは、『出会い』なのかもしれない。そんなことを、はちゃめちゃナナコに教えられた(笑)、胸の震えが止まらない一作でした。そして『空想オルガン』。一人称で語られる男の正体が実は、というミステリ的な仕掛けでもたらされる驚きと感動。時を経て、男が、男自身として口にした言葉と、亡き友人として口にした言葉。その重さや暗さに胸が詰まるような一方、やっぱり物語の軸は、チカちゃんたち吹奏楽部の晴れ舞台と、ほろ苦い結末、そして、最後に男が口にした言葉、そして芹澤さんの覚悟でしょう。たまらんね。もう、語り始めたらきりがないから語らない(笑)。ただもう、勝っても負けても泣いても笑っても飛んでもへこたれても成功しても失敗しても、どこまでもまっすぐで清々しい、この物語の登場人物が愛しくてたまらない。それだけで、もう、このシリーズを語るには十分だと思うよ。

 

井上夢人ラバー・ソウル』・・・と言うことで、ハルチカシリーズ、一休み。某サイトさんで紹介されていた本作を読んでみました。分厚いので不安だったんですけど、ビートルズの名曲タイトルごとに分かれていて、それが丁度読みやすいページ数だったので読み進めやすかったです。ありがたやー。そんなこんな。ちょうど悲しいかな、ストーカーによる殺人事件がニュースを賑わせていたので。その、鈴木誠の身勝手さやら、感情のぶっとび具合やら、絵里ちゃんに対する執着の粘っこさやらがもうとにかく気持ち悪くて、腹が立って、そこに加えられる絵里ちゃんの恐怖なんかがもう、お腹の辺りをきゅーっと握り絞られるような感じで伝わってきて。或いはなんていうのか、そのきっかけが、本人も全くそんなことを思わなかった、思えないような状況下のことで。なんていうのか、人生のやり直しのきかなさと言うか、取り返しがつかない、その悲劇やら、悔やんでも悔やみきれない悲しさとか悔しさとか、もう、それこそ身悶えするようなそれとかが伝わってきて。本と、許せない犯罪だよな、としみじみ思いつつ。さて、しかし物語は、ほとんど鈴木誠のストーカー日記、及び、それに憐れにも巻き込まれた人たちの恐怖、苦悩。ドン返しが待ち受けている、と聞いて読んだけれど、果たして本当にそんなものは待ち受けているのか、とちと不安になりつつ、終盤はそれにつられて引っ張られるように読んでいき…。成程ね。まさしく物語の中、それまで築かれていた風景、見えていた風景が一変。くるり、と大逆転ですよ。あー…鈴木誠の純愛物語、だったんですね。はい。なんかその、病気によって醜い容姿で生まれつき、実の両親にも愛されず、社会的交流もうまく築けなかった、心優しい青年の見つけた、ただ一つの生きていく、生きていこうと思えるような理由。そのためには、すべてを捧げることも厭わなかった…って言うのが、なんか、いかにもいかにもな感じがして、ちょっと鼻につく感じがしないでもなかったのですが。むしろ彼よりも、彼に人生を捧げてきた金山さんの献身っぷりの方が萌えたと言うか涙ぐましい気がしたのですが(笑)。そして絵里ちゃんのブチ切れっぷり(笑)。素敵。鈴木誠が、ただひとり、人生の中で愛した女性が彼女、と言うのが悲劇すぎて笑える(悪魔)。はい。引っ張って、引っ張って、引っ張って。ラストもラスト、最後の最後で、それまでのものをひっくり返す、その手腕はさすが。ミステリを読んでいない私だったならきっと、そりゃ驚嘆していたことでしょう!そんな具合で。相手が悪女とは言え、ただ一度の恋に身を焦がし、まさしく生を捧げた鈴木誠。或いは、金山さんの勘違いなのかもしれないけれど、それでも、ベランダから落下する瞬間に彼が見せたと言う笑顔が、まざまざと想像できるようで。まさしく、純愛ミステリ、ですな。

 

