tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

休みだけど~読書感想文放出の日

今日はお休みだよ!でも1が付く日だから、読書感想文を大放出する日だよ!

 

はい。ってな具合で引き続き2012年ですか。

2012年の読書感想文の続きでございます。

 

ではでは、さっそく、スタートでございます!

 

樋口有介『ぼくと、ぼくらの夏休み』・・・タイトルさえ確かかどうか…取りに行くのすら面倒くさいと言う体たらく。読み始めは面白かったです。ページまるまるセリフだけとかあったんですけど、テンポよく、さほど苦労もしなかった。ざく、ざく、と読めていけて面白かったんですけど。…途中から失速。なんでしょ?主人公君とか、麻子ちゃんとか、その他諸々のキャラクターすべてが鼻についてきたとでも言いますか。時代が時代なんでね。もう十数年前の作品だからなぁ。表紙の主人公君、シャツをズボンの中に入れてたもんなぁ。きっかり、ベルトしてたもんなぁ。もうそういう時代のお話なので共感できないのは仕方ないのかもしれませんが。それにしても。何か。あの自意識過剰っぷりは嫌いではないけど、なーんか、鼻につく。誰一人として可愛げがないと言うか。タバコとかビールとかなんか、これ見よがしにやってるのが痛々しいと言うか。いや、まぁ、その大人ぶりたい感じはわからなくもないけど…この作者さんが描くと、本と、鼻につくと言うか。…『ピース』を思い出すなぁ…。そうだ、なんか全体的にすごく作り物めいていて、特に登場人物たちに血が通ってない気がする、この人の作品って。いや、二作しか読んでないけどさ。うん。唯一、血が通っていた登場人物が、年相応の幼さと寂しさから愛なんてものを信じようとして殺された被害者と、とんでもな悪玉だった美人な先生かな。特に先生の動機なんて笑うしかなかった。すべてを絶たれた女の、やり直しのきかない感じが出ていて、どこまで行っても暗い感情しかない女の情念みたいなのが出ていて。最後の最後まで言い分を貫いてほしい。はい。そんなこんなで。時代だもんな。それを言い訳にするのはなんか癪なんですけど。要するに、この作家さんは私には合わないんだと思う。言い切った。どーん(逃亡)。

 

大沢在昌新宿鮫 炎蛹』・・・調子さくさく五作目。レビューで『地味』と言う言葉が目立っていたけれど、個人的には面白いんじゃないか、と言う予感があり結果、見事予感は的中。面白かった!毒猿に続いて位に、個人的には面白く、読み応えもたっぷりでした。まず、前作に比べると事件の概要が非常にわかりやすかった!娼婦殺し、イランと中国人グループの抗争、連続放火事件、そして炎蛹追い、どれもが非常に簡潔で、前作みたいに複雑に組織と組織が絡み合っている、と言うこともなくわかりやすく、すいすい読み進めていけました。それ故に、ラストの駆け足具合や、全体的な薄さ、物語としての焦点がちょっとぼやけちゃってるなぁ、と言う気は拭えなかったのですが、まぁ、でも、読みごたえあり、ミステリ的な面白さあり、大満足でした。それからなんと言っても鮫と組む甲屋さんと吾妻さん!どっちも甲乙つけがたいほどに魅力的な人物だったから、鮫との掛け合いが楽しくて楽しくて、そしてまた互いの、仕事に賭ける熱い思いがかっこよくてかっこよくて。特に甲さんは、その職業からして馴染みがない、小説に登場することもないような人だったのですごく興味深かった。てか、この炎蛹って設定もすごい。よく思いついたなぁ、と感心しきりでした。甲さん。最後、死んじゃうのかとはらはらしたけれどあぁ、助かってよかった、よかった。鮫と心を通わせ、熱血漢で、どこかどんくさく、けれど、鮫と同じように自らの仕事に誇りと熱意と、何よりもその仕事が好きだと言う気持ちを持っているおじさん。かっこいいよ!そして登場人物でいえば、敵役の村上も、その存在が掴めずじまいだったからこそ、鮫をうまく欺き通したからこそ、妙にかっこよさの残る登場人物だったなぁ。今回出てきた人は皆、また登場してきて欲しいな。うむ。そして今回も鮫がかっこよかったこと。外国人であろうと、日本人であろうと、望むべくは罪、その存在のみ。だからこそ、鮫にとっては守る対象もまた日本人であろうと、外国人であろうと関係はない。いいね。本と、鮫のような、或いは桃井さんのような、我妻さんのような、甲さんのような職業意識を持った『公務員』さんが、どんどん増えて欲しいと切に思う。そんなこんなで、炎蛹という発想の奇抜さに驚き、ミステリ要素にドキドキ、キャラクターの面白さあり、女装する放火魔という意外性あり、そしてまた日本人と外国人、その犯罪の要因、違いなんかの社会的な問題についても考えさせられることあり。けれど、シリーズ随一の読みやすさと分かりやすさだと思う一冊でございました。面白かったです!

 

大沢在昌新宿鮫 炎舞』・・・面白かったよ!と言うか、いい意味でライトだった前作に比べてヘヴィ、ヘヴィ。濃厚なことこの上なく公安だの、学生運動だのの単語に弱い私としてはもうくらくら。しかもおまけそこに香田さんだったり立花さんだったりえみりだったり、実に魅力的な登場人物たちが様々な意志をもってして鮫と絡んでいくもんだからもう痺れっぱなし。いやぁ、猿に続いてお気に入りの作品かもしれない。はい。そんな具合で、直線。真っ暗闇の中をただ進んでいく一本の線。孤独な、誰とも交わることのない直線。その描写があまりにも美しくし、その孤独な姿があまりにも美しく気高く悲しくて胸が震えました。鮫とえみりさん。ふたりが、ほとんど魂で結ばれあったようなシーンの美しさと言ったら。同志。なんか、本と。でも、鮫はえみりと自分は同志だっと言ったけれど、私も最初はそう思ったんですけど。そこには誰も付け入ることなんてできないって思ったんですけど。でも、ラストの晶、自分の気持ちは自分が一番わかっている、と言い残して、それ以上何も言わす、ただ合鍵を手に鮫の元を去った彼女の姿に、やっぱり彼女もまた孤独であり、彼女だけじゃない、この物語に出てきた人すべて本質的には孤独であって、皆そうなんじゃないだろうか、暗闇の中をただひた進むしかない一本の直線でしかないんじゃないだろうか、と思いました。晶、あんまり好きじゃなかったんだけどなぁ。ラストのあの言動には痺れた。えみりさんといい、晶といい、鮫の周りの女性は潔いな。見てて気持ちいい。はい。それから香田さん。いいなぁ、この、鮫に対する屈折しきった思いやら、自分の中に渦巻いているだろう葛藤とか。心中察するにお疲れ様、と言いたくなるようなツンデレ。でもかっこよかったよ。多分、仕事に対する想いとかは鮫とさほど違いはないんだろうと思う。ただ、その手段が鮫とは大きく違うんだろうだけで。目の上のたんこぶでありながら、同時、そこまで意識してしまう自分に、実は何よりも誰よりも苛立ちを覚えている。そこにはやっぱりキャリアならではの苦悩もあるんだろうなぁ。でも、かっこいいよ。味のあるキャラクター、人間臭いキャラだと思う。これからのツンデレっぷりも期待してますよ。はい。それから立花さん。表舞台に立つことはなく、まさしく暗躍と言う言葉がぴったりだった彼。すごいよなぁ。その暗躍っぷりが。思い返してみると本当に、ただ京山さんのためだけに、人を人とも思わず、血を被ることも厭わず、冷徹に、正確にことを成していく姿。それが派手派手しくなかったからこそぞっとすると言うか、だけどこの人の場合、また外見描写からして、そういう片鱗を感じさせないからこそより怖く、なんか凄みを感じさせるというか。うん。この人が、この人が、ここまで京山さんに盲信する、その理由は何なんだろうか。その理由すら、あまりないのだとしたら、この人こそ京山さんが作り上げた、公安という機関が作り上げた機械だと思う。うん。でも、実にいい暗躍っぷり。死んでしまったのが惜しいな。はい。そんなこんなで、小説の世界とは言えただひとつ、個人の野望のためだけにこれだけの人が殺され、そしてそれをこれだけの手間をかけて隠し通そうとする人間がいて、ということに滑稽さと戦慄を覚えざるを得ないし、だからこそ、それを全身全霊で止めようとする鮫の姿はかっこいいし、何より物語全体が面白くてたまらない。いやぁ、まいった。氷舞。美しくも儚い氷。ふわり、と血の空に舞った後に残されたのは、微かな痛み。その冷たさが残したかのような、微かな痛み。誰をも寄せ付けず、果ての果てまでたどり着いた末に、その痛みだけを手に入れた鮫。そして晶。或いは鮫と香田さん。今後の展開も実に楽しみだなぁ。

 

我孫子武丸『8の殺人』・・・じ、じゃあ一応、タイトルだけ残し書きしておきます!

