tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

1が付く日は~私の読書歴が大放出される日よ!

はい。8月11日です。世間ではお盆と呼ばれる時期に突入するわけですが、今年はコロナの影響もあるから、あんまり人の移動とかもないんだろうなぁ~。

そんな具合で1が付く日なので、読書歴放出の日です。

ではでは。早速、スタートでやんす。

 

東野圭吾『嘘をもうひとつだけ』・・・前作とは異なり、さらり、と読めてしまうような加賀さんシリーズにしては珍しい短編集でした。どれも短いのですが、読みごたえはなかなかのもの。展開が速い分、いつも以上に、加賀さんの冴えた推理、的確に、正確に、ほとんど神がかり的に真相へと迫っていく姿が楽しめます。そして同時、そんな加賀さんに追い詰められていく犯人、それはどこにでもいるようなごくごく一般的な人の姿で、その姿が克明に描かれていて我が事のようにドキドキでした。嫌だね。加賀さんに目をつけられちゃったら、もう終わりだね。怖いもん。しつこいし。絶対、見逃してくれなさそうだし(ちーん)。はい。全五作。一番好きなのは「冷えた灼熱」ですかね。思いしていなかったような真相が、ほかの四作以上に強烈。夫に寄りかかることができなかった妻、そして妻をそんな風にしてしまった夫。その二人の間で犠牲になってしまった幼い命。夏の凄まじい暑さが伝わってきて、くらり、くらりとするようで、まるでこの事件そのものが夢、夏の灼熱が見せた夢なんじゃないかと思わせるような具合で。けれどそれでも、自分の子の遺体を保存するために、隠し通すために、樹脂を流し込む父の姿が、その悪魔のように冷酷で、冷静極まりない所業が、とてもおぞましくて、ぞっとするようで。それが灼熱の中に鋭く差し込んでくる冷を思わせ、それが事件が真実であること、物語を引き締めていて、まさしく相反する二つの温度、感覚のバランスが絶妙でした。悲しい話だよなぁ。相変わらず、社会問題と結び付けて、それを物語として昇華していくのがうまいよなぁ、と感心しきり。てか、短編なんですけど長編並みにネタが豊富なんだよなぁ。本と、この作家さんの引き出しの多さ、手の内に持っているネタの多さをしみじみと感じます。あと、人の姿だったり行動を書いて、そこからその人の個性を導き出す、そして加賀さんがそれに基づいて真相を導く、という書き方が本当にうまいと思った。作家さんなんだから当たり前だけど、状況を、人物を説明ではなく、物語として組み込むのが本当にうまいなぁ、と。妙なところで感心しました。はい。市井の人が、石に躓いてしまったかのようにして、罪を犯し、それを懸命に隠し通そうとする悲しい姿が描かれていた、心に静かに染み入るような連作短編集でした。

 

東野圭吾鳥人計画』・・・鳥人と超人、かけてるのかなぁ、と読み終えてしみじみ思う。犯人が密告者を推理する。そんなありそうでなかったタイプの作品ですが、その色合いはもちろんですがそれ以上に、鳥人計画の謎に対する部分が色濃くて、ぐいぐいと物語に引き込まれていきました。ちょっとスポーツに詳しくなれた気も。その計画が明らかになった時、浮かび上がってきたジャンパーの姿。勝利のためだけに、ある者はモルモットのように利用され、ある者は機械に征服され、ある者は命すら落としてしまった。あまりにも非人道的な計画に振り回されたジャンパーたちの中で、でもやっぱり、ひときわ悲哀を放っていたのは楡井さんだと思う。それまで描かれていた楡井さんの姿は、まさしく天才と何やらは紙一重、を地で行くような天衣無縫で明るすぎるくらいに明るい。何を考えているのかさっぱり読めなくて、ただ飛ぶことのためだけに生まれ、生かされ、生きてきたようなものだった。ところがその彼が、峰岸さんの計画を知っていた。毒薬をなめたという、それで峰岸さんに許してもらえるかなと言った彼の胸の内には、どんな思いがあふれていたのか。ジャンプがすべて、周囲からもそれのみを求められてきた彼だったからこそ、そのことで自分を支えてきてくれていた峰岸さんに対しては絶対の信頼を寄せ、だからこそあんな手段を、不器用すぎる手段をとった。あれが、彼にできる精いっぱいだった。彼には、ああすることしかできなかった。それまで描かれていなかった、そんな楡井さんの姿、思いが最後の最後に明らかにされたことで、天才と呼ばれた一人の人間の、あまりに人間臭い面、悲しい面が胸を突いたし、そんな彼になるために計画に振り回され続けた翔さんの哀しみ、怒り、さらには、夕子さんの葛藤も鮮やかになったように思いました。謎を孕ませたまま、それが明らかになる時、新たな人間ドラマが存在している。そのあたりは、もう、あざといくらいにさすがだな、完璧。人は弱く、けれど、その弱さの限界に挑戦するようにジャンプするから、その姿には惹きつけられるのかもしれないな。はい。東野先生らしい、引き出しの多さと論理的な推理の応酬と、驚きと共に胸を突く真相が楽しめた一作でございました。