初野晴『千年ジュリエット』・・・最新作です。あれね。このシリーズを読むのがあまりに辛いような世の中ですよ、ほんとに。全国の中高生がこのシリーズに出てくるような子たちだったら、どれだけおばさん、困らないか(ちーん)。まっすぐ、まっすぐ、どこまでもまっすぐ。本当に、そのまっすぐさがちょっともう、読むのが辛くて、ちょっと読み終えるのが遅くなりました。はい。そんなこんな。四作目です。草壁先生の過去を知る?かっこよくも、やはり過酷な運命を背負った女性、そして家庭環境に悩むタクシードライバー、更に、大切な人たちを失ってきたひとりの『少年』。それぞれが懸命で、一生懸命で、更にはチカちゃんたち高校生たちの懸命で、一生懸命な姿が相まって、もう、どんだけ泣かしたいんだよ、と突っ込まざるを得ない状態(ちーん)。それでも、まったくこの作品がいやらしくなく、あざとくないのは、やっぱりそこに嘘がないからなんだろうなぁ、と思います。うん。スナフキン然り、タクシードライバーさん然り、そして『少年』と対峙した、ジュリエットの秘書の最後の一人然り。そしてチカちゃんたち然り、草壁先生然り。優しいだけの言葉を吐くわけでなく、時に辛辣で、でも、どうしようもない真実の言葉を吐く。だけど、最後の最後、その底辺には優しさがある。相手を思っている、その優しさがある。彼らは同等に、痛みや、苦悩を抱えていて、確かにその重さや大きさ、形は異なるけれど、でも、だからこそ、相手のそれに、対等に、真摯に向き合おうとしている。だから、嘘がない。嘘があったとしても、その嘘は、真摯な嘘であり、だからこそ、嫌味もなくてあざとくなくて、作品全体がいやらしくない。うん。本と、この作品に手でくるような人に出会いたい。私が言うな、って話ですが。はい。それからもう一つは、彼ら、彼女らは、どれだけのものを抱えていても、決して、諦めていない。自分たちの力で、行動で、自分たちの道を、どうにかしてでも拓こうとしている。或いは、少しでも、何とかしたいと願っていて、祈っていて、それを行動に移している。叶わなくても、力が届かなくても、打ちのめされても、頑張る。だからこそ、読者としても本当に共感しやすい。応援したくなる。うん。特にそのことを、その力を、たとえ叶わなくても、力が届かなくても、打ちのめされても、行動することに意味があり、意義があり、それこそが生きると言うことなんだ、って教えられたのが表題作『千年ジュリエット』ですね。ラスト、チカちゃんの言葉。『黒玉でもいいじゃない。火をつけなきゃ、色もつかないってものよ』。本と、その通りだね。結果が黒玉でも、火がつかなければ、色もつかない。火がつかなければ、結果も何もない。彼ら、彼女らの姿を見ていると、ひしひしとそう感じ、行動すること、の力強さをひしひしと感じさせられたのであります。なー、本と。はい。そんなこんなで、今作、最後に辛い、あまりにも辛い別れをたくさん経験し、そして、チカちゃんたちに出会った『少年』。彼の行く末が、気になるとともに、引退迫る三年生、そして芹澤さんの行方も気になる次作、期待して待っています!

 

坂東眞砂子狗神』・・・子猫殺しの作家さん。断崖絶壁から、子猫を突き落とす鬼のような作家さん(どーん)。そういうイメージなので、まぁ、なんてか、それだけでもなかったんですけど、まぁ、何となく読んでこなかったけれど、何となく手に取ってみました。はい。あー・・・なんか、上記のことがあった時、『じゃあ、飼い猫を去勢したらいいじゃないですか!』という批判に対して、『猫の生殖、自然の摂理、欲求を奪うことこそ、人間の勝手であり、残酷であり、かわいそうなこと』と言うようなことを答えてらっしゃったんですけど、なんか、その回答の肝と言うか、この作家さんの中の『生の営み』に対する考え方が、ちょっとわかったような気がします。はい。うん。はい。営みの結果、と言うのは、あくまで結果でしかないんだろうな。結果。重要なのは、重要視しなくてはいけないものは、そこに至るまでのプロセスであり、或いは作家として、一人の女性として、そこに向かう体だったり、意識だったりの構造こそに興味があるというか。うん。そんなことをひしひしと感じました。まぁ、でも、そんなことを抜きにしても楽しめる作品でしたけどね。と言うわけで放置しっばで、次の作品を読みました。どーん。そっちの方の感想を本腰で書きましょうと言う話。

 

坂東眞砂子『山妣』・・・直木賞受賞作です。成程。でも、現在絶版中。うーん。なんでですかね?そんな一冊。凄まじい話。壮絶な話。人間は、ここまでしても生きなければならない。それは、生きる価値があるとか、そういう意味での『ならなければならない』ではなく、死なない以上は、『生きるしかない』と言う意味での『生きなければならない』と言う意味。どんなに生きることが苦痛で、どんなに生きることが絶望的で、どんなに生きていることそのものが地獄でも、死なないのであれば、人は生きているしかない。死にたくないのであれば、人は生きているしかない。そういう意味での『生きなければならない』。それは、凄く絶望的で、それこそ地獄のような艱難辛苦で、とても残酷なこと。たくさんの登場人物の中で、それを具現していたのは、やっぱりいさでしょう。最後の最後、涼之助が見たいさの、母の姿。そこにこみ上げてきたのは、悲しみと切なさ。25年もの数月を、たった一人、山の中で過ごした、もはや人ではなくなった女の姿。けれど、重太郎への思いがあってこそ、それが契機での25年間は、それをここまで続けてきてしまったこと、それでここまで来てしまったことこそ、彼女が人であった、人である証なんじゃないだろうか、とも思うんですけど。でも、とにもかくにもそう。彼女が死ななかった、その理由が、ふゆにあったのか、重太郎への思いにあったのか、涼之助にあったのか、或いはなかったのか、それはわからない。けれど、彼女は死ななかった、死ねなかった。だから、凄まじい環境の中、生き抜いた。生き抜いてきた。生き続けるしかなかった。その壮絶たるや、想像してもしきれない。人の姿ならざるとしても、彼女が、涼之助をかくまい、ふゆをかくまった、そのことが奇跡としか思えない。それくらいの壮絶さだたっだろうに。或いは、その感情こそ、彼女が死ななかった、死ねなかった理由なのか。なー。言葉を失う。そうまでして生きる価値とか、そうまでして生きる意味とか、もうそういうなまっちょろい言葉を超越した、そこにあるのはただ、生きるしかないと言う、人間の根源的な悲しさ、切なさ、絶望。それが自然にあぶりだされていく作品、とでも言えばいいんでしょうかね。はい。あとは、琴ちゃん妙ちゃん。琴ちゃんは死ななければならなかったのかな…涙。盲目であるからこそ、ごぜであるからこそ、涼之助の愛撫に打ち震え、そしてそこに、一生の支えを見出そうとした彼女の思い。現世での阿弥陀様を、そこに見出した彼女の思い。悲しいなぁ。せめて、妙ちゃんには、平々凡々な生活を送って欲しいと思います。あと、雪の恐ろしさと言うのが…あぁ、またこの季節がやって来るのだよ(がくぶる)。わかるまいよ、雪を知らない人間には。この雪の恐ろしさが。雪に閉ざされていく、環境的にも、精神的にも、真っ白な闇に、真っ白な重力に、真っ白な圧力に閉ざされていく恐ろしさが。そういう意味では、この物語は、この舞台だったからこそ成立したのだとも思う。うん。雪は、現世。春は、人々が夢見る生活。雪が明けると、春はやって来る。ただ、現世は、現世である限り、現世は明けない。夢見た生活はどこまでも遠く、それでも人は、現世の中でもがき、喘ぎ、生き続けるしかない。ただひとり、諸悪の根源を作っておきながら、ってのは言いすぎか(笑)、すべてを吹っ切り、ふらり、と現世の舞台から飛び降りた神のように、自由を手に入れ、里へと降りていった涼之助の姿が、だからこそ、あまりにも鮮やかで。

