tsuzuketainekosanの日記

アニメや声優さん、ゲーム、漫画、小説、お仕事とのことなどなど。好きなことを、好き勝手に、好きなように書いていくだけのブログです!ブログ名の『ねこさん』は愛猫の名前だよ!かわいいよ、ねこさん!

1が付く日は~読書感想文大放出の日

と言うことで7月初の読書感想文開放日です。相変わらず、長いものは長いです(汗)。

せめて文字数を少しでも減らそうと、読み返してみてあまりにも意味のない言葉などは削ってみましたが・・・それでも長いものは長いのでどうしようもありません・・・す、すまぬ。

 

ではでは。一応、今回で2010年度分は終了です。

ほっ、と胸をなでおろすような思いです。

 

我孫子武丸『殺戮に至る病』・・・大どんでん返しがある、と聞いていたので、注意深く読んでいたのですが・・・『へ?』とラストでは、何がなんだかさっぱり。狐につままれたような気分で、それから、冷静に物語を振り返ってみて、ようやく全てを、トリックを納得。そして感嘆。成程ねぇ・・・読み返してみると、確かに、ちらり、ちらり、とそれらしきトリックを解くための鍵は撒かれているような気もするけれど・・・これは、ほぼ、見破るのは不可能でしょう!あっぱれ、安孫子先生!いや、しかし・・・いちばん、気の毒なのは、愛ちゃんじゃね?お父さんは、こんな事件起こしちゃったし、お兄ちゃんは、殺されちゃったし(これがいちばん、気の毒だよなぁ・・・。最後、息子と認識されないまま、父親に殺されちゃったんだもん)、お母さんは、あんなだし。うぅ・・・気の毒。そうだなぁ。今でこそ、こんな感じの事件は珍しくないような感じだけど、当時は、やっぱり、センセーショナルだったんだろうな。そして、何より、この家族のあり方と言うか。『家族の中で暴走する息子』『適切な距離を取る事ができない親子関係』という構図は、今の社会でもじゅうぶん過ぎる程に通用する事だし、『社会的病理者による犯罪』、その問題については、なにひとつ解決されていないように思う。当時でも、じゅうぶんすぎる内容だったけれど、今の社会では、『今の社会』だからこそ、『小説』の中の事件ではないようにも思えて、別の意味でぞっとするような。ミステリとしては勿論、社会的な問題とミステリの面白さとが融合した作品だと思いました。色々、考えさせられました。

 

東野圭吾名探偵の掟』・・・今作も、『超・殺人事件』を彷彿とさせるような内容で、面白く読めました・・・と思ったんだけど、なんだろう、読んでいく内になんだか、一抹の寂寥感がこみ上げてきましたよ・・・。これは、アレですかね、東野先生の憂いが移ったんですかね。うーん・・・なんだろうかなぁ。このトリックの乱舞をどう思うか、ですよね。お見事!と思える反面、そうか、ここまでけちょんけちょんにけなさなければ、東野先生の憂いは表現できなかったのか、とも思うとほんと、なんか憂。一方で、これを、東野圭吾のいつも通りのいたずら心と見るか(笑)。てか、本と、これだけのトリックを思いついて、書ける事自体が、すごい。でも、なんだろ、ちょっと東野先生に対するイメージが変わったかな?うまくはいえないけど、でも。既存の推理小説、ミステリというものに対して、深い愛情をもってらっしゃるんだな、と。そして、だけど、そういうカテゴリを越えて、そういうカテゴリにとらわれしまう事こそ、実は、勿体ない読み方なんじゃないのか?或いは、作家にとっていちばんの敵なんじゃないか。重要なのは、面白いものを書き、面白いものを読ませ、読者は面白いと思えること、そこにあるんじゃないか、という東野先生の作家としての決意、姿勢を見たように思います。

 

