tsuzuketainekosanの日記

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『鬼滅の刃』18巻の感想だよ~ガンガン、ネタバレありですよ

わーい、今日行ったら、明日は休みだぞー。そんなこんな。シフトの末は、多分、休みの日数の帳尻を合わせるためでしょうね、毎回、休みが立て込みます(白目)

先月なんて、1勤1休ラッシュで、これはこれでめちゃめちゃしんどかったもんなぁ。休みが立て込むとしても、せめて2勤1休が良いです。はい。

 

そんな具合で今日は『鬼滅の刃』の単行本、18巻についての感想を、ネタバレを含めて書いていきたいと思います。プラス、今回は18巻より先の話の展開についても少し、でもとても重要なネタバレをしております。すいません。

 

なので、いつものように注意書きを。

鬼滅の刃』のネタバレを踏みたくないわ、と言う方は、今すぐ、この画面を閉じて下さいね。お願いします。

 

 

良いですか?

 

ネタバレ、しちゃいますよ。

 

大丈夫ですか?

 

スタート、しちゃいますよ。

 

と言うことで、2行、あけたところから早速、ネタバレ含む感想、スタートです!

 

 

・まずは童磨VSカナヲと伊之助の戦いです。

全巻では童磨に挑んだしのぶさんが、童磨に吸収されると言う形で戦死。それを目の当たりにしていたカナヲちゃんが怒りの剣で挑むも、と言うところで終了していたのですが、今回はその続きです。

何と言っても見どころは、カナヲちゃんが言葉で童磨を煽る、その様です。いやぁ・・・これを上田麗奈さんがどんなふうに演じるのか・・・見たい。めちゃめちゃ見たい。とにかく本当に、煽る、という表現がぴったりな言葉のチョイスに表情なんですよ。

でもね、当然のことながらその裏側には、童磨や鬼に対する激しい怒り、憎しみと言うものがあって、決して話すのが得意ではないカナヲちゃんが、そうした感情に飲み込まれまいと必死に童磨を煽っている、その姿と言うのがとても切なくも見えるのです。

 

一方、それに対峙する童磨も少し、自分のペースを乱れつつも、やっぱり強敵。冷静にカナヲちゃんの強さなんかを見極め、次々と技を繰り出し、カナヲちゃんを翻弄する姿はさすがの一言。ってか、童磨の技がこれ、絶対アニメ映えするやつなんですわ。見たい。アニメで見たい。

そしてやっぱり、童磨のCVは石田彰さんだな、これ(どーん)

 

更にここに加わるのが伊之助です。伊之助が登場すると、どうにもそのキャラクター性からかコメディ色と言うか、ゆるーい部分が加わると言うか。なので勿論、戦いの最中にあっても伊之助が登場してからは、そう言った部分も出てくるようになるのですが。

 

が・・・伊之助の素顔を見た童磨、その口から伊之助の過去に関する話が語られると、雰囲気は一変します。簡単に言うと伊之助とその母親に関する話で、この辺りはアニメでも少しだけ描かれていましたね。CV能登麻美子さん演じる女性が、赤ん坊を崖の上から落とす、あのシーンです。この女性と言うのが、伊之助の母親だったと言う真実です。

 

で、それによって童磨に対する敵意を改める伊之助が、これ、本当にかっこいいんですわ。伊之助が、しのぶさんに対してどんな思いを抱いていたのか。あまり語られることは無かったけれど、しのぶさんだけでなく、彼にとって鬼滅隊の人たちがどういう存在であったのか。その強い思いと言うのが伝わってきて、胸が熱くなります。伊之助、原作で言えば『刀鍛冶の里』編ではまるで出番がなかったので、ここが久しぶりの見せ場、活躍となるのですね。だからなおのこと、かっこいいし、胸が熱くなるし、あぁ、ほんと、ここも松岡禎丞さんの演技で見たい!

 

『貴方、何のために生まれてきたの』そんな言葉をカナヲちゃんに吐かれたほど、ただただ虚無しかない童磨。そしていっぱい傷つき、辛くて、苦しく、悲しくて、悔しくて、腹が立つ思いもして、でもそれでも、それこそ生きている証拠だと言わんばかりに、全身全霊で虚無に立ち向かうカナヲちゃんと伊之助。いよいよ、本格的な戦いの幕開けです!

 

・そしてそして、18巻で語られるのが、炭治郎と義勇さんVS猗窩座の戦い、その結末です。もう結論から言うと、この戦いは、猗窩座の自死、自分の体に自分で技をぶち込むと言う形で幕を閉じます。多分、猗窩座がこうしていなければ、炭治郎、義勇さん、どちらかは、あるいは両方とも死んでいたでしょう。それくらい、とにかく猗窩座、強いんだわ、本と。

 

(そして上弦の鬼のランクで言えば、この猗窩座より強いのが黒死牟なわけであって、それに最初に対峙したのが無一郎くんと玄弥と言うことを考えると・・・そりゃ、あの結末が妥当、と言うか、順当だよな、としみじみ思ったのです。何てか、この辺りの敵と味方のパワーバランス、強さのバランスのとり方、その徹底した描写と言うのはほんと、お見事と言うか、ワニ先生、鬼畜と言うか、何と言うか(笑))

 