 

井上夢人『ダレカガナカニイル・・・』・・・意識が解放されて飛び出して誰かの中に入る、誰かの中で生きる。そんな、偏見かもしれないけれど、怪しげな概念を全編に押しとおしたまま、けれどビデオテープの仕掛けにミステリらしい仕掛けを、工夫を凝らした異色作。この作者さんらしい、お得意の一人称に主人公像。そして、オルファクトみたいな、感覚的な現象を文字にして書かれたら、この作者さんは強いと思う。今作も、頭の中の声という存在が、最初は不快で仕方なかったし、後になれば妙なコンビネーションが面白く、不思議と愛しかったし。そして後半、声と僕の立場が逆転したときは、まるでそれこそ本当に、意識だげが鮮明なまま、身動きが取れない暗闇に閉じ込められたようで、息苦しくて怖かったし。後、やっぱりこの作者さんお得意の、恋愛小説の部分も。てか、晶子ちゃんとの思いのやり取りは恥ずかしすぎるってば。でも、最後のほうは切実だったな。母親にいいように利用されてきた晶子ちゃん。純粋な彼女の、最初にして最後の恋。それが素敵で、本当に嬉しいものだったから、彼女はあの結末を選んだんだろうな。でも、同じような思いを抱いていた主人公にとっては、たまらないよな。声なき悲鳴を通り越して、空気と化してしまったような主人公の絶望と悲しみが余韻ぶかいラストでした。

 

古泉迦十『火蛾』・・・難(ちーん)。久しぶりに読書で猛烈に頭を使った気が。推理云々というよりも、物語そのものを理解するのに頭を使ったというか。あぁ、でも、必死で理解しようとしてどうにかこうにか何とか理解することができ読み終えられて良かったです。まずは文章が美しかった。漢字で表現される世界の美しさに酔いしれました。古典文学を読んでいるようで、特に明と暗、夜から朝へと変化する合間の光と闇の濃淡、様々な色の鬩ぎあいが息を呑むほどに美しく迫力があった。イスラムの世界ってぼんやりとしたイメージしかなかったけれど、それがすごく具体的な形になったように思い、一度、その世界を見てみたい、この地を訪れてみたいと、目に焼き付けてみたいと強く思いました。それから難しかった物語そのものもすごく魅力的だった。この辺の宗教事情がとても複雑で、争いの元になっている事がある事は何となく知っていたのですが、それが不思議でならなかった。でもこの作品を読んだら、簡単に言ってしまえば、宗教に生きる人たちのあまりに禁欲的、全てを信ずる教えに注ぐような生き方が凄まじく、理解できないからこそ理解できた気がしました。本当に、これまた簡単な言い方だけど、もう教えが、宗教が、ただのそれじゃないんだろうな。生きる事、生き方そのものというか。あの土地そのもが教え、宗教というか。言葉にするのは難しいけれど、何か、総体的なものなんだろうな、と強く感じました。宗教による言葉の解釈、扱いの違いも興味深かったです。言葉の無力さ、怖ろしさを痛感していながらもけれど、言葉でしか伝承できない教え。だからこそ、その矛盾を解消するために、否定するために、弟子は死を殺す。凄まじいじゃないですか。物語はそんな具合に凄惨で、アリーの哀しみはどこまでも深いものなんだけれども、でも、何かしらの強さのようなものを見たのは、そこに生きる、宗教に、教えに生きる人たちの姿、息吹がしっかりと描かれていたからでしょうか。明かりに身を、美しく焦がしていく火蛾。その儚さと哀しさを纏いながらも、けれど、脈々と受け継がれてきた教えに、宗教に、かの地に生きる人たちの姿に思いを馳せたくなるような、そしてまた、言葉では語り辛い、感覚的な鮮明をもたらしてくれた作品でした。