 

五條瑛『プラチナ・ビーズ』・・・はじめてこの作品を読んだのが、今から十数年前。この本を手に取り、読んだ、そのお陰で北朝鮮に足を運ぶことができた。あれは一生の思い出で、だとすれば、この作品は、この本は、確実に私の人生に影響を与えた作品。もう少し、本当にもう少し、手に取った時期が早ければ、或いは、と言う思いもするんですが、まぁ、それは良い。この度、その十数年ぶりに新作連載が始まったと言うことで改めて、手に取ってみました。はい。結論、坂下になら抱かれてもいい(どーん)。はい。違うか。違うな。はい。十数年前。この作品を読んだ時。北朝鮮は、拉致のラの字も認めてはいなかった。今は亡き権力者が健在で、でも、記憶が確かならば、ひょっとしたらひょっとして、革命が起こるのではないか、と言うような萌芽を感じさせるような報道も、一部ではあった。アジア全体のことで言えば、韓国と日本の距離は今ほど近くはなく、中国はまだまだ今ほどの力を持ってはいなかった。そして大国アメリカは、まさくし大国の名に相応しい、世界のアメリカと言う呼び名をほしいままにしていた。日本は、どうだったかな。経済能力やら何やらは、弱っていたような気もするけれど、それでも、今ほど弱ってはいなかったような気がする。あれから、十数年の時が経ち、その間に、凄まじいまでの変化がこれらの国を巻き込んだ。日本は、ますます経済弱化に加速がかかり、それ以前、政治が政治として機能していないようなどうしようもない事態が続くような、嘆かわしい国になった。その代わりと言っては何だけど、韓国との距離は、民間文化のお陰でその距離が近くなり、けれど、それも最近では竹島領有権を巡ってちょっと怪しくなった。北朝鮮との距離は、時の首相によって大きく異なっており、けれど結局一歩も進んでいなければ、一歩も引いていない、という感じたろうか。中国は、日本以上の力を手にして、アジア大国になり、けれど、その力を使いこなせていないような気がする。アメリカは、9.11以降、『世界の大国アメリカ』の名を取り戻すのに必死で、その迷走ぶりが、時に『悪を征伐するために』と言う名目の元の『戦争』の原因にもなっていたりする。そして、北朝鮮。日本人拉致を一部認め、そして、国内革命の萌芽の成長を感じさせたこの国は、けれど、結局、何一つとして変っていない。権力者は変わったが、しかし、何も変わっていない。アラブ諸国の、北朝鮮と同じような独裁国家に国民による革命が起き、結果の良し悪しはともかく、『アラブの春』と呼ばれるような現象が起こったにもかかわらず。一体、これは何なのか。どういうことなのか。ここにこそ、北朝鮮と言う国の、或いは、そこで受け継がれてきた権力体制の根深さの凄まじさを感じる。すごくないか、これ。或いは、それこそ、サーシャの言葉通りなんじゃないだろうか。人は、空腹では、正常な思考を持つことはできない。腹が減っては戦が出来ぬ。腹が減っているのに、食うものに困窮しているのに、何が国か。何が平和か。自分の空腹が解決できていないのに、どうして、その原因であることに、ものに、意識が向かおうか。確かに、北朝鮮の外交姿勢には問題が多々ある。と言うか、問題だらけで、だから、食糧支援やら何やらには簡単に応じるべきではないのかもしれない。でも、佐山さんの言葉が響いた。北朝鮮による拉致には、そこに生きる国民は何一つ、関わってはいないだろう。国に生きるほとんどの人は、独裁国家の内部になど足を踏み入れられるはずもなく、そこで何が起こっているかなんて知らないだろう。あそこに生きる国民こそ、あの国による、あの国の政治による最大の被害者であり、だとしたら、『北朝鮮=悪=だから国民に対する食糧支援もしない』というスタンスは、そもそもが間違っているのかもしれない。サーシャの言葉通り、米の雪が、いつかの『北朝鮮の春』に繋がる一歩なのかもしれない。そして、飽食でありながら、食事の面だけでなく、精神的な面で飢餓に陥っているような日本こそ、少しずつ、少しずつ、腐敗が進んでいるのかもしれない。それを今、強く感じる。あぁ。はい。そんな具合で。面白かったよ。あの頃の国際情勢と、今の国際情勢を知る身だからこそ、様々な立ち位置にいる登場人物たちの言葉だったり態度が味わい深く、そして、たとえばエディの態度には、国際情勢の中に生きる人間が直面し、身に着けるべき残酷さを感じる。坂下の態度には、どうであれ、信念を持つ人間の強靭なふてぶてしさを感じる。洪の態度には、真に能力を持った人間の恐ろしさを感じる。そして葉山の態度には、或いは吾郎ちゃんの態度には、そしてまた田所さんの態度には、人が生きる上での迷いやら、悔しさやら、どうにもならないことに対するいたたまれなさやら、根無し草でしかない悲しみやら、だけど、優しさの触れ合いやら、自分の中に対する強い意志やら、人として、時代を経ても変わらない、変わって欲しくないものを感じて、いいな、と感じた。がんばれ、葉山。坂下がついてるぞ(笑)。はい。そんな具合で。十年の時を経て始まった新作連載は、『スリー・アゲーツ』の続編、という体で始まったらしいです。そうかぁ…本になるのはきっと五年後くらいですかね。…無事に生きている気がしねぇよ。と言うわけで。シリーズ作品の新作待ち、五年、十年待ちとか、本と、禁止!最近、昔読み本を再読するのが激熱です。はい。それもこれも、新作を出してくれないからっ!(笑)。