 

有栖川有栖『高原のフーダニット』・・・十二年ですか、このシリーズ。作者ご自身曰く、使いべりがしないとのことで。わかるなぁ。このシリーズを読み始めたのが高校二、三年の頃でしたか。それからざっと十年が経っているわけでその間、まぁ、ばらつきこそあれコンスタントに作品が出続けている、その当たり前のようなことが、だけど冷静に考えてみるとすごいことで、改めて使いべりしない、いう作者さんの言葉の意味をかみしめるとともに、そうは言ってもアイディアが浮かんでこなければ元も子もないわけで、その辺りの作者さんの稚気と言うか、遊び心と言うか、或いは本格ミステリへの愛情と言うか、そう言ったものにも敬意を感じた一冊でした。はいよ。火村先生が相変わらずかっこよかった。てか、なに。高校生の頃から変わらないそのかっこよさってば。辛うじて、まだ年上なのがありがたい。キャメルになりたい。それが無理ならボロベンツになりたい。火村先生の足になりたい(ちーん)。てか一番はアリスになりたい。ずっこいぞ、おまえ。はい。全三作。一作目は淡路島の空気のようなものが感じられて、ちょっとした旅行気分も味わえました。序盤のミステリ談義が思わぬ伏線になっていたことにはびっくり。突拍子も、現実味もない、ふざけたトリックと言えばそれまでなのかもしれないけど、それすらも笑って受け入れてしまえるのは私のこのシリーズへの愛ゆえ、なのでしょうかね。でも、そりゃもう、十分に驚かされましたよ。あと『問われていないことは言及せず、しかし問われたことには真実を答えていたわけで、そういう意味では犯人は嘘などついていない』という屁理屈じみた流れも、あの犯人なら納得できましたし。てか、こういう屁理屈が個人的には大好きだ。火村先生、お疲れ様。アリスと一泊して、いちゃいちゃしてください。二作目。ミステリなわけがない、と突っ込まれそうな作品なのですが、もう個人的には構成から、不条理な作風から、何から何までが好みでたまりませんでした。これこそ、長年このシリーズを読んできた人こそ、楽しめる作品だと思う。作品の結末が、どこかほっとできたり、ハッピーなもの、と言うよりも、どこか悲しかったり、暗かったり、どきっ、とさせられるものが多かったように感じるのは私だけでしょうか?でも、そここそに火村先生が内に抱えているもの、或いは、アリスが火村先生に危惧していることを暗示しているように思えてちょっと興味深かったです。深読みしすぎかな?個人的には、福男選びが実は、って話と、崖から人がぱらぱらと落ちてくる、ってオチの話が好きです。そしてラストを締めくくる話が、夢が覚める、その淡くも光を感じる終わりであったことにほっとしました。いいな。こういう作品は大好きだ。こういうのを書ける人間になりたい(はいはい)。三作目は表題作。火村先生の内に抱えている物の一端が、アリスの視点によって描かれていて、もうそれだけで満足。願わくば、もっともっとこの面が掘り下げて書かれているとなぁ。嬉しいんだけどなぁ。『探偵とは、死者の声を聴くことができる人間なのかもしれません』ってアリスの台詞が、もう秀逸。高原、澄んだ風が吹く舞台。そこに一人佇む火村先生の後姿が、孤独な後姿が、アリスでさえ近づけないほどに孤独なその後ろ姿が、この台詞と共に浮かび上がってくるようで。或いは、本作の素晴らしく、美しい装丁に描かれていたフクロウ?らしき鳥と火村先生の姿が、この台詞と共に浮かび上がってくるようで。火村先生は、そうだとしたら同時、人を殺したいと思ったことがある以上、生者であり犯罪者である人間の声も聴くことができるわけで、その心の中の葛藤や複雑さはいかばかりなんだろうなぁ、と。だねー、ほんと、この辺りをぐいぐいと掘り下げるような事件が描かれればなぁ、と願ってしまうのでありました。はいよー。なので、終盤の火村先生と犯人との電話でのやり取りは、アリスのハラハラが伝わってくるような、読みごたえたっぷりでございました。そんなこんなで、『妃は船を沈める』を読んだはずなのだが感想文がないという体たらくなので、何年ぶりかの新作かはわからないのですが、とにもかくにも今作も満足、満足。お腹いっぱいでございました。やっぱこのシリーズは、短編、中編の方が面白く、読んだ!って気がするなぁ。不思議だ。でもだからこそ、先述したように作者さんの作家としての実力に凄さを感じるのでありました。よーし、火村先生。結婚しよう!(どーん)。

 

大沢在昌新宿鮫 灰夜』・・・どうしてこんなアイディアが出てきたんだろうか、と。いろんな意味で思ってしまうような一冊でした。面白かったけどね。舞台も東京でなく、レギュラーメンバーも出てこなかったので、まるで新宿鮫らしくなかった、と言うのが一番の感想だったので。いや、まぁ、面白かったけどね。うん。宮野さんとのこと。…一冊目ではよもや、この先、このシリーズを読むなんてことは思いもしていなかった私はほとんど覚えていませんでした…なので、ここいらでいい復習になったかな。あと、鮫の心中も、私の中では勘違いしている、友情に殉じ今の地位に誇りを持っている、みたいなふうに思っているところがあったので、そうか、やっぱりこんなふうに語弊を恐れずに言えば、人生を狂わせた宮野さんに対して戸惑いや怒りのような思いもあるんだな、とかやっぱり、順調に昇進を重ねていきたかった、そんな思いもあるんだな、とか。ちょっと驚きを感じるようなそれを知ることができてよかったです。はい。そうだなぁ、今作、鮫はちょっと影が薄かったかな、と言う気が。勿論、命は狙われるわ、傷だらけになるわ、でいつも通りの激闘っぷりだったんですが。それよりもやっぱり、地元に根を張り、生きてきた古野さん、木藤さん辺りの存在感が、出番は少なかったけれど際立っていたなぁ、と。と言うか、二人の友情が、或いは宮野さんと鮫のそれに重ねられて描かれていたのかもしれない、と。日本人ではない彼らだからこそ、その友情はやはり特殊なものだったんだろうし、苦労して苦労して作り上げてきた今だからこそ、その舞台である地元に対する思いも、並々ならぬものがあったんだろうなぁ。古野さんの、この町を嫌いにならないでくれ、と言う言葉は、やっぱり鮫の、新宿に対する想いと重なるように描かれていたのかもしれないなぁ。うん。木藤さんに対する友情、そして鮫に対する友情、更には宮野さんとの友情のために義を通し、最後の最後までその友情を信じようと戦い抜いた古野さんがかっこよかった。戦いはいつもそこにある、って一節が作中に出てくるけど。なんか、やれ仲間だ、やれ絆だ、なんてのに慣れきっている身としては、たとえ仲間がいようとも、あるいはその逆、たとえ孤独であろうとも戦いがそこにあるのであれば戦うまでだ、ってこのスタンスが最高に痺れた。かっこいいよ。てか、そうあって欲しいよ、そうありたいよ。はい。それから、何だろ、多分、このシリーズの中で最も厭な敵役だったに違いない、悪徳警官、上原が。いい味出してましたなぁ。最低。でも、昨今の警察官の不祥事とかを鑑みるとものすごくリアリティがある人物造形で、だからこそなおのことぞっとしたし、腹が立った。いやー、死んでくれてよかったよ(笑)。それから今泉さん。萌えた(ちーん)。はい。そんな具合で。ちょっとシリーズの中では毛色の違う、異色作と言えば異色作でしたが。けれど、きっと鮫は、自分のホームグラウンドではないこの地で、色んなことを再認識したんだろうなぁ。たとえば、立場はどうであれ、未来がどうであれ、自分がやはり警察官であるということ。正義を貫く警察官でありたいと、希求していること。そして、友情と言う言葉に込められていた、古野さんが鮫に対して、古野さんが木藤さんに対して、そして鮫が宮野さんに対して、宮野さんが鮫に対して、様々な思い。うーん、栞さんや、マリーさんがただ待つことしかできない、そして去ることしかできない役割だったことを考えると、男の熱き友情の世界。羨ましいやら、悔しいやら、ですな。