 

・法月倫太郎『ふたたび赤い悪夢』・・・読む順番を間違った。続編じゃないけど続編みたいなもんじゃん。一言、その旨を書いておいて欲しかったよ。「頼子のために」の事件がどれほどの痛み、無力感を綸太郎に与えたのか。本作でもそれは描かれていたけれど、感じられたけれど、やっぱ可能ならそれは直に味わいたかったよ…。そしたら本作の読み方も少しは変わっていたかもと思うと何とも悔しい。まぁ、そのうち読むけどさ。でも犯人まで明らかにされてるんだもん(ぐすん)。はい。そんなこんなで、この前読んだ短編をイメージして読んだら。あまりにも綸太郎が真面目というか、深刻な痛手と空虚に悩まされているのでびっくりしました。探偵であること、或いは、探偵であろうとすることのどうしようもない無力感と怖れと、怒りにも似た空しさと。それは或いは、探偵を描いてきた法月先生自身のものだったのかもしれないけど、とにもかくにも、物語を通して、色濃く描かれていたそれには息が詰まるような思いでした。だから後半、謎を解く手がかりを得て、そして一つ一つ小さな事を拾い上げながら真相へと近づいていく綸太郎の生き生きした姿には安堵したし、やっぱこうじゃないと、と嬉しくなりましたよ。はい。全編を通して探偵であることに苦悩する綸太郎、その姿を通して、人が人に関係する事、その人の物語に関与することの困難さ、そのことへの疑い、だけど、明確な答えではないけれど、それこそが世界なのだという答えのようなものを考えさせられたように思います。17年前の事件が特に、それを強く訴えていたような気が。・・・現在の事件の真相は、結局そうだったんかい、と突っ込みたくなるようなものだったし。母親が殺人者であること、そしてその血を受け継いでいると信じ、恐れて生きてきた美知子。真実を、彼女のためにひた隠しにしてきた通代さん、雅則さん、あるいは稔さん。その母と娘が再会し、そこから真実が明らかにされるシーンはそうした色んな感情が交錯し、本作のタイトルが皮肉なくらいに痛感できて。でもだからこそ、明らかになった真相にはほっとしたし、その後、周囲に支えられ、自分で取り戻し獲得した輝きを纏った美知子さんの姿には感動。人は人の事を完全に完璧に理解することなんてできない。だから人は、自分の力で悪夢を終わらせ、立ち上がり歩き出すしかない。でも、人は人のことを思うことができる。だから人は、手を引かれることで悪夢を終わらせ、支えられて立ち上がり歩き出すことができる。綸太郎や美知子さんの姿からそんなことを感じた長編でございました。

 

山口雅也『キッズ・ピストルズの冒涜』・・・シリーズ一作目。全四編の短編集だったのでリズム良く読めていけました。後この人の作品は、何気ない会話の部分が面白く、ミステリにありがちな、だらだら説明するだけの文章が、会話が何ページも続くということがないので本当に読みやすいです。物語一つ一つに知らなかった事、たとえば芸術の歴史やジャマイカのレゲエ文化などが、楽しく知る事が出来たのでそれもお得な気分。パラレルイギリスの舞台設定もいいじゃないですか。探偵が国に認められ、国家の犬と化したような警察よりも権限を持っている、なんてミステリファンにとっては夢のような世界。そしてこのシリーズではその探偵は、山口先生お得意のパンクに生きるキッドとピンク。更にはあのホームズの隠し子と豪語するシャーロックホームズジュニア…って言ってもおじいちゃんだけど(笑)。個性豊な面々でこれもなた読みやすく楽しかったです。全四話。どれも好きですね。「むしゃむしゃごくごく」は被害者が他人事とは思えない。あんな仕掛けをされたら私も間違えなくドアを開けちゃうな。非常に説得力があったし、そんな生き方に落ちてしまった老女の悲しみが浮かび上がってくるような作品。「カバは忘れない」は真相に驚嘆。思いもつかなかったし、そんな真相を通して人種差別について考えさせられました。「なぁ、太陽の子よ」と笑い飛ばしたキッドが最高にかっこいい。「まがった犯罪」も最後のキッドのセリフが痺れます。芸術と犯罪の組み合わせは似合いますね。そして「そして誰も」はジャマイカ文化が知識欲を刺激してくれ、思いもよらない真相とブル博士の迷走が楽しめた一作。以上、山口先生らしい、エッジとひねりが利いた一作でした。