花村萬月『ブルース』・・・「萬月よ。何が哀しくて、こんな話を書く」は、北方謙三さんのあとがきの文章ですが、いいですね。最高の賛辞だと思う。素晴らしいあとがきだと思う。はい。そんなこんなで、花村さん。なんか、つくづく、暴力シーンの美しさと、徹底した花村哲学、失い、得ようとする人間が突き当たる壁のようなもの、或いは、生き様、そういうものをひしひしと感じました。今回の話は、やっぱり、徳山でしょう。日本刀抱えたホモ。それならば狂気に魅入られながらも、それ故に美しい、みたいな、創作物としてありがちな男性でもいいのに、小太りで短足。あぁ、でも、そんな彼だからすごく変なリアリティがあったし、普段の言葉遣いがそのまま、陰惨な場面でも使われる事に、彼の狂気、残虐性をみたように思うし。良かったなぁ。もう、この物語は、この徳山ひとりで圧勝だと思う。彼の存在があってこその、まさに哀しき愛の物語が成立したんだと思う。こりゃぁ、敵わないなぁ。哀しいよなぁ、本とに。彼の、村上に対する愛情は、決して、どんな形でも、実ることはおろか、報われることすらなかった。きっと、そうとわかっていながらも、徳山は、村上に惹かれ続けてたんだろうなぁ・・・。ラストの対決のシーンなんか、徳山が、村上の母親みたいに見えたもんなぁ。全てをわかっていながらも、『大人』になろうとする息子を受け止める、母親のように。村上も、なんか綾が惹かれる理由がわかるような、妙な色気を感じました。彼が、刑事相手に自分の生き様を語るシーンは、ただそれだけのシーンなのに、振り返ってみると圧巻だったような気がするなぁ。何がどう、と聞かれるとわからないけど、でも、圧倒的だったと思う。これが花村萬月の衝動から生まれた物語だというのは、ひしひしと感じられました。技術云々よりも、衝動があるか否か。小説とは、そういうもの。

 

綾辻行人『霧越邸殺人事件』・・・勝手に、館シリーズなんだと思ってたら違ったよ。なんて言うんだろ、いつも以上に、幻想的な雰囲気が強かったし、すごく、哲学的でもあった気がする。犯人は、当てられましたよ!あぁ・・・でも、槍中さんの気持ちはわかるし、そこに反発と同時、見せられてしまった鈴藤さんの気持ちも、ものすごく理解できた。わかるなぁ・・・うん。わかる。きっと、槍中さんは、私のタイプど真ん中だし(笑)。いやいやいやいや。うん。槍中さんの、狂っているとしか言いようがない思いも、鈴藤さんの、青臭いまでの思いも、とっても理解できた。ふたりの、あまりに対極な、だけど真摯な深月への思い。深月は、それを知ったら、どう思うだろうか。自らもまた死を選んだ事で、槍中さんは、深月を永遠に、自らのものにしたような気がした。それはとっても、幸福なようなことのように思えて、だけど、じゃあ、深月の思いはどこに行ってしまうんだろう?死の直前、彼女が鈴藤さんに伝えたかったのだろう言葉や思いを想像すると、切なくてたまらないなぁ。槍中さんが見たかった、得たかったもの。事件を経て、時の流れを経た鈴藤さんが、見たもの、得たもの、失ったもの。その彼がたどり着いた、霧越邸への思い。乱されず、時間の概念もない、ただ永遠の眠りだけが存在するその館の存在。それは、その安息すぎる安息は、或いは人の心の奥底にある強い願望なのかもしれないな。でも、それは、生きている間には決して、足を踏み入れる事が許されていない領域なのかもしれないな。なんか、よくわからないけど(汗)、色々、考えさせられたし、しんみりしたし、ちょっと怖いような気もしました。むぅ・・・この館は、危険だな。私なんか、足を踏み入れたが最後、絶対に囚われるな。『館の力』―その言葉に依るところが多くて、ともすれば、『そんな偶然が続くかよ!』と突っ込みたくなるところだけど、でも、そこは綾辻先生の描写力。この世界観での、この館だからこそ!と思わせるだけの力のこもった描写で、個人的には、悲しいくらいの信憑力でした。ねぇ・・・そこに、そんな力すらなければ、否、最初からそんな力はなかったんだよ・・・どちらにしても、ただただ悲しいなぁ。圧倒的な求心力とスピード感溢れる館シリーズとは異なる、幻想的で、寂寞の静けさに満ちた、悲しいドラマでございました!

 