 

五條瑛『スリー・アゲーツ』・・・この前に京極堂シリーズを二作、猛烈な速さで読みました。感想、丸投げ(どーん)。はい。そんなこんなでシリーズ二作目。ここに出てくる石英が現在連載中の『パーフェクトクォーツ』のことらしいです。…読み返さなきゃ、絶対こんな名前忘れとったわ(ちーん)。女、なのかな。何となく、このシリーズ、男くさいことこの上ないから、ここらでバーッと、パーペキな絶世の美女、みたいなのが出てきたら面白いな、坂下はどうするんだろうな、とか思うんですけど、まぁ、そこはお楽しみに、と言うことで。てか、お楽しみに、って言ったって連載終わるのに何年かかる?それが書籍化されるのに何年かかる?…それまで私、生きていますか?それまで東海、東南海、南海地震は起きてませんか?…ちーん。はい。そんなこんなで今作。天然の世話焼き、坂下と天然のわがまま坊や、葉山。できてるでしょ?(ちーん)。文庫編のおまけ、ごちそうさまでした。…やや。本と、良いコンビです。全ては星条旗のために、の坂下と、何のためにがわからないがために、と葉山。そこに天然の世話焼きと天然のわがままが加わったら、そりゃ、うまくいくよな、と思いました。…できてるな、こりゃ(笑)。はい。まぁ、そんなバカネタはここらへんにしておいて。はい。今回は『家族』です。確か、初読した時は、号泣したよな。うん。今回はさすがに泣かなかったけれど、それでも、なんだろ。本と、『家族』と言う単語が、何か恐ろしいほどの迫力…じゃないけど、なんていうか、力をもってして伝わってきました。なんていうのかな。二つの家族を、何としてでも守り通そうとした家長であるチョン。その思いや、姿やらもさることながら、娘を命をもってして守り通した、夜叉のごとくの恫喝と立ち姿で娘を守り通した光朱さん。そして、彼女とは違って恵まれない境遇の中で、それでも、必死に勇気を育てるために、まさしく生活を送るために身を粉にしてきた春子さんの姿と言うのが。なんか。特に春子さんが。なんか、もう。すごいな、と。生きていくこと、人は、死なない限りは生きていかなくてはならなくて、その難しさ、厳しさたるや凄まじく、光朱さんは恵まれた境遇があって精神的な苦悩とかはあっただろうけど、でも、春子さんは本当に、もう、地を這うようにして、必死に、必死に生きてきて、勇気くんを立派に育ててきた。チョンを、夫を、父親を信じ、ま苦しくとも、厳しくとも、まっとうにまっとうに生きてきた。その力強さというか、その姿と言うのが、あぁ、すごいな、と。うん。いや、でも、本と、『家族』ですよ。なんか、もう、この単語には適切な言葉が浮かばないというかな。なんか、問答無用の力があるよな。ほんと。一つの集合体というか、そうなんだけど、それは、宇宙規模的な力、強大さ、大きさを感じさせる一方で、すごく生活に根差したつつましさや細やかさも感じさせるし。ねぇ。すごいね。だからこそ、今の日本ではその『家族』のなんていうか力のものが壊れつつあるような気がして、なんていうか。人間の立ち位置の根幹が揺らいでいて、いろいろ考えるところがあります。まぁ、良し悪し、なんでしょうけどね。はい。はい。そんな具合で、簡単に感動、なんて言葉では片づけられない感情を抱きつつ。葉山の奮闘にほくそえみ(笑)、エディのセクハラにほくそえみ(笑)。惜しむらくは、峰岸の暗躍がなぁ…。坂下との戦いなんか、呆気なさ過ぎた気がなぁ。勿体ないなぁ、と。坂下が嬉々として、全力の峰岸と闘う姿が見たかったなりよ…。はい。と、まぁ、そんなこんな。是非とも、一年、一か月、一日、一時間、一分、一秒でも早く、パーフェクトクォーツの完全版が読めますように、と願うしかない今日この頃でした。あいよー。