 

山口雅也『キッズ・ピストルズの妄想』・・・二作目。前作に比べると一作が長く、ちょっと説明が長かったところもあったので読み進めにくかったですが。というか、あれ。三作とも個人的には謎解き云々よりもその動機、そこに至った人の心の解明にこそ、山口雅也の作家としての魅力が詰まっていたように思います。はい。重力に勝とうとした男、箱舟にすべてを捧げようとした男、そして庭を、そこに存在する長き時空を愛した男。それらの人を主人公に起こった事件に対し、キッドが口にし続けた言葉。人は誰しもが、時には他人から理解されがたい、時には妄想とも映るような哲学、世界を持っている。そこを共有しようとすることから、事件解決は始まる。その言葉がこれ以上ないというほどに、どの事件の真相にも当てはまるのであります。そして明らかになった真相に、主人公たちが抱き続けてきた哲学、世界、ひいては妄想がどうしようもなく一途であり、また子供の戯言のように無邪気で、故にどこか狂気じみていて、美しく、そんな妄想に囚われてしまった主人公たちの生き様が、事件そのものが滑稽であり、悲しく見え、けれどやはり美しく見える。手の届かない彼岸の景色を見ているようで。うーん、この辺りはさすがですね。はい。「反重力の塔」・・・もう、本当に。重力談義、謎解き談義が延々と続いていた時は、どうなるかと思いましたが。すごいね。もう、キッドが、博士がなさんとした事を解明した時は、頭の中がきらきらした。あまりの美しさに。狂った、だけど一途な博士の妄想の美しさに。本と。すごいね。こんな発想、だれが想像つく?「ノアの」・・・これも壮大。すごい。唯神論者と進化論者の議論はすごく興味を引かれました。日本じゃまず、起こり得ない事件だよな。墜落した鳩の、悲しいまでの白さが強烈な余韻を残す作品。そして「永劫の庭」…あぁ、もうたまらんですよ。わかる。100年後の庭を想像し、至上の幸福に浸っていただろう伯爵の気持ちが。或いはその幸福を共有して庭師さんの気持ちが。本当にもう、その時の時間ってのは、絵にも言われぬほどの豊かさ、幸福に満ちていたんだろうな。ラスト、真の宝のありかを告げた伯爵は、死しているのに、この世のどの生きている人よりも幸福で、まるでただ一人の勝者のように見えてもんなぁ。うん。あぁ、だからこそ、キッドが庭師さんに言った言葉も、本と心憎いじゃないですか。くぅ(悶絶)。はい。そんなこんなで、一途に、狂った、故に美しい妄想の乱舞をとくと味わえた一作でございました。

 