島田荘司暗闇坂の人喰いの木』・・・満を持してのお初。はい。いや、何だかもっと小難しい理屈をこねくり出されるのかと思ってたら、思いの外、読みやすかったです。あと、御手洗君と石岡君の掛け合いも、面白かった!で、事件。うーん、いいなぁ。何もかもが、いかがわしくて、怪奇的で、猟奇的で。古き良き日本の推理小説の匂いがぷんぷんして、ワクワク、ぞくぞくでございました。大楠の描写は、本当に、力が込められていて、その存在の迫力と言うか、暗い霊力、魔力、人知を超えた存在というのが、凄く伝わってきて、思わず、ぞく、としました。この楠なら、なるほど、人を喰らっていてもおかしくはないな、と思うところでしたが、それでは、ミステリにはなりません。と言う事で、その他諸々、奇妙奇天烈な事件がどのように解決されるのか。読み進めていったら・・・おう、力尽くだけど、筋は通ってる。すごいわ。物語のスケールのでかさに負けないような、超絶と表するに相応しいようなトリックで、驚き仕切りでした。そして、なにより、動機が。・・・すごいね。スゴイ動機だよね、これ。愛情と呼ぶこともできるだろうし、でも、妄念以外の何ものでもない、ただの狂気の沙汰でしかない、という事もできるだろうし。うん。だから、ひとつ。レオナさんが、御手洗君たちに、『この国に、あなたのような人たちがいると思う事で頑張れる』と言う台詞は、すごく胸に響いたし、だけど、彼女が、母の思いを護るように、『男は作らない、結婚もしないし、子供も産まない』生き方を選択したのは、私としても、色々思うところがあって、ぐっときた。それに、ふたつ。彼女の母親が、このような犯罪に至る経緯を綴った、その手記の最後の一言。私の生涯とは、自らが産んだものを否定しなければならなかった生涯とはなんだったのか。そして、その失敗は、私の存在によるところではなく、あの大楠の存在によるものだという一言。これが、また、考えさせられた。それは、ただ単、言い訳だよ、と言うのかもしれないけれど、でも・・・、と思わせるだけの力が、あの大楠にはあったと、つくづく思えるし。あの大楠がなければ、或いは、と余韻が残るラスト。恐ろしく、凄まじくも、悲しい思いも残る、まさしく一大巨編でございました!

 

本多孝好『MISSING』・・・第一印象は、伊坂先生に似ている。まぁ、これは、ご自身も認めてらっしゃる事だからね。皮肉めいたものの言い方、独特の価値観を持った登場人物、どこか浮世離れした物語の世界。それらは、伊坂先生にも通じるものだな、と思ったけれど。でも、圧倒的に静謐。ひやり、という言葉がぴったりと来るような、あまりにも静かな静けさ。そして、喪われたもの、喪ったもの、それらが放つ、深い、深い余韻。痛みとも哀別ともつかないような、静かで、深い余韻が圧倒的。また、ひた、と一点に据えられたような登場人物たちの視線、真摯な視線。それらは、伊坂先生にはない、そして、なかなかお目にかかることがないような、見事なものだな、と感じました。こういう小説を、私は書きたい。全五篇ですが、「祈灯」と「蝉の証」そして「彼の棲む場所」が好きです。「祈灯」は、ただ、ユーレーちゃんの人生に思う。死でしか終わる事のできない生き方が、確かにあるのだと、やるせないくらいに感じた。私は祈る人でありたい、と言った真由子ちゃんの言葉が、痛切に胸に響いた。「蝉の証」は、私も、主人公の気持ちに近いかも。でも、だからこそ、ラストのお祖母ちゃんの言葉が染みたし、秀美ちゃんの思いが苦しいほどに伝わってきた。どうして人は、人に思われることを求めるんだろう。それが、人の人たる証だからだろうか。「彼の棲む場所」は、「棲む」の字に、読み終えて納得。僕だけが知る、人間である彼の、「棲む」場所。そして、その彼の微笑みの裏に「棲んでいる」もうひとりの顔。純文学に近い匂いを放ちながらも、恐るべし人間の心を、だけど美しく静寂な筆致で描いた、秀作。

 

島田荘司『異邦の騎士』・・・おおっ・・・前作にも増して時代を感じた。種明かしは、納得できなくもないけれど・・・・ものすごく、効率悪くね?(どーん)。なんか、これだけの計画で人を弄するだけの能力があれば、もっと他のやり方があったように思うんだけどなぁ・・・。今回は、人喰いの木も出てこなかったから、ちょっと説得力に欠けたと言うか。まぁ、いいんだけど。だからこそと言うか、言ってしまえばこんなくだらない計画の中だからこそ、手紙で明かされた良子ちゃんの思いには、心打たれました。こんな出会い方しかできなかったのは、悲劇だったのか。それとも、それでも幸運な事だったのか。真実のところはわからないけれど、少なくとも、良子ちゃんにとっては救われた部分もあるのだと思います。なんか、だから、結局、人間にとって一番の幸福と言うのは、自分の好きな人と、自分を好きでいてくれる人と、平々凡々、穏やかに暮らし続ける事なんだろうなぁ、と後半の怒涛の展開の中で、しみじみ。古き良き時代のカップルっぽかったから、尚更、喪われてしまった悲壮感も増したもんなぁ・・・。そしてラストは、石岡君でした、というオチ。まぁ・・・知ってたし、さほど御手洗ワールドに入り浸ってない私としては、驚きは控え目。代わりに、『やっと君の名を呼ぶことができるわけだね、石岡君』の御手洗さんの一言に、彼の深い喜びと安堵を、なんだか、そう言った彼の表情までが見えそうなくらいに感じました。そのあと、『あぁ、救われた』の石岡君の思いにも。自分をも、愛した人をも、そして社会に対する一定の信頼感をも奪われかけ、失いかけた中で、それでもただひとり、御手洗さんはそこにいた。そして、全てが終わっても、そこにいた。その嬉しさ、安堵たるやどれほどのものか。たったひとり、だけど、ただひとり。こんな友人がいてくれたから、もうそれだけで、自分と言う存在の証明になるような気がするし、生きていける気がする。悲しい恋に涙し、けれど、揺るぎない鉄壁の友情に心打たれた一冊でございました。