 

五條瑛『動物園で逢いましょう』・・・そんなこんなで今作。鉱物シリーズの短編。あれかな?五條先生が連載に向けてカンを取り戻すために書かれた感じなのかな?と思うような、ライトな作品でした。やっぱりこの作品は、長編でこそなんだなぁ、としんみり。てか、連載。エディと葉山パーツと洪と坂下パーツで分かれるらしいですね。…二冊、単行本で揃うまでに十年…そんな気がしました。生きている自信、毛頭ありません(ちーん)。そんなこんな。坂下と葉山、仲良いね。ほんと。そうかー。でも、こんなにも絶妙のコンビネーションなのに、その件の連載では別々なんですね。そうかー。成程ー。…それだけ?(笑)。やや。あとは、最後の作品にして強烈な印象を残してくれた…えーっと…ごめん、タイトル忘れちゃった。本が、もう手元にないし(汗)。洪ですよ。強烈なインパクト。利用された彼と、おんなじような性格をしているに違いない私としては、もう、なんか笑えない(汗)。まぁ、騙されていること、利用されていることを知らないままなら、それでいいんだけどね。でも、洪が何も言わずに去ってしまったら…きっとまた彼は、閉じこもってしまうんだろうなぁ。うー…でも、何か言われて去られるよりは、何も言われない方がマシか。マシだよな、きっと。うん。まぁ、洪よ。できれば、後傷残らないように手を切ってあげてください、としか言いようがない(笑)。そんな具合。人も、動物園の動物も、檻に閉じ込められているという点では変わりがない、か。そこから逃れようと言う意思を持ちこそすれ、それが叶うか否かは、或いはそもそも、その意思すら本物なのか偽物なのか。人間はそこに思い悩むのかもしれなくて、動物は、きっと動物園の動物は、そういうことを飲み込んで、諦めきってしまっているんだろうなぁ、と思う。思い悩みっぱなしの葉山が、さてはて、どのような結論を手にするのか。或いは、むりくり、それを与えられるのか。はたまた、何も手にすることが叶わないのか。とにもかくにも、そういうところを含めて、さぁ、このシリーズ、読むものはなくなっちゃいましたよ(笑)。まぁ…ほんと、無事、生きていられたら、生かされていたら、是非、『パーフェクトクォーツ』でお会いしましょう。

 

高野史緒カラマーゾフの妹』・・・乱歩賞受賞作。久しぶりに手に取ったなぁ。タイトルと言い、帯の『重要な点を見逃していた。極めて重要な点を』と言うような煽り文句といい、勝手に、『そうか。きっとカラマーゾフ家には妹がいて、その妹が事件の鍵を握っているんだな!』と思い込んでいたんですが。お、おぅ…全く違ったぜ。びっくりしたぜ。はは。はい。いやー…誰が誰だか。手元にメモを置いてなければそれすら把握しきれなかったよ、恐ろしやロシア文学!はい。あれ。でも、もう作家さんとして活躍されているんですよね?だからでしょうか、文章は巧かった。作家さん相手にそれを言うなよ、って感じですけど、何よりも重要なことがこれで、もう、それだけですらすら読み進めていけました。重厚難解なロシア文学の香り、空気がとてもよく伝わってきてたなぁ、と。ただ、一方で物語の方は、その作家さんとしての力量が邪魔しちゃってたような気が。なんて言うのか、冒険心を削いじゃってたような気がしてですね、うん。『カラマーゾフの兄弟』という一大古典傑作を土台にして、さて、しかしそこで繰り広げられていたのは、やっぱり、その土台作で描かれていたであろう(いや、読んでいないから、まったくの推測ですけどね。ほんと、まったくの推測ですけど)家族の葛藤や、人間の欲や苦悩、そして神とは何ぞや、我々とは何ぞや、罪とは何ぞや、奇跡とは何ぞや、みたいなもので。…先述したように、土台作では登場していなかった妹が登場して、事件のとんでもない一面を見せてくれるのかな、と期待していた私としては。決して面白くないことはなかったけれど、なんか、ちと寂しいな、と言う気もした次第です。はい。死を通して人間への愛に芽生えたアレクセイの人間性、多重人格に苦しみ、アレクセイの告白に打ちのめされたイワン。すべては神が許した出来事であり、そこには奇跡もなにもない、と言った皮肉のような言葉。時代の権力に抗おうとし散っていった女たち、男たち、そして、四肢の自由を奪われながらも、生き、そして死んでいったアレクセイ…と。…うん、なんか、もう、ベテラン作家さんの書きそうな、と言うか、なんか、ほんと、ベテラン作家さんだよね、みたいな。はい。土台をアレンジする、という冒険心が、この結末ではもったいないよなぁ、とちと思った次第です。が、でも、まぁ、こういうわけのわからなさ、考えなくても済むようなことを考えてうじうじ悩み自爆するような登場人物やらが嫌いでないので、どーん、と難しくごちゃごちゃと楽しめました。次回は、この文章力で是非とも、大冒険をしていただきたいなぁ。

 