 

北村薫『冬のオペラ』・・・名探偵です。自ら名探偵を名乗り、名探偵であるがゆえにそれが扱うにふさわしい事件しか扱わない。そんな名探偵が、そんな設定が主役であり舞台の物語。となれば、ちょっとコメディチックにもなりそうなものなのですが。榎さんかよ(どーん)。そこは北村先生。品格の漂う、匂い立ってくるような風流な、上品な文章で綴られるのは人の心の物語。全三作の内、やはり何と言っても表題作が秀逸。『わたし、こんな生き方をする筈ではなかったのです』と呟くように言った椿さん。そして、主人公であり記録係の私に対し、椿さんは鬼になった、それは犯罪を犯したからではなくかくありたかった、こうありたかったという思いに執着をしたから、足摺をし、悶えたからだと言い切った名探偵。父親と母親との看病に疲れ切り、それでも、椿さんにとっては、もう教壇に立てないと悟った瞬間に、あんなにも迫力のある講義を行ったことからも伝わってくるように、研究だけがすべてだったんだろうな。そして、憧れだった水木先生との時間はきっと至福の物だったんだろうな。それだけが全てで、それだけが救いだった。けれど、水木先生は違った。椿さんが本当に求めていたような人ではなかった、男ではなかった。そうではないと自分に言い聞かせながらも、ぽきり、と心が折れそうになる毎日を、必死に、必死に、孤独に、孤独に生きてきて耐えてきたたった一人の女性の、最後の砦が崩された。ささやかな幸せすら手に入れることがかなわなかった、壊されてしまった小さく、か弱い女性の、どうしようもないほどに悲しい、まるで恨み言のように聞こえてたまらなく悲しかった、切なかった。けれど、名探偵はそんな女性の心をも、鬼と言い切った。わかるよ、わかる。名探偵の言いたいことはわかるよ。うん、でもさ、名探偵よ。かくあるべきだった、あってほしかったという執着心も持たずに、それに足摺をせず身悶えもせず、果たしてそれで生きていると言えるんだろうか。果たしてそれで、人間を生きていると言えるんだろうか、と。椿さんは、ただそれだけの望みすら、願いすら、未来すら持っちゃいけなかったのかよ、と。見ちゃいけなかったのかよ、と。思わずにはいられなく、この冷酷な一言すら、しかし、北村作品ならではの痛み、味わいだと思うのです。あぁ。椿さんの人生を思う。人の一生を思う。何かを成さぬにはあまりに長く、何かを成すにはあまりに短いと言われる、その時間の長短、軽重を思う。振り返って見れば、物語の舞台であった京都には、悠久の時をただただ刻んできた数々の建物や自然があり、あるがまま、ただ淡々と時を刻んできたそれらと、そうでありたいと願いながらも、そうであることは決して叶わない人間の姿との対比があまりにも鮮やかに残酷で、そこに椿さんのあまりに儚い姿が浮かびあがってきて、悲哀が、悲壮が一層増すような心持です。格調高き文章で綴られる、悲しい人間たちの、悲しいミステリ。さすがの一作でした。

 

加納朋子『魔法飛行』・・・現実には、まぁ、小説で扱われているような事件も起こるわけですが、それでも接したり関わったりするのは圧倒的にこの作中に書かれていたような、事件と言うよりは謎に近いようなそれだったりします。そういうわけで、加納先生らしい、ふんわりとしたやさしさと、その裏に潜んでいる、人間としての暗い部分、ひやりとするようなその黒さ満載の謎解き小説。地味すぎてさすが終盤、本を投げ出そうかと思いましたが(これ)、何とか読了できました。てか、シリーズ第二弾、だったんですね。それならそうと言ってくれー、あーれー。はい。そう。だからこそ、地に足着いた物語だったからこそ、読み終えることができた、とでも言いますか。たとえば、一作目に出てきた茜さん。彼女の、主人公に向けられる悪意。そういう経験は誰にでもあるからだろうから、どうしようもない不快感とか恐怖とかを覚えたし、瀬尾さんによって明かされたその理由には、だけど納得できるものがあるだろうし。例えば表題作に出てきた子供たち。彼ら、彼女らの天真爛漫、ただただ元気としか言いようのない、駆ける姿なんかはこの年になった人ならばみんな、胸を締め付けられるような思いを抱くだろうし。そうして、だけどそんな彼らよりも年かさでありながら、だけど夢を追い続け、一定の痛みを知りながらも、信じる者を持っている卓見くんや、ああだこうだと言いながらも彼の傍にいたいだけ、彼を見守りたいだけの野依ちゃんの姿に、多くの人は懐かしさと羨ましさと、ちょっとの気恥ずかしさとひょっとしたらちょっと腹が立つようなものを覚えるだろうし。そう言った様々な感情の一つ一つが、本当に丁寧に、丁寧に、柔らかな比喩表現を使って描かれていて、だから、どの人物にも、自分の感情を投影することができ、物語を読み進めていくことができたんだと思う。…まぁ、意地の悪い私は、なんだかんだと迷いつつも、不安になりながらも、友人もいて、何だか瀬尾さんともいい雰囲気であった駒子ちゃんには、それでじゅうぶんじゃねぇかよ、と突っ込みそうになったんですけどね。こういう物語の主人公って、なんだかんだ言いつつ、人には恵まれてるからね、本とね。友人も、相談相手もいない、ってこういう主人公って見たことないじゃないですか。…いけね、愚痴になりつつあるぞ。はい。空想力とは空を想う力。そしてそれは人を想う力。…成程なぁ…。心のきれいな、本当に人を思いやることができる、優しい人にこそおススメの小説だと思いました。クドリャフカに思いを馳せると、いろんな思いが止まらない。それだけでも、まぁ、読んでよかったんだろうな。

 

