tsuzuketainekosanの日記

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ネタバレあるよ!~『鬼滅の刃』19巻の感想

はい。と言うことで、今月の4日に発売された『鬼滅の刃』の最新19巻について、ネタバレありで感想を書いていきますよ。

 

ネタバレありです。何度でも言いますよ、ネタバレありです。

19巻の内容だけに限らず、それ以前の話、更には今後、単行本に収録される話についてもネタバレをする予定です。

 

なのでネタバレが嫌よ、と言う方は、どうぞこの記事を今すぐ、閉じて下さいね。

お願いいたします。

これだけ書いておいたにもかかわらず、『まじかよ、ネタバレ踏んだわ~』とか『ネタバレするならするって言っとけよ!』と突っ込まれるのは本当に避けたいの、再三、大声で言います。

 

この記事はネタバレありです。19巻だけでなく、それ以前、それ以降の話についてもネタバレしますからね!

 

ネタバレが嫌と言う人は、お願いですので、この記事を閉じて下さい。

 

 

 

 

はい。と言うことで、では早速、感想を述べていきますよ。

 

 

 

 

 

・童磨との戦いにとうとう決着がつきます。前巻で童磨に吸収されてしまったしのぶさんでしたが、実はそれすらもしのぶさんの計画だったと言うわけです。この日、この時のために、藤の花の毒を摂取し続けていたしのぶさん。女に対して異常な執着を見せる、と言う童磨の性質を逆手にとって、致死量以上の毒を有している自分そのものを童磨に食らわせることで、内側から童磨の弱体化を狙い、そして止めをカナヲに刺してもらうと言うのが、しのぶさんの計画であり、願いだったのですね。

 

そんなしのぶさんの願いは、果たして見事、結実します。カナヲちゃんは右目を犠牲にして技を放ち、最後は伊之助が童磨の首を落とし勝負あり、と言った具合です。

 

いやぁ・・・泣けた。しのぶさんの覚悟にも泣けたし、でも、そうまで、そこまでしなければ上弦の鬼には勝てないと言う、その、人間である柱と人間ではない鬼との、圧倒的な戦力差にも泣けたし、だからこそ、一切の迷いなく、多分、自分は死ぬと言うことに対しての悲壮感など微塵もなく、ただただカナヲちゃんにすべてを託し、そしてカナヲちゃんにはどうか生き残って欲しいと願い続けたしのぶさんの思いにも泣けたし、戦い後のカナヲちゃんの思い、涙にも泣けた。

 

失われた人たちが戻ってくることはなく、カナヲちゃんのいろいろな後悔や、怒りや、苦しみが完全に癒えることもないんだろうと思う。でも、カナヲちゃんが生き残ることが、カナヲちゃんを大切に思ってくれている人、すべてが生き続けることになるんだと思い、そのことをカナヲちゃん自身も分かっているはずだから、本当、カナヲちゃん、頑張ったねって思いました。はい。

 

あと伊之助も泣けた。伊之助にとって童磨と言うのは、母親を殺した相手。それを知らないまま、ただ母親に愛されていない、だから捨てられたんだと思い込んでいた伊之助が、戦いの中で知った真実。その憎き相手、自分の母親を殺し、自分に『母親には愛されていなかった』と思い込ませた童磨を倒した後。たった一言『母ちゃん』の呟きが、その呟きを漏らした時の伊之助の背中が、たまらなく心細そうに、寂しそうに見えて泣けた。

 

そして童磨。やっぱりCV石田彰さんだなぁ~。宮野真守さん、鳥海浩輔さんも個人的には推したいのですが・・・朽ち果てていく時の回想の言葉とか、今わの際、しのぶさんと再会して、そこで口にしたもはや笑うしかない狂気の沙汰の、でも、とてつもなく悲しみが深い言葉とか考えると、石田さんの演技だよなぁ、と。

 

・はい。それから甘露寺ちゃんと伊黒さんペアも描かれています。このペアが相手するのは、鳴女。無惨様の横で、いつも三味線をべんべんと弾いていた、あの女性です。とにかく一生懸命、故にそれが空回りしてしまうこともある甘露寺ちゃんの明るいキャラクター性が、今はとにかく救いのようにすら思えます・・・ほんとに。

 

そしてそこに冷静なツッコミを入れる伊黒さんの、甘露寺ちゃんに向けた思いが語られるのは、もう少し後になるのか。

 

ネタバレですが、伊黒さんと言うのは、その出自故、そして自らの一族が犯してきた蛮行故、自分の血は汚れていると思っています。だから、無惨を倒して一度死んで、肉体が入れ替わりその中を流れる血すら入れ替わらないと、蜜璃ちゃんのそばにいることすらはばかられてしまう、と。

 

そんなことないよ、伊黒さん。お願いだから、そんな悲しいこと言わないで。

生きて。蜜璃ちゃんと一緒に生きて、生き続けて。

 

泣いた(ちーん)

 

・そして19巻から始まるのが、上弦の鬼の最上位に位置する黒死牟と、無一郎くん、玄弥、悲鳴嶼さん、実弥との戦いです。実は戦いの始まりと言うのは、無一郎くんと玄弥のみ、そこに少し遅れて悲鳴嶼さんと実弥が合流すると言う形なのですが・・・まぁ、時間にすればそれほど長くはなかっただろうから、アレだけど。

もし、もし最初から4人と黒死牟との戦いだったら・・・とも思いたくなってしまいますわな、結末を知っている身としては・・・。

 

どーんとネタバレしますと、この戦いでは無一郎くんと玄弥が命を落とします。いやぁ、びっくりしたよなぁ・・・最初は絶対、年長の悲鳴嶼さんと実弥が、若いふたりに打倒無惨を託す形で命を落とすと予想していたからなぁ・・・まさかの逆パターン。

 

実は黒死牟と言うのは無一郎くんのご先祖様にあたる人物が鬼になった存在なんですよね。うん。なんかそう言うことを考えると、わずか14歳で、鬼とは言え自分の先祖にあたる存在から全身切断されて、それでも果敢に、ひたすら皆を守りたい一心で戦い続け、最後は死んでしまった無一郎くんが、泣けて仕方ない。

 

いや勿論、これもしっかりと描かれることなんですけどね。無一郎くんにとっては、そうやって戦うこと、皆を守ることこそが自分の役割であり、そこに悔いはないんです。うん。でもよおぉぉぉ・・・そんなにやさしい君が生き続けなきゃ、意味ないよ・・・悲しいよ・・・うぅ・・・。

 

あと玄弥と戦いの場にて再会した実弥の本音も、ここで吐露されます。

 

泣いた(どーん)

この戦いの結末、玄弥は命を落とし、その亡骸は跡形もなく消滅してしまう、と言う結末を知っているからこそ、なおのこと、ようやく明かされた実弥の、玄弥に対しての思い、本音は本当に泣けた。

 

そしてそこから、実弥の回想と言う形で、親方様の言葉、今まで亡くなった多くの鬼滅隊隊士の遺書、そこに書かれてある思いと言うのが語られるんですね。

 

自分の大切な存在には、自分がそのそばにいられなくなったとしても、どうか生きて、生き続けて欲しい、と言う思いが。

自分よりも、自分の大切な存在の生、幸福を切に祈り、願う人の思いが、語られるのです。

 

なんかもう、これこそが『強い鬼』と『弱い人間』との違いだよなぁ、と。

自分ではなく、自分が大切な人のことを思う。

そしてそのためになら、自分は戦い、命を落としても悔いはない。

 

鬼滅の刃と言う作品には、このメッセージが色濃く流れていると思うのですが、このメッセージは、残された者、すなわち『大切だと思われた側』の人間にとっては、とほうもなく辛く、切ないメッセージでもあります。

 

だって『大切だと思われた側』の人間にとって、そう思ってくれた人と言うのは、えてして、大切な人であるからです。

 

あなたがそう思っているように、私だってそう思っているんだよ。

でも、その思いすら拒否するほどの、受け入れられないほどの決意や切実さ、尊さがそこにはあって、それでその人に亡くなられてしまっては、本当に残されたものにとってはどうしていいのかわからなくすらなりますよ。

 

ただその尊さ、そのどうしようもない切なさ、でもその後に残された微かな希望、『大切だと思う人が生き残ってくれた』と言う希望が、読者の胸を打つんだよなぁ、と個人的には思っております。

 

思ってくれた人は亡くなってしまった。だけど、その人が思った大切な存在である人は、生き残り、生き続けてくれている。そうした人間の、こー、脈々と受け継いでいく持続性、永続性のようなものと比較すると、鬼の存在って、どこまでも一過性、刹那的でしかないんですよね。

 

寿命で言ったら、そりゃ圧勝で、そんなことはないはずなんだけど、でも、ただ滅ぼす、滅ぼす、破壊する、殲滅すると言ったことしかないから、自分の思いが受け継がれていかない。思いの持続性、永続性がなく、ただただ、自分と言う細い糸、1本しかなくて、それが切れたら終了。あとには何も残らない。

 

だとしたら、鬼と言うのは、どこまでもどこまでも孤独な存在なんだなぁ。

(ただ最後の瞬間に人間性、永続していたつながりを取り戻す鬼と言うのも存在しているわけで(たとえば塁とか、遊郭潜入篇で炭治郎たちと戦いを繰り広げる妓夫太郎と堕姫の兄妹とか)、こう言うところに私は、どうしようもなく作者の、ワニ先生の人間性の柔らかさ、やさしさと、作家としての才能を感じるのであります。はい)

 

何だろ。こういうメッセージって、創作物では多く描かれていると思うんだけど、それでも鬼滅の刃での描かれ方と言うのは、とても新しいような気がします。何がどうと言うのは、なかなか説明しづらいんですけど。はい。

 

・と言うことで長々と語っていきましたが・・・あぁ・・・今から気が重い。黒死牟との戦いが、どんどんと進んでいくのが、今から本当に気が重い・・・いや、もう結末は決まっているんだし、仕方ないことなんだけど・・・気が重いし、今からとても悲しい・・・うぅ・・・。

 

そんな具合で、以上19巻の感想でございました。

ってか、しのぶさん曰く『上弦の鬼の強さは、柱3人に匹敵する』と言う言葉。

だとしたら、猗窩座さん相手に、たったひとりであそこまで善戦した煉獄さんって、めちゃめちゃ強かったんだなぁ、と思うのです。

 

でも、煉獄さんは猗窩座を倒すことはできなかった。

そして童磨に話を転じれば、しのぶさんのまさに命を賭した戦術があったからこそ、柱ではないカナヲちゃんと伊之助ですら、どうにか倒すことができた。

 

前にも書いたと思うんですけど、このあたりのパワーバランスと言うか、精神論とかそう言うの抜きにして、純然たる強さの順位付けのようなものを維持していると言うのは、本と凄いなぁ、と思うのです。

そしてそれは時に残酷さすら感じさせるのですが、でも、それが現実、そうした確固たる強さの理論のようなものが流れているからこそ生まれてくる物語というものもあり、だからこそ、鬼滅の刃はここまで読み手の心をひきつけるんだろうなぁ、と僭越ながら読み手のひとりである私は思ったのであります。はい。

 

ではでは。

ずいぶんと長くなってしまいましたが、以上『鬼滅の刃』19巻の感想でございました。

読んで下さり、ありがとうございました~。