市井豊『聴き屋の芸術学部祭』・・・『横槍ワイン』の人です。くぅ…こういう時、手元に過去の本がないと言うのが悔しい…くっ。はい。そんなこんな。あぁ…『横槍ワイン』には川瀬は出ていたのかしら…柏木といちゃいちゃしていたのかしら…と梅ちゃんよろしく、妄想が膨らむくらいにキャラクターの魅力がたまりませんでした。いいなぁ、柏木君のまったり具合が作品全体にも漂っていて。殺人事件も起こるんですけど、殺された人が気の毒なくらいに悲壮感がさほどなく(苦笑)。まったり、ゆったり、ユーモア溢れる感じでなんかもう、私も楽しい大学生活を送っているような気になりました。いいなぁ、こんな大学生活を送ってみたかった!(どーん)。謎解きも、そういう雰囲気を壊さないように、けれど、ミステリらしく推理を重ねていって読みごたえもありつつ。そうだなぁ。どの話も好きだなぁ。表題作は、とにかくネガティブ先輩に笑いが止まらず(笑)。『からくりツィスカ』は、もう、作中作の出来すら素晴らしく、そこに秘められていた仕掛けにも成程なぁ、と。巧いなぁ。『濡れ衣トワイライト』は、黒猫×柏木くんに萌えました(どーん)。いいですね。まったりした舞台に、授業をさぼったまったり時間。ゆる~く、ほっこりした時間の幸福さがひしひしと伝わってきましたよ。でもやっぱりこの作品がいろんな意味で好きか(笑)の『泥棒たちの挽歌』。…梅ちゃん、仲良くなれそうだよ!(笑)。てかてか、柏木×川瀬なのかな?それとも、川瀬×柏木なのかな?うきうきるんるん(笑)。そしてまさか、推理推理が重ねられた末の結末も、そのネタを引きずっていたとは!ちと驚き。なんかでも、そういうオチを持ってこられてね。さほど違和感がないのも、この作品、作風の魅力だろうなぁ、と思う。うん。いや、本と、川瀬よ(笑)。もう、好き。何、こいつ(笑)。可愛いのね。溢れんばかりのエロスなのね。遊女で電車に乗っちゃうのね。ラブ。その溢れんばかりの自信とエロスに乾杯!(どーん)。そりゃあ、もう、梅ちゃんじゃなくても、そんな川瀬と、まったりしていつつ締める所は締める柏木がつるんでいたら、そりゃ、もう、鼻血止まらんわな、と(笑)。…だね。柏木×川瀬がおいしいかもね(笑)。また、スカイエマさんのイラストも、ほんと、いい感じ。柏木の聴き屋っぷりや、川瀬の可愛さと天狗っぷりや、先輩のネガティブっぷりがもう、ほんと、おしゃれに描かれていて素敵。そんな具合で。ただこのふたり、本と、死体遭遇率高いなぁ(笑)。というわけで、なんだかとってもつまらなく、かつ、小さな謎を、この二人が仲良くぐだぐだと語りつつ、解決しつつ、その様を梅ちゃんが鼻血出しながら見つめている、と言うのがいいなぁ(笑)。シリーズ続く、と言うことなので、是非、次作も読みたい作品です!

 