山口雅也『キッズ・ピストルズの慢心』・・・三作目。全五作ということで一作あたりのページも少なく、内容も軽くやさしく、前作に比べるとサクサクと読むことができました。「妄想」は覗いてはいけない深淵を描き切った傑作だったけれど、今作のような山口先生らしい、そしてパンク探偵らしいユーモアと痛快さ、少しの切なさに溢れた作品もいいですな。まずは表題作。これと最後の「ボンテージ殺人事件」はキッドとピンクの生い立ちなんかが書かれてあったのですが、どちらも似たようなもの。決して経済的に豊かではなく、受けて然るべき愛情、庇護に恵まれていたとは言い難い。けれど、そんなギリギリのところでも二人が生きていけたのは、その心が逞しかったからなんだろうな。周囲に期待するのではなく自らの心に期待し、自らの力で人生を切り開いていく。自らの信じるものを信じ生きていく。その逞しさと、心の柔軟さがパンクという思考、生き方に結び付いていって、かくも面白きパンク探偵ができあがったんだろうな。適度に冷めた視線、けれど決して屈しない思い。自分を信じきる力。そんなものを二人には感じ、羨ましく思いました。キッドの事件は真相がわからないまま。けれど、未来はあるのだと証明するために事件に立ち向かうと決心したキッドの姿には胸打たれたし、ピンクの事件の方は、SMの定義なんかが興味深く、頷ける思いもありました。ピンクの篤い友情もびしびし伝わってきました。残り三作「靴の中の」「さらわれた幽霊」は状況が変わっていて面白かったです。どちらも、親子という関係が軸で、そんな中で起きた事件だからこそ、「さらわれた」の最後にキッドが呟いた言葉は感慨深かったです。でも、一番のお気に入りは「執事の血」。いいね、執事。イギリス人の血、気質が、執事に向いているという話や、執事がどれほど主人に忠実であるか、それを示す歴史などがとても面白かった。主人のためならば。主人の命があるならば。その盲目的な忠誠心、一途さのベクトルが狂った方向に向いてしまっている。思いもしていなかったラストに、まさしくそんな「執事の血」を、まざまざと見せつけられたような思いで、ぞっとしました。でも、そんな執事だからこそ、罪を犯してほしくはないと切実に思いましたよ。はい。そんなこんなで、非常に読みやすく、でも満足度はたっぷりな一作でございました。

 

井上夢人『プラスティック』・・・どうなるんだ、どうなるんだ。目まぐるしく入れ替わる登場人物に、断片的に明かされる出来事。場所も時間も飛びに飛びまくり、果たして真相はどこに、どうやってまとまるんだ!と、ワクワクドキドキだったのですが。真相を明かされて思わずガックリ。…よもや、多重人格なんてべたもべた、べたべたすぎるネタだったとは、と思わず失笑。次いで、そんなことに、微塵も思いが傾かなかった自分にも失笑(ちーん)。そんな具合なんですけど、しかし、あら不思議。そのあとにこそ読み応えがあり、また、登場人物の哀切な思いも伝わってきて、最終的には井上作品の中では、一番好きな作品となりました。まぁ、事件に関してはそんなものなので、一人が一つの体であれもこれも、あちらこちらで、実に忙しく立ち回っていた次第なのですが。作品の紹介文では、フロッピー(懐かしい!)に残されたファイルを、パンドラの箱にたとえていたけれど、本当にその通りだな、としみじみ。開かれてしまった、みんなが主人公の、だけど、主人公不在の、あまりに悲惨で凄惨な物語。それぞれの人物が、自ら、或いは、自らと同じでありながら異なる他者と向き合うことを余儀なくされ、一つの体、心は混乱に混乱を極め、終わりを迎えようとした。けれど、最後の最後、主人公たる主人公を支えたのは、やはりというべきか、悲しいかな、それでも、その存在しながら不在の主人公たちだった。ただ一人の「自分」。そこに、彼ら、彼女らは自らを託そうとかけた。自らの存亡を懸け、ただ一人の自分である本多初美に全てを託した。だからこそ、その自分を信じてほしい、その自分を認めてほしいという思いはあまりに切実で、胸が締め付けられるようでした。もっとも冷静で、ただの関係者だと思われていた高幡英世もまた、パーツでしかなっかた事。そこがまた驚きだったし、そんな高幡が思いを吐露したからこそ、哀切極りなかったです。空白のまま、全ての主人公たちから託されたファイル。本多初美は、そこに何を記すのだろう。そもそも本多初美は、主人公として現れるのだろうか。あまりに辛く、苦しいのだろう彼女の人生を思うと、或いは目覚めない方が、という思いもわいてくる。だけどそれでも、どうか、本多初美が、たくさんの存在しながらも不在で、けれど、確かに生きてきた主人公たちの思いを生かすように自らを認め、あの空白のファイルに、自らの言葉を記してくれることを願うばかりです。人が、その人だと、他者から判断される要因は何なのか。外見だけがそうであれば、そう判断されるのではないか。そんな危うさとともに、ならば自分が自分を自分だと判断する、できる要因は何なのか。そんなことも考えさせらせた、箱の底に残っていただろう一縷の、微かな希望を信じずにはいられない作品でした。