 

梓崎優『叫びと祈り』・・・なんで、買わなんだ。猛烈に後悔。それくらいに素晴らしい作品だった。文句なしに、近年稀に見る大型新人さんの誕生だと思う。ただのミステリじゃない。そこに、圧倒的な文化の差、価値観の差が横たわっていて、とにかく一話、一話ごとに考えさせられた。しかも、斉木が行く先々の描写がまた、とてつもなく秀逸。美しい。本当に、そこの光景が、空気が目の前に広がっているようで、旅行気分も味わえた。けど、とにかく、本当に、こんなにも世界は広いんだ、と改めて自分の世界の狭さを痛感したし、世界とはなんと恐ろしいんだろうとも思った。『砂漠を走る船の上』、一話目にして、がつん!とやられた。そりゃそうだろう。こんな作品が、新人賞の中にあったら、誰だって選ぶだろうよ。砂漠に感じるロマンの中、それでも、圧倒的に揺るがないキャラバン隊の文化に、理由に、固唾を飲んでいる自分がいた。また結末として、まるでファンタジーのような雰囲気が待っていたのも最高だった。二話目『白い巨人』。これは、本当に美しい話。ラストは、目の前に、陽の光に当たって溶けていかんばかりの、真っ白な白が広がっていた。謎解きの部分では勿論、あっ、と言わされたし、でも何より、サクラとアヤコさんの結末が、とにかく、涙が滲み出てくるほどに美しかった。『凍えるルーシー』。ぞっとした。静かなる恐怖。静かなる狂気。常識など、何ひとつ意味を持たない、圧倒的な信仰の世界。前作とはまったく正反対の作品、作風だけに、つくづく、この作家さんの幅の広さを感じた。そして、『叫び』。絶望的すぎる絶望に塗り尽くされた絶望のラストシーンが、まざまざと目に浮かぶ。斉木とアシュリーと或いは私と、そしてアスランとの間に横たわっている、その深淵たるや、いかばかりか。音楽すら敗れた、その瞬間、きっと咆哮のような叫びをあげたのだろうふたり同様、私も、絶望的な、狂い出してしまいそうな気分に駆られた。読み終えて暫くは、言葉も出てこなかった。つくづく、この作者、本とに新人か、と思った。世界中に溢れている希望を、祈りを、真っ赤に塗り潰すかのような、絶望。人は、或いは、永久に分かり合える事なんてないんじゃないだろうか、と思い知らされた。こんな作品は、読んだ事がなかった。とにかく、凄まじかった。そして、だから、果たして、言い方は悪いかもしれないけれど、こんな目に遭っておいて、果たして、斉木は大丈夫なのか、と心配をしつつ(笑)、迎えた最終話の『祈り』。あぁ・・・・あぁ・・・。ラストで、涙が出てきた。勿論、それは、雪にたとえられた、雪だと信じていたものが、実は桜の吹雪だった、その美しさが心に染みた、その描写があまりにも儚く、いたいけで、でもどうしようもなく美しかったから、というのもあるけれど、でも、そんな単純な事じゃなくて、なんか、自分の中の、何かが、強く揺さぶられたような感覚があったから。そして、この結末。あぁ、と。だからこその、『叫びと祈り』なのだと。だからこその、『叫び』であり、それでも、『祈り』なのだと。森野の言葉通り、現実はあまりに厳しく、残酷で、分かり合おうとする思いは、いともたやすく折られてしまうのかもしれない。だけど、だからこそ、祈る。祈ることしか、私たちにはできないのかもしれなくて、でもだからこそ、祈る。折られても、折られても、立ち上がって、祈る。また、祈る。望みを信じて、いつかを信じて、祈る。その祈りという行為を、斉木が受ける形となる事で描かれていたからこそ、その真摯さ、痛切さ、力強さが伝わってきた。広い世界を巡ってきた物語が、最後の最後、斉木という個人に戻ってきて、それでも、また世界へと広がっていくのだろう希望の、小さな、だけど確かな萌芽のようなものを感じられたからこそ、私は、この終り方には意味があったと思うし、素晴らしいものだったと思う。とにかく、素晴らしいの一言。あまりに素晴らしい作品だったので、果たして、次作は大丈夫なのか、心配だけど(笑)、とにかく秀逸。たくさんの人に読んで欲しい、それだけの価値がある、秀作だと思う。