柳広司『パラダイス・ロスト』・・・待望の新刊!でございました。いやぁ、今回も痺れた。かっこよかった。面白かった。作品にもよるけれど、D機関の若きスパイたちが物語に登場するのは本の一場面。時間にすれば一瞬であり、物語上での役割でいえばまさに脇役。なのになのに、すべてが明かされた時に気が付く、そのまさに脇役であった彼らこそが、物語を、その主役を、時間を、流れを、すべてを支配し、操っていたのだと、その爽快感と、得も言われぬ幸福な敗北感と言ったら!素敵。うっとり。顔も見えない、多分、本当に好青年ふうな、そこらへんにたくさんいるような彼ら。その存在が見えていて見えない、その歯がゆさもまたたまらない。死ぬな、殺すな、とらわれるな。時代の流れに逆行する、その教えを胸に、けれど危険な舞台で静かに、堂々と暗躍、活躍する彼らが支えにしているものはただひとつ。強烈、苛烈、抑えきることなど叶わないほどの自負心。それがまたかっこいい。正真正銘、彼らの支えは自分自身のみ。その、毅然とした姿が、時代の闇中にくっきりと浮かび上がってくるようで。いやぁ、たまんないなぁ。そんな具合で、前五作の作品も、どれもが味わいが違うと言う豪華さ。一作目『誤算』はまさしく、D機関の名を消し、己を消してきた若き青年たちの、それでも決して消し去ることができない自負心が、最後の最後に炸裂する一作。歴史のために、未来のために殉ずることも厭わないレジスタンスの若者と、何が何でも生きて、帰還することを第一とするD機関の若者たち。その対照的な姿、どちらもが胸に迫ってきました。二作目『失楽園』は、まずシンガポール、そして舞台となるホテルの雰囲気に酔い。いいなぁ、異国情緒たっぶりだ。そして冴えわたるD機関の暗躍。いやぁ、普通の小説に登場するスパイだったら、そしてあの話の流れだったら誰が納得できるか、って話ですよ、本と。この作品であり、そこに登場する彼らだからこそ、何気ない会話で事件の真相を捻じ曲げてしまう、思考を別方向に誘導してしまう、なんて荒業が効く、そして説得力があるんだ、と納得せざるにはいられない一作でした。三作目は『追跡』。ついに、ついに、結城中佐の何たるかが明かされるかっ!とドキドキ。そして明かされた中佐=晃説に、幼いながらも神童であり、そして現在の中佐を早くも思わせるようなその晃の姿に胸がときめき…と思いきや。やーやーやー。やられたよー。てか、普通に考えりゃ、こんなに簡単に明かされるはずがないよな、本と。すごい。ここまで読み切っていた中佐、さすが。さすが魔王。中佐のテリトリーに足を踏み入れたが最後。全ての者は魔王の手中で踊らされるしかない。いやぁ、脱帽。でも、晃さんの入院の手続きを行った、その事実からは少しだけ、中佐の過去、人間性が読み取れたかな、と思うともうそれだけで満足さっ!果たして、作者の柳先生は中佐の正体を決めてらっしゃるのか、いないのか。どっちともとらえることができるような作品だったなぁ。後、この話で感じたんですけど、このシリーズ。決して平和な時代の、平和な話ではないはずなのに、終わり方が割と平和なのがいいなぁ、と。やっぱりそれも、死ぬな、殺すな、の信条が生きているからこそ、なんだろうな。そういう意味ではちょっと毛色の違うラスト、D機関から一人のスパイだった青年が旅立つような、何てったって死ぬな、殺すな、の信条を破っちゃってるもんね、それが胸に沁みた作品『暗号名、ケルベロス』。戦争が起こっている、その真裏の、あまりにも間延びした平和。けれど、そこにも確かに、あの時代の日本にも確かに戦争の足音は近づいていて、そして時代は間もなく、とんでもない勘違いを抱いたままに暴走し、戦争へと突入する。さぁ、そうなってD機関はどうなるのか。結城中佐は、どう手を打つのか。早く読みたいなぁ。ここまで、ほとんど神業に近いようなD機関を、しかし完璧に描き上げている柳先生に、何よりも脱帽です!早いうちに、続編、頼みます!

 

大沢在昌新宿鮫 風化水脈』・・・ 街の歴史、と言うのは人の歴史。でもあるんだけれど、やっぱりそれは、街、そのものの歴史でもあるんだろうな、としみじみと考えました。或いは時間の歴史、と言いますか。うん。街が主役であり、しかし、そこを借りて生活している人から見れば、街の歴史は人の歴史でもあるんでしょうな。そんなこんな。新宿と言う、賑々しい街を舞台にした作品。今回は、そういったことを、街の、そこに流れてきた時間の重みの、そして、そこにたどり着いて、懸命に生きてきた人の、或いは生きていこうとしている人の歴史を感じさせる、そしてそれがじっくりと染み入ってくるような作品でした。いつもの新宿鮫とはちょっと違った感じで、それが、新宿と言う街の別面を表現しているようにも思えました。いい意味で『何でもあり』なこのシリーズの奥深さ、底深さを見せられたような、そんな具合です。と言うわけで、一作目のネタが関係しているんですけど、まったくそんなの覚えてなかったよー。あはははは。最初は、自動車盗難に、謎の老人に、とどめとばかりに繰り返される新宿の歴史にいまいち話が興に乗らず、どうなることか、と思ったんですけど。雪江ちゃんと真壁さんのお陰で何とか読み進めていけました。プラス、謎の男、深見さん。この男が雪江ちゃんを寝取るのかと、別の意味でドキドキしましたけど。成程ねぇ。あ、と気づいた時にはすっかりおいしい役回り、いつものようにいい男っぷりを見せつけてくれた仙田さんでした!はい。物語、ようやくすいすいと読み進めていけたのは、本当に後半も後半。大江さんと、雪江ちゃんのお母さんとが関係していて、なおかつそこに真壁に復讐しようとする王グループが関わって来てから。大江さんと雪江ちゃん母の歴史は、本当に。余韻としていつまでも胸に残ってるなぁ。それに対して、鮫がどうすべきか、何をなすべきか、なさずべきか、と葛藤するのも鮫らしくてよかった。新宿と言う街から離れられなかった、離れることを自分に許さないほどに互いを想いあっていたふたり。その思いの重さが、流れてきた時間の重さが、何とも言えないなぁ。だからこそ、の真壁さんに対する態度だったんだろうな。雪江ちゃんと、お母さんとの関係も自分のことと重ね合わせてみると色々思うところもあってよかったです。そして雪江ちゃんと真壁さん。よかったね。うん。よかった。きっとこの先、決して簡単な道ではないだろうけど、でも、とりあえずはよかったね、と言ってあげたい。服役している間に、敵だったはずの相手と、自分が属していた組織とが手を組んでいた。それ故に、自分の立場が何か組織にとっては足かせにもなっているようで。その真壁の様が、雪江ちゃんの目を通してとてもよく伝わってきて。ここにもまた、真壁が刑務所で過ごしてきていた時間、出所を待ち続けていた雪江ちゃんの時間。止まっていたその重い時間が、ようやく動き出したような印象があって。物語の終盤、大江さんと雪江ちゃんのお母さんの時間がようやく動き出したのと同様、二人の時間もようやく、物語最後の最後に動き出したんだから、本当によかったな。うん。いいな。そうだな。新宿鮫の物語の中でも、今作は、いちばんに優しい物語かもしれない。そんなことを今、思いました。風化水脈。枯れていた水脈に、今、どこからともなく少しずつ、少しずつ水が湧き出してくる。細い細いその水が、どうかどうか、動き出した人の、街の、時間の歴史を、やさしく、柔らかく潤してくれますように。

 