 

アガサ・クリスティそして誰もいなくなった』『アクロイド殺し』・・・二作まとめての感想です。一作じゃ多分とても短いだろうから。はい。まぁ、あれ、今更って感じもしないでもない。でも、小さい頃、「そして誰も」のあらすじを読んだ時はドキドキしたし、「じゃあ、だれが犯人なのさ」と不思議に思ったもんなぁ…。あと、どんだけ怖い作品なんだろうとも思ったし。一方「アクロイド」は知らなかった。でも、あれだけの惹句が踊っていたのでめちゃ期待。…そうね。まずはやっぱり翻訳ものは苦手です。あの芝居がかったセリフ、何とかならないんだろうか(遠い目)。後、登場人物を覚えるのが・・・くっ。読めるなら原書のまま読みたいよなぁ。はい。で、読み終えて、共通して感じたのは、いかにこの二作、或いは、他は読んでいないけれど、アガサ・クリスティという作家が残した作品が、現在活躍されているミステリ作家さんに影響を与えているかということ。それをもう、強く強く感じました。正直、ここまでだとは思わなかった。綾辻先生の「十角館」。あの緊迫感や、凄惨なんだけど、不思議とそれを感じさせない作風、最後の罪の告白を詰めた小瓶の存在。それらはまさしく「そして誰も」のものだった。或いは、有栖川先生の江神さんシリーズ。あの作品に登場する挑戦状。そこに書かれた「読者には全ての情報が明らかにされた」的な(いい加減)文章。あれも「アクロイド」を読んだ今なら、なんか痛快なくらい、クリスティに対する挑戦状のようにすら感じられる。そう思うと、月並みな言葉ですが、本とすごいなって。そしてまた、「そして誰も」の真実。殺したい人間がいるから殺すのではなく、自らの欲望としての「殺したい」というそれがあって、だから対象はある意味では、誰でもよかった。そんな人間の心理は、当時としては画期的で、それこそ怖気が立つほど恐ろしいものとして、読者には映ったんじゃないだろうかな。「アクロイド」の手法も、そりゃ当時としては異例で、凄まじい反響だったと思う。そう思うと、もちろんクリスティだけじゃないけれど、いかに、現在のミステリの基礎をこの人が築いたのか、この人の作品があって、その上に築かれてきたのかを、まざまざと感じました。すごいね。あぁ、だからこそ、叶うなら、リアルタイムで、イギリス人として原書で読みたかったなぁ。あぁ・・・しかし、ほんと、すごいね。当時にこんなことを思いついて、こんな作品を書き上げたんだから。まさしく、現代ミステリの母。すごい。

 

若竹七海依頼人は死んだ』・・・…色々あったこの二か月…本が読める精神状態じゃなかっただけに、本と、本が読める生活環境、精神状態ってありがたい、としみじみ思う今日この日。そんな具合でもう随分前に読んだ本なのであまり感想らしい感想もないのですが。主人公がかっこよかった。私も彼女くらいタフになりたいわ。そのキャラクターのおかげか、どの物語もクールでドライ。プラス、シニカルな笑いもあってサクサクと読むことができました。結構ヘビーな、陰惨な事件が多かったのにね。それを、そうとは感じさせないというか。そんな一冊でございました。

 

有栖川有栖『女王国の城』・・・これも読んだのはずいぶん前だ…しかも、騒動の最中だったので本となんか、もうやっつけだった気が…。シリーズ最新作なんですけどね。うーん…なんか、ちょっと長すぎたかな、という気も。いろんな意味で微妙な時期に差しかっていたみんなの心の機微なんかが丁寧に描かれていて、その甘酢っぱい感じが伝わってきただけにこの長さが残念だったよな、と言う気も。事件そのものは、すんません。あんな状態だったのでもうほんとやっつけでした。ただ動機が私好み。最後の最後にきて、女王という設定や、宗教施設で起きた事件という意味が生かされたような気がします。いいじゃん。予言を当てないために、たったそれだけのために人を殺す。その狂い具合がたまらん。はい。そんな具合で、果たして次回作が最後になるんでしょうか。ミステリ要素はもちろんのことだけど、最後の最後、皆の心の動きも是非、これまで以上に読みたいな、と思いました。どーん(逃亡)。