 

石持浅海『この国』・・・うーん・・・石持先生らしかった!と満足できた部分と、石持先生らしくなかった、と満足できなかった部分とが、半々ずつですかね。満足できたのは、二作目の『ドロッピング・ゲーム』。これは、舞台設定がとても生かされていたと思うし、石持先生らしい、ちょっと常人では理解できないようなとち狂った倫理観のようなものが(誉め言葉です(笑)炸裂で、にやり、と出来る部分もあったし、ラストは、それ故に、ひやり、としたような余韻も味わえたし。面白かったです。が。うーん・・・あとは、なんだろう。それほど、この舞台設定って、実は、特殊じゃないんじゃないだろうかな、という気も。今の日本なんて、多分、『この国』以上に、おかしなことになってると思うしなぁ。だから、なんか、さほど、こー、事件そのものも生きてないような気がしました。なにより・・・後半、アクションシーン満載じゃなかったですか。動く石持キャラなんて、らしくないですよ(笑)。石持作品に、アクションは求めてないからなぁ・・・。その辺りが、残念だった気がします。まぁ、新境地といえば新境地なのでしょうがね。うん。『この国』、終始、その表現でなされていたのが不気味だったけど、でも、やっぱり、『この国』は日本に似ている、と個人的には思いました。その辺、リアリティがあった!と思うことも出来るんでしょうが。石持先生の面白さは、こんなんじゃなくて。なんて言うかな。こー、常識の中の非常識、みたいな。ありえねぇよ、こんな奴ら!こわいよ、こんな奴ら!みたいなノリだと思うんですよ(笑)。うーん・・・だから、なんか、変にリアリティがあった分、石持先生らしさが削がれちゃっていたように思ったのでありました。はい。

 

中西智明『消失!』・・・久し振りの読書。そんな具合で手にとった本作は、とにもかくにもそのタイトルだけはずいぶん前から聞いていた一作でございます。ようやくお目にかかる事ができたので、さてはて、一体どんな内容なのだろう、とワクワクしながら読み進めていったのですが。うーん・・・うーん・・・アレだな。トリックの類がね、私の好きな感じじゃなかったからさ(言い訳)。方向とか、ドアが閉まるとか、部屋の並びとか、てんでそういうの苦手だからさ(逃亡)。だから、あんまりとっかかりからして、話に入れなかったと言うか。あと、文章がどうにも読みにくい感じも。文句ばっかりかい(どーん)。はい。いや、でも、成程ね。作者ご本人が自信満々なのも、そしてこの作品が、長い間にわたって、ミステリマニアの間で語られてきたのも、その理由が分かる気がします。犬だし(どーん)。しかも、複数の事件が実はひとつの事件だった、っていうのはありそうでなかった気がするし。うん。でも、なんだろ、読み方が悪かった、その一言で済ませておこうか(汗)。

 

はいっ。ふぅ、今回はどうにか1万文字以内におさめることができたぞ!

この中だとやっぱり、当時、めちゃめちゃ衝撃を受けたのは梓崎優さんの『叫びと祈り』ですかね。うん。これはほんと、まぁ、いろいろとこー、文化差別だ、みたいな意見も見かけたりしたのですが、それでも本当に、いろいろ考えさせられたし、衝撃だったし、でも何より、文章が美しくて読み物としてめちゃめちゃ面白かったよなぁ。

梓崎先生はこの後に『リバーサイド・チルドレン』を発表され、しかしその後、と言うのが、なかなか情報だけが先行している状態で・・・。

なんだろ。今年か去年末だったか、どこかで待望の新作発売!みたいな情報を見かけたような気がするのですが・・・きっと私の幻覚だったのでしょうね(汗)

とにもかくにもファンとしては、本当にいつの日か、生きている内に、また斉木さんが世界を旅するシリーズの続編を読みたい限りです。はい。

 

そんな具合で今回はここまでです。

次回からは2011年の読書感想文に突入します!

相変わらず長いよ!(ちーん)

 

ではでは読んで下さりありがとうございました!