初野晴カマラとアマラの丘』・・・ハルチカシリーズを読むまでの、初野先生のイメージはこの作品に近かったです。ちょっと冷え冷えとした、美しく、どこかファンタジックな匂いすら感じさせるような世界観。でも、そこに描かれている物語はこれでもかと言うくらいに人間のどろりとした部分を描いていて、救いようがなくて、でもだからこそ、パンドラの箱よろしく。最後の最後に残されていた希望が美しく、温かく、読み手の心を震わせる。と言うことで、ハルチカシリーズ以外の初野先生の作品としては、デビュー作以来、ってかデビュー作、最後まで読んでないんだけどね、てへへ(死)。やぁ、やぁ。ほんと。今年、本で泣かされたのは全てがハルチカシリーズで、本作でも泣かされたので、要するに初野先生の作品に泣かされた、と言えるかと思います。てか…この本を読んで、多少なりとも涙腺を揺るがされない人は、すいません、私が言うのもなんですけど、人として信頼できないような気がする。うん。まずは表題作。ゴールデンレトリーバーのイメージに隠された、身勝手な人間のあまりに鬼畜な所業や、動物たちの意外な生態や、息が詰まるような森野くんの手厳しい言葉。それらとは裏腹、ファンタジックで、浮世離れした静寂、美しい舞台に、本当に肌身で、この物語を感じ、そして、仕掛けが炸裂したところで、やられた!と。びっくりした。すいません。勝手に、ミステリじゃないんだろうな、と思っていただけに、全作品、ミステリとしての仕掛けも十分で、もう、なんてか、ずるい(ちーん)。続く作品も、そういう意味では語り手自体が仕掛けだった、と後から気が付いた時には、くはぁ…と悶絶。種として生き残ることを絶対とするために、他の命を、命とも感じなくった人間。その人間に対し、最後の最後、生を与えるためだけに生まれさせられ、生きさせられ、無残な姿に変えられ、そして勝手に安らかな死を与えられようとした『ビッグフット』の復讐。隠そうとしても隠し切れなかった『わたし』の涙が、そこに込められた切実な祈りが、願いが、人間だって抱くその祈りが、願いが、感情が、せめて聞き届けられることを切に祈るよ。この物語は、特別じゃない。多くの動物が、今も、人間と言う命のために、命を持続させるためだけに生まれ、生き、殺されて死ぬ。私たちはもっともっとそのことを肝に銘じるべきなんじゃないだろうか。三作目もこれまたミステリ色が強く、そして明かされた真相にいちばん度肝を抜かれました。人間とインコの心中。でも、そういうことだってあるのかもしれない。それを嘘だと思いたいのは、それを馬鹿げたことだと思いたいのは、そのことに想像力も知恵も及ばないことを認めたくない人間の愚かさなんだろうな。人間と動物が、心を通じ合わせることができると言うのならば、この物語は何の不思議もない物語なのにな。人間だった仁紀くんは、いつの間にか、ペット扱いされていた。ペットだったリエルは、いつの間にか、人間の心を手に入れていた。四作目。勇敢な戦士たちをヴァルハラへと導く女神。その名が与えられた丘に花葬されたクマネズミたちの思い。胸がえぐられるような思いだった。そしてそんなクマネズミたちを、自らの行為の罪滅ぼしのように、すべてを失う覚悟で、森野君の元へと送っていったもりじいの思いにも。鷲村さんの本音の醜さと、だけど、人間としては当然のようなその醜さと、バカとしか言いようがない若者たちの愚かさと残酷さと、もりじいの思いと。それらの対比があまりにも鮮明で、けれど、最後の最後、鷲村さんがほんの少しだけ、そのもりじいの思いに感化されたようだったのがせめてもの、この物語の救いのようでもあり。そして最終作。深く、深く、沁み込むような、壮大な話。憎すぎる仕掛けに、鳥肌ぶぁっ、涙ぶあっ、ですよ。やられたよ。命に責任を持つこと。その言葉の意味の行為。人間とペット、動物の関係。命とは何か。星の審判と名付けられたこの物語が教えてくれたすべてのこと、森野君の言葉すべてに胸を突かれたような、息が詰まるような思いを抱いたのは、それだけ、私が、この物語の人間たちと同じように、動物を差別し、時に蔑ろに扱い、或いは可愛いものだけを可愛がりそれに満足し、命の環の中の一員であることを、そして動物もまたそうであることを忘れているからなんだろうな。うん。折しも今朝の新聞に、アフリカの密漁の話が載っていた。生きるために、人口の爆発的増加に伴って、かの地ではゴリラやサル、象までが狩りの対象となり、食されていると言う現実。生きるために殺す。しかし生きているのは動物も同じこと。同じように、私たちと同じように感情がある彼ら、彼女らは、あまりに横暴に狩られ、食され、自らが生きてきた生態系の形が大きく削られ狂わされることに何を思うだろうか。良い悪いの話じゃないことは百も承知で、だからこそ、命が命を狩り、当然のようにして一方が一方の命を食す。或いは、命を時に虐げ、気まぐれに扱う、そういった現状に思いを馳せるべきじゃないだろうか。

 

横山秀夫『64』・・・『これを書かずに死ねるか』ですよ。じゃあ、『これを読まずに死ねるか』と言うことで、買っちゃいました。七年ぶりの新刊だそうです。お体の具合はもうよろしいのかな?何はともあれ、祝、復活!横山秀夫!ですな。はい。そんなこんなで今作の感想。やぁ…濃かったね。あれほどのページ数にもかかわらず、ぐいぐいと読ませる力があって、しかも中だるみがなかった。短い日数の話なのに、なんか、もう、途方もない日数続いたような三上さんの戦いを読んでいたような。マスコミと警察、広報の正しい在り方。匿名報道の問題点。刑事部と警務部の対立。警察の隠蔽体質。地元警察の地元有力者との癒着。『本件は平成に非ず』たった七日間だけだった昭和64年に起きた『64事件』。突然、降って湧いて出た警察庁長官の真意。それを実現させようと奔走する者。逆に、それを阻止しようと謀反を翻す者。家族、己のプライド、様々なものに縛られ、身動きができないもの、地位を失ったものの、言葉少なに語られるジレンマ、悲しみ。ひとつの事件、事故が狂わせる、人生の底のない悲しみ、絶望、空しさ。そして、しかし何はともあれ、あぁ、三上さん、良かったよ、とほっと息つくような展開にほっこりした途端に待ち受けていた、怒涛の展開。そして『64事件』の結末。そこに込められていた一人の刑事と、一人の遺族の悲しきまでの、凄まじい執念と、人間同士の、魂のぶつかり合い。なぁ、本と。昨今、警察の不手際が目立つだけに、どうにも、それによって事件が起きているような事例が相次いでいるだけに、この結末は、胸に来ました。そうだ。確かにやったことは許されないだろう。でも私は、警察と言う機関に関わる人にはすべて、松岡さんのような清濁呑み合わせるような大きさと、三上さんのような悩み抜くしかない力強さと、そして何よりも、幸田さんのような人間らしいものさしを持っていてほしいと思う。うん。ということで。何から書けばいいのかね。三上さん。すんません。怒られそうだけど、その、現職場に流れ着いた時の絶望やら、でもきっと、と刑事部への復帰を諦めきれない気持ちやら、だからこそ、広報部を変えてやろうと意気込んでいた気持ちやら、けれどそれももう限界に近いような気持ちやら、だけど、あゆみちゃんの存在が足かせになっていて、それを認めまいとする忸怩たる気持ちやらが、ちょっとだけわかりました。もう、だから、ありとあらゆる軋轢に晒され、堪忍袋の緒が切れるような事実に直面し、それでもなお休むことが許されない三上さんの姿には、こっちが胃が痛くなるような、でしたよ。でも、きっと、この三上さんの姿と言うのは、すべての『組織』で立ち回っている人に当てはまるんだろうな。そう思う。でも、『組織』に属する人間が、『組織』に属していながらも、属しているからこそ、人として何ができるのか、何をなすべきなのか。最終的に描かれていたのは、そこだと思う。正しいものは、信ずるべきものはどこにあるか。それは、『組織』の中で生きていたからこその、己の胸の中にのみ、ですよ。いやー、かっこよかった。