 

高村薫『照柿』(文庫版)・・・で、これはほんとに最近。願わくば、この読書環境が長く続きますように(切実)。文庫版です。それこそもう、十年ぶりくらいに読んだんですけど。なんか、つくづく、酷い話じゃない?褒め言葉ですよ、勿論。なんてかもう、空しいし寂しいし、挙句結末はあんなだし。当時はあっさり受け入れられたけど…締めの締め、義兄ちゃんの言葉は甘すぎる、優しすぎる、都合がよすぎる。その優しさがあってこその、まぁ、結局の二人の煮え切らない、隠微な関係なんでしょうけど。まぁ、しかし、ほんと。凄まじいというか、なんかもう、言葉を失う話というか。当時は、業の話、なんて生意気な感想書いてましたけど、そんな生易しいもんじゃないよね、これは。登場人物全員が、虚無の中でもがいている。それを、意味も理由もない狂気というものが、さらに貶めるように弄んでいる。そんな様を描いたような作品だと思う。辛うじて合田さんの壊れっぷり、権力暴走っぷりは理解できたけど。達夫が最終的にあの結末に行きついたのは、幼い頃、合田さんに放たれた一言があってのことなのかどうか。美保子が、真に手に入れたかったものは何なのか。あんな甘言を吐いた義兄ちゃんの真意はどんなものだったのか。なんかどれもが、照柿色の雨にどろりどろりともっていかれてしまったような。だからもう、読者としては、あぁ、とため息をつくしかないような。凄まじい作品だと思う。うん。てか…結局人生って、生きるってこういうものなんだろうなぁ、と生意気にも思う。こんなもんなんだと思う。虚無の中をもがき泳ぎ、安寧の地をどうにか手に入れようと苦しむ。けれど、真実、自分が何を望んでいるのか、それがわからない。そもそも、そんなことを考えて生きている自覚すらなく、だからこそ、義務的に、機械的に生きている中で、何か事が起こると、或いは、些細なことの積み重ねで、それが契機となって、どうしようもなく揺さぶられ、目にし、触れる事のなかった狂気がすぐそこにある事に気がつく。そうなるともう、後はどうしようもなくなってしまう。そんなことをひしひしと感じました。…人間って、人生って寂しいよなぁ…。そんなことが、凄まじい、ひたひたとした迫力と共に迫ってくるような一冊でございました。これほど、突拍子もない話でありながら、これほど、生活、生きる事に根差したミステリもないと思う。はい。

 

宮部みゆき『あやし~怪~』・・・わーい。マイパソコン(どーん)。はい。買いましたよ、パソコン。その最初の感想めっちゃ久しぶりな宮部先生の作品です。怪談もの。どんなんだろうとちょっとドキドキだったのですが、宮部先生らしい、丁寧な文章で、しかも短編ものだったのでさくさくと読み進めていけました。てか、そうだね。怪談物だからもっと怖いのを想像していたのですが。まぁ、確かに怖いのもありましたけど、全体的には、怖いというよりもしんみりとか、切ないとかいう作品の方が多かったような気がします。宮部先生らしい、人情に訴える怪談、って感じかな。好きな作品は「時雨鬼」と…手元に本がないのでタイトルがわからないままですが(汗)、カボチャの話。前作は、あっと驚くオチがミステリとしても十分なものだと思ったし、水溜りに映った自分の顔が鬼だった、というのがとても考えされせられた。人によって、人は鬼にさせられるのかもしれないし、それでも人は、自分の中でそれを育て、最終的にはそれと同化してしまうのかもしれない、と思うと、今の自分の顔はどうだろうか、と胸が変な風に痛む思いも。カボチャの話、思い出しました、「女の首」は、女の首、そのものの怖さもあった一方で、太郎のお母さんの愛情や、『よりにもよって、なんでカボチャなんかを』の最後の結びが、宮部さんらしいユーモアを感じられて、怖くもほっこりした作品だったように思います。江戸時代の、特に丁稚奉公の様子が描かれていて、今とは違う、幼くても働くことを義務付けられていた当時の風習に、大変だっただろうなぁ、と三十にもなってろくに働いていない私は、さすがに恥ずかしい思いも(ちーん)。本当に怖いのは、生きている人、それそのもの。そんな怪談の定番ともいえる教えをはらんだ話の一方で、本当に解決されないままの、不可解な謎、怪を描いた話もあり、今の季節にピッタリのような、ちょっとヒンヤリ、ドキドキ、ほろり、まるで自分も物語の中に入って、江戸の町を生きているような感覚を味わえる一冊でございました。  

