はい。と言うことで、無事、最終回を迎えた『鬼滅の刃』、そのコミックスの感想をネタバレありで語っていくと言うこのコーナー。今回は先月発売された20巻の感想です。
タイトルにもネタバレあり、と書いたので、はい。
この記事では容赦なくネタバレをしていきます。
なのでそれが嫌だ、と言う方は、どうぞこの画面をそっと閉じて下さい。
よろしくお願いいたします。
オッケーですか?
では10行後から早速、ネタバレはじめちゃうよ~。
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はい。と言うことで、20巻では上弦の壱である黒死牟と悲鳴嶼さん、時透くん、そして不死川兄弟の戦いが描かれています。
もうね、ぶっちゃけると、この戦いで時透くんと玄弥は亡くなってしまいます。
まぁ、辛いわ。
辛い(どーん)
でも何だろう。こうして改めて読み返してみると、2人とも、死を覚悟したうえで、ちょっと語弊はあるかもしれませんが、死ぬことを前提で戦っているんですよね。うん。いやまぁ、そりゃもう、2人ともそれを覚悟せざるを得ないくらいのダメージを負ってるんですから、そうなんですけど。
でも満身創痍の2人が会話するシーンの中で『さいごまで戦いたい』と言う言葉に『最期まで』と言う漢字が使われていることに、本当に胸が痛んで、切なくなると同時に、『そうか、2人は死ぬことを厭わず、ただただその瞬間まで戦いたい。どうにかして後の人たちに繋ぎたい。大切な人を守りたい。その思いしかなかったんだなぁ』と言う気がして。なんかもう、その2人の思いを目の当りにしたら、勿論、生き残って欲しかったし、2人が死んでしまったことは本当に悲しいんだけど、でも、何か、同時、ちょっとほっとしたと言うか。
もう大丈夫だよ。終わったよ、と声をかけたくなったと言うか。君たちのその覚悟、その思い、その命、悲鳴嶼さんと実弥がしっかりと受け継いで、黒死牟を倒すと言う結果を、そして悲鳴嶼さんと実弥が生き残ると言う結果を得ることができたよ、と言いたくなったと言うか。泣けたと言うか。と言うか泣いた。
泣いた(どーん)
ただただまっすぐな2人の、あまりにも若すぎる2人の、そのまっすぐな思いがただただ切なくて泣けました。はい。
あぁ、ちなみに2人の死、不死川兄弟のもう慟哭するしかない別離、更に時透くんが双子の兄、有一郎くんと再会し言葉を交わす、こちらももう涙なしでは読むことができないシーンと言うのは21巻に収録されているはずです。
21巻・・・楽天ブックスで予約したんだけど・・・無事、発送されてくるかなぁ・・・。不安しかない。
あとですね。玄弥に関しては、正直、なんかこの時点で亡くなってしまったことに、ちょっと安堵している自分もいて。いや、だって、もう彼、あのまま行っていたら確実に完全な鬼と化していたでしょう?本人も、自分の体がどうなるんだって不安を感じるくらいに、無惨の声が聞こえてくるくらいに鬼に近づいていたわけですよ。うん。
21巻に収録されているであろう不死川兄弟の別れのシーンでは、玄弥は最後の力を振り絞って、実弥に謝罪と、そして感謝の言葉を伝えるのですね。うん。でもその亡骸と言うのは、それこそ鬼のように崩れ去り消え去ってしまうんです。
限りなく、いや、もしかしたらもう完全な鬼になっていたのかもしれない玄弥。でも、その最後の一歩を踏んでしまう直前だったからこそ、体は完全な鬼としてでも、心は完全に人間のままで死ぬことができたのかもしれない。そう思うと、なんか、とても切ないし、やっぱり玄弥にも生き残って欲しかったけれど、でも、あー、なんかうん、ちょっと安心している自分がいて。
泣いた(どーん)
ああ・・・しかしほんと。この戦いに関しては、悲鳴嶼さんと実弥が、時透くんと玄弥に後を託す形で死ぬと思っていただけに・・・あまりにも若すぎる2人の死は、本当にショックだったなぁ・・・。あぁ。
あと、ほーんと、アニメ化、続けて欲しいよなぁ・・・。ここの戦いも声優さんの演技、超絶作画見たい。私の頭の中ではCV中田譲治さんで再生される黒死牟も見たい。
個人的には、悲鳴嶼さんが時透くんと玄弥の命を無駄にするな、と叫んだ後に、涙ながらに絶叫を返す実弥のその声と言うか、叫びが、もうありありと関智一さんボイスで再生されて、本と泣いた。
泣いた(どーん)
はい。
そして話は、まぁ、とにかく強い、めちゃめちゃ強い黒死牟さんへと移ります。20巻ではこの黒死牟の過去、人間だった時の過去話も収録されているのですが。