大沢在昌新宿鮫 狼花』・・・導火線長い小説だと気が付いた。今更。話が乗ってくる、面白くなるまでが長い長い。そうでないのもあるんだけど、特に今作はそれをしみじみと感じました。前半の読むスピードと後半の読むスピードとの対比ったらないと思う。あはは。そんな具合で九作目。明蘭と毛利は再登場となるんでしょうかね?特に明蘭は。そんな書き方だったしなぁ。タイトルの狼花。いい。ごたごたとやれ警察の在り方だの、やれ日本の治安だの、やれ正義だの過去だのにとらわれた男たちのどろどろした争い、ちっちゃな争いの中にあって、それすらも糧にして、一輪の、大輪の花へと成長し、すく、と未来を見据え、自立した女性へと変貌を遂げた明蘭の姿が最高に美しかった。誰よりも凛々しく、雄々しく、悠然としていて毅然としていた。狼花。それは、狼である毛利をも食らった花の、明蘭そのもののことを指しているんじゃないのかなぁ。鮫の永遠の敵、と勝手に思い込んでいた仙石こと間野が亡くなってしまった今、違った形でその意思を継いだ、と言うよりも食らった明蘭こそが、次の新たな敵になるんじゃないのかな、とまたぞろ勝手に期待しているんですが。どうなのかな。まぁ、その辺りはこの辺にしておいて。鮫、間野、そしてツンデレ香田、三者三様の『正義』の在り方が存分に描かれていた今作。ツンデレ香田の方法は…まぁ、わからなくもない。わからなくもないけど、どうなんだろうか。やっぱり危惧するのは、鮫と同じことかな。毒を食らわば皿まで。完全に食切れたらいいよ。食切れて、消化しきれて、出し切れて消滅させられたらいいよ。でも、そうじゃないから、そんな軟な存在じゃないから、暴力団と言う存在は今の今に至るまで生き延びてきたんでしょう。必要悪、という思いが警察の一部にあるのだとして、それが確かに正しいのかもしれない一面があるとしても、市井の人間にとって迷惑千万な存在であることは変わりないよ。正義であって欲しいと信じている警察が、たとえその信用が幻想だとわかりきっていても、暴力団と手を結んでいたとなればやっぱり、そんな絶望することはないと思う。それはやっぱりあってはならない方法だと思う。ただ、たちが悪いのはツンデレ香田がそれを真剣に考えていて、他方の犯罪、外国人による犯罪を撲滅するためだと信じていることで、だからこそやるせないと言うか。ただ、やっぱりさ、じゃあなんで、同じように暴力団犯罪を憎まない?と問いかけたくなるのが筋であり、やっぱり、やっぱりそこには、家族に及んだ危険が、その憎悪があったんだろうなぁ。ツンデレ香田の、そういうどうにもこうにも冷酷になりきれない、人としてのどうしようもない情の厚さのようなものが私は好きです。今回のことで辞表を提出したとのことですが…どうなったのかなぁ。間野さん。破られた理想の残骸に傷つき、踏みにじられた過去から逃れられず、けれどやはり、人としての情を捨てきれずにいた男。その間野を撃ったのが、殺してしまったのが鮫だと言うのがまた興味深い。なにかを表しているように思えてならない。警察官として、結局は一番地道な道を、理想ではなくあるべき形として歩き続けている鮫。ツンデレ香田が、黒すぎる手段で掴もうとし、掴みきることが叶わなかった崇高な理想。間野が、まっすぐすぎる視線で見つめ続け、結果、その光に視線そのものを焼き尽くされてしまった崇高な理想。その二人の敗れ去る姿を目にし、命をも、結果として奪ってしまった鮫に、今後、どのような道が待ち受けているのか。崇高な理想を、理想ではない、あるべきものとして追い続けている鮫。今後の鮫を暗示しているような一作。とは言え、やっぱり個人的には、明蘭ちゃんの美しさが強烈な印象を残した一冊でしたなぁ。はいよ。

 

米澤穂信氷菓』・・・まさかのアニメ化。しかも、そのアニメの素晴らしかったこと。と言うことで、古典部シリーズ、文庫版大人買いです。万歳!はい。そんなこんなで、改めて読み返してみましたことよ。そうだなぁ。奉太郎は、アニメ版よりも原作の方がよりシビア、というかクールな感じかな。その分、えるちゃんから依頼されたことを通しての変化、胸中の変化などが丁寧に描かれていて、とてもよく伝わってきてかわいらしいです。福ちゃん、えるちゃんはもう、原作まんま。文句なし。どっちもかわいいよ。まやかちゃんは、アニメはまだ声を聴いてないので。どうなのかな。声優さんがちょっと可愛らしすぎるんじゃないか、と言う気もするのですが、なんかもう、そんなことどうでもいいや(どーん)。いやぁ、なんかとにかく、何だろ、この感覚。特に、奉太郎の心境の変化、ってのが。初めて読んだ時、そこに何を感じたのかさっぱり覚えてないんすけど。なんか、最初、改めて読み返してみても奉太郎って謎だなぁ、とか思ってたんですけど。でも、この心境の変化のシーンで、すごく奉太郎と言う人となりを、はじめて、ぐあっ、と感じることができたような気がして。うん。その前の、福ちゃんとの会話のシーンとか。薔薇色に憧れていたのかい?と問われて、ほとんど何も考えずに、それを肯定していたところとか。ほんと。なんか、奉太郎と言う人の弱さと、隠しようのない素直さみたいなのが如実に表れていて、すごく奉太郎が好きになった。うん。多分、奉太郎は、力を使うことで何かを得る、或いは何かを得られなかったとして、そのことで訪れる自分自身の変化を厭うていたんじゃないのかな。無意識のうちに、自らが揺さぶられることを避けていたんじゃないのかな。けれど、えるちゃんが、えるちゃんの力が、そんな奉太郎の心の動きに有無を言わせなかった。それは多分、えるちゃんの『私、気になります!』には打算がないからなんだろうな。計算がないと言うか。得られようが、得られまいが、或いはその後に訪れる自分に対する変化とか揺さぶりとか。そう言ったものに対する思考のベクトルが『私、気になります!』の瞬間のえるちゃんには働いてないからなんだろうな。だから、奉太郎は逆らえない。いや、これも、このシーンもまた、アニメ、素晴らしいのよ。素晴らしく美しいのよ、本と(感涙)。いいなぁ。もう、この四人の個性のぶつかり合い、触れ合い、すれ違いの瑞々しさがたまらない。奉太郎はそんなんでそんな感じだし、えるちゃんはもう、問答無用でかわいいし。福ちゃんは何てったって、奉太郎に対する『屈託』が根っこにあるから、その道化役を自らに課している感じとか、『データベース』であることを自分に課している感じとか、そういう意味では多分、四人の中では誰よりも大人だろうし。まやかちゃんは、自分に対しての厳しさをどうすることもできない自分に対して、多分、きっと苛立ちを覚えているんだろうし。福ちゃんとの関係とか、もう、たまらん。決して最初から薔薇色でなく、そして薔薇色が描かれているわけでなく、だけど決して灰色ではない。丁寧に、鮮やかに描かれているのは、高校生の少年、少女の心の機微。薔薇色でも、灰色でもない、心の機微。やさしいことも、厳しいことも、冷酷なことも、楽しいことも、日常の中に生まれたすべての感情を受け止める、受け止めざるを得ない、心の機微。その、ごくごくありきたりな物語が、だけど四人の個性豊かさ故に、そして米澤先生らしいひねくれ具合がまじりあっているが故に、とにかくたまらなく愛おしい。あぁ、奉太郎よ。この物語が発売されたのは今から十年前。高校生活を通して、様々な人たちとの出会いと別れを通して、あなたは今、何を思っていますか?何を得て、何を失いましたか?本当に、奉太郎にそれを問うてみたい。いつか、高校時代の終わり、卒業を通してそれらは描かれるのかもしれないけれど。あぁ、それを早く読みたいような。読みたくないような。いやはや。そんな具合で、再読とは思えないほどの鮮やかさと、物語、古典部の面々にこみ上げてくる愛おしさったら。万歳!