 

高村薫マークスの山』(文庫版)・・・新潮社版です。はい。山に、途方もない解放感を求めるのは、己の矮小さからの勝手でしょうか。よくわかりませんが、なんか、山に登りたいと思いました。水沢が見た光景を、この目で見たいと思いました。最後のページがあまりにも美しく、なんかもう、涙が止まりませんでした。こうやって、この年になって読んでみるとほんと、いろいろ気が付くことがあって。平たく言えば、警察小説としてこんなにも魅力ある作品だったんだ、とか。七係の面々、あまりにも魅力的すぎやしませんか?そのやり取りの生々しさ、荒々しさと言ったら、警察小説の醍醐味以上のものがありますよ。合田さんの煩悶。なんか、すんません、こんな小娘に、と突っ込まれそうだけどもう、痛いほどわかると言うか。それでも、義理兄ちゃん含めて、どうしようもない組織の中にあってただ自分に恥じないよう、個人の矜持にかけて奮闘している姿が私にはないもので、なんか、泣けてきた。社会で働いて生きるって、ほんと、どうしてこんなにもしんどいことだらけなんだろう。それでも、本当に、私の目には合田さんや義理兄ちゃんや、或いは七係の面々が眩しく見えました。余談。こんな合田さんが、照柿精神に至るまでに何があったのか。できればもう一作、この間にあったらなぁ、と思った次第。あと、レディでの義理兄ちゃんの合田さんへのキレ台詞の真意が、もう苦しいほど理解できた。そりゃそうだよな。ほんと、十八年、なんだと思ってたんだよ。はい。それから何より、マークスと水沢と真知子さんとか。マークスの暗い山。そして最後、水沢が見た明るい(あぁ、こんな言葉しか出てこないことが悔しい)山。その対比が、もう鮮やかで。その暗さ、明るさの振り切れ方も尋常じゃなくて、本と、なんか、もう言葉が出てこないって言うか。くそ、過去の私が何を思っていたのか、見たら短い感想しか書いてねぇよ、くそ。はい。なんか、多分、昔の私はマークスの山、それは水沢の山、くらいにしか思ってなかったと思うんですよ。でも、違うな、って。これは、マークスの山なんだ、と。暗い、暗い、あまりにも暗いマークスたちの山であり、水沢はそこに呑まれてしまっただけなんだろうなぁ、と。酷い言い方かもしれないけれど、この作中にあって水沢は道化役でしかなくて、犯罪の真の主人公で中心人物はマークスだったんだな、と。だからこそ、最後の最後、暗い山を振り払い、明るい山と一体化した(あぁ、今震えが走った。あかん)のは、その水沢に与えられた慰めのようにも思えて。あぁ、私も見たい。水沢が見た山を、私も見たい。もう、こりゃ、私なんかが言わなくてもあれですけど、あれ、不朽の名作だと思う。合田さん三作品。山、柿、レディ。この三作品は、もう、読むたび、本に蹂躙されるという感覚に陥ります。はい。ほんとね、すごいね。水沢が見た山を、私は見たい(どーん)。ドラマでは、高良さんが水沢をやってますね。見たい気もするけど、それ以外のキャストが何なんで見ません。てか、この作品はドラマ化、映像化なんて無理だと思うよ。

 

そうか・・・今使っているパソコン、購入したの2011年なのか・・・もう9年も使っているのか・・・そりゃ、ガタも来るはずだぜ・・・(遠い目)。

 

あと途中、やたら短い読書感想文が出てきていますが、こういう時は、大体、私の精神衛生状態がよろしくない、大体、母親と何かがあった時です。はい。

 

相変わらずだなぁ。

 

はい。と言うことで、今回はここまででございます。

読んで下さりありがとうございました~。