あー・・・これがなぁ。これがまた辛い。辛いと言うか、何と言うか、うん。何だろ。辛いと言っても当然、猗窩座や妓夫太郎・堕姫兄妹の過去に感じた『辛い』とはまた違った種類の辛さで。何だろうなぁ。なんか、わかると言うか。黒死牟の、その心中、察するに余りあると言うか。ああ、辛いと言うよりかは、めちゃめちゃしんどい。精神的にしんどい、と言うのが適切なような気がします。はい。
黒死牟が人間だった時の名は巌勝と言い、彼には双子の弟である縁壱がいたのです。双子は跡目争いのもとになる、だから不吉だとされていた当時であったことから、巌勝は後継ぎとして育てられ、縁壱は出家することが決まり、2人は隔離され育てられていくのですね。巌勝もまた、何を考えているのかわからない、そんな縁壱のことを不気味に思いつつ、ただただ母親に甘えるしかない彼のことを憐れみ、笛を与えたりしていたのです。
ところがそんな縁壱には優れた剣の才があることが判明し、巌勝は自分の立場が危うくなるのでは、と危機感を抱きます。またそこで、自分と縁壱の間にある圧倒的かつどうしても埋めようがない才覚の差にも気づかされます。実は縁壱には、生まれつき痣があり、またそれに耐え得るだけの身体能力も持ち合わせていたのです。
更に母親に甘えてばかりいる、と思っていた縁壱が、実は病弱な母親の体を支えていたのだと気が付いた瞬間、巌勝は縁壱に対して身を焦がさんばかりの嫉妬を抱き、縁壱の存在そのものに激しい憎悪を抱きます。
しかし縁壱は出家し、2人が次に再会するのは、巌勝が鬼に襲われていた時でした。巌勝を助けた縁壱の剣の腕は、幼少の時に見せたそれよりはるかに極められており、しかも人格者として成長していた縁壱に、巌勝の心は再び嫉妬と憎悪に駆られます。
ほどなくして巌勝にも痣が出現。それにより自らの寿命に、一般の人間よりも圧倒的に短い区切りが来ることを悟った巌勝は焦燥に駆られます。どんなに鍛錬を重ねても、自分は縁壱には勝てない。なのに、自分に、鍛錬のために残されている時間は、他の人間たちよりも圧倒的に少ない、と。
そんな折、巌勝は無惨と出会い、鬼になった、と言うわけです。
しかし鬼になってなお、巌勝と縁壱の結びつきが切れることはありませんでした。
鬼になった巌勝の前に姿を見せたのは、痣を持つ者でありながら白髪になるまで生き、老いた縁壱でした。
老いてなお、鬼になった巌勝を圧倒する剣の筋を見せる縁壱。自分が鬼になってなお、得ることが叶わない、その圧倒的な才覚と力に巌勝はただただ縁壱に対する強固な殺意を抱くと同時、しかし自分は決して縁壱には敵わない、次の一撃で、自分は縁壱の剣の前に敗北するのだと覚悟をします。
ところが・・・勝負は思わぬ形で終焉を迎え、結果として巌勝は、永遠に縁壱に勝てない、敵わないまま、ただひとり、鬼として生き残る・・・と言うのが、黒死牟の過去のお話です。
縁壱は、圧倒的な剣の才を持ちながら、しかし、剣を振るうことを決して好んではいません。けれど圧倒的な剣の才覚を、生まれながらに与えられています。
望まない者に、けれど圧倒的な才覚が与えられ。
一方で、望む者には、突出した才覚は与えられず。
これはなぁ・・・ほんと、辛いよなぁ。しんどいよなぁ。そりゃ、巌勝にしてみれば、たまったもんじゃないわな。しかも縁壱は双子であり、自分と同じ顔をしているんだもの。そりゃたまらんわ。疎ましいわ。消えて欲しいと思うわ。うん。
ただですね。一方で、吾峠先生が描く、圧倒的な才覚を与えられた、そして痣を持つ者としての宿命をも超越した存在として描かれる縁壱と言う人、その人の瞳は、特に大人になってからのその瞳と言うのは、めちゃめちゃ静かで、そして寂しげな色をたたえているんです。
なぁ・・・これ、縁壱にしてみても、本当にしんどくて、辛かったんだろうなぁ、と。多分、穏やかで温和そうな縁壱にしてみれば、作中でも吐露しているのですが、こんな剣の才覚など欲しくなかっただろうし、もっと巌勝と、普通に遊んで暮らしたかったと思うんです。うん。
もう少し、巌勝が、とらわれることなく、縁壱に心を開いていれば・・・とも思うんですが、まぁ、私が巌勝でも、多分、巌勝と同じような末路をたどっていたと思う。うん。これはしんどいわ。たまらんわ。嫉妬と憎悪で狂いそうになるわ。
しかもラストは、縁壱の永遠の勝ち逃げ。
地獄やん(ちーん)
はい。
巌勝はどこまでもどこまでも縁壱になろうとした。そうして何をも残せず、何にもなれず、ただただ縁壱との違いを突きつけられたまま黒死牟として消滅していく中で、それでもなお、彼は問うているのです。
自分が生まれてきた、その意味を。
縁壱に。
生まれたきた意味なんてものは、多分、ないだろうし、そんなものはなくても、見つけられなくても構わない、何の問題もないと私は思っています。
ただそれをどうにかして、それこそ身を焦がすような思いで見つけ出したい、獲得したいと言う思いは否定できないです。うん。
でもね、巌勝さんよ。
それを、双子ではあったとしてもあなたではない、あなたとは違う人間である縁壱に問うてしまうと言うのは、絶対にダメだ。
ましてやあなたがなりたかった、なりたくて仕方なかった存在であるところの縁壱さんに問うてしまっては。
もうその時点で、あなたは永久に縁壱さんには勝てない。
いや、事実、永久の勝ち逃げを喰らったんですけど(どーん)
もうその時点で、『あぁ、これ、巌勝さん。仮にあの時、縁壱さんに勝ち逃げされなかったとしても、勝てていたとしても、永久に縁壱さんの存在にとらわれ続けてるやん、絶対・・・』と、私は思ってしまいましたよ。ええ。
この戦いの中で命を落としていった時透くん、そして玄弥の2人は、最期の最期まで自分の思いで、自分の意志で行動を起こしていった。
まるでそれが、それこそが、自分が生きる、自分が今、ここにいて、ここで行動していること、生きることの意味だと言わんばかりに。そうしてこの時のために、自分は生まれてきたのだと言わんばかりに。そう、悲しいくらいに悟りきったと言わんばかりに。
その2人と巌国、あるいは黒死牟の姿と言うのが、想いと言うのがあまりにも対照的に描かれているようで・・・あぁ・・・となってしまいました。はい。
生まれてきた意味を、誰かの存在に託すと言うのは良いと思うんです。『私は、あなたのために生まれてきたの』的なね。うん。あるいは誰かの存在によって、それを教えられると言うのも良いと思いんです。うん。
ただ、それそれものを他人に問うてしまうのは、巌国さんよ。それはもはや、生きることそのものの主導権を、その人に、その他人に委ねてしまっているようなものだよ。
『私が生まれてきた意味は、ただただ、縁壱を憎み切ること』
そこまで割り切って、そうしてすっぱりと割り切って、心の中で永遠に縁壱を殺し続けて、そうして妻と子と生きていけばよかったんだよ・・・と言うのは簡単だけど、まぁ、でも、巌勝の気持ちは、ほんと、わかる。
しんどい。これはしんどい。
消えていく黒死牟の亡骸。そこに残されたかつて自分が縁壱に与えた笛。
それをずっと持ち続けていた黒死牟の思いは、何だったんだろう。
縁壱に対する憎しみ、憎悪、嫉妬、忌わしさ、疎ましさを忘れないためだとしたら。
笛を持ち続けていたと言うことは。
それらを忘れてしまいそうになる自分が、そこにはいたんじゃないだろうか。
それらを忘れてしまいそうになる感情が、そこにはあったんじゃなかろうか。
そう言うことの証なんじゃないだろうか。
あるいは縁壱に対する憎しみ諸々の感情から鬼になったと言うことを忘れないためだとしたら、そのことを忘れてしまいそうになる、忘れてしまいたくなる自分がそこにはいたと言う証なんじゃないだろうか。
だとしたら黒死牟、巌勝、本当に救われない。あまりにも、あまりにも悲し過ぎる。
自分で自分の人生、想いの主導権を握り切れていない、その姿は、あまりにも、あまりにも悲し過ぎる。
どうにもならない世の中だからこそ、自分の人生の主導権くらいは、自分の想いの主導権くらいは、せめて自分でしっかりと握りしめていなくちゃだよ。
はい。と言うことで、巌勝の過去話から私が学んだのは。
『人間、諦めが肝心』と言うことです(どーん)
いや、何と言うか。
『諦めるべきこと』と『諦めちゃいけないこと』そのふたつの見極め、区切りと言うのは、本と大事だと、最近、とみに思うのよ。うん。
はい。何だか話がずれそうになりましたが。
そんな具合で20巻の感想を長々と語ってまいりましたが・・・あぁ、次はいよいよ21巻。不死川兄弟の永遠の別れと、時透兄弟の永遠の再会が描かれるんですな。
泣く(どーん)
そして戦いの方も、いよいよ炭治郎たちVS無惨の最終決戦と言うことで。
無事、21巻、手元に届くのを祈るばかりだな!(ちーん)
はい。と言うことで、20巻の感想はここまででございます。
21巻も、無事、手元に届いたら感想記事を書きたいと思いますので、是非とも、部゛、手元に届くことを祈っていて下さい(笑)
ではでは。今回はここまでです。
読んで下さりありがとうございました~。