tsuzuketainekosanの日記

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学生の時に知っておきたかったぞ~働くこと その4

と言うことで、忘れていたわけではないんですが。

はい。このシリーズの『働く』について私なりに考えてみる、と言う記事、久しぶりの登場でございます。そして一応、『働く』について考えるシリーズは、今回がラストでございます。

 

前回までは38歳になってようやく『働く』ことについてまともに考えた私の、仕事選びや働くことについて様々な考えを書いてきました。

 

で、まぁ、今回はそのまとめのような記事になるかと思います。

 

私がフルタイムで働くようになって、いちばん、実感しているのは諦めることの重要性です。

 

フルタイムで働く以前は、たとえば『もっと私にあった、私が希望するような仕事がどこかにあるはず』とか『家でお金を稼ぐことだって実現不可能じゃないはず』とか、そう言ったことは常に頭にあったように思います。

 

今もそう言った思いが頭の中に無いわけではありません。ただ以前に比べると格段にそう言った思いが薄まったのは事実ですし、何と言うか、『なに夢みたいなことぬかしてんだ』と言う、諦めの思いの方が強いです。

 

『私の仕事は今の仕事。今仕事じゃないとしても、私ができる働くことは、今の仕事に近いような内容しかない』とすら思っています。はい。

 

でも多分、それでいいんだと思います。そう言う諦めで、少しずつ自分の『もしかしたら』と言う思いを薄めていくことこそが、日々、淡々と働き続ける上ではとても大切なのだと思います。

 

私が働いているのは『お金を得るため』であり、こうした諦めの気持ちと言うのは、そのために得た感情だとも言うことができます。

 

ただひとつ。これはあくまでも私の選んだ手段であり、実際、私の希望と言うか願いが、必ずしも完全に諦めなければならないものかと言えば、決してそう言うものでもないとも思います。

 

たとえば仕事にしたって、もっと真剣に探せば、あるいは地元から少し離れることを選択肢に入れてみれば、『私の希望がより叶えられる仕事』と言うのは、あるだろうと思います。

 

『家でお金を稼ぐ』と言う希望にしてみても、これだけ個人の意見などを発信できる場所が増えている、そしてネット環境が整っている世の中なんですもの、もう少し何かしらの手段を探せば、金額はどうであれ、決して不可能なことではないと思うんです。

 

でも私は、その努力をしなかった。してこなかったし、今もしていない。

何故か。

面倒くさいからです(ちーん)

 

すぐに結果が欲しいんです。はい。そう言う面倒くさいこと一切抜きにして、『ほら、あんたの希望にマッチする仕事だよ』とか『これなら家でお金を稼ぐことができますよ』って方法が欲しいんです。

 

でもそんなことはまぁ、あり得ないこともじゅぶんにわかっているんです。なので『そうした面倒くささを踏まなきゃいけないくらいなら、何かと諦めて、折り合いつけて、今の仕事で淡々とお金を稼いでいた方が楽だわ』と言う選択肢に進んだと言うわけです。

 

ただですね。今から思うと、せめて一度や二度くらいは、自分の希望のために『動く』と言うことをしてみても良かったんじゃないかな、と言う思いはあります。それをしていたら、もう少し、せめて貯金額くらいは増えていたんじゃなかろうか、と(苦笑)。

 

と言うことで何が言いたいのかと言うとですね。

 

みなさん、動いて下さい、と言うことです。

 

『働 』と言う感じは、人を意味する人偏に『動』がくっついていますね。要するに『動く』と言うことが、『働く』と言うことなんです。

 

そして人生において『動く』ことを面倒くさがってきた人間だからこそ、これは言えることなんですが、動かなければ、大概のことはそのままです。

 

そのまま。うん。それはとても良いことでもあると思うし、それでも良いと言う側面もあると思います。そのままと言うのは変わらないと言うことであり、それは平穏や安寧にもつながることだと思うのです。はい。

 

ただ、もし。自分の希望、願い、『ああしたい』『こうしたい』『ああなりたい』と言う思いが、少しでもあるのであれば。

 

それはやはり、大なり小なり動く必要がある、と言うのが、動かなかった人間の私の、今だからこそ至った結論であります。

 

そしてもうひとつ、これも今の私がからこそ、至った結論ですが、動いた結果と言うのは、すぐに手に入るものではないと言うのも、言いたいことです。

 

働いていて動いた。だけどその結果は、なにひとつ、手に入っていない。

そのことに打ちのめされて、『あぁ、もういいや。もう動くの止めた』と思いたくなる気持ちはじゅうぶんにわかります。

でもどうか、そこで『はいはーい。どうせ世の中ってこんなもんだよね』と笑い飛ばして欲しいのです。はい。

 

何故かと言うと、その動いたことの結果、成果と言うのは、たとえすぐには手に入ってこなくても、見えなくても、高い確率で(笑・さすがに『絶対に』とは、私も言い切れはしないんですが)いつか『あぁ~、あの時、こうしたから、今のこの結果があるのか~』と思うような時が来るからです。

 

それにアレです。世の中、実際に自分で体験しておかなければわからないこと、と言うのは山ほどあります。自分と他人の価値観、自分と社会全体の価値観の間には、どうあがいても埋められない溝がある以上、自分で実際に経験をして得た価値観と言うのは、あなたを支える、あなたの行動の大きな支えとなる宝になります。

 

だからどうか、自分の心がぴん、ときたことに関しては、動くことを面倒くさがらないでほしいなぁ、と動いてこなかった私は切に思うのです。はい。

 

これから新社会人として社会に出ていく人は、不安でたまらないことでしょう。面倒くさくてたまらないことでしょう。

 

でもそれは『動いた』ことのひとつの結果であり、それによってあなたの人生はいくつもの道を選び、歩んでいくことになるのです。だからどうか、その不安さや面倒くささと上手に付き合いつつも、とりあえずはあなたが頑張れるところまでは、ぽつぽつとでもいいので動き続けて欲しいなぁ、と思います。

 

社会に出るのも、働くのも、何なら生きていることそのものも不安で面倒でたまらないと言う方もいらっしゃるかもしれません。

 

そんな方に対して、私が何かを言うのは、境遇も立場も違うだろうと言うことを踏まえれば、あまりにも失礼な気がします。

 

ただひとつ、ひとつだけ、『こんなんどうでしょう』と言う感じでお願いしたいとすれば、やはり、自分の心が少しでも動いたことに対しては、自分ができる範囲で動いてみて頂けたらなぁ、と。

 

あぁ、でも、言わずもがな、法律に触れるようなことは絶対にNGですよ。

 

はい。と言うことで、何だか最初の話と趣旨がずれてきたような気もしないことはないのですが。

 

要は『働く』とは『動くこと』なのです。手足を、頭を、時には心を動かして、面倒くさいししんどいからこそ、そこには対価としてお金が発生すると言うわけですね。

 

だとすれば『働く』ことの形、と言うか方法も、たくさんあってもいいはずであり、それを叶えることが可能であるのが、叶えやすいのが、今の世の中だと言う気もします。

 

なのでどうか、たくさん動いて、自分らしい『働くことの形』のようなものを、私より若い人たちには見つけて行っていただきたいなぁ。

 

勿論、私と同じように、『一切は面倒くさいから、もう諦めて、今の仕事で淡々とやってくわ~』と言う選択を選んだ人の、それはそれで『動いた』結論です。だからそれはとても尊重されるべきものであり、何より、そんなあなたとはとても仲良くなれそうです(笑)

 

はい。そんなこんなで、以上、38歳の私がたどりついた『働くこと』の思いでございました。お付き合いいただいた方、どうもありがとうござました!

 

さぁ、このシリーズ、次からは何をテーマにしようかしらね~。