 

道尾秀介『ノエル』・・・おっと、何気およそ一か月、放置プレイでした。あはは。はい。久しぶりの道尾先生作品。自分が幼かった頃、お店とかで働いていた大人の人を思い出しました。それから、年齢だけ大人になった自分の姿を、小さな子供はどんなふうに見ているんだろう。そして、大きくなった時、私と同じように、私のことをちらりと思ったりするんだろうか、と思いました。何にも残せない。何も残せない。ならば、生まれてきた意味は、生きてきた意味はあるのだろうかと言う与沢さん苦しいくらい切実な思いに対する私の答えは、きっと、こういうことなのだと思います。人と触れ合って、関わって、きっと多分、すれ違ってでも生きていく限り、多分、何も残せない、と言うことはないのだと思う。うん。それはきっと目には見えないものだし、本当にささやかなものだろうし、場合によっちゃそれが無かった方が良かったと言うこともあるだろうし、なんていうか、生きていく糧とするにはあまりにもありふれていて、小さすぎていて、満足感には程遠いものなのかもしれないけれど、でも、そういうものなのだと思う。与沢さんの生きている、日常のそのひとつひとつがすごく瑞々しく描かれていて、あぁ、見方を、意識をちょっと変えるだけで、こんなにも鮮やかになるのだと、何だか身が清められるような思いでした。それと共に、その、何でもない日常、そこに潜んでいる鮮やかな小さな幸せに対する愛おしさのようなものもひしひしと感じられて、それら全てが、道尾先生の、与沢さんの思いに対する答えなんだろうな。うん。あと、もうひとつ。物語。人は、どうして物語を紡ごうとするのか。そしてそれが、どんな力をその人にもたらし、そしてその人と関わった人にどんな影響をもたらすのか。繊細な、息を潜めるような行為が、やがて大きな力となって人を支える、人を護る。それをしみじみと感じさせられました。うん。物語を紡いでいた時の私は、どんなだっただろう。今の私とは、何が、どこが違っていただろう。どうして私は、物語を紡がなくても平気なようになったんだろう。何かを得たから?何かを失くしたから?それでも、何か、胸の奥底に燻るようなものがあるのは、何故なんだろう?とか何とか。ミステリとしての仕掛けもありつつ、道尾先生らしいダークな展開にひやりとしつつ、しかしそれもまた騙しで(笑)、人の生活と物語の力を描いた、やさしいやさしい作品でした。クリスマスプレゼントとしても素敵だなぁ、と。

 

はい。そしてこれで2012年度の読書感想文放出終了でございます!

次回からは2013年度に突入ですね。

 

この回は、とにかく読んだ作家さんが偏っているわけですが、その中でもやはり初野晴さんの『ハルチカ』シリーズにはまったのは、結構、鮮明に覚えているなぁ。

そして私の念願かなって『ハルチカ』シリーズは、何年だったかは忘れてしまったけれど、アニメ化されましたね。はい。

まぁ、アニメ化の感想としてはですね。

キャラデザを見た時点で『これじゃない』感が凄くて、悪い意味でドキドキしたのですが、個人的には、その悪い意味でのドキドキが的中してしまった作品だったように思います。はい。

 

 

なんだろ・・・こー、物語としては決して、派手さがあるわけではない作品なのです。

なのでもしかしたら、なまにくATKさんのキャラ原案で、こー、キャラクターとしてのアニメ映え、キラキラ感のようなものを狙う、と言う意図があったのかもしれないしなかったのかもしれないしこれはあくまで私の推測なのですが(汗)

 

個人的には、旧の文庫版の、丹地陽子さんの、地に足ついた可愛らしさがあるイラストか、進化版の文庫の、山中ヒコさんの、繊細さを感じさせる落ち着いたイラスト、どちらかをそのまま、採用して欲しかった、と今でも思います。はい。

 

いや、なまにくATKさん原案のキャラデザも、これはこれで可愛いとは思うのですが。

なまにくATKさんのイラストも好きなのですが。

でもやっぱりこの作品には、ちよっと違うかな、と言う気は拭いきれない。

 

はい。

 

まぁ、アニメとしては放送が終わった作品のことを、あれやこれやと述べても、今更、どうしようもあるめぇ・・・。

 

あと市井豊さんの『聴き屋』シリーズも、個人的にはめちゃめちゃ好きで、続編を楽しみにしているのですが・・・。

ツイッターが、今年の元旦から更新されていないのはどう言うことなのか・・・。

市井さんとミステリーズ新人賞を争ったのが『叫びと祈り』の梓崎優さんで、何と言うか、どちらもここのところ、新刊も発表されていないのが、ちょっと残念と言うか不安と言うか・・・ぐぬぬぬぬ。

 

と言うわけで、次回からは2013年の読書感想文を放出してまいります。

今度は21日ですか。

よろしければ引き続き、お付き合い下さいませませ~。

 

ではでは。読んで下さりありがとうございました!