 

米澤穂信愚者のエンドロール』・・・『ホータロー一人が愚者だった。いやぁ、たまんないなぁ』が、前回読んだ時の感想でした。我ながら薄っぺら(ちーん)。今回読んで、その感想に対する感想をば。奉太郎は愚者でも何でもない。確かに、利用されたにすぎないのかもしれない。けれど、奉太郎は最後の最後の所で愚者にはならなかった。入須先輩の言葉を、『それを聞いて、安心しました』と心の底から受け入れられたのがその証拠。勿論、入須先輩の言葉が良かった、奉太郎のやったことを、更には彼女の言葉を真に受けて探偵役に徹した彼の思いを、ギリギリのラインで踏みにじらなかった、というのもある。だけど、どうであれ、『それを嘘と呼ぶのは、あなたの自由よ』と言われ、奉太郎は安心した、と言った。ならば奉太郎はきっと、自分がやったこと、或いは自分が今回のことに対して思ったことを、少なくとも自分自身では否定しなかった、と言うこと。ここで、それらすべてを入須先輩の掌の上で踊らされていただけ、と否定し、卑屈になっていたら、それこそが愚者なんだろうな。奉太郎はそれをしなかった。そこにはきっと打算も、計算もなく、ただ彼は、自分自身がなしたことを、ギリギリのところで受け入れ、肯定した。それは、彼が古典部に入ってからの、特にえるちゃんに出会ってからの成長なのかもしれないし、或いは、彼なりの省エネ美学の結末なのかもしれない。でも、とにかく、そういうわけで奉太郎は決して愚者でも何でもない…というのが、今回の感想です。うーん、読書って奥が深いね。はい。人は、一度は必ず、自分が特別な存在、他者とは違う能力に恵まれた存在なんじゃないかって思いこむ。それを完膚なきまでに破るのはいつだって他者の存在で、けれどきっと、そうした他者と出会わずに、破られた痛みも知らないままでも、まさしく井の中の蛙状態で自分はいつまでも特別だと思い込んでいる人間こそ、まさに愚者なんだろうな。まぁ、そういう生き方もいいと思うけど。素敵だと思うけど。否定はしないけど。その思いに、或いは今回の奉太郎のように、誰かからの言葉に乗せられ、踊らされ、自分を思いっきり過大評価してみても、自分の中のまだ知らない自分の能力なんてものを信じてみてもいい。と言うか、高校生なんだもん、それくらい信じないと。はい。あと、やっぱり前回読んだ時には全く思いもしなかったこと。この作品、すごいよね。何気にライトノベルの扱いなのに、このミステリに対する情報量やら米澤先生のこだわりやらの多さったら。びっくりした。多分、ミステリを読んでいる人と読んでいない人との間では、本作に対する印象は結構な開きがあるんじゃないだろうか、と感じるほど。あぁた、『館モノ』のやたら連呼に始まって、挙句設計者の名前の『中村青』まで来た日にゃ、あたしゃ、にんまりですよ。ページが光り輝いて見えたくらいですよ!前回読んだ時には、多分、さっぱり理解できていなかったであろう叙述トリックなんてものも、今じゃそれを大好物とする私にとっては、こんな専門的なものが織り込まれていたのか、とびっくりですよ。本作が、『バークレー毒入りチョコ』をイメージしたと言われて、あぁ、成程、と頷けるようになったなんて、本と、月日が流れたなぁ。いや、でもとにかくほんと。ミステリを全く読まない、まさしく今回のアニメ化によって本作を手に取った人がこれを読んで、『なーんか、いまいちよくわかんないし、面白くないし』なんて思われるのがめちゃ悔しい。カモン!ミステリ畑!すごい。これは、米澤先生の作品群の中でも、隠れ的な、かなりミステリミステリな作品なんじゃないかしら、とにんまりした具合でした。はい。そんなこんなで。そう、ほんとにね。えるちゃんがかわいいし。優しいし。まやかちゃんもかわいいし。福ちゃんは、本と、その複雑な心理状況を内に抱えながら、よくもまぁ、そんな飄々と笑ってられるね、って突っ込んでやりたいくらいだし。いや、だからこそ、飄々と、という生き方しかできないのかもしれないけど。ほんと。福ちゃん、大好きだ(どーん)。そして奉太郎。彼の変化が、本当に可愛くてたまらない。何こいつ(笑)。何よりえらいな、立派だな、と思うのは、省エネを貫きながらも、決して彼は痛みから逃げていないこと。朴訥としていながらも、その実、他者に利用されながらも、その経験を自分のものにしていること。いやぁ、侮れないな。そして何より、この四人のチームワークと言ったら。素敵な関係だな。本当に、心の底から羨ましいと思うよ。と言うわけで、次は、やっぱり強烈な印象が残っている『クドリャフカの順番』の前に、図書館から借りてきた別作品を読まなければ。

 

・田南透『翼をください』・・・何かそれっぽいタイトルだなぁ、と思いつつ、でも、帯とかあらすじの文句で、これはガチガチの本格に違いない、きっとラストには大ドンデン返しが待っているに違いない、とわくわくドキドキしながら読み進めていきました。結論。面白くないことはなかった。少なくとも、どきどきわくわくしたし、そもそも最初から犯人を当てようなどと言う気のないので、ページを繰る指が止められなかった。…んですが。なんか、非常に惜しい気が。惜しい。てか、この人、こっち方面の作品を書いた方が、絶対に向いてると思う。と言うことで、この作品に惹句をつけるとしたら『腐女子の皆さん、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!』…ネタバレじゃん。はい。えっとまず。帯やあらすじで期待して読むと、裏切られる。うん。だって、舞台の大半は陸の孤島じゃないから。あっさり事件は起こり、あっさり彼らは孤島を後にするから。…勿体ねぇよ…。陽菜ちゃんの性格の悪さも、帯で、あらすじで展開されているほどは書かれていなかったし。もっと活躍してほしかったよ。…勿体ない…。それから、複雑な人間関係。うん。でも、その内、七割くらいはまるで物語に関係なくないかな。誰誰の両親、その両親も離婚していたり、事故で死んでいたり、となんか身内の不幸オンパレードみたいな具合で、それが物語にも関係してくるのかと注意してたら、あれ、関係なかったんじゃん、と。何だか探偵役にしてはあまりにも魅力のなさすぎる刑事二人が、そういう人にぶち当たるわけだから、なんてか、苦痛。バッサリ切っちゃった方が、流れができてよかったんじゃなかったかなぁ、とか。うん。謎解きの部分に関しては、いずみちゃんが性同一性障害だった、というのは確かに盲点で驚かされたし、面白かった。絶世の美貌ゆえに男になりきれなかった、その美貌が実利に結びつくのを知っていた、なんて実際の患者さんの胸中ってそんなもんかなぁ、と疑問も感じたけれどまぁ、理解できなくもないかな、と。小悪魔まーくん(笑)が景太を愛していたように、或いは、高坂くんの愛した人が同性だったように、そういうところを書きたかったのかもしれないなぁ、と思うんですけど、それを疑問に思ってしまうのは、どうにもこうにも、それが主題なのか否か迷うような物語だったから。なんか、ぱらぱらとテーマなり方向性が散乱しちゃってた気がして…勿体ない。人間のどろどろした部分、隠微な秘密、それはすごくうまく、いやーな具合に書ける人だと思うので、なんか、勿体ないなぁ、と。あと。終盤。わかる、わかるよわかる。わかる。そうしたい気持ちはわかる。わかるけど…都合がよすぎるよ。目をつむってやり過ごすには、見逃すには、ぐ、偶然の偶然が偶然にも重なりすぎていないか?運の良さが運の良さによって運良く重なりすぎていないか?…まぁ、腐女子なのでその後の展開で、なんかもういいや、ってなっちゃったんですけど。多分、その後の展開も含めて、脳内腐っていない人は失笑ものだと思う。うむ。まーくんね、よかったね。もう、あの、景太に対する心中吐露が最高。『僕たちいつか、共倒れになるかもしれないね、遠い旅の途中で、手を繋いだまま』『君の折れた翼は、今、僕のもの』―…BL?(どーん)。でも、雰囲気のある作品を書ける人だとは思うので、焦点を絞って、がちがちな孤島ものなんかをまた書いていただきたいなぁ。それか、もう、がちがちのBLとか(笑)。

 

米澤穂信クドリャフカの順番』・・・あぁ、そうなのね。初めて読んだ作品がこれだったんでしょうね、だから、『あの四人との、最初の出会い』と言う前回の感想でした。我ながら、内容が無いよ。はい。そんなこんなで二度目。いやぁ…もう、やられた。よもやこの年になって、こんなにもまだ心が、動くべき対象に出会うと動いてくれるんだと我ながら驚いたくらいに心が動いた。登場人物たちと同じように、どきどきしてわくわくして、クイズ大会頑張って、お料理大会で張り切って、文集さばくために東奔西走して、十文字を追いかけて、その果てに待ち受けていた個々の結末にどうしようもなく切ない思いに打ちのめされて、そして寂しくなって、でも、最後には万感の思い。何とも言えない穏やかに満たされた気持ちになって、本当に、古典部の面々、或いはそこに関わって来たすべての人たちと同じように文化祭を楽しみ、色んなことを思って、でも、もう、やり尽くした!ってくらいに堪能した。あぁ、たまらん。この感動は、感動と言うより何だろ、本当に堪能した、って感じは、ちょっとなかなかない読後感だった。あぁ、たまらん。はい。そんなこんなで『クドリャフカ』。たまらんなぁ。もう、本当に。才能の不公平さ、不平等さ。追いつけない、追いつけない、いくら努力しても、歯噛みしても、身悶えても、決して追いつけない才能。一方で、そんな対象を、光り輝く星を間近にしていながらも、その眩しさに目を細めるしかないことが時に苦痛なのに、時にどうしようもなくやるせないのに、それでも、自分の中の諦めきれない、捨てられない感情。なぁ…これは、もう、どうしようもないんだろうね。この年になったら、そう言い切れる。才能は、ある人にはあり、ない人にはない。そしてそれは、決して与えたり与えられたりがきかず、そしてまた自分でも選び、獲得することができない、残酷なもの。なー。たとえば福ちゃん。真顔を忘れてしまうほどに笑顔が得意だという福ちゃん。『データベースには結論は出せないんだ』と、今回ほど、その台詞が胸に突き刺さることはなかった。奉太郎と話し終え、その元を去った時の短い彼の章が、たまらなかった。敗者が背負うべく残酷さと寂寞さを感じたくらいだった。それでも彼の中の彼が、それに真摯に対峙することを許さないんだろうな。それらすべてを解決するすべ、自らに認めさせるすべとして彼が生み出したのがきっと笑顔であり、先の言葉なんだろうな。でも、だからこそ、そんな不器用さを不器用な器用さで隠し通そうとする福ちゃんが大好きだ。奉太郎と友情を続けている福ちゃんを、打ちのめされながらも自らが認めた人とは繋がりを持とうとする福ちゃんを立派だと思う。田名部さんの言葉だけど、期待の先に何もなければ絶望しかない、というそれ。田名部さんと陸山さんの関係はまさにそれだった。でも、福ちゃんの『期待』は『結果』がある。それを、良かったな、と思うのは福ちゃんにとっては失礼かな?まやかちゃん。彼女のその真面目さが、生真面目さが心配すぎるくらいに心配だよ。そして、かつて小説を書いていた私にとっては彼女の思いが、痛いほどに理解できる。漫画や小説は、特に、才能が物を言う分野だと思う。書いて書いて書いて、それで巧くなる、という部分もあると思うけれど、それでも、そんなものでは敵わない領域が物を言う分野だと思う。辛いよね。怖いよね。もう、わかっているなら書くの止めればいいのにね。それでも、まやかちゃんが描き続けるのは、漫画が好きだから。だから、まやかちゃんのその、漫画に対してもまじめすぎるくらいに真面目で、真摯なところが大好きだ。中盤、なんだかもうもらい泣きしそうなくらいの展開だったけど、でも、古典部と合流してからのまやかちゃんは、福ちゃんが好きなまやかちゃんで、だから、ちょっと安心した。良かったって思った。まやかちゃんは、やっぱり、がうがう、と男どもにかみついて、そして笑顔が似合うよ。うん。えるちゃん。彼女なりにきっと、打ちのめされた、んでしょうね。彼女は彼女なりに、自分自身に対しても歯がゆい思いを抱いていて、それがでも、彼女だからこそ微笑ましかった。彼女の、古典部メンバーに対する観察眼がとても鋭くて驚いた。まやかちゃんとはまた違った頑張り屋さんで、そしてちょっとおっちょこちょいで、おとぼけさん。かわいい。もう、大好きだ。そして奉太郎。クドリャフカの順番は、いつかは、自分にも回ってくるのだろうか、と彼の独白。身を震わせるほどの切実な期待を知らず、憧れも知らず、眼下に星も持たない。…それはある意味では幸福で、ある意味では不幸なんでしょうな。でも、なんだろ、奉太郎の場合は、もうなんか、それがお似合いと言うか、そういう方面には本当に鈍い人間、なんだろうな(笑)。鈍感と言ってもいいかもしれない。なんか、もう、奉太郎はそれでいいんだと思う(笑)。てか、まやかちゃんが『ふふふ。ばーか』って笑ってたけど。…もう、えるちゃんに対する奉太郎の忠犬っぷりは、もう、これ、恋なんじゃないだろうか(どーん)。本人も自覚していない感情、つまりは恋、でいいんじゃないでしょうか!……ふふふ、ばーか(笑)。いやしかし、とにもかくにも、そうしてまったくいいところ持ってってしまうんだからかっこいいんだよな。憎いよ、憎い。いや、でも、奉太郎も大好きだ。そんなこんなで神山祭。たっぷり楽しませてもらい、たっぷり身悶えるほど切ない思いに駆られ、そして、でも、良かった、と言い切れるくらいに堪能しました!才能に身を焦がすほどに憧れ、誰かに身を悶えさせるほどに期待をし、それら全てが報われるはずもなく、手ひどく打ちのめされたとしても、傷ついたとしても、彼ら、彼女らの限られた特別な時間は続いていく。その時間を確かに過ごしてきたはずなのに、過ごしてきたからこそ、彼らが、彼女らが、その限られた特別な時間が眩しく見え、どうしようもなく羨ましく、愛おしいよ。

 

米澤穂信『遠回りする雛』・・・…読んだはずなのに書いてない。空白の年代に読んだ本なのかな。後で追加しておこう。そんなこんな。やぁ…もう、にやにやしっぱなし、きゅんきゅんしっぱなしでした。たまらんなぁ。奉太郎よ、断言しよう、それは恋だ、恋。きみは、千反田えるに、恋し始めたのだよ。あぁ、たまらんなぁ。奉太郎が、えるちゃんの言動に振り回され、動揺を悟られまいと懸命に頑張っているところが意地らしくて、可愛らしくてたまらない。このリーズの中で一番可愛らしいのは、えるちゃんでもまやかちゃんでも、あまつさえ福ちゃんでもなく、実は奉太郎なんじゃないだろうか、と。この昼行灯、朴念仁が少しずつ、少しずつ揺るがされ、迫りくる変容にどきまぎしているのがたまらんです。はい。そんな具合。次作『ふたりの距離の概算』では果たして、どんな変容を余儀なくされているのか。それは、噂によるとちょっとほろ苦いものだと言うことで、その辺りが米澤先生らしいよ、と覚悟をしつつ。とりあえず、本作に限って言えば遠回りながらも、一歩前進。福ちゃんとまやかちゃんの関係も、後退も後退、大後退のように見えてきっと不器用すぎる、傷だらけになりすぎた前進、なんでしょうね。うん。福ちゃんが、福ちゃんたるゆえんがあの物語のすべてで、よくよく読めばこれ以上ないと言うほどまやかちゃんのことを思ってるんだけど。ち、ちょっとさすがにまやかちゃんに同情。かわいそうすぎるよ。いいじゃないか、素直に受け止めてあげれば。まぁ、尤も、まやかちゃんもそんならしからぬ福ちゃんなんて認めないんだろうけどな。福ちゃんの複雑さと、えるちゃんを欺いた、その後味の悪さに苦いものを味わった奉太郎ににんまりの(悪魔)『手作りバレンタインチョコ事件』がちょっとそんな具合だったけど、あとはもう、いつもの古典部。『正体見たり』は、四人と共に温泉小旅行を楽しませてもらったし、『心当たりのある者は』『大罪を犯す』『やるべきことなら手短に』、あ、そうそう。アニメで見たことあるなぁ、と思ってたらこっちを先に放送してたんですね。どうやらアニメでは時系列に沿って放送するみたい。ならば、と是非とも、絶対にアニメ化してほしいのが『あきましておめでとう』でしょう。ふふ。えるちゃんの思いを知って、だけどそれを、ほんの一瞬だけ寂しいことと思った、っていう奉太郎の独白が。ふふふ。ふふふ。福ちゃんとのコンビネーションも見事な、と言うか、この二人、どうやって今の友人関係になったんですかね?『やるべきことなら』の冒頭に、奉太郎が自らの中学生時代のことを振り返っていたけど、なんか深読みすればそこもまた意味深。奉太郎がたいしたことなかった、って思ってるだけで、実のところそれはたいしたことだったんじゃなかろうか、とも思うんですけどね。その辺りも、読みたいなぁ。そんな学園生活の中で感じた思いが、言葉にできない思いがあることを知った奉太郎の姿が、もう、こついてやりたいほどにいじらしく、にやけ笑いが止まらなく。そして冷静に見れば、えるちゃんと奉太郎の二人の関係性、或いは、語られる言葉の端々から感じるそれぞれの思いの瑞々しさ、鮮やかさ、一途さが、えるちゃんが『戻る場所』と言った土地の、自然の美しさと一体化して、清廉さすら感じさせる余韻が胸に残る『遠回りする雛』。すごいね。えるちゃん。そこまで考えているなんて、本と、すごいよ。立派だよ。涙が出そうになったよ、私は。奉太郎がさ、もし、口に出せなかったあのセリフを口にしていたら、えるちゃんはなんて答えていたかな?てか、奉太郎よ、気づいているか?その台詞は、半ばプロポーズと同じだよ、ふふ。狂い咲く桜の下を歩くえるちゃんの顔を見たい、そう、切に願った奉太郎。それが、えるちゃんが、『わたし、気になります』と口にする対称に抱く思いと同じだとして、だとしたら、ふたりのそれは、いつか、交わる日が来るんだろうか?いつか、ふたりの見るものが、見たいと思うものが交わる日が来るんだろうか。そしていつか、それらを、ふたり一緒に見る時は来るんだろうか。それは、福ちゃんとまやかちゃんにも当てはまる。『端的に言えば、時間と和解できた』とあとがきで米澤先生は述べられていた。流れる時間の中で、変容していく関係性。その果てに何が待っているかなど予想してもしきれるはずもなく、ならばせめて、それが、穏やかで優しいものであれば、と願わずにはいられず、変容していくことへの寂しさ、怖さのようなものも覚えつつ、次作への、この先への期待がますます膨らむ一冊でございました。お腹いっぱい、胸いっぱい(どーん)。

 

米澤穂信ふたりの距離の概算』・・・友達、と言う単語に、およそ縁にない私でも、ひょっとしたらそういう私だからこそ、大日向ちゃんの気持ちは、もう苦しいほどに理解できた、つもりです。彼女が、『友達』から言われた一言。『だって、友達でしょ』の一言。漫画とか、小説とか、ドラマとかでそのことはをよく聞くけど、どうしてだろうか。あまり、幸福な響きのそれは印象にない。むしろ、大日向ちゃんのように、この言葉にとらわれてしまった、或いは誰かをとらえるために、確信的に口にされた、どこか後ろめたいような、暗い印象の方が強い。『友達』の距離感。ましてや、それが、学校がほとんどの世界を、日常を、時間を占める彼ら、彼女たちにとって、それは、本当に難しくて、でも、とっても大事で、学校と言う世界を、日常を、時間を生きていくためのひとつの生命線、なんだろうな。『友達』。あぁ、わかるな。ただ、口にするだけなのに。別に、本人もいないんだからどうってことはないはずなのに。なのに『友達』と口にできない、何故か、それをためらってしまう『友達』と自分の距離感。あぁ、わかるなぁ。大日向ちゃん。優しいんだろうな。だから、いつかその優しさが、彼女の足かせになってしまわないことを切に願うよ。『友達』に向けた思いに、彼女自身が浸食されてしまわないことを、切に願うよ。中学から高校へ。特に、その数か月間の環境の変化ってのは、確かに『友達』、中学でのその関係にも変化が生じる時。あぁ、これも経験したなぁ。でもそれだって、半年もすればやがては収まっていくもの。いや勿論、ひょっとしたらそうじゃない人もいるのかもしれないけれど。うん。でも、大日向ちゃんにもそれが当てはまるのかもしれない。だから、彼女が口にした思いが、『友達』に向けた思いが、真実なのかどうかはわからない。そんなの、放っておけばいいんだよ。別に、もういいんじゃないかな。そうやって言ってあげたくて、でも、言えるはずもなくて、言ったところででも、大日向ちゃんはきっと変われないんだと思う。ただそれでも、その『友達』への思いが、距離感への葛藤が、大日向ちゃんの高校生活の何かを妨げてしまうのだとすれば、私は、それは嫌だ。はい。奉太郎が、だけど、そんな簡単な言葉をかけなかったのもよかったし、でも、かけなかったことに思いを馳せて、自分を顧みているところに、彼の成長を感じたなぁ。『学校』という世界、その世界の広さ、狭さ。そして外の世界の広さ、狭さ。その中で、でも、自分にもできることはあったんじゃないか。自分が、大日向ちゃんに、何の対処もしなかったのは、外の世界に関係する、それがただ面倒だっただけじゃないのか。…成長したな、奉太郎よ…お母さんはうれしいよ。でも、それが、奉太郎の『他者』の一人である大日向ちゃんに対しての、距離の取り方だったんだと思うし、ふたりの距離感は、そうである距離感だったんだと思う。今回、奉太郎は明らかに、えるちゃんのために動いた。そして、えるちゃんは他者を簡単に傷つけるような人間ではない、という自分の中の感情のために動いた。それは、奉太郎とえるちゃんとの距離は、そういうものだったんだろうし、ふたりの距離感は、そういうものだったんだと思う。簡単には言えない、でも、語弊を恐れずに言えば、『そういうものだった』で終わってしまう、どんなに手を伸ばしても届かないほどに離れてしまう『他者』との距離は、関係はあるんだと思う。距離を置きたくない、縮めたくもない、そういう『他者』との距離感をどう保つか、そういうことこそが大事なんだと個人的には思うのですが。まぁ、でも、ほんと。あそこで簡単な慰めの言葉を口にしなかった、させなかったことが奉太郎らしく、米澤先生の作品らしいな、と思いました。はいー。最後に。ふふ、そっかぁー。えるちゃん、奉太郎のおうちに、お見舞いに行ってたんだぁ。ふふふ。ふふふ。

 

はい。長い(でーん)

 

てな具合で、今回で特筆すべき、と言うか、個人的に印象に残っているのは、やはり米澤先生の『古典部シリーズ』を再読しているところですかね。

そうか、アニメ化がこの年だったのか。

アニメ、ほーんとに、ほーんとに素晴らしい出来だったもんなぁ。

 

言い方は悪いけれど(ほんとすんません)、極めて地味な日常ミステリを、だけどそこに詰められているあらゆる類の青春のエッセンスを逃すことなく凝縮して、映像作品として美しく、楽しく、そして胸に残るものとして作り上げた、あの手腕と言うのは本当に素晴らしいよなぁ。

 

本と、原作ファンで、アニメ、見たことないと言う人は、本当に見て。

素晴らしいから。

とにかくもう、登場人物が皆、かわいくてかわいくて仕方ないから。

そしてなんかもう、泣けてくるから。

 

はい。

そんな具合で今回の記事はここまでです。

読書感想文、次回は21日に放出予定ですので、よろしければおつきあいください。

 

ではでは。読んで下さりありがとうござました~。