で、猗窩座の過去がここで語られるんですけどね。もうこれが・・・本当に、本当に切ない、やるせない、泣いた、泣いた・・・。

作中において鬼が何故、鬼になったかと言うのはこれまでも語られています。でも鬼によっては『いやいや、それはお前が悪いんだろ』と突っ込まざるを得ない過去もあったりしてですね。

(いや、まぁ、そう言う弱さもまた、人らしいと言えば人らしいのですが)

 

でもそうじゃない、どうしようもなく、耐えるにはあまりに過酷な運命に翻弄されてしまうよりほかなかった過去を持つ鬼と言うのもいて。たとえば『遊郭潜入編』で宇髄さんや炭治郎たちの前に立ちはだかった鬼ふたりと言うのは、まさしくそうだったと思うのです。

 

そして猗窩座も、私はこちらだと思うのです。猗窩座が何をしたんだ、と。彼にはなにひとつ、非は無かったじゃないか、と。

 

もうとにかく、本当に彼の過去話、人間だった時の思い出話と言うのは、読んでいて本当に辛くて。彼が『人間の弱さ』を憎む、心の底から憎み、憎み、憎み切っている、その理由が痛いほどに理解できて。

 

ただもしかしたら、ワニ先生は、彼が憎んでいた『人間の弱さ』と『醜いこと』と言うのは、決して結びつくものではない、『弱い』からと言って、必ずしも皆が皆、『醜いこと』を行うわけではない、と言うことを訴えたかったんじゃないのかなぁ、と。

 

世の中は本当に理不尽で、生きていくのも辛くて、苦しくて、身をよじられんばかりの悔恨、悲嘆、辛苦と言うのはすぐそこに存在していて。ただそれでも、それに飲み込まれてしまってはいけないよ、と。それであったとしても、それもまた人間であることの証なのだから、どうか、どうか人として生きて欲しい、と言う願いのようなものが込められているような気がして。

 

だからですね。猗窩座が、もう強さを追い求める必要性も感じなくなって、自死のような道を選んだことも。そして最後の最後で鬼としての猗窩座ではなく、人間としての狛治として大切な人のことを正しく思い出し、そして地獄の炎に焼かれていった、と言うのがもう、救い以外の何物でもないように感じられて。

 

特に地獄の炎に焼かれる描写って言うのが、これ本当に『鬼滅の刃』の特徴だと思うのです。鬼になり、たくさんの人を殺し、傷つけた。だけど最後に炭治郎たちと戦ったことで人間だった頃の記憶、感情を思い出すことができた。その上で、地獄の炎に焼かれる、と言うのは、鬼としての一切を洗い流すための行為であって、その先にはきっと、きっと、穏やかな光が待っているんじゃないだろうか、そんなことすら感じるのです。

 

だから本当に猗窩座の最期には、泣いたし、でも、どうか、どうか、彼がまた人間として生まれ変わり、今度こそ、今度こそ、彼が正しい強さで、彼が守り抜きたいと思った存在を守り抜ききれますように、大切な人と幸せになれますように、と祈らざるを得なかったです。はい。

 

現実の理不尽さを描きながら、その残酷さをじゅぶんに理解しながら。そしてそれにくじけてしまい、鬼になってしまう人間の精神的な弱さ、それにも寄り添いながら、それでも祈るように、人として生きることの力強さ、尊さを、炭治郎たちの姿は勿論のこと、簡単に言えば『悪い側』である鬼の姿を通して描いている、ってのが、『鬼滅の刃』の本当にすごい所であり、大きな魅力であり、多くの人をひきつけてやまない理由になっている、と私は思うのですが、いかがでしょうか!

 

いかん。長くなってしまった。でもとにかく、猗窩座と言う一人の鬼の、そして鬼だった人間の、人間に戻っていく姿、その物語と言うのを是非、みなさん、18巻で体感して下さい!

 

個人的には『無限列車編』で煉獄さんを殺めた鬼でもあるので、最初はとにかく大嫌いで、『こんな奴、炭治郎たちにこてんぱにやられてしまえ!』とか思ってたんですけど。

 

本と、泣いたわ。

 

本と、猗窩座には、いつか幸せになって欲しい。

そして『弱いこと』と『醜いこと』の違い、どんなに、どんなにしんどくても、苦しくても、辛くても、心を醜くしてしまってはいけない。

そんなことを、18巻では本当に考えさせられました。

 

あとあとカナヲちゃんが童磨に放った言葉、『貴方、何のために生まれてきたの』

この言葉が、またこれ、後々にも意味を持ってくるのだと思うと、もう今から泣けてくる。

 

何だろ。私にとって『生まれてきたこと』『生かされていること』って、あくまでそこに私の意思は存在していない、受動的なものでしかないんですよ。うん。

でもきっと、『鬼滅の刃』の登場人物たちは、そうじゃないんだろうな。

『生まれてきたこと』『生かされていること』もとい『生きていること』、それらすべてに自分の意思があり、能動的な思いがあるんだろうな。

凄いな。

はい。

 

そんな具合で18巻の感想としては以上です。

いよいよ次巻からは黒死牟の登場、そして無一郎くんや玄弥の死闘が始まると言うわけですね・・・あぁ、今から辛い、しんどい、本と、しんどい(ちーん)

 

ではでは。長くなってしまいましたが、以上で18巻の感想は終